生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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「森のオフィス」現地ルポルタージュ(中村晃生) (555) |
- 日時:2013年03月21日 (木) 00時35分
名前:サーチャー
光明掲示板にて、中村晃生氏が実際に現地をルポして執筆されております!!
前編は「神の子A」氏が頑張っていただいておりましたが、今回はサーチャーが・・
======================================== 森のオフィス現地ルポ@ (7221) 日時:2013年03月20日 (水) 10時03分 名前:中村晃生
<人間至上主義の巨大開発に終始した長坂地区>
私は、ここ10数回にわたってマサノブ教団の「森のオフィス」批判を展開してきました。でも、全く現地も見ないで批判するのも問題でしょう。そう考えた私は、ある時、暇を見つけて北杜市の建設地を現地視察することにしました。以下は、その現地からの報告です。ルポルタージュ形式でお届けしたいと思います。
新宿駅から特急「かいじ」に乗ったのが午前9時。中央線で甲府駅まで向かいました。特急の中は6割程度の乗車率。ノンビリした列車旅です。外人のバックパッカーが数人散見されます。車内に落ち着くと私は、パンと牛乳の朝食を食べ始めました。1時間半で甲府駅に着きました。一旦ここで下車してその数分後の長野行き鈍行に乗り換えます。ここも空いており座席にゆったり座れます。鈍行で7駅目。「小淵沢」の一つ手前の「長坂」駅が目的地です。新宿から長坂までは約2時間半ほどの行程です。
甲府駅を過ぎると、車窓から見える景色はどこにでもある田舎の風景が続いていました。でも「長坂」の一駅手前の「日野春」駅まで来ると、急に景色が変わります。雪をかぶった八ケ岳連邦の景色が眼前に広がり始めるのです。訪れた日が好天といったこともあったと思いますが、それこそ「ミニアルプス」といったようなきれいな風景が見えてきました。
住民の反対運動の起きていた問題の「長坂」駅に到着しました。この駅は、こじんまりしているものの、綺麗に整備されており、駅前には駐車場、タクシー乗り場、バス停などもそろっていました。北杜市は平成16年から18年にかけて八ケ岳南麓の7つの町村が合併して出来た新しい市で、「長坂」駅周辺は、合併前の長坂町でした。町役場(今は市役所長坂支所)は、今でも駅のすぐ裏手にあり便利がいいところです。道理で駅前もキチンと整備されている訳です。また駅構内のすぐ右側に新しい図書館も建設されています。住民の便益を良く考えた「住民フレンドリー」な町。との印象を強くしました。
問題の「森のオフィス」用職員のために建設されている職員用住宅の団地の工事現場は、駅東側に位置する広場とは正反対の、駅西側で盛んに建設作業中でした。大型クレーン車が土砂を運び上げており、下の現場には多数の建設作業員の姿も見られました。こうした作業は、一段と高くなっている駅から直接一望できます。まだ地盤整備の段階のようです。計画ではここに職員200人分の家族用住居41戸、独身寮の建物が8棟、それに集会施設、バイオマスの施設などが建つ予定となっています。でもまだ職員住宅などは建っていませんでした。
下には道路(幅6.5メートル、長さ365メートル)も整備されているのが上からよく分かります。おそらくは集会施設が建つのでしょう、1ヵ所コンクリートで大きく基礎固めをしている場所も見られました。それでもこの4万平方メートルもの広大な土地の造成には相当の土砂が運搬、排出されたようです。地元のタクシー運転手も、「以前は大きな雑木林があったのですがダンプが何台も入って、土砂を運び出し、今では様相は一変してしまいました」と話していました。
同市の審議会で、この点に関し教団側は、>(工事で残土は)8万㎥位出る。小高い丘ですので、下から削っていくと、そのくらい出る< と、説明しています。これだけの規模での開発を実施するならば、確かに地元住民の皆さまが不安になり、建設反対運動が起きるのも当然でしょう。住民の気持ちもうなずけます。
私は問題の巨大開発の現場を見ようと勇んで出かけてきたのですが、駅から現場は一望できるし、別に建設作業それ自体を隠している風でもありません。しかもまだ建物は建っていないので、どんな様子になるのか具体的なことも分かりません。しかし、わずか200人ほどの職員のための施設用地にしては、4万平方メートルの開発というのは大げさ過ぎる気がします。マサノブ氏は、まだ何か別の意図があるのかもしれません。
北杜市が昨年3月に開催した土地利用審議会には、教団とそれに北杜市の審議会委員が出席して話し合いを行っています。議事録によると、長坂地区を中心に「長坂高松の緑を守る会」という住民の反対運動が起き、最終的に平成23年11月の時点で、2800人近い反対署名が集まったようです。教団は、その前年の平成22年12月12日に地元民との説明会を開き、それに基づいて平成23年1月11日に協定書を作成し、「住民のみなさんから了解を得た」として工事着工を強行するのですが、肝心の反対署名をした人たちとの話し合いを持ったという報告は、審議会にはなされておりません。
審議会では教団は、>地域の人とは、説明会とは別に3回ほど、話し合いをしました。その方々とは別の人が反対の看板を建てられた<としており、この説明では、おそらくは「地元の了解を得ている」として、反対運動をしている人たちとの話し合いもなく、反対者の意向は無視して開発を強行して行ったものと思われます。
先ずは、ここにマサノブ教団の、自分たちの都合だけで物事を強行する「人間至上主義」の現われがあります。
しかし、「森のオフィス」そのものは、こことは別の場所のはずです。そこで良く聞いてみると「長坂」駅からは10キロ近く離れた「大開」地区にあるという話しでした。そこからはペンション村で有名な「清里」もほど近いということです。しかも山麓の上の方で標高もかなり高く、タクシーで行くとなると片道4,5千円はかかるという話だったので、少し気後れがしました。
そこで一先ず、距離的に近くにある「日野春」駅からほど近い「オオムラサキセンター」にタクシーで向かうことにしました。このセンターは、今は北杜市営になっていますが、元々は長坂町が建設したものです。この合併前の長坂町は「名水とオオムラサキの里」というのがキャッチフレーズでした。私は知りませんでしたが、オオムラサキという蝶は、翅が紫色をした全長10センチ程度の綺麗なアゲハチョウで、昭和32年に「国蝶」の指定を受けています。長坂町は何とこの貴重なオオムラサキの生息地だったのです。このセンターで映画などを見てオオムラサキについて一通り勉強しました。エノキの葉しか食べないため、この蝶はエノキの雑木林がある場所にしか生息しないのだと言います。地元ではこのオオムラサキを大事にしており、センター内には生態観察が出来るような施設も作ってあります。特にセンターから長坂駅までは自然の中に遊歩道が建設されており、蛹から孵化する7月以降は、多数の観光客で賑わうということです。遊歩道沿いにオオムラサキの飛来と観察が楽しめるようになっているのです。
このオオムラサキが棲むのが長坂町の雑木林だったのです。住民の意向にはお構いなく、突然降って湧いたようなマサノブ教団の「森に行く」として一方的に推し進めた長坂駅西側の巨大開発行為に、住民が反対運動を起こした理由も、ここのセンターに来て見てようやく分かった気がしました。この町の雑木林は、住民にとっては大事な「自然資源」だったのです。
マサノブ氏の話によると、何ヶ所もあった候補地の中から「最適の地」として現在地を選定したということのようですが、この地域(長坂)の雑木林が、実はオオムラサキの貴重な生息地だということは、事前に調べなかったのでしょうか?「自然と調和する」ことを表看板に標榜するマサノブ教団にしては余りの配慮の無さに唖然としました。消失した雑木林の中には、当然のことながらオオムラサキがこれまで卵を産み付けてきた場所もあったでしょうし、キツネなど雑煮林の中に住む小動物、鳥や虫も多数いたはずです。
人間サイドの都合だけで、自然を勝手に開発する行為をマサノブ氏は、ことあるごとに自分の著書の中に「人間至上主義」として非難、攻撃していますが、何のことはありません。自らの教団で行う開発は、反対住民にも配慮しない、「自然」にも配慮しない
――「人間至上主義」を貫いていたのです!!
果たして「自然を尊重する」はずのマサノブ教団は、こんな調子で「人間至上主義」の開発行為に明け暮れ、一体何を「森から学ぶ」というのでしょう? ========================================
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森のオフィス現地ルポA (573) |
- 日時:2013年03月22日 (金) 12時55分
名前:サーチャー
森のオフィス現地ルポA (7259) 日時:2013年03月22日 (金) 10時26分 名前:中村晃生
<人類のいない「ヒキコ森」の「オフィス」に行って、一体何をしようというの?>
長坂駅から車で旧大泉村に位置する「森のオフィス」に向かいました。ここはペンション村のある「清里」駅から一駅離れた「甲斐大泉」駅から、上の北方の八ケ岳に向かって一直線に伸びる県道が通っています。でも、結構勾配のある坂道です。通称「開発道路」と言います。というのもこの地域は戦後、外地からの帰国者が酪農などで山地を開拓して入植したためだそうです。今では酪農家はほとんど残っていませんが、その代わり道のあちらこちらに洒落たレストランやショップが立ち並んでいました。やはり「清里」に近いこともあり、ちょっとしたリゾート地の雰囲気が醸し出されています。
長坂から道路を車で行くこと約30分。「森のオフィス」は、この開発道路の、一番先端近く、八ケ岳高原ライン(標高1380メートル)の道路に接する当たりの少し手前の左斜面に建設されています。清水建設が工事事業の看板を掲げていました。山の中腹といったところでしょうか。でも長坂あたりに比べると、かなり高い場所という感じがします。県道から「森のオフィス」への入り口は、看板の少し上にありましたが、関係者以外は立ち入り禁止になっています。歩いて少し中をのぞこうかとも思ったのですが、仮設事務所内の建設作業員が怪訝な顔をしてこちらを見ていたので、中に立ち入ってジロジロ見ることは止めてしまいました。でも外からでもかなり先まで、建物が建設されている様子をうかがい知ることは出来ました。
同市建設課の話では、かなり建設工事は進んでいるとのことでした。4万4千平方メートルにも及ぶ広大な敷地用地のうち実際の工事面積は20%程度で、残りは「森のまま残す」ということのようです。でもこの「森のオフィス」建設用地の近くは、ほとんど人がいない場所です。確かに周囲は森(雑木林?)であり、平日だったこともあるのでしょうが、車もほとんど通っていませんでした。いるのは建設作業員と若干の工事車両だけ。寂しい限りです。
現場に実際に来た実感としては、「森の中に行く」というよりも、人間のいない場所に「ヒキコ森に行く」という方が正解ではないか、といった気がしました。それこそこんな人里はなれた場所で「人類光明化運動」(つまり布教は一切しない)もしないで、一体何をしようというのだろう?それこそ単なる「森のオフィス(事務所の意味)」なの?だったらわざわざこんな不便な場所に大金を注いで来ないでも良さそうなものを――と、いろいろ首を傾げたくなりました。それにしても教団職員さんたちは、引越しを決断する前に一度現地を見てからした方がいいのではないかと考えました。おそらく「ここに来るのは考えものだ」と判断する人も出てくると思います。
それでもマサノブ総裁は、毎日、職員に向かって「森に学べ」(何を学ぶのかは想像もつきませんが)と訓示するのでしょうか?
地元の北杜市の人々に対しては「布教活動はしない」と公言している八ケ岳教団です。信徒も研修できない(信徒向けの宿泊施設などがありません)、布教活動もしない、国際平和信仰運動と言っても名ばかりのこの教団にあって、職員はやることがなくて大変だろうなと、つい余計なことを心配してしまいました。
でもマサノブ氏と、八ケ岳教団は、自分たちが何のためこの「森のオフィス」に移転しようとしているのかを、ここで再度、認識する必要があるのではないでしょうか?
谷口雅春先生が「生長の家」を創設された当時、先生は人生苦にあえぐ「人類を救う」ことを悲願とされたのです。いやしくも「生長の家」を名乗るのであれば、先生の悲願を踏まえる必要があります。
先生は、立教時に>人類は今危機に頻している。生活苦が色々の形で押し寄せて人類は将に波にさらわれて覆没しようとしている小船の如き観はないか。自分は幾度も躊躇した。起つことを躊躇した。自分は中心者として増上慢のそしりを受けることを恐れていたのだった。一求道者としていつまでも謙遜でいたかった。併し今は謙遜でありたいと言うことが自分にとっては安易を貪る一つの誘惑と感じられる。自分は此の誘惑に打ち克って人類を救わねばならない。自分の有っている限りの火で人類を救わねばならない。自分の火は小さくとも人類の行くべき道を照らさずにはおかないだろう。此の火は天上から天降った生長の火である。火だ!自分に触れよ。自分は必ず触れる者に火を点ずる。生長の火を彼に移す。自分は今覚悟して起ち上がった。見よ!自分の身体が燃え尽くすまで、蠟燭のようにみづからを焼きつつ人類の行くべき道を照射する。自分のかざす火は人類の福音の火、生長の火である。自分は此の火によって人類が如何にせば幸福になり得るかを示そうとするのだ。<
との熱烈な思いを吐露されております。またこれが(本来の)「生長の家」教団の掲げる「人類光明化運動」となったのです。今や、「生長の家」は看板だけで、中味は全く変わってしまったマサノブ氏の八ケ岳教団は、「人類光明化運動」とその本拠地であった原宿を何だかんだ理屈をつけて、アッサリと捨ててしまいました。そして今回のここの「森のオフィス」への移転です。ここには確かに「人類」はいません。それこそマサノブ氏が大好きな鳥や虫、あるいはサルしかいないのです。でも「人類」の救済を捨てて「大自然と調和する」と言っても、宗教団体のレーゾンデートル(存在理由)としては、誰が見てもはなはだ説得力に欠けることはお分かりでしょう。おそらくは、これまで以上に、世間から「物笑い」になるだけなのではないでしょうか。
やはり現地に来てみて、私には原宿を引越しして「森に行く」必要性、必然性は全く感じられませんでした。この「森に行く」こと全体が、マサノブ総裁の「個人幻想」がもたらした、一種の「自己満足」に過ぎないのではないのだろうか?という感じが深くした次第です。
地元の人に聞いてみましたが、この地域の今年の冬は寒さが厳しかったといいます。特に今年1月、2月は気温がマイナス15度以下にもなり、寒さがかなり応えたとか。都会から移住してくる多数の職員の皆さまのご苦労が偲ばれます。ましてや「時には50センチもの雪が降り積もる」と地元民がいうこの山地です。どうやってこの急な坂道を「電気自動車に乗って」長坂から毎日10キロも「森のオフィス」に通勤するのでしょうか?マサノブ総裁ご夫妻は、もちろん暖かくなってからしか来ないでしょうけど。
それと、こんな森の中には、良い事ばかりではありません。市の話では、結構、「鳥獣害の被害もある」と言います。同市内には「300匹近いニホンザルがうろうろしていて被害をもたらしている」というのです。300匹のニホンザルとは、想像も出来ませんが、かなりの数なのではないでしょうか。でも「自然との大調和」を唱えているマサノブ氏のことです、キット逃げたり、駆除したりしないで済む、「第三の道」を発明することでしょう。
でも、面白いことにこの「森のオフィス」の県道をはさんで反対側のすぐ近くに、観光雑誌などで有名なレストランやショップを開いている「八ケ岳倶楽部」が、ポツンと1ヵ所店を開いています。ここのオーナーは元俳優ということもあり、八ケ岳の観光スポットの一つになっているようです。それこそ幸いなことに(唯一の救い?)、「森に学び」疲れた職員の皆さまが、おいしいコーヒーを飲んで息抜きができるかもしれません(笑)。
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森のオフィス現地ルポB (607) |
- 日時:2013年03月25日 (月) 17時07分
名前:サーチャー
森のオフィス現地ルポB (7304) 日時:2013年03月25日 (月) 12時38分 名前:中村晃生
<空気も水もきれい。太陽もいっぱい・・だが危険もいっぱい?!>
今回の視察旅行で、マサノブ夫妻が書いた「森に行く」の本の中で、事実と合致していた事が1ヶ所だけ見つかりました。それは北杜市が「日照時間は日本一」であることでした(もちろん、それだからといってマサノブ氏が言うように「霊性が高くなる」訳ではもちろんありませんが)。この日照時間の長さが、北杜市を今では日本における「代替エネルギー先進地」にすることになったのです。
同市は、北海道の稚内市と共に、国内初の「太陽光発電所」の建設地となりました。この発電所は、国の「独立法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)」によって建設されたもので、太陽光発電の研究委託が行われています。同市夏秋地区の6万平方メートルの広大な土地に、大小27種類の各種の太陽光パネルを設置し、現在では年間で240万キロワットの電力(600軒分の1年間の電力使用量に相当)を生産しているといいます。生産した電力は、売電されています。福島原発事故以降、国内では太陽光発電のメガソーラーの建設が、今では全国で盛んに行われるようになりましたが、北杜市はそのさきがけの事業に取り組んだ地域だったのです。
また北杜市は伏流水の豊かな場所でもあります。「名水百選」にも選ばれているきれいな水の産地で、各地で伏流水が湧き出ています。そうした場所で、観光名所にもなっているのが「三分の一湧水」という場所です。名前が珍しいのと湧水の現場を見ようと訪れてみました。
長坂から車で20分程度でしょうか、「三分の一湧水」は、高さも長坂とはさほど変わらず、駐車場や飲食店も整ったきれいな場所でした。この日も、既に数組の観光客が訪れていました。車を降りてから、湧水地までコンクリートで整備された小道を少し歩きます。駐車場から見れば、少し丘のような場所に湧水地がありました。
ここは、地中から伏流水がコンコンと日量8500トンも湧き出ています。地中から大量に湧き出ている湧水は、10メートルほど流れた後、三角形の石に当たり、自然に三分の一に均等に分けて流れる仕組みになっています。一本は下に、他の2本は左右にという具合です。簡単ではありますが、実に見事な仕組みです。この「三分の一湧水」は戦国時代からあると言います。水争いは何処でも農家の紛争のタネとなります。それを3つの村に均等に分けようという先人の知恵で、このような場所は全国的にも珍しくもありますが、おそらくはこの地を統治していた武田信玄とその家臣の知恵でもあったのでしょう。
この地域で伏流水が地中から湧き出ているというのは、この八ケ岳南麓が、元々古い火山の上に新しい噴火で積もった火山灰が蓄積するという2重構造をしていることが原因のようです。それがちょうど標高900メートル近辺で、八ケ岳に降った雨水が地表に湧き出てきているということのなのです。
ただこの「三分の一湧水」を訪れて見て、ある心配な出来事を発見しました。というのもこの南麓は、火山灰が蓄積したわけですから、同時に軟弱な地盤でもあったということです。この「三分の一湧水」の場所は、大小の石がゴロゴロしていて少し歩きにくい場所だなと思っていました。それもそのはずで、昭和18年9月に、実は大土石流が発生しており、(当時の人々は、これを「山津波」と表現しています)大量の土砂が上流から流れ込んできた場所でもあったからです。上流で発生した土石流は、かなり下流域の村にまで被害をもたらしたようです。当時の大土石流の歴史が、記念碑として上流から押し流されてきたという1つの大きな岩に刻み込まれてありました。被害にあった6村の人々によって、この「三分の一湧水」も、掘り起こされて復元されたと言いま す。
つまりここ八ケ岳の南麓は、何時また同じような土石流が発生しいとも限らない「危険な」場所だったということです。八ケ岳教団は、山岳の高い斜面の広大な森を切り拓いて「森のオフィス」建設に余念がありません。私が不思議でならないのは、何故わざわざ「森のオフィス」を八ケ岳南山麓に選んだのかということです。高野山のような特に深山幽谷な訳でもありません。
地盤が安定した台地に建造されている訳でもありません。雑木林に少し毛の生えたような森の斜面のそれも不安定な場所です。個人の別荘用としては良いのかもしれませんが、宗教団体のしかも多数の職員が働く国際本部の行く場所としては、どう考えても「中途半端」といった印象がぬぐえないのです。まあ、それでもマサノブ氏のお気に入りだと言えば、それまでですが。あるいは何処まで行っても「俗人」のマサノブ氏のことですから、リゾート地の「清里」に近いところが良かったのかもしれません?
それでも何故わざわざ山の傾斜地に作ったのかという疑問は残ります。当然大雨が降れば、軟弱な地盤は危ないわけです。もっとも大手建設会社の清水建設がやっている工事ですので、オフィスの建物の基礎そのものは、木造主体であってもガッチリ作っていると思われます。問題は、教団の所有していないさらに上層部の土地の地盤なのです。多量の雨によって、上から地面が崩落すれば、どんな建物でも一たまりもありません。大雨が降った時に災害が発生する危険など、思いが至らなかったのでしょうか?
それとも「大自然に調和」している(との一方的な幻想に浸っている)マサノブ氏だから、そんなことはありえないと考えているのでしょうか?だとすれば、いよいよマサノブ氏は、頭がイカレて来たのでしょう。
でも教団としても、単に各種の施設を建設してそれで事が足りるという訳にはいかないでしょう。いやしくも宗教団体を自認するのであれば、そこは神様から祝福された土地でなければなりません。それもマサノブ氏の「住吉大神」への帰依があればこそなのですが、彼は最近「観世音菩薩賛歌」の偽経を製作して専ら「観世音菩薩」に帰依し、「住吉大神」はないがしろにしています。 このような仕打ちを、「龍宮」の主であり天候を司る「住吉大神」が喜ぶはずもありません。
きれいな空気を吸い、きれいな水を飲み、太陽光を豊富に浴びても、肝心の信仰心が大神に向けられていないのでは、せっかくの「森のオフィス」建設に、いかほどの功徳があるというのでしょうか?それでも彼が最早、谷口雅春先生と住吉大神が設立された「生長の家」をきれいサッパリ捨てて、自分独自の「マサノブ環境教」にまい進するというのであれば話は別ですが・・・
余計なことかもしれませんが、このような、わざわざ「危険な場所」に「森のオフィス」を作ったというのも、何らかの因縁を感じます。今後、同じような災害が起きて無関係な信徒さんたちが巻き込まれないように、大神様に切に祈る次第です。
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今後の論理の展開 (7341) (645) |
- 日時:2013年03月28日 (木) 16時43分
名前:サーチャー
今後の論理の展開 (7341) 日時:2013年03月28日 (木) 11時20分 名前:中村晃生
これで、私の「森のオフィス批判」の一連の論稿は、一応終了いたします。
これまで私は、マサノブ氏の八ケ岳教団による2つの「おかしな」動きへの批判、1つは「大自然賛歌経」と「観世音菩薩賛歌経」の2本の偽経の批判、もう1つは「森のオフィス」の批判を行ってきました。この2つの動きは、実は連動しています。しかもそれは「生長の家」の形だけは偽装しつつ、それとは全く別物の「反日」と「環境」を2本柱とした「新しい教団」を設立することにあったことが、最近次第にハッキリしてきました。
しかも、マサノブ氏の狡猾さは、それを宣言することなく、なし崩し的に実行しようとしているのです。つまり、何時の間にか、救国の宗教としての「生長の家」が、左翼的な「反日環境教」に摺りかえられてしまっているのです。これは重大な問題だと、私は受け止めています。新しい事態の出現に、私は次回以降、新しいマサノブ教団と我々が、どう対処し、対決してゆくのか。そのメルクマールの論戦を、これから展開してゆきたいと思います
(本論の「住吉大神と神功皇后」に入るのは、その後になります)。
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「個人的には、森のオフィスには反対です」 (1201) |
- 日時:2013年05月27日 (月) 09時13分
名前:サーチャー
トキ氏は「個人的には、森のオフィスには反対です」とのことです!!
<トキ傍流掲示板(ひとりごと板)> ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 3634 名前:トキ 投稿日: 2013/05/25(土) 15:06:22
私は、個人的には、森のオフィスには反対です。決定の経過は不透明で、有用性に疑問があり、費用もかかり過ぎると思っています。本部の偉い人たちの趣味に付き合わされる信徒は、本当に可哀想だと思います。
ただ、もう出来てしまった以上は、今更、取り壊す事もできないので、有効に使ってほしいとは思います。
しかし、普通に考えて、1年の1/3から1/4が寒さのために行事が開けない、電車が1日に何本もない、地元との協定で伝道もできない、という施設に期待できないです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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