生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
トップページへ戻る
↓↓↓ 訪問者数 ↓↓↓
例えば『呼称』について (7597) |
- 日時:2015年07月20日 (月) 10時19分
名前:管理人
この掲示板は、投稿者皆さんの生長の家人としての自覚を根拠としております。 それは何度も書いていますが、『生長の家』の名称を使わせていただいているからです。 今回の処置については、掲示板開設以来、自分の中では問題提起すべきものと考えていましたが、山ちゃん1952様のブログにおいて、「悪意ある言葉からは神性は生まれない。」という題の記事が、決断のきっかけになりました。山ちゃん1952様の文章には自分自身を見直す「気付き」を与えてくれます。感謝しております。
さて、例えば谷口雅宣総裁に対する呼称についてですが 呼び捨て、雅宣爺さん、雅宣君、雅宣ニセ総裁等 に悪意又は卑下の意思は反映されていないでしょうか? 使用は避けるべきではないでしょうか? 今の生長の家の状態を見るとき、雅宣総裁は批判の対象となる存在だと思いますが、格調高い生長の家の教えを受け継いでいる人たちが、どのような呼称を使うのかは、やはり、分別が必要であると考えます。 信仰暦の深い、又、活動実績のある諸先輩の方々から、今まで問題提起が無かったことについて、生長の家の教えを知った者としては残念な気持ちは持っています。
-
|
|