生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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高天原と瑞穂の国(日本)と生長の家は三位一体@ (7627) |
- 日時:2015年08月14日 (金) 23時31分
名前:管理人
「谷口雅春先生を学ぶ」誌の9月号の中で中島省治氏が“谷口雅春先生と古事記との関わり”について書いています。その中で『生長の家30年史』の152頁について触れられていたので、ここに抜粋します。
生長の家の国体観 “中心に帰一する道”
記者 では前にもどりまして、生長の家は初期から、純粋な日本精神の発揚という面で活動しており、それが現在の愛国運動――日本の実相顕現におよんでいる、といえると思いますが、生長の家の国体観について考えてみたいと思います。
中林 その点一部的には戦争協力のようにきめつけているが、実はそうじゃないんで、いつでも、本当に日本の本質を明らかにするということを唱道してきたんです。生長の家で唱えている日本精神、大和の精神を推し進めていくと、大陸の五族協和とか八紘一宇などということが本質的に解決する。そういう真の自他一体の立場から大陸の布教もはじめられたわけです。ところが当時の政府、特に軍部は、そうした正しい、“日本”の把握、日本精神の理会も宗教的な信仰もなく、ただ戦争遂行のために宗教を利用した。日本精神を口に唱えるだけで、行き方を誤った。
田中 谷口先生の国家観が発表されたのはいつごろですか。
記者 大調和の神示に――“皇恩に感謝せよ”という一句がありますが、
伊東 昭和8年1月に、友の家会館で講演なさいました。東京最初の講演会ですがね。そのときの話を『中心(すめろぎ)に帰一する道』として、8年3月号の『生長の家』誌にお書きになっているんです。それを後に(11年)パンフレットにしまして大頒布運動をやっていますね。 (つづく)
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