生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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高天原と瑞穂の国(日本)と生長の家は三位一体A (7628)
日時:2015年08月16日 (日) 22時58分
名前:管理人

(つづき)
第1回講習会から 「古事記講義」

山口 先生ははじめから現在のような国家観をお持ちで一貫していられる。だから、第1回の大講習会が、昭和10年11月11日から20日まで、本部(赤坂)で開かれたとき、古事記の御講義が中心でしたけど、最初からあったわけですよ。その時からずっと、1週間の講習会のときは必ず、古事記講義(限りなく日本を愛す)参照)が講習会の中心になっていました。

伊東 その時集まった233名の人たちは、個人の救済というようなことを主にして集まってきた。ところがそのときのお話の中心が、国体の問題で、古事記の話をされたので、さあ面喰うものやら、喜ぶものがでてきたわけですよ。

山口 中には喜ばないものも大ぜいいましたよ。もっと病気を治すコツみたいなことを教えて貰いに来たのに、なんていってね。あの時僕らも若くて、文句があるなら来い、なんて――激論をたたかわしたことを覚えていますよ。

伊東 ところが、この時集まった人が地方に帰って運動の中堅となり、今までやってきているんですね。いかに第1回の受講者が大きな力――生長の家の把握をもって帰ったかということがはっきりしていますね。それはやっぱり「中心に帰一する道」で鍛えられて、生長の家にたいする一つのしっかりした自覚をもったからだと思うのです。

山口 ところで、あの頃の講習会は1週間(夜間だけで7講座)で奉納金が12円でしたがね。今日の物価から考えてどうですか。今は3講座ですから仮に12円の“七分の三”で5円として、今日の物価が当時の300倍としてみても、1,500円になりますよ。一番値上げ率の低い郵便切手でも、当時3銭のものが10円ですから、330倍ですからね、それがこんにち先生の御講習が300円では、現在一番安いのが先生の御講習会となり、これはまったく驚いたことですよ。

田中 そういうふうに計算してみるとたしかに安いですね。谷口先生が「外国の宗教講演に比べて安い」といわれますけど、よくわかりますね。
(おわり)



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