生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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聖戦の意義 (7630) |
- 日時:2015年08月19日 (水) 22時57分
名前:管理人
『生長の家30年史』の対談のつづきになります。
田中 それで、支那事変の勃発前ですね。当時、大正以来の自由思想というか欧米思想が非常に流行していた。
山口 一方あのころあったのは、枢軸国のイデオロギーでね。ドイツの“持たざるものと持てるもの”という論議がさかんで、それに日本の指導者の一部が便乗するという面が多分にあって、日本が支那事変に突入したり、南方に進出したりする論拠となった。その時、先生がそれに反対されたんですよ。持てるもの持たざるものなどという物質的な分け前を平等にするところに平和の原理はないと。先生は「大東亜戦争はあくまでも聖戦である」といわれた。つまり欧米諸国に植民地化されているアジアの、霊的精神的な意味での解放を念願するということにおいて聖戦の意義がある。と強調されたのであって、決してファシズムではない。
中林 ファシズム国家としてのドイツ、イタリアが問題になる前に、先の『中心に帰一する道』のパンフレットを頒布している。
田中 あの頃からいわゆる新官僚が出て来て、後に軍部と結びつきますが、あの一派は日本精神じゃなくてファシズムですからね。生長の家はそれではなかったことをここでハッキリさせておかなくちゃならない。
山口 先生は枢軸的な考えに非常に反対された。当時、「帝国の精神に還れ」ということが大きく叫ばれたが、その精神が「海征かば」の歌で鼓吹されたので、それは皇道でもなんでもないので、先生はあの歌によって代表される精神に徹底的に反対されましたよ。
田中 あれは全体の士気を鼓舞するという、全体主義の意図があるんだな。軍部が非常に強調した。
(つづく)
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