生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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谷口雅春 真の宗教の救いについて@ (7657) |
- 日時:2015年11月28日 (土) 22時51分
名前:天邪鬼
宗教の重要問題
今日は「真の宗教の救いについて」というような題で話してくれという事であります。「宗教というものはどんなものであるか」という問題、それから、「″救い″とはどんなものであるか」という問題、これがはっきり解らないと、今日の提題も、話す演題の意味も解らないという事になると想うのであります。 宗教といっても、いろいろの宗派がありまして、その本尊というものも必ずしも同じものではないのであります。そして、その救われ方というのも、その宗教の種類によって、必ずしも同じではないのであります。そこに、宗教的争いというようなものが起って来る原因があるのであります。宗教の如き、天地一切のものと調和しなければならないその教えの故に、宗教同士が喧嘩をする。キリスト教でも、イエスという一人の人の教えが基であるのに、プロテスタントとカトリックとが喧嘩をしたり、十字軍なんていうような戦争までも起ってくるのであります。それで、何を信ずるか、という本尊の問題ですね。これが、ひとつ大切な問題であります。
現世利益か後世浄土か
それから、信仰の目的というものは現世利益か、それとも死んでから霊魂が大浄土に救われるとか、天国へ行くとかいう問題が目的であるか、という現世利益か後世浄土かというような重大な問題があるわけなんであります。 それで、実例をもって話してゆきたいと思うのでありますが、まだ生長の家が今のように、あまり伸びていなかった時代の事であります。家内の郷里の富山県の高岡へ私は伝道のために参りました。まだ多勢の信徒がいないですから、そう広い会場ではない。商工会議所の二階かどこかで話したのを覚えているのであります。その時に私が「生長の家にはいったら、こんな功徳がある。こんな霊験がある、こういう体験がある、こういう救われた人がある…」と実例をとうとうと一時間程話しました。それから後の三十分を「質問があれば、質問をして下さい。後はまた、その質問に対して答えながら話してまいる事に致します」とこう言ったんです。質問をいろいろした人の中に、一人手を上げた中川という三十数歳ぐらいのまだ若い人がおりましたが、真宗の非常に熱心な人の如くに伺われました。 「先生。宗教というものは、そんな現世の御利益を願うものじゃないと思います。それに先生は、その現世の御利益の話ばかりなさいまして、それは本当の宗教ではないと思います」 とこう言って逆襲してこられたわけなのであります。それでね、私は、 「あなたは、仏教の人だが、しかし、お釈迦さんは、仏教の教祖のお釈迦さんは、なんの為に出家をして仏教をお開きになったか知っていますか」 と言って話したんです。
″生老病死″の四苦に悩まれた釈尊
お釈迦さんは、生老病死の四つの苦しみから人間を解脱さしてやりたいと願った。″生″というのは生まれるという字、″生きる″という字です。″生む″という字でもあります。人間を生む時には、お母さんが非常にお産の苦しみをするのであり、そして、生まれる子供も狭い産道を通って、押し縮められながらこの世に出て来て、そして、第一声は泣くの であります。それから、この生存競争の厳しい世界へ出て来て、いろいろの人生問題やら、仕事の問題、いろいろの問題で苦しまなければならない。弱肉強食の世界で、それをいかに生きてゆくかという、これは″生″の苦しみです。この通り生きるためにはそれに伴う色々の若しみを克服しなければならないのです。生老病死の″生″の、その次には、お釈迦さんは″老″の苦しみをご覧になった。お釈迦さんが、宮城の外苑のような所を散歩しておられた。そしたらそこへ、浄居天という天人が、天から化けてはいってきて、老人の姿になって、そのお釈迦さん(まだ釈迦牟尼如来とは言っていないシッタルタ太子の頃であります)その王子の前にですね、腰がかがんでやせ細って、みすぼらしい人相をしながら、やっと曲がっている腰を辛そうにして歩いて来るのです。今までシッタルタ太子は、あんな見苦しい人間を見たことがないので、 「あれはなんじゃ」と仰言った。 「あれは人間でございます」 「人間にもあんな者がおるのか」 「あれは人間の老人と申す者でございまして、誰でも老人になるとあのようになるのでございます」 と侍従が言うのですね。 「ほう、人間は皆、あんな風になるのか」 と言うので、驚きになった太子は外苑を散歩していた楽しみもなにもなくなって、憂うつになって、もう散歩をとりやめ、自分の部屋にお帰りになりまして机の前に坐って、そして頭の上に手をあてて、「どうしたら、人間があんな苦しみを受けないでおれるようになるであろうか」と心配して、いつまでも憂うつ症みたいにしている。お父さんの様に心配なさいまして、「もっと、気ばらしにもう一度外苑を散歩にでも連れて出てくれ…」と言って侍従を促して、王子のお伴をさせて、また宮城の外苑を散歩にゆかせたんです。そしたら、その王子の前に何か横たわっている。それは死骸なんです。見苦しい姿で死骸が半分腐ったような醜い姿で倒れているのです。王子はそんなの今まで見たことがない、 「これは何じゃ」 と仰言った。 「これは人間でございます」 「人間はみんなこんなになるのか」 「はい、然様(さよう)でございます。この前、ご覧になりましたあの老人がだんだん病気になって、そして、見苦しい姿になって死ぬとこうなるんです」 というようなことを説明すると、またお釈迦さんは憂うつになって散歩をとりやめて、お家へお帰りになって、自分の机の前でジッとかがみこんで考えておられた。今、実例としてあげたのは″老″と″死″とですけれども、生老病死のその四つの苦しみというものを、本当に目の前に見て、お釈迦さんは「鳴呼、人間は可哀想じゃ、あの四つの苦しみから逃れさせてやりたい!」という慈悲の心が起って、そしてて「どのようにして、あの四つの苦しみから逃れることがてきるであろうか…」という悩みですね。自分で考えても解らないので、それで家出をされた。それを出家というわけなんです。
仏教も現世の問題から出発した
まあ、簡単に言うので途中のニュアンスは抜けてしまいますけれども、当時、インドに流行しておったバラモンという宗教、立派な宗教ですが、ブラフマンという本尊、これは仏性とでも訳してもいいと思うんですが、それをバラモンと言うわけなんです。そのバラモンの教えをやっている仙人達の教祖さんみたいな仙人の修行の足りた人の所を尋ねて行って、いろいろと教えを聞き修行をなさるけれども、「どうしても生老病死の苦しみを解決する道がない」と言うのですね。それで、もう自分でこれを解決するより仕方がないというのです。それでウルビルワという所の″苦業の林″、″苦行林″に行って自分で断食、あるいは、水行あるいは、かろうじて生きる為に木の実を食ったり、(お米もなんにもないんです)六年間、断食に等しいような食物を食べて修行をなさった。何の為に修行をなさったかというと、「生老病死の四つの苦しみから人類をして解脱せしめてやりたい!」という願いからであります。ところが、生老病死の四つは現世の問題です。そこから、仏教というものが出発しているのであって、それで「現世の利益なんていうものは、仏教に関係がない」なんて考える事は、これはお釈迦さんの教えに反することになるという話を、私がしたのであります。
(つづく)
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