生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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日本の政治と宗教 ―護国の神剣― 谷口雅春 (その2) (7703) |
- 日時:2016年06月12日 (日) 22時48分
名前:天の邪鬼
日本を衛るための檄文 ――自ら顧みて、全生命を救国にかけよう――
本文は、『聖使命』昭和四十八年二月一日号(生政連版)に掲載したものの全文である。「護国の神剣」の歌詞の発表と併せて、全信徒諸賢にお願ひしたものだが、各位の強い要望により、小冊子に纏めたものである。生政連出現の意義と使命を感得して、日本の実相顕現のために起ち上つて戴くことを切望する。
結核菌との妥協は本当の調和でない
生長の家は大調和を説いてゐるのだからといつて、悪に対しても調和をすべきだといふ考へ方は、それは表面の調和であつて本当の大調和ではないのです。悪に調和することは現象に妥協するといふことです。本来、悪は実在しない。その実在しないものに妥協するといふことは本来あり得ないのです。本当の調和とは、実在に調和するといふことです。 実在するもの即ち実相の完全さに調和するといふことであります。実相の善なるものにひたすら調和していくことによつて、
「神があらはるれば乃ち 善となり、 義となり、 慈悲となり、 調和おのづから備はり」
と『甘露の法雨』にありますやうに、そこから現象の調和も整つてくるのであります。 赤坂の道場で生長の家の第一何講習をひらいたとき、受講生のなかに杉浦慶一君といふ青年がをつた。賀川豊彦さんの弟子でキリスト教の牧師だつた青年です。各自の体験発表のとき祈りによつて家ダニを退散させたといふ体験を話出したのでした。それは杉浦君が浜松で自宅を開放して日曜学校をやつてゐたときの実際の体験で、その家に家ダニが発生し、通つてくる子供達を螫すので、皆が大変痒がつて困つてゐた。杉浦君は『生命の実相』を読んで感動してをつたときだつたので、早速祈つた。家ダニを祈つたんです。 「家ダニさん、あなたも神の生命を戴いてゐるんだから生きる権利がある。しかしこの建物は人間の住む家なんだ。君たちがゾロゾロ侵入してくると、子供たちは痒がつて可哀さうだ。といつて君たちも住むところが必要だから、あそこの空いてゐる四畳半の部屋だけをあげるから、他の部屋へは来ないでくれ」 すると無数の家ダニがゾロゾロ集団移動を始めて、その四畳半の部屋いつぱいに集り、その部屋だけに住みついて、つひに敷居を越して他の部屋へ行くことはかなつたといふ体験です。私はその体験に感動して、「君は生長の家の真理の肉を得たから生長の家の講師にならんか」といつた。杉浦君は「先生が許してくれるのならなります」といつて、その後本部に入り各地を巡講したり、時々私の前講をやつてをつたのですが、ある日、横浜の記念館で私の講演会があつたとき、前座をつとめて次のやうな「天地一切のものと和解する」真理を話出したのでした。 「私は結核菌にだつて調和してゐる。結核菌などは少しも恐しいとは思はない。私の肺臓は左に二つ右に三つ合はせて五つの部屋がある。だから三室ぐらゐは結核菌に貸してやつてもよろしい。結核菌よ、這入つて来たければ這入つて来給へ、私は決して排斥しない――そんな心境でゐるんです」 聴衆は拍手して喝采した。併しこれは本当の和解でも調和でもないのである。これは間違つてゐる。和解するとは“一切の生物処を得て争ふものなく、相食むものなし”と『甘露の法雨』にありますやうな実相世界の完全な相を実現することなんです。結核菌が処を得ずに人間の体内に侵入してくるのは、実の相ではないのであつて、調和を得てゐないのであります。そのことを、私は講演が終つたら杉浦君に是非とも注意しなければならぬと思つてゐましたが、私は演壇に上つて講演しなければならぬし、杉浦君は自分の前講が終ると他の講演会へ行くために、すぐ出発してしまつた。その後も杉浦君は私とすれ違ふだけで会う機会がなかつた。さうかうしてゐるうちに、杉浦君の体内に杉浦君が言葉で許可した通りに肺臓に結核菌が巣食つて、重症の結核症で昇天されてしまつたのであります。即ち、処を得ないものを妥協して入れてやるのは本当の和解でも調和でもないのであります。
共産主義の侵入を許してはならない
この杉浦君の実例は、今日の日本の世相をよく象徴してゐると思ふのです。昨年暮の総選挙で共産党の得票数が著しく伸び、議席も三十八といふ予期以上の成果を挙げたが、それもそれでよいではないか、日中国交もできたことだし、日本の国に共産党が侵入してきても恐しいものではない。共産党員だつて人間だから神の子なんだ、だから共産党とも調和して排斥せずに、衆議院の議席は四百九十一もあるのだから、そのなかの四十や五十くらゐ占めさせてもよいのではないか等々と考へることは、杉浦君が、結核菌も肺臓の二つくらゐに侵入してきてもよいのではといつて、結局は結核にかかつて死んでいつた如く、かういつた調和論は大変に危険なのであります。 確かに、共産党員は人間ですから、本来は神の子でありますが、共産主義といふ迷ひに晦まされた人なのであつて、まだ実相が顕はれてゐない状態なのです。本当の実相の日本国は、華厳経において釈尊がお説きになつたやうにビローシャナ如来(大日如来・天照大御神)がその中心にまします所謂る蓮華蔵世界――現実日本に即していへば天皇を国なる生命体の中核としてゐる国家――なのです。そして国民はその生命体の細胞として天皇を仰慕し鑚仰し、この国体を護持してその生成発展のために力をつくし精神をつくし生命をつくして仕へることが使命だと感得してゐる。これが日本本来の実相なのです。その実の相に調和することが、生長の家でいふところの“天地一切のものに和解する”大調和なのであつて、その処を得ざる結核菌が侵入する相や共産主義が侵入する相に妥協することが調和ではないといふことを、生長の家の皆さんは、はつきりと知つておかなければなりません。もしその侵入を“和解”と称して許すならば、杉浦君の轍を踏んで国家が結核症状を呈して杉浦君と同様に滅びてしまふ。「永久に戦ひなき平和は、戦ひを通じてのみつくられる」といつた毛沢東語録を信じて世界侵略を企図する共産主義国を隣国に控へて、今や日中国交樹立と称して共産主義の工作隊が自由に入国できる道をひらいた田中内閣は、杉浦慶一君と同様の危険に対して道をひらいたのでありますから、余程今後の共産主義者の行動に注意しなければならないのであります。 共産主義が日本本来の国家を打倒するために侵入する病菌に当るものだといふ最も卑近な例は、このたびの総選挙で三十八議席を占めて院内交渉団体となるや否や、早速にも「天皇を国会から追放する」といふ提案を中村衆議院議長に申入れたといふ、このひとつを取上てみても明瞭だと私は思ふのです。この提案内容をもう少し詳しく申しますと、「国会の開会式に天皇が出席し“お言葉を賜る”のは憲法違反である。再開国会から天皇の出席や発言をやめ、憲法の民主的条項を守つた形式と内容に改めるべきだ」 といふ、わが国の国体の転覆預を図つたまことにも許せぬ暴言だつたのであります。生政連会長の田中忠雄さんは「共産党のへドロが流れ出した」と憤つてをるやうですが、田中さんに限らず、日本の国を愛するほとんどの国民も恐らく憤慨したことと思ひます。共産党の巧言に乗せられて共産党に票を投じた人のなかにも、共産党に騙されたと思つた人が非常に多いだらうと思ふのです。
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