生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家異端者の思考  これを谷口雅春先生の教えは許容できるのだろうか? (7772)
日時:2017年07月01日 (土) 22時46分
名前:本音の時代

“決まりきった型は適応性や柔軟性を持たない”

“真実は決まった型以外にある”

人は「絶対真理」に入って、人を支配する。
あなたが誰か、どんな体つきか、どんな体質か、
そんなことはお構いなしにだ。
とにかくスタイルから入って法律に従う。
それは間違っているのではないか。


生長の家も、型を作ってきました。
谷口雅春先生の教えには、型があるということなのでしょうか?
型には意味があり、それを否定するつもりなど毛頭ありませんが、
型に縛られたくない人を、組織は許容するのでしょうか?


別件ですが、本流が一本にまとまりません。
ということは、正統・生長の家など存在しえないということなのでしょうか?
あるのは、学ぶ会流生長の家であり、ときみつる会流生長の家であり、看板だけ生長の家であります。



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