生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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実相を念じ祈るとは (7803) |
- 日時:2017年10月11日 (水) 11時07分
名前:本音の時代
【谷口雅春著『秘められたる神示』31頁〜32頁】 唯「実相の円満完全」を念じ祈っておれば平和が来るのではないか――と考えるのは、「ただ人間の実相の完全円満を祈っておれば現象的にはどんな処置をも講じないでも肉体は健康になるのではないか」と言うのと同じであります。「実相の完全さ」を祈り念じておれば飯を食わないまでも、筋肉を運動させないでも立派な肉体が得られるかというと決してそうではない。「実相の完全さ」を念ずれば、「実相の完全さ」が現実化する過程として、食欲が正常となり、食膳には、適当な栄養物が並ぶことになり、仕事などの上に自然に適当な筋肉運動が行われることになり、「実相の完全さ」が肉体に現実化するのであります。「実相の既にある完全さ」と、「現象にそれを実現する処置」とを混同するところに、現象的な適当な処置を不要とするような間違った論議を生ずるのであります。軍備の要不要は、現象的処置に属するものでありまして、現象的処置は、病気に対する薬剤の如く一種の対症療法みたいなものでありますから、その時の情勢如何によって、軍備のない方がよい事もあり、またある方がよい事もあります。それは健康になるためには、或る時は減食がよく、或る時は断食がよく、或る時は栄養食をたっぷり食するのがよいようなものであります。これを「永遠に普遍的に変わらない黄金律」と混同するのは誤りであります。「恐るる勿れ」は「永遠に変わらない黄金律」でありますが、「恐れない心境」になるためには、「戸締り」がある方がよいか「戸締り」がない方がよいかはその時の現象界の情勢次第であります。
さて、現在の生長の家教団はどうなっているのでしょうか。雅宣総裁が「今の教え」を言い出し、雅春先生の教えの継承に疑問符がついてからさえ、“雅春先生のお孫さんなんだから”という信頼のもとに、唯「実相の円満完全」を念じ祈っておれば“正統なる雅春先生の教えの継承”が来るのではないか――と考え、現象的には何の処置をも講じなかった結果。――その現実を私たちは見ています。谷口雅春先生の御教えを実践しなかった結果です。
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