生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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教団に在籍している信徒の誤った認識を解くために。生長の家社会事業団さん、日本教文社からの『頭注版生命の實相』と『聖経』の発行を認めなさい。 (7808) |
- 日時:2017年12月06日 (水) 22時16分
名前:本音の時代
生長の家社会事業団の『生命の實相』等の著作権問題により、日本教文社からの『生命の實相』『聖経』等の発行はできなくなった。その非は、教団側にあるものの、発行禁止の処置を講じた社会事業団側の思惑にも不純な部分があったものと私は感じている。『新編』発行の強い願望の存在もその一因ではなかろうか。しかし、そこに我欲はなかっただろうか。『生命の實相』を読みたい人達の願いは届いていない。救済の道は閉ざされている。救いを求める人々のためになっているのだろうか。組織の我のより優先するものがあるのではないか。 奪うものは奪われるのである。これは法則である。奪うことを優先した者に、何が与えれるというのだ。得をした者がいたのだろうか。生長の家の教えは目先のことだけを考えた教えであったろうか。『生命の實相』『聖経』等を発行できなくなったため教団側は痛い目にあったと当然のように見ているのなら、それは、生長の家的にはあまりにも次元が低いのではないか。 生長の家の教えは、『与える』の教えである。 生長の家社会事業団さん、日本教文社からの『頭注版生命の實相』と『聖経』の発行を認めなさい。使用料は、しっかりいただきなさい。『新編』は収支成立の自信があるのだから継続していけばよいのではありませんか。 在籍信徒の社会事業団側(学ぶ会、光明思想社)に対する反目は現状も依然として強大なものがあります。反目の原因となっているものは解く必要があります。もう時間がありません。躊躇していたら谷口雅春先生の生長の家がなくなってしまいます。脚下照顧。
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