生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家「今昔物語」・ 理性篇の再掲示 <第三十五話> (602)
日時:2013年03月25日 (月) 13時30分
名前:信徒連合




第三十五話(通算第361話)


 
生命の謎・萬物は皆生きている <その五>



(続)物質には知覚があり、生命がある

(『生命の謎』P.50−53)



<<(つづき)・・・ドイツの大科学者にして哲学者であるヘッケルは次ぎの様にいっているのである――

「自分はもっとも簡単なる物理化学現象も物質の微粒子に無意識的な感覚があって運動するものだと結論することなしに解釈することはできないのである。

化学的親和力の観念は種々の元素が他の元素の性質の相異を知覚し、相手と接触する事に喜びを感ずるか不快を感ずるかするために、互いにあつまり、或いは排斥するものだということを結論せずにはいられないのである」と。また曰く、

「吾々は凡(あら)ゆる物質分子に快感と苦痛(満足又は不満足)の感情を認めることができるのである。然して電気的親和の現象は、互いに愛する分子の間には、親和力を生じ、互いに憎む分子の間には斥力を生ずるために起こると結論せずにはいられないのである」と。

 
 この電気的親和力は動物における引用の牽引力と全く類似の現象であって、それが互いに結合することによって新たなる「活動体」を生みだすことも生物が陰陽互いに結合して新たなる子孫を造ることにも似ているのである。

而して又、いったん結合した分子と分子とは周囲の状況に従って互いに分離するのであるが、分離すれば元の個性を失わずして水素は水素の生活を継続し酸素は酸素の生活を継続するのも一旦結婚した夫婦が離婚すれば、再び元の個人に復(かえ)るのに似ているのである。

 この種の現象を数えあげれば無数にあるのであって、観点を変えて見れば、今迄物質は死物であると考えられていたものが、実は死物ではないということになるのである。

最近の物理学では物質の原子は更に陰電子と陽電子との結合であり、その電子も陽子もともにエーテル中に起こった渦巻きであり、これは更に無にまで還元してしまうということがわかったのである。

原子は崩壊して驚くべきエネルギーを放散するが、そのエネルギーはエーテルの中にとけこんでしまうのである。エーテルの中には驚くべきエネルギーの根元があり、そこから一切の物質の根元である素粒子が生まれて来たのであり、その「無」とみえるエーテルの中にはおどろくべき想像力を其の中に蔵し、其の中にある理念を形に現わそうとする知性と意志とがあるということが分かって来たのである。


 そこで凡ゆる「物質」は生きており、「物質」の奥には「生命」があり、「生命」の奥には「知性」があり、「意志」があり、「理念」があるということがわかるのである。


サリービ博士はその著書『進化、それを開く鍵』という著述の中で次の如くいっているのである。

 「生命は物質の中に潜在的に存在するのである。生命的エネルギーは過去のある特別の時代に創造せられたる特別のものではないのである。

もし進化というものが本当であるならば一見生きていないと見える所の物質から次第に自然的課程を通して進化して今の状態に達したのが動物である。

然し、もし生命が物質の中に潜在するものであるならば、生命の中に心が潜在するということは尚一層明らかであるのである。

進化論者は心が物質の中に潜在するということを信ぜずにはいられない様になっている。顕微鏡的存在なる物質のほんの微細なる一点にすぎない細胞が人間になるという事実をみればこの小さき細胞の中(うち)に心が存在するということを認めずにはいられないのである。

細胞の中に心の萌芽というものが存在するならば細胞を形成する化学的元素たる炭素、酸素、水素、窒素、硫黄、燐、ソーダ、カリ、石灰等の中にも心の要素が存在すると推及(すいきゅう)することが出来ないことはないのである。

更に進んで吾々はこれらの元素の一々が悉く同一の単位要素すなわち電子でできているということを知るならば、同じ要素が色々の姿に精緻複雑なる構造で現れる限りは、そこに心がなければならないと結論しなければならないのである。---------

ここに吾らはスピノザによって最初に認められたる崇厳(すうげん)なる真理、心と物質とはゲーテのいわゆる神の生きる装いの緯糸(よこいと)と経糸(たていと)とであるという真理を肯定しなければならないのである。心も物質もその両者の奥に横たわるまだ知られざる不思議なる実在が互いに補足的に表現したものである」と。>>(つづく)






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