生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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反・『御教え』・・・雅宣総裁語録と講評 <第三十六話> (621)
日時:2013年03月26日 (火) 15時07分
名前:信徒連合




< 第三十六話 >「特攻隊」という戦法は現世を否定的に捉えて考えついた手段で、現世を犠牲にした自殺攻撃!?

(平成21年9月28日『小閑雑感』)


<<「生命は不死」の教えは、「現世軽視」や「他人軽視」の考え方と直接、論理的につながってはいないのである。それがつながって見えるのは、なぜだろう? その理由は、現世を否定的にとらえるからだ。特に、目の前にいる“敵”が自分をはるかに凌駕する力をもっていると考える場合、現世軽視、現世否定の傾向が強まると思われる。自爆テロリストの場合は、敵が多く、汚辱したこの世界は否定すべきものだと考えて、テロ行為に走るのである。特別攻(撃)隊の場合も、戦局が日本に不利なことが明確になってから登場した戦法である。つまり、敵の力を思い知ってから、やむを得ないギリギリの戦法として採用された−−ということは、現世を否定的にとらえて考えついた手段なのだ。>>




(講評)


何故、斯くも三代目・雅宣氏は性懲りもなく、同じ誤りの文章を書くのであろうか!(自称の)法燈継承者、総裁として大勢の信徒を導く指導者ではない事がよく現れた内容の文章であります。


(1)このような文章の内容は“宗教者”と称する者の書くものではありません。ものごとを常に冷たい目で批判的に見る“評論家”の書く文章と全く同じものであります。


(2)三代目・雅宣氏は“ジパノフォビア”(日本人でありながら祖国・日本を蔑み貶める日本人ならざる日本人)であることを自ら証明しているのであります。


(3)歴史と云うものは、後世の者が後世の価値観でもって批判してはならないのであります。特に、戦争と云う大事件は因縁果の法則による国家と民族の積み重なった“業(ごう)の一大自壊現象であり、大東亜戦争はその上に宇宙の経綸による国家と民族の使命が付加されていたものであります。当時の日本人は其の“業(ごう)”の解消を一身に担い、宇宙の経綸としての日本国家・日本民族の使命をいのちを賭して完全に果たされたのであります。だから、後世現代に生きている我々は、大東亜戦争を戦われたわれわれの先祖の人達に対しては、只々感謝合掌のこころで対しなければならないのであります。三代目・雅宣氏のような冷たい評論家的観察は日本人としては決して許されるものではないのであります。


(4)特攻隊に関する文章を書くときには、<特攻の母>といわれた「鳥浜とめ」さんの言葉を心に留めて書くことを忘れてはなりません。なにしろ、隊員の傍で、夫々の人柄に接し、肌で感じてきた人ですから、その語られた言葉は正鵠を射ているからであります。

「特攻隊で行かれた方は、将にこの時代に生まれて来ることを分かって生まれて来て、すべてを投げ打って日本の国の為に捧げて、将に神さまだった。だから優しかった。伝え方を間違えずに、あの子達のことを伝えて行かなくてはいけない。」

    < ちるために 咲いてくれたか 桜花 
             散るほど ものの 見事なりけり >

と、詠み観音像を知覧平和公園にある記念館に建立されたのであります。


 鳥浜とめさんの言葉の中で非常に大切なところは、

 ・ 将にこの時代に生まれて来ることを分かって生まれて

 ・ 将に神さまだった

 ・ 伝え方を間違えずに、あの子達のことを伝えて行かなくてはいけない

という部分であり、この部分は将に『実相直視』の言葉であり、特攻の英霊の人達も鳥浜とめさんもいづれも高級霊の方々であったと拝察されるのであります。

< 『伝え方を間違えずに、あの子達のことを伝えて行かなくてはいけない』 >

この千金の重みのある言葉は、特に信徒にたいする影響力の大きな立場にある三代目・雅宣・純子氏には、常に心に留めて頂かねばならない事であります。

その為には、本当の<実相の叡智>が必要とされるのであります。個人的な浅はかな形而下的唯物的価値観を基準にして伝えてはならないのであります。


(5)「歴史は批判すべからず、然し、歴史からは学ばなければならない」のであります。

政治家は政治家の立場から、国防関係者は国防と戦略と戦術の立場から、教育者は教育者としての立場から、実業家は実業家としての立場からそれぞれ“学ぶ”ことがあるでしょう。

しからば、生長の家は宗教者の立場として如何に“学ぶ”べきでありましょうか?そしてそれを如何に未来に生かして行くべきでありましょうか? 答は一つであります。

それは、開祖・谷口雅春先生の『生命の實相哲学』・『唯神實相哲学』の真髄が先ず日本人全体の共通的価値観となるように運動を展開することであります。日本人全体が新たなるマイナスの業(ごう)を作りださないように、善業を蓄積していくように、人間観・人生観を転換し、霊界の浄化を図って行くことであります。そのためには、宗教活動と共に政治的活動も為す事も必要となります。

この様な方向に教団が進んでいくとき『天皇国・日本の実相顕現』が具体的となり、『真理国家・日本』の建設が着実に進められて行くのであります。






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