生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家「今昔物語」・ 理性篇の再掲示 <第三十七話> (628)
日時:2013年03月27日 (水) 13時35分
名前:信徒連合




生長の家「今昔物語」第六篇 理性篇



第三十七話(通算第363話)

 
無生物と生物との境 <その一>



結晶体の生成と有機体の生成との比較

(『生命の謎』P.56−59)


<<すべての存在の根元は一つの生命であるから、無機物も有機物も、ともにその生命の顕現として「生きている」のである。いわゆる「生物」と「無生物」との区別は常識ではわかっているような積もりでいるけれども、それほどはっきりしているものではないのである。

無生物もそこに「知性」が現れているということは鉱物の結晶体の生成の順序を見ると明らかである。結晶体は生まれ、成長し、生活し、分裂し、増殖し、化学薬品によって、又は電気的ショックによってその成長を停止し「殺す」ことができるのである。結晶体の生成及び生活現象の研究にはプラスモロジ(Plasmology)といわれる語が現れている程であるのである。

プラスモロジーの研究者の中には、結晶体相互の間には原始的状態の「性の芽生え」と云って好いような徴候さえも発見されるといっているのである。まことに無機物と云われるもの、結晶体の生成は、たんなる死せる分子の機械的集合ではないのである。

 或る結晶体を形成するための塩類の原液があるとする。(簡単なものは食塩水でいいのである)そこから結晶体が形成せられるありさまを観察するならば規則正しく、知性によって分子が順次、列(なら)べられるかのごとく、あたかも或る一定の設計図があってその設計図の通りに配列せしめられて行くかの如く一定の形が形成せられて行くのである。

それは恰も動物の肉体や骨が、或いは植物の幹や皮が生成される場合、その養分の分子を「生命」が積み重ねて一定の有機的組織の姿に形成して行くのと同じ状態なのである。かくして結晶体は小なるものより大なるものに到達し、たんにそれが成長するばかりでなく、ある程度に達すればそれが分裂し枝を出し丁度植物が成長し、枝を出し葉を繁らせる状態に全く同一なのである。この様な状態は天然水晶の生成の状態を観察すれば明らかにわかるのである。

 植物の成長と結晶体の成長との相異は、結晶体はその養分たる分子の供給が概ね外から行なわれるのであるけれども、植物はそれを内から吸収して内部から成長して行くということである。然し先にのべたるある金属の塩類より生ずる茸状の結晶体の如きは、内部にそれが増殖するための分子を運ぶための血管のごとき管が生じて内部から増殖して行ったのである。ここに到っては結晶体の生活と植物の生活とは殆ど全く分ち難き程同一であるといわなければならないのである。

 1949年1月号の日本版「リーダーズ・ダイジェスト」には、米国イリノイ大学の物理学教授ジョージ・クラーク博士が煤(すす)の一片のレントゲン顕微鏡写真を撮影したる結果について記載されているのであるがそれは実に王宮の如き崇厳美麗なる建築構造を呈していたというのである。

煤(すす)は炭素の分子が外から沈着して行くのであるけれども、その分子の沈着する形を指導して行く所の知性がそこに潜んでいて、一々の分子の沈着して行く過程を指導していなければそんなことになる筈はないのである。

煤は結晶体といって好いかどうかわからないが、ともかく凡(あら)ゆる物質がある形をなしているのは、「内部知性」の創造力によるのであることがこれによって明らかであるのである。内部に知性があってある形をなしているのは「生きている」という外はないのである。煤は生きているのである。

 考えてみればすべての無機物は実は無機物ではなくして生きているのである。われわれの住んでいる地面は生きている鉱物の結晶体の破片で出来ていたり、生きている水で出来ていたりするのである。だから、そこから生命ある植物が生えてくるのも不思議はないのである。色々の物質は皆生きており、その物質から人間の肉体が形成せられるのは、生きている物質が尚複雑に結合して一層高い有機体に結合したに過ぎないのである。>>






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