生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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反・『御教え』・・・雅宣総裁語録と講評 <第三十八話> (641)
日時:2013年03月28日 (木) 11時45分
名前:信徒連合




< 第三十八話 >生長の家は何時の間に“二元論”にレベルダウンしたの?

(『白鳩』vol.2・平成22年5月号<日々わくわく“目を開けて信じる”>)


<<現実の人間の不完全さは認めつつ、その“本質”はすばらしいと信じるのである。「盲目に」ではなく、「目を開けて」信じる。>>




(講評)


純子(自称)白鳩総裁のこのご文章も、PHPのような一般教養雑誌の文章としては極めて理性的な現代社会の教養ある人たちに素直に受け入れられる感じの文章であります。しかし、生長の家の嘗ては“神誌”とまで言われていた今の月刊“マガジン”である『白鳩』誌に指導者たる三代目純子(自称)白鳩総裁が書いた文章としては情けない文章であり、新しい信徒のみなさまを誤導するものであります。何処が「誤導」することになるのか?


(1)開祖・谷口雅春先生の『御教え』は完全完璧な「一元論」つまり「唯神實相論」であります。「実相独在」であります。故に、目に見えている現象は「本来無きもの」であります。実在論としての現象ナシ!であります。此れが開祖・谷口雅春先生が説かれた「唯神實相」という完全かつ完璧な「一元論」であります。しかるに、三代目純子(自称)白鳩総裁は<不完全な現実人間>と<“本質”は素晴らしい実相人間>と、この二つを同時にある(実在している)と認めている。<“認めつつ”>の表現で証明されているのであります。二つのものが同時にある(実在)と認めること、これすなわち「二元論」であります。しからば、三代目純子(自称)白鳩総裁のこの部分の文章は<<現実の人間の不完全さは“本来無きもの”(現象ナシ)として完全否定して、実相人間の“本質”のすばらしさをのみ信ずるのである(実相の肯定)。>>と書かねばならないのであります。“みとめつつ”ではいけないのであります。指導者としては此処までの気付きと厳しさが求められているのである事をくれぐれも忘れないように・・・


(2)次に、三代目純子(自称)白鳩総裁は“状況判断に基づく現象処理”のない単なる「観念論」だけを述べているにすぎないのであります。「人間の善性」を信じる強い信念と信じる努力が必要と言うだけで終っている。信念を持つ努力の次には実相顕現への過程・実相を現象化する過程に於ける状況判断に基づく現象処理の実際の行動が必要である。此れがなければ社民党的・共産党的机上の平和論(空論)となってしまうのであります。“信じる”の次には“神想観によって導かれたる行動”が必要であります。アンデルセンの童話も<信念の行動化>の大切さを物語っているとも言えると思うのであります。開祖・谷口雅春先生も学校へ遅刻しそうになった二人の子供の行動、一人は「神様、学校に遅れませんように」とその場へ座り込んで祈った、もうひとりの子供は祈りながら走った、どちらが遅れなかったか?という簡単な譬えで説かれています。私たちの“生長の家本流復活運動”にしても三代目雅宣(自称)総裁の実相を祈ることが一番大切と「実相顕現の祈り」だけに徹している人もあります。そして、三代目雅宣(自称)総裁の実相が顕われないのは自分の祈り方がまだまだ足りないからだと謙遜されます。しかし、このような人は“状況判断に基づく現象処理”を間違っています。このことは『新講・甘露の法雨解釈』P.87に“日本の再軍備の問題”について開祖・谷口雅春先生は説かれています。次に引用させて頂きます。――


<<この事は日本の再軍備の問題でも同じ事であります。害虫にかける“消毒剤”はこの再軍備の“武器”みたいなものです。日本の国へ侵攻して来る敵があるとすれば、それは日本の国を冒しに来る害虫みたいなものです。その害虫に対してこちらが鉄砲だとか、大砲だとかミサイルとか、爆弾だとかいう武器を準備するという事は、消毒薬を害虫に対して準備するのと同じ事であります。

 だから実相世界の「一切の生物処を得て争うものなき」状態があらわれたなら、そんなものは要らん筈だと言えるのであります。しかし、現代の日本人が果たしてそれだけの精神的力量叉は高い心境に達しているかという事が問題なのです。

 即ち「凡(およ)そ此の世界は神の世界であって敵は無いのである」という事を、日本人の大多数が深く信じそれを実践する事が出来るかどうかというと、まだまだ遠しと言はねばなりません。それどころか内部闘争が年中行事で、定期的に春季闘争、夏季闘争、年末闘争、遵法闘争、職場闘争------と闘争心をかきたてておるのです。そのような闘争の心を持っておりながら、そしてそこには「類を以って集まる」という法則がありながら、国際的にだけ「敵は攻めて来ないのだ、戦争はないのだ」という事は出来ないのであります。

 実相の世界には戦争は無く、害虫もなく、平和であるけれども、その実相の状態をあらはすだけの平和な心境がなければ、害虫がやって来たときには消毒薬で防がねばならんと言うのと同じで、他国から攻めて来たときには防ぐだけの武器というものは備えて置かねばならんということになる訳です。これは“最高”の善ではないけれども、心境がまだ至らない時の防衛の為には必要な“第二の善”であると言うほかはない。その意味に於いて現代の日本国には自衛隊とか国防軍を、害虫に対する殺虫剤叉は消毒薬としてあらかじめ備えておかなければならないのは止むを得ないのであります。>>



 三代目雅宣(自称)総裁の「地球環境保護・炭素ゼロ・森の中のオフィス計画の実行」も状況判断の間違いに起因しておるのであります。


(1)「地球環境保護・炭素ゼロ・森の中のオフィス計画の実行」これらは宗教団体がその教団の総力を挙げて取り組むべき第一最大の課題ではないのであります。これらの運動はすべて“唯物価値観”からの対策であり左翼団体の思想と同じ線上にあるものであります。問題の根本原因(第一原因)の除去対策ではないのであります。宗教団体の存在目的は、地球環境悪化をも含めた人類社会の病・悩・苦を、「現象顕現の法則」の不理解・誤用・悪用にあるとして人々の想念・価値観を正して意識(こころ)の世界から根本的悪因(第一原因)を除去することにあります。人類社会の“迷妄”という風呂敷包みをほどいて今まで包まれて居た“実相”というすばらしい宝物を解放せしめることにあるのであります。政府等の行政機関や企業、そして個人としての国民は唯物的環境対策は協力すべき第一のものであります。然し、宗教団体が教団の総力を挙げて第一になすべきものではない。環境対策活動は必要性の優先順位からいくと第四、第五のものである。これを三代目雅宣(自称)総裁は順序をまちがえて第一にしたのであります。状況的に見れば、地球環境問題は今日の人類社会にとっては最重要課題でしょう。然し、一方に於いて年間3万人以上に増え続ける自殺者・年間50万人は優にある人工中絶児・家庭崩壊・学校崩壊・統合失調症(心身症)等々は地球を取り巻く霊界の環境悪化、こちらの方こそが宗教者の第一優先の課題で教団の総力挙げて取り組まねばならぬ問題であります。ここに三代目雅宣(自称)総裁の“状況判断”のまちがいがあるのであります。


(2)「地球環境保護・炭素ゼロ・森の中のオフィス計画の実行」は唯物価値観の発想による対策であり運動であります。全世界の本当に熱心な三代目雅宣(自称)総裁の『今の教え』を信奉する信徒さんは3万人程度でしょう。これらの人々の努力によるCO2削減量は共産中国や発展途上国を中心にして増え続けるCO2排出量に比較すれば大海の一滴にしか過ぎません。これに貴重な聖使命会費等の浄財を充当するとは?これまた三代目雅宣(自称)総裁の状況判断の誤り以外の何物でもないのであります。


(3)以上のような指摘に対して三代目雅宣(自称)総裁が「私は状況判断を間違えてはおりません」と言うとおもいます。と、するならば三代目雅宣(自称)総裁の心の中には別の目的があって、その目的実現のための状況判断としての「地球環境保護・炭素ゼロ・森の中のオフィス計画の実行」であるということになります。それは、申すまでも無く「世界的巨大財閥権力機構」である“欧米エシュタブリッシュメント”の金融および資源の世界一極支配体制(国家意識・民族意識をなくして世界統一国家意識・世界統一市民意識)構築への最大障害物であるところの天皇国・日本と中道愛国の真柱である本来の生長の家の実質的崩壊という観点に立っての“状況判断”であるからであります。だから三代目雅宣(自称)総裁の環境運動にはご自分からの率先垂範という真剣さがみえないのであります。新幹線と在来線の乗り継ぎで行くべき福知山(京都第二教区)の講習会へ伊丹空港まではジェット機そこからは自動車(遠距離)で往復、休日には東京から山梨県の別荘までこれまたマイカーで往復、都内・近郊をもドライブする、電気自動車購入資力のある信徒に40万円の補助金を信徒の浄財から援助、教団全体の電気自動車購入台数は相当な数のため当然メーカーにとっては超優良顧客、従ってメーカーからのバックマージンも相当な金額が?・・・を考えれば判るのであります。このような事実から考えると三代目雅宣(自称)総裁は世俗的・現実的な抜群の“状況判断能力”をもつ人であることがわかるのであります。しかしまっとうな宗教者ではなく、般若湯を好む世渡りに長けた宗教者であります。





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