生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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トキ掲示板では、「さくら」さんが改名?? 「わたし」さんに・・・ (70) |
- 日時:2013年02月19日 (火) 21時59分
名前:サーチャー
皆さん、下記の「わたし」さんの文面を拝して如何お感じでしょうか?
トキ掲示板(Web誌友会 板/2) ======================================== 321 :わたし:2013/02/19(火) 17:54:45 ID:CEjZCaQI >>308 初心者さま
一介の信徒です。 「「これは唯心所現で片づく問題ではなく、構造的な問題と考えます。人をしてそのようにさせるなにかがある。これはその構造の問題であるというのがわたしの予想です。 教えの構造。日本語の言語構造。わたしにできることがあるとすれば、これをいくらかでも分析していくことだけであると考えますが、いずれにしても、わたしには荷が重すぎる課題です。」」
初心者さまも「言語」に触れておられますが、言葉あるところには対立の可能性があり、傲慢な態度を生じさせる可能性があります。これは、言葉の根本的な性質です。ですから、こうした問題を根本的に超えるには、言葉を超えなければなりません。もっと正確に言うならば、「思考を超える」ということです。最も正確に言えば、「自己を超える」ということです。私のこの言葉も、もちろん対立・傲慢の要因となります。ですから、インドの聖者などは「沈黙」をもって語ります。
自然界のごとくに。広がる青空、流れる雲、清流のせせらぎ、打ち寄せる波、水平線に映える夕日・・・
自然は、言葉を持ちません。彼らは、沈黙をもって語りかけます。それゆえ、自然は美しいのです。荒涼としているかに見える砂漠でも、生命の住めない宇宙の星でも、そこには神の霊気というべき何かが満ちています。自然は、対立の言葉にも傲慢の言葉にも、何も言葉を返しません。自己を持たないからです。言い換えれば、エゴがない、ということです。それゆえに、自然は美しいのです。沈黙は美しいのです。
生命の実相といえども、甘露の法雨といえども、言葉をもって語るという問題があるのです。言葉あるところエゴがあります。それを超えるものは、沈黙以外にはありません。 ========================================
トキ掲示板(Web誌友会 板/2) ======================================== 323 :トキ:2013/02/19(火) 18:37:19 ID:9wlISb0c >>321 わたし 様 ご投稿を歓迎致します。管理人のトキです。今後ともよろしくお願いします。 たいへん、真摯な内容で感銘を受けました。 合掌 ありがとうございます 管理人敬白 ========================================
トキ掲示板(Web誌友会 板/2) ======================================== 325 :NANCY:2013/02/19(火) 20:46:54 ID:dGeUHjWM (前略) ❤〜はじめまして〜〜〜〜〜「わたくし」様へ よろしくお願いいたします…。
でも!不思議なな気分です。…が? 投稿文章が〜〜〜?「ひらがなのさくら様」タッチでしょうか?その様にお見受けしますかと… 世のなかには「3人似た人が〜〜〜」その様に言われますが〜〜〜 ========================================
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