生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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反・『御教え』・・・雅宣総裁語録と講評 <第四十話> (665)
日時:2013年03月30日 (土) 10時40分
名前:信徒連合




< 第四十話 >「私は高校生の頃は“右翼少年”でした。今は“左翼”に転向しました!雅宣拝」

(『小閑雑感』平成22年5月20日)


<<当時の私が新聞を発行する「出版部」というクラブにいて、高校生が読む紙面に「日本国憲法失効論」などを書く“右翼少年”であり、生長の家の高校生の集まりである生長の家高校生連盟(生高連)にも所属していた>>



(講評)


開祖・谷口雅春先生の愛国論は、先生のお悟り(「無」の関門を超えた絶対実在の絶対認識・“生命の実相”の直感把握)による「中道実相の愛国」であるのであります。

三代目雅宣(自称)総裁は悟りのない、「無」の関門を超え得ない肉体頭脳知で考えるため、「中道実相」の愛国が分からないため、短絡的に「右翼」と見てしまうのであります。

このような魂のレベルの三代目雅宣(自称)総裁に幾ら話しても雅宣氏の今生における霊的体質から見て「中道実相」の深き霊的理解は不可能であります。

そして現在の三代目雅宣(自称)総裁の『今の教え』は本質は左翼思想であります。

しかし、生長の家の最高指導者がこの様な幼稚なレベルであれば、一番迷惑を受ける(真理の誤解を為す)のは信徒たちであります。依って、開祖・谷口雅春先生の次の御文章の霊的真理が判るまで読んで読んで又読んで神想観を徹底して頂かねばなりません。

此れが出来ない、読んで神想観をしても「中道実相の愛国の真意」が理解できないのであれば(自称)総裁の地位を返上してもらうのが真面目かつ純粋な求道心をもつ信徒のためにも必要であるのであります。



* 『無門関解釈』第六則「世尊拈花」の公案解釈P.70−72

<<大日本國體の尊厳無比、宇宙の実相と同体にして久遠無窮なる事実・・・大日本国家は因縁仮和合の国家ではない・・・私は『無』の門関を超えて、釈尊の指頭にある金波羅華が象徴する「実在」の荘厳無二組織完備の大日本国家を把握したのである>>



* 『驀進日本の心と力』P.133

<<金剛不壊の世界・蓮華蔵世界・・・私は此の世界を直接見たのである。直接触れたのである。絶対実在の絶対認識である。その絶対実在の世界は決して無常の『空』なる世界ではなく、金剛不壊にして、『実』なる世界なのである。>>



* 『生命の實相』第4巻生命篇下巻P.2

<<ひとの生命の実相に穿ち入るにはこれを霊的に理会することが必要であります。頭で真理を理会するということは、真理の周囲をどうどう廻(めぐ)りして真理の外的なすがたを知るにすぎませんが、霊的に真理を理会するということは、「生命」の実相そのものに全身全霊をもってつらぬき入り力の本源をつかむことになります。全身全霊をもって、生命の実相につらぬき入るには、この書を頭でよもうとせず、全身全霊で読む、黙読する、朗読する。目で読み、声で読み、声のリズムの中に自分を溶かし込んで読む、そして静かに端座して「神想観」を行じ、行じ終って動き出すとき神(愛)の生活を生きる、かくするとき時、知恵と愛とのそろった生活が実現するのであります。>>






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