生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
トップページへ戻る
↓↓↓ 訪問者数 ↓↓↓
原宿城凱旋・FAX作戦原稿傑作撰! (23〜27) (666) |
- 日時:2013年03月30日 (土) 10時47分
名前:FAX作戦推進本部
<雅宣(自称)総裁 ・「今の教え」の誤り>
地震は自然現象のひとつ?
<<日本列島では地震が起こるのは、地質学上では「当たり前」で「自然なこと」である。それなのに「起こらない」と考えている人間が「災い」と呼ぶ。<地震は来ない>と考えて耐震設計をしない事は「人災」で、ある場所へ「危険」を承知で行くのも「人災」を求めている。>>(『小閑雑感』・平成20年2月13日)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『生命の實相』第一巻・第4章「心の世界に於ける運命の形成」
■ すべての事件は、<物質の世界>に現れてくる以前に<念の世界>で出来上がる。
■ 多くの人々の「念の総合的力」で強く決まってしまった事件・災難は、我々がその反対の思念をしても、その事件を起こらなくならせる事は出来ないが、その災難に引きつけられない健全な信念を持っていれば、「類でないものは、反発する」という心の法則によってその災難の渦(うず)の外へ放り出される。
■ 雅宣総裁は霊的思考が出来ない人、唯物思考の人であります。「生長の家」の指導者ではありません。<雅宣教>として独立を!!。
平成25年○月 本当の「生長の家」真理を求道する信徒
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
注: 上記原稿は、A4一枚に納まるように作られています。
-
|
|
原宿城凱旋・FAX作戦原稿傑作撰! (24) (679) |
- 日時:2013年03月31日 (日) 19時38分
名前:FAX作戦推進本部
< すべては、此処から始まった >
谷口清超先生の法灯継承祭における御挨拶
<< 世の中には「継承」ということを何か誤解していらっしゃる方もおられまして、谷口雅春先生のお説きになった一言一句をその通りまた繰り返してお伝えするのであろうと、かく思われる方も居られるかも知れませんが実はそうではなく、つまりは教えの真髄の不立文字(ふりゅうもじ)をお伝え頂き、それを継承する。ということであります。>>
三代目・雅宣(自称)総裁の法灯継承祭における挨拶
<< 私は、生長の家の伝統に則って、谷口清超先生から面授によってこの真理の大道を継承させて頂きました。そしてただ今、住吉大神の御前で大真理の眼睛(がんせい)の継承を祈念申し上げました。 従ってこれまた清超先生から教えられたように、私は先師の一言一句を繰り返すと言うのではなく、時代や環境の変化に応じて色々の姿をもってこの運動を積極的に展開して行きたい。と念願するものであります。>>
************
雅宣総裁は、清超先生の「一言一句・・・」、この言葉を最大限に利用して、自己の左翼思考(思想)=「時代即応の今の教え」へと完全に正反対の方向へと進路変更してしまったのであります。 平成25年○月 本当の『御教え』の復活を真剣に考える信徒
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
注: 上記原稿は、A4一枚に納まるように作られています。
//////////////////////////////
<補足説明>―― 心ある信徒達の想いです ――
第二代目・谷口清超先生も三代目・雅宣氏も共に“一言一句”という言葉を使わないで次のような主旨の言葉を述べるべきであったのであります。
**********
<<私は、此のたび偉大なる開祖・谷口雅春先生の法灯を継承させて頂くことになりました。私の悟りの道における境涯は、開祖・谷口雅春先生の達せられた最高無上の御境涯に比すれば、未だ、<月とスッポン>、いやそれ以上の開きがございますが、今後は悟りの道の修行を重ね、少しでも開祖・谷口雅春先生の到達されたご境涯に近づいて行きたく存じております。
と同時に開祖・谷口雅春先生の遺された御著書のすべてを読み返し読み返して誤りなく宗教界の大学院の教えと広く評価されているところの正しい生長の家の御教えを現在及び将来の信徒の皆様へお伝えすること。
そして、開祖・谷口雅春先生の終生の念願であった天皇国・日本の実相顕現、真理国家日本の建設こそ法灯を継承した私の最大責務と自覚して信徒の皆さんと一緒に進んでいきたく存じております。
そして、此のたびの開祖・谷口雅春先生の御昇天に伴い『菩薩は何をなすべきか』の中の「生長の家大神――総裁・副総裁――御教え」の図式は、今日只今より 「生長の家大神=開祖・谷口雅春大聖師=御教え――第二代以降の総裁・副総裁」 という表現に改めることに致します。>>
**********
このような主旨の内容であったならば、現在のような三代目・雅宣(自称)総裁による“似て非なる左傾化された『今の教え』の出現”と有為なる人材の流出と光明化資金の目的外浪費は起こらなかったのであります。 合掌
-

|
|
原宿城凱旋・FAX作戦原稿傑作撰! (25) (683) |
- 日時:2013年04月01日 (月) 09時35分
名前:FAX作戦推進本部
<雅宣(自称)総裁 「今の教え」の誤り>
肉体は“炎”、川とは“水の流れ”?
(『小閑雑感』・平成19年11月4−5日)
<<“炎”とは?――肉眼に見える「炎」は、確固不動の塊ではない。その実態は可燃性の物質分子が高速度で酸化反応を起こして行く「流れ」である。
“川”とは?――常に一方から下方へと流れて行っている一定量以上の水で、この水の流れを人間は川と呼んでいる。つまり、「川」とは水の流れの一つの呼称に過ぎない。
“肉体”とは?――物質分子の新陳代謝現象、つまり、物質分子の高速度の入れ替え現象を人間は肉体と呼んでいる。肉体は物質分子の流れの一つの「呼称」であって、「肉体」という実体はない。すなわち「肉体はナイ」のである。>>
**********
このように、雅宣総裁は、「現象の炎・川・肉体」を唯物論から説明して居るだけであって、現象の奥にある理念である「實相の炎、實相の川、實相の人間」を説かない。すなわち、雅宣総裁は「實相」を本当に悟っていないのであります。
平成25年○月 本当の「生長の家」真理を求道する信徒
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
注: 上記原稿は、A4一枚に納まるように作られています。
/////////////////////////////////
(補足説明)
三代目・雅宣(自称)総裁は、物質科学分析面からの説明はその通りであるが、宗教的には全く不完全そのものの解説であって、小乗の空仏教の解説であると共に虚無(きょむ)の哲学であり、人間は「無」になる為、「無の世界」へ消えて行くのみ、と云うことになり、人生無意義となってしまうのであります。
<引き寄せて、結べば柴の庵なり。解くれば、元の薪なりけり>(空仏教の教歌)。
第三代目・雅宣(自称)総裁はこの空仏教の教えを博学と自負する唯物科学の知識を披露(ひろう)して長々とムツカシク説明しているに過ぎないのであります。
開祖・谷口雅春先生の「生命の實相哲学」は、「虚無の厭世哲学」ではないのであります。
「肉体は無い」・「物質は無い」と云う教えは、「実相(理念)が在る」、「実相(理念)のみ独在」を最大限に肯定し明らかにするためにのみ必要なのであります。大肯定の前提としての大否定であり、大肯定を示さずして大否定だけで終わっては光明思想ではありません。(もちろん日時計主義でもありません。)
変化無常の現象の流れの姿の奥に、その現象を顕している「理念」がある。「実相」がある。
これが開祖・谷口雅春先生が説かれた本来の御教えの根本であります。
現象としての炎・川・肉体の奥に、「理念の炎」・「理念の川」・「理念の人間」が厳然として確固・不動・常住に“実在”している。実相世界に実在している此の理念が、一定の環境と条件が整った時、すなわち、因縁が熟した時に現象化してくる。そして、目的と使命を終えれば現象は消えて無くなる。しかし、理念(実相)は久遠不滅であるから無くならず、環境・条件がまた整うと「理念(実相)」は現象化して来る。
故に、神様(創造神)の自己実現としての個性命(霊魂としての人間)は、仮存在としての本来ナイ肉体を乗馬として地上に生まれ出て来て、無限価値の創造と問題の解決という人生努力(修行)を積み重ねて霊魂進化(実相顕現)の無限の階梯(かいてい)を着実に登っていく。
聖経・『甘露の法雨』にある<物質の奥に肉体の奥に霊妙きわまりなき。存在あり。・・・汝自身の生命の實相を自覚せよ>!! どうして三代目としての雅宣氏はこの様な生長の家の御教えの真骨頂(しんこっちょう)を説かず、空仏教の世界の説明だけで終らせて居るのでありましょうか?
察するに三代目・雅宣(自称)総裁は「理念」という言葉の霊的意味が判らないからでありましょう!
開祖・谷口雅春先生の御著書を肉体頭脳知による『今の教え』に活用する目的でのみ拾い読みするだけで深く霊読していないからであると思わざるを得ないのであります。
-

|
|
原宿城凱旋・FAX作戦原稿傑作撰! (26) (697) |
- 日時:2013年04月02日 (火) 17時54分
名前:FAX作戦推進本部
雅宣(自称)総裁ついに“破門”へ!
= 11月14日・15日『小閑雑感』は、破門に値する? =
日本全国・全世界の信徒誌友の皆様、ありがとうございます。雅宣総裁は、平成22年11月14日の神奈川教区の講習会で、 “国を思う”質問に、全く質問者を馬鹿にしたような回答を『小閑雑感』に書きました。次のような意味のことです。
(1)「産経新聞」は“間違った情報”を伝え、「朝日新聞」は “正しい情報”を伝えている。読む新聞を代えたら!
(2)“政治”とは、“もめごと”を解決する事を言います。
(3)共産中国・ロシアには、日本侵略の意図はない。安心してよろしいです。“国難”を煽るのは良くない。
(4)最近の日本外交の失敗は、民主党政府の責任だけではなく、むしろ国民全体の責任であることを認めるべきです。
************
この様な考えの雅宣(自称)総裁は、明らかに「左翼主義者」、最早、生長の家総裁の資格はありません。開祖・谷口雅春先生に代わり、全信徒により「破門」されました!? 開祖・谷口雅春先生は、『御教え』に反する内容の教えを説いた講師を明確に「破門」されている。『明窓浄机』発展篇P.245−246に掲載あります。
平成25年○月 開祖・谷口雅春先生の『御教え』の復活を真剣に考える信徒
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
注: 上記原稿は、A4一枚に納まるように作られています。
-
|
|
原宿城凱旋・FAX作戦原稿傑作撰! (27) (708) |
- 日時:2013年04月03日 (水) 18時29分
名前:FAX作戦推進本部
<今の教えの誤り>
本部会館玄関上の
御神像は、偶像崇拝!
<<この神像は生長の家大神そのものではなく、ひとつのイメージ「象徴」・「表現」であって、はっきり言えばこの神像は人間の創作である。・・・「神姿」や「神像」や「聖者」を具体的な形に表現することは、危険を伴う。生長の家は生長の家の大神の姿は具体的には表現しない。神は一つの像の中に押し込められるものではない。本部会館上の神像は、作者の表現物つまり心の作品に過ぎない。>>(『小閑雑感』・平成20年11月25日)
************
『生長の家』四十年史(P.18−19)には、
原宿本部の旧館の正面玄関の上部に安置せられてある神像は、服部仁郎氏が、家内の霊視せる神姿を詳細に聴き、それによって模型を造り、家内が「此処はこんなでなかった。此処はこうであった」といちいち訂正して、家内の霊視した神像に出来るだけ近づけて製作せられたものであるが、家内の霊視した神姿にもとずいて塑作されたこの神像が、横浜の誌友の霊視した神姿そっくりに出来ていたということは、服部仁郎氏の制作技術の素晴らしさと、霊界の神秘の相互関連を語るものである。
平成25年○月 本当の「生長の家」真理を求道する信徒
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜(チラシ原稿は、ここまで)〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
注: 上記原稿は、A4一枚に納まるように作られています。
<補足説明>
『生長の家』四十年史(P.18−19)から・・・
<住吉の大神の神姿を見た人々>
<< 私の背後に、白髪の老翁の姿をしたキリスト(「ヨハネ黙示録」の第一章に出現している“久遠のキリスト”)の姿を最初に見たのは私の家内であった。それは生長の家の最初の原稿を書いた所謂(いわゆる)“発祥(はっしょう)の家”で、私と家内とが互いに向かい合って神想観を実修している時、私の背後に空中に立っていられる白髪の老翁の神様の姿を拝したというのである。
この神姿はその後、他の信徒の集まりにもあらはれたし、その頃熱心に私の宅へ日参のように来ていられた長尾初枝さんも見たと言はれた。その頃、非常に熱心で、誌友会の集まりを“三日会”の名の下に、毎月三の日に催しておられた畑中猶三氏の集まりにも度々その神姿が見えた。
「しかも一人のひとに視えるだけではなく、集まっている人の全部にではないが、数人の霊眼に同一神姿が、同一の位置に於いて見えるので、それはほんものでしょう」といって畑中氏は私に訪ねられた事がある。私自身はこの神姿を見たことがないのは、一寸妙に感じられるが、自分自身の顔は自分には直接見ることができないというような原理によるのかも知れない。
神宮前1丁目23−30(旧地名“原宿”)にある本部の旧館の正面玄関の上部に安置せられてある神像は、服部仁郎氏が、家内の霊視せる神姿を詳細に聴き、それによって模型を造り、 家内が「此処はこんなでなかった。此処はこうであった」といちいち訂正して、家内の霊視した神像に出来るだけ近づけて製作せられたものであるが、 服部氏自身は、神姿を見たことはなかったが、天才的彫刻家の一種の霊感で本当に家内の見た神姿そっくりに出来ているらしいのである。
数年前、今は横浜に居る誌友が、はじめて、この原宿にある本部を訪問して、その正面玄関上の神像を見て“オヤ!”と驚いた、といって手紙を私に寄越された事がある。 その手紙にはこう書いてあったのである。この神姿は、谷口が嘗て早稲田大学の大隈(おおくま)講堂で講演している時に、その谷口の姿がこの神像に変貌していたのを思い出して不思議な神秘感に打たれた。 どうして大隈講堂で自分が見た霊姿をこんなに正確に再現できたのであろうかと。
家内の霊視した神姿にもとずいて塑作されたこの神像が、横浜の誌友の霊視した神姿そっくりに出来ていたということは、服部仁郎氏の制作技術の素晴らしさと、霊界の神秘の相互関連を語るものとして注目してよいと思うのである。>>
-

|
|