生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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生長の家「今昔物語」・ 理性篇の再掲示 <第四十一話> (675) |
- 日時:2013年03月31日 (日) 18時26分
名前:信徒連合
生長の家「今昔物語」第六篇 理性篇
第四十一話(通算第367話)
生命の實相とダーウィンの進化論
(人間の生命は如何にして顕現したか) <その二>
魚類は絶対に両棲類に進化し得ない
(『生命の謎』P.245−247)
<<地質学の研究せる所によれば約六十億年乃至七十億年以前の地層だと思われる岩の中には全然生物の化石と見られるものは存在しないのである。
一番古い化石とみとめられているものはベルムナイトといわれる烏賊(いか)の化石、菊石といわれる頭足類の化石や、三葉虫の化石がみられるのである。これらは何れも海中の生物であって最初の生物が海中に於いて発生したに相違ないことは最も古い化石には陸地の生物が存在しないということである。
やがてそれから二十億年たって約今より四十億年前に於いて最初の有脊椎動物が魚類や両棲類の先駆者として現れたと思われるのである。
地球は最初全部が水によって覆われていたのであって、このことは奥野俊郎博士が、世界のあらゆる海水の成分が、紅海のように袋になって出口のない海水でもその濃淡の差こそあれ、含有成分相互の比率に全然同じであるので地球全体は同成分の海水に蔽われていて後から陸地があらわれて来たと見るほかはないと云う学説でも証明されるのである。
其処へ両棲類が出現したということはその時代になって地球のある部分に陸地が出現したことを現わしているのである。然し陸地が出現して来たにしてもどうして水棲動物が両棲動物に変異することができるのであろうか。
陸地にも生きることが出来る様に有肺類として現れた方が生活し易いというような単なる適者生存の理由によって魚類が両棲動物に変化し得るであろうか。
魚類は幾度陸地上に抛(ほお)りあげられてみても死ぬばかりであって、その次には死なない様に空気を呼吸し得る肺臓を造っておきましょうという様な遺伝因子の変化がおこり得るであろうか。陸地上に抛り上げられた魚類は死ぬばかりで、空中生活に耐え得るだけに進化する期間辛抱することはできないのである。また水中にいる魚類は水中に棲息するのに都合がよければいいのであって別に空気を呼吸し得る器官を造る必要もなければ遺伝する必要もないのである。
ここに魚類が進化し両棲動物に変化したという様な徐々的変化の覊(きずな)が断ち切られるのである。魚類と両棲動物とは全然別種の「理念」が形を現わしたものであって、生活に適するから徐々に進化したなどとは到底かんがえることが出来ないのである。
宇宙生命は適当な条件が現れた時にそこに新しき「理念」を天降(あまくだ)してそれを表現するのである。>>
松や杉は海藻からは進化し得ない
(『生命の謎』P.247−248)
<<両棲動物が現れて来たと思われる殆んど同じ時に地上に簡単な植物が生えて来、やがて樹木が生えて来たと思われるのである。
どうして樹木が生えて来るのであろうか。松の木は如何にして生じたのであろうか。杉の木は如何にして生じたのであろうか。今まで陸地がなく海ばかりであって存在した所の昆布や海苔(のり)や若布(わかめ)の様な海草が、やがて松の木や杉の木に進化すると言い得るであろうか。そこには余りにギャップが多すぎるのである。
陸地の植物のみを考えてみても蘚苔類(せんたいるい)がどうして禾本科(かほんか)の植物となり、それが薔薇(ばら)の木や、藤の木に変化し得るのであうか。その中間的な徐々の変異の如きは全くみられないのである。ここにも亦ある種の植物が或る形態を現わしているということは、単にそれが徐々の進化ではなくして突然別の形の「理念」が姿を現したのだと結論するほかはないのである。>>
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