生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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反・『御教え』・・・雅宣総裁語録と講評 <第四十一話> (677) |
- 日時:2013年03月31日 (日) 19時12分
名前:信徒連合
< 第四十一話 >「私は生長の家の教えを十分に理解しているつもりなんですが・・・?雅宣拝」
(『小閑雑感』平成22年5月23日)
<<表面上の類似点を見て、中身も同じだろうと考えると間違うことがあるのである。最近は「コトバの力」とか「心の法則」など、生長の家で昔から使っている言葉を正面に掲げた書物が出回っているようである。教えをしっかり理解したうえで研究される分はいいが、理解が不十分の場合、生長の家でないものを生長の家だと誤解する危険があることを留意されたい。>>
(講評)
三代目雅宣(自称)総裁は、<<教えをしっかり理解したうえで研究される分はいいが、理解が不十分の場合、生長の家でないものを生長の家だと誤解する危険があることを留意されたい。>>と書いているのでありますが、このことが一番当てはまるのは、三代目雅宣(自称)総裁自身であります。
ハッキリと申せば三代目雅宣(自称)総裁は開祖・谷口雅春先生の教えを充分に理解して真理なるものを深く把握しているとは到底おもわれないのであります。
三代目・雅宣(自称)総裁の潜在意識内にある基本的価値観は戦後教育価値観であり、東京裁判史観・戦争贖罪意識・自虐史観であり、左翼唯物論の価値観であります。ただ、総裁としてはそれをカモフラージュするために言葉だけは「唯神実相」・「唯心所現」・「万教帰一」を使っているに過ぎないのであります。『無』の門関を超えることが出来ない単なる肉体頭脳知の思索のみによって『今の教え』を作り出したのであります。
そして、三代目雅宣(自称)総裁は、『生命の實相』第33巻P.53の<<自ら変化しない宗教は形骸化して他の宗教にとって代わられる・・・みずから宗教改革しながら進んで行く宗教であってこそ永遠に生きることができる>>のところだけを金科玉条として、その前文の<<悟りそのものは表現形式の奥の奥に形を超えてある・・・説明の仕方は形ですから不断に変化しなければならない>>を無視して、更に“お孫さま”の立場を最大限に活用して真理そのものにまで変更を加え、“生長の家であるものを生長の家ではない”ものへと開祖・谷口雅春先生の御教えとは反対の主張をしているのであります。
その具体的な例の幾つかを次に挙げておきます。
(イ)開祖・谷口雅春先生の「日本国実相顕現」は、民族主義・国家主義・国粋主義思想である。(生命的国家論の否定)
(ロ)大東亜戦争は日本の始めた侵略戦争で「悪」、、それを阻止したのが連合国で「善」 である。(東京裁判史観の肯定)
(ハ)特攻隊の人たちを“現世を犠牲にした自殺行為”と断定。(靖国神社の否定と無宗教の国立追悼墓地の暗黙的肯定)
(ニ)天照大御神さまの「天壌無窮の御神勅」を決して説かない。(日本國體の否定)
(ホ)純子(自称)白鳩総裁は「日本の皇室は女性の犠牲の上に成り立っている」と主張。(万世一系の霊的本質をジェンダーフリーの論点に置き換えた。両(自称)総裁共に御皇室を尊崇せず。)
(ヘ)日本神話を“一種の文学作品”となし、現代の「理性」から見て不合理として『古事記と現代の預言』を絶版処分。(左翼的歴史学者の立場) (ト)「不立文字」とは「真理は完全に文字化することはできない」という意味と説き、「文字化された開祖・谷口雅春先生の御文章は真理の全相を完全には説かれていない。真理の全相を説けるのは、現に生きている後継者の口から発する言葉こそ真理そのものなのだと説いています。(文字の中に生命あり・生命の中に文字あり、文字と生命と一体という開祖・谷口雅春先生の文章芸術の極致とそれによる病・悩・苦の奇跡的解決の事実を否定)
(リ)「万教帰一」を諸宗教の“共通点”の一致とのみ解釈し、世界宗教・イスラームに学ぶ事を強調(“「生命の実相の真理」を鍵として万教を紐解く”という最重要点を無視)
(ヌ)「理念」を説かず「理性」を強調、(最高の唯神実相哲学を唯物論哲学までレベルダウン)。たとえば、“川とは水の流れ”、“炎とは物質の高速度の化学的変化状態”、“地震は当たり前の自然現象”、“戦争とは人殺しのこと”,“日本の建国精神の一つはウソを言わぬこと”等々・・・
(ル)開祖・谷口雅春先生の本来の『御教え』を信奉し、三代目雅宣(自称)総裁の『今の教え』の“虚説”なる事を指摘する者を「原理主義者」として糾弾した。(“原理主義”思想の導入)
(ヲ)霊と霊界については“生長の家では判らない事になっている”と明言。(三代目雅宣(自称)総裁は「自分は霊と霊界については判らない」という“個人的見解”を生長の家としての“公的見解”に恣意的に置き換えた。この『置き換え』は随所に見受けられる。)
(ワ)『日本精神』と云う言葉は現代日本では“死語”になっている。使うべきではないと説いている。(歴史と伝統の否定) (カ)信徒の奇跡的体験談を無視・軽視(生長の家の科学的宗教性を否定)
(ヨ)生長の家出現の意義と目的を説かない。(『生長の家』存在の根本を否定)。
その他、いろいろあるのであります。名前は『生長の家』であっても、その中味は換骨奪胎され全然“似て非なるもの”に置き換わってしまいました。これが三代目雅宣(自称)総裁の『今の教え』の実態であります。
ここで、繰り返し申し上げねばならぬことがあります。それは、本当の『御教え』の復活を願って活動する人を「三代目雅宣(自称)総裁の実相を見ないで批判ばかりしている」と受け取る信徒の人たちが特に“お孫さんは間違ったことを仰るはずがない”というお孫さん信仰者にとくに多いという事であります。
当、ブログの立場はこうであります、三代目雅宣(自称)総裁その人自身(実相)は素晴らしい円満完全な神の子さまでありますが、その説く『今の教え』の内容は、開祖・谷口雅春先生の『御教え』とは逆の間違った“虚説”が多いということであります。私たちはその“虚説”の誤りを正して開祖・谷口雅春先生の本来の正説に返そうとしているのであります。これをしなければ、“虚説”である三代目雅宣(自称)総裁の『今の教え』が開祖・谷口雅春先生の『御教え』であると誤って信じる信徒さんが増えて行くばかりでありますから。どうぞして目覚めてください。三代目雅宣(自称)総裁の“新説”・“虚説”に惑わされてはなりません。開祖・谷口雅春先生の“真説(正説)”を信じて進むのが本当の生長の家信徒であります。どうぞして目覚めていただいて、一日も早く“真説(正説)”にもどしましょう!信徒の皆様、このことはシッカリと理解しておきましょう。再度、掲げます。
*「生命の實相」第14巻・倫理篇下巻 ・第4章< 和解の倫理>より
<<虚説を許さないことをもって、和解と寛容の徳が無いように思うのは間違いであります。また、虚説を容れることをもって寛容と和解の徳があるように思うのも間違いであります。虚説を排撃すること、いよいよ明瞭であればあるほど真説は明らかに照り、それに照らされて救われる人間もまた多いのであります。>>
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