生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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マサノブ教批判 (中村晃生) (691)
日時:2013年04月01日 (月) 22時13分
名前:サーチャー

マサノブ教批判@ (7398)   日時:2013年04月01日 (月) 12時10分
名前:中村晃生


<「森のオフィスへの移転」は、新たな「マサノブ教の立教宣言」である>


今回、新たな連載を開始するに当たって我々は、自称「法灯継承者」のマサノブ氏が、今秋の「森のオフィス」への移転に、我々が考えている以上に大きな意味合い――“40年目の変革”――を持たせていることを、認識しなければなりません。それを彼は3月1日の「新しい運動を創化しよう」と題した彼のブログの中で明らかにしているのです。その中で彼は、

>すでに皆さんもご存じの通り、生長の家は昭和5年3月1日の日付で発行された『生長の家』創刊号をもって立教としています。それから83年がたっているのであります。私は昨年11月のブログの記事で、“40年変革説”というのを唱えたのであります。つまり、生長の家の歴史を振り返ると、だいたい40年ぐらいを節目として、運動の中心拠点の移転を伴うような大きな変化が起きているということです。1回目は、創始者・谷口雅春先生が東京から長崎へ移住された昭和50年(1975年)で、それから38年たったのが今年です。まだ40年には至りませんが、“森の中のオフィス”での業務開始は7カ月後の10月ですし、それにともなう運動年度の変更などが今後の運動に定着するまでには、あと2年はかかるだろうと思います。<

つまり、今秋の「森のオフィス」への移転は、彼が言うような単なる「国際進行本部」の移転でも、「自然と人間の大調和」を図ることにあるのでもないということです。彼がブログの中で書いている“40年変革説”(これも「まやかしの論理」です。というのも

>1回目は、創始者・谷口雅春先生が東京から長崎へ移住された昭和50年(1975年)で、<

の1回目は、確かにご高齢になられた雅春先生ご夫妻は、長崎へ移住されましたが、教団本部は依然として原宿に存在したままですし、教団の中味も全く変わっていません。つまり教団としては何らの「変革」は存在しなかったのです。敢えて誰も唱えていない“40年変革説”を持ち出したのも、「森のオフィス」移転を正当化させたいからに過ぎません。こうした彼の得意な「まやかしの論理」が、これからも横行すると思われます。騙されないようにしましょう!)の本当の意図は――オジイチャンが創設した「生長の家」を利用し、それを偽装しつつマサノブ氏個人の100%言いなりになる「反日環境団体」を作る――ことにあります(「森のオフィス」を、「日本野鳥の会」の会長をしている人間が開いている「八ケ岳倶楽部」の隣に開設したこともそれと関連性があります。どうも不思議に思っていたのですが、なぜ八ケ岳教団が「日本野鳥の会」の法人会員になったのか――その理由がここにあったのです。もはや八ケ岳教団は、「宗教団体」ではなく、「環境保護団体」になり下がったということです)。それが“40年変革説”を唱える意図です。決して「生長の家」の信仰団体ではありません。というのも最早「森のオフィス」には、住吉大神に対する信仰も、谷口雅春先生が示された教えへの信仰も存在しないからです。

もちろん形式としては「生長の家」教団の形を利用しています。しかし、彼は今や「人類光明化運動」を放棄しています(もともと、はなから人類など救う気は無かったのですが)ので、総裁の姿を演じながら、信徒から上がってくる浄財をふんだんに使って、「清里」のリゾート地に近い場所で、自分の好きなパソコンの世界に入り浸ることが可能になりました。またそんなわがままなやりたい放題をやっても、誰も彼を批判する人間はいません。

まさに完全に「森のマサノブ王国」の「裸の王様」になったのです。そして残っている信徒さんたちは、彼が資金を収奪する対象の単なる集金のための人間に過ぎないのです。

私は、これまでマサノブ氏の「森のオフィス」の批判を連載する中で、なぜ彼が強引に八ケ岳に本部を移転しようとするのか、そのことに疑問を持ち、「その必然性も必要性も見当たらない」ことを、様々な角度から論じてきました。それでも自分の別荘から近い場所に持ってくる以外の理由は見えてこなかったのですが、今回このマサノブ氏の3月1日のブログを読むに及んで、彼の真意がクッキリと分かった次第です。

また彼は、言葉巧みに「生長の家」の「教えの変化」の必要性を説きます。

>私が話の最初で“40年変革説”について触れましたが、私達の運動の変化も、そういう観点から捉えていただきたいのであります。生長の家は、発祥の地、発祥の時代に止まっているだけではいけないのです。時代が大きく変わっていく中では、私達の運動もその要請に応じた変化が必要です。それをやるのが「創化」であり、“森の中のオフィス”への本部の移転は、まさにそれを目に見える形で実行することであり、教団史の中では2回目の大きな変化である。<

と、ハッキリと「私たちの運動もその(時代の)要請に応じた変化が必要である」と明言し、しかも「教団史の中では2回目の大きな変化である」としています。つまり、八ケ岳に移動することで「2回目の大きな変化」――すなわち、「生長の家」を新たな「反日環境団体(偽装生長の家)」へと変更する――と、事実上の「教えの変更」、そして新たなマサノブ教の「立教宣言」をしているのです。それをわざわざ「創化」という言葉を使ってその意図を隠している訳です。

彼が、そのような事実上のマサノブ教の立教宣言をする以上、我々谷口雅春先生の教えを守る本流派も、それなりの決意をする必要があります。これまでも本掲示板の先達の皆さんから、早くマサノブ氏を辞めさせろ、あるいは更迭しろといった声を上げておられます。

>今や、開祖・谷口雅春先生の「生長の家」は、その実質に於いて完全な「雅宣教」と化した。 「雅宣教」の内容は、開祖・谷口雅春先生の御文章の中から“当たり障りのない所”だけを引用しながら、その実は「雅宣(自称)総裁」の“左翼的個人思想”である。 古今東西、開祖を抹殺し、資産と看板を横取りして居座った後継者は誰もいない。「雅宣(自称)総裁」は、宗教界に於ける最大の「教祖反逆人」第一号である。<

いずれも、まさにその通りなのですが、もはや八ケ岳教団の中で独裁権を確立したマサノブ氏が、自主的に辞任することは考えられませんし、イエスマンだらけの現教団にそのような力も仕組みも存在しません。マサノブ教団は、我々のような心ある「生長の家」信者の指摘にもかかわらず、自らが住吉大神の教えに背き、雅春先生の教えに背を向けて「反日環境運動」へと走って行ったのであります。この点を我々はキッチリ認識する必要があるでしょう。聖経の中にある如く「闇に対しては光をもって相対する」以外にないのです。だとすれば我々は、「どちらが正統な教えを継いでいるのか」を明確に示して、偽教団と化したマサノブ教と闘う以外にありません。谷口雅春先生の悲願である「人類光明化運動」を捨て、「生長の家」教団の本願である「鎮護国家」を「人間と自然の調和」にすり替えたマサノブ教団は、越えてはならない一線を「大きく越えて」しまいました。もはや「融和」はありえない所まで来てしまったのです。

マサノブ教批判A (709)
日時:2013年04月03日 (水) 20時55分
名前:サーチャー

マサノブ教批判A (7454)  日時:2013年04月03日 (水) 15時58分
名前:中村晃生

<時間をかけて用意周到に準備してきた「マサノブ教」の設立>


日本の最強の愛国教団であった「生長の家」を、180度方向転換させて今日のような反日環境団体に「変革」するため、マサノブ氏はこれまで長年、用意周到に自分独自の宗教団体を作る準備をしていたように思われます。生長の家の教団で独裁体制を確立した後、イエスマンだらけのこの教団内にあっては、何をしても、言っても反対されることは無いことを確信したのが、その「本格化」に着手した理由です。

マサノブ氏は、それこそ自分にとっては「単なるオジイチャン」に過ぎない谷口雅春先生をないがしろにして、「生長の家」の看板を使いながら、実際は祖父の「誤りを正す」(とんだ噴飯ものですが)独自の「マサノブ教」を設立しようと、今、本気で思っています。

それが昨年、高裁の裁判で負けて(最早最高裁まで行っても勝ち目が無いと判断し)、「甘露の法雨」と「生命の実相」を事実上失った後、堰を切ったように「大自然賛歌経」と「観世音菩薩賛歌経」の2つの偽経の製作に走り、「生長の家ってどんな教え?」なる本の出版をするに至ります。そして「生長の家」教団の生命とも言うべき「人類光明化運動」と「鎮護国家」の2本柱を、いとも簡単にすててしまったのです。つまり、この一連のマサノブ氏の行動は、みんな意図があって関連しているのだということを、我々は肝に命じなければなりません。

私たちが気をつけなければならないのは、マサノブ氏という人物は、非常に狡知にたけた人間で、自分の行っていることはキチンと「計算」して行っているということです。ですから、「何故こんなことをするのか?」「その本当の狙いは何か?」をハッキリと把握して置かなければ、知らず知らずの間に彼の術中にはまってしまうことになるのです。

彼の雅春先生への反逆行為は、最初は思想闘争から始まります。その最大のポイントが、「先の戦争は侵略戦争であった」とする彼の持つ戦後左翼思想の刷り込みを、教団内で実行することでした。これに成功すれば、教団内の愛国分子は去ってゆくし、教団支配が容易となる効果もあります。こうした自分の左翼思想の刷り込みを教団内で強行し、過去20年間、副総裁から総裁になって行く過程で、あらゆる機会をとらえて雅春先生の愛国思想を一掃しようとしてきたのです。それは一貫して「反日」というテーマで貫かれております。

その最新の動きが、国家斉唱の時に一人だけ国旗と反対の方向を向いた「国旗尻向け事件」でした。これも別に彼が突然、気が狂ったわけではありません。

どんなに「反日」的な態度、姿勢を取っても、教団内では誰も反対する者はいないとの彼の「おごり」の余りに出てきた行為とも言えます。彼の「反日」姿勢は最近ますます露骨になっており、最早彼の心の中で、制御できないところまで来ているのです。

その一方で、「生長の家」を偽装しながら彼独自の宗教に仕立て上げるためには、自分の独自の切り口を持たねばなりません。それを「横の真理」の簡略化と「環境思想」に求めたのです。本人そのものは、住吉大神に帰依することは嫌いなため、マサノブ教の柱として「生長の家」の教えの中でも、別段の信仰心がなくても実行できる「心の法則」に求め、それを簡略化することにしました。これが実は今回出版の「生長の家ってどんな教え?」として結実したという次第です。


もう一つ。「環境オタク」であるマサノブ氏が、心血を注いできたのが、環境思想の教団への導入でありました。一見すると宗教とは何の関係もない「環境思想」ですが、これにISO140の導入から始まって脱炭酸ガス運動を導入することで、教団を挙げて「環境運動団体化」し、さらには「人間と自然との大調和」「自然への四無量心」という訳の分からない考え方を無理矢理に導入することで、何とか信仰的な装いをして、ドッキングすることを考えたのです。

むろんこのような環境思想は、谷口先生の本来の教えとは全く無関係です。その無関係の環境思想を無理に導入したため、「マサノブ教」は「継ぎはぎだらけ」の何とも珍妙な偽装宗教になりました。最早、「マサノブ教」化した今の八ケ岳教団では、人々は病気が癒されること(神癒が起きること)もなくなり、人生の悩みも完全には解決されず(「生命の実相」が説かれなくなったため)、訳の分からぬ独善的な環境論が横行する擬似宗教的な「環境団体」に成り果ててしまったのです。

その後、地球温暖化や気候変動が大問題化する中で、一定の若い世代(ニュー信徒)の共感を得たことを踏まえ、彼は次のステップに乗り出しました。「生長の家」の枠組みを本格的に逸脱した、独自の「マサノブ反日環境教」の設立であります。そして今年秋に行われる、「森のオフィス」への移転こそ――原宿を捨てることが、とりもなおさず、谷口雅春先生創設の「生長の家」を捨てて、新しい教団を設立する本当の狙いなのです――が、実際にはその「マサノブ教」設立の第一歩なのです。


今回マサノブ氏は、「生長の家ってどんな教え?」を出版しました。この本の中で彼は谷口雅春先生の教えの「簡略化」と、自分に都合の良い教えの「つまみ食い」を強行し、マサノブ教の基盤を敷こうとしました。この本の意味するところは重要であります。というのも、彼の「マサノブ教」は、この本をベースに展開されると思われるからです。

私も、なぜ住吉大神への帰依も信仰心も無いマサノブ氏が、敢えてこの時期に「生長の家ってどんな教え?」などとしおらしい本を出版するに至ったのか、当初私はその意図が分からずに頭を捻っていました。でも彼の本の出版は、「必ずある意図があってそれを実行しているはずだ」――そこを考えた時、実はこれが「マサノブ教設立への布石ではないか」と考えるに及んで、初めて彼の本当の狙いが分かった気がしたのです。

つまり、「マサノブ教」は今後、「甘露の法雨」の代わりに2つの偽経、「生命の実相」の代わりに「生長の家ってどんな教え?」を中心として展開され、彼独自の「反日環境主義」が今後、残ったわずかな信徒さんたちに「今の教え」として説かれて行くのであります。

マサノブ教批判B (716)
日時:2013年04月05日 (金) 17時31分
名前:サーチャー

マサノブ教批判B (7497)  日時:2013年04月05日 (金) 09時39分
名前:中村晃生

<一線を越えてしまった「マサノブ教」は最早、谷口雅春先生の「生長の家」ではない>


物事、あるいは組織には、そこの一線を越えてしまってはならない限界があります。その組織を特別な存在にしている規範のようなものです。特に宗教団体にあっては、どこの教団でもこれは厳格に守られています。

この点、谷口雅春先生創立の「生長の家」にあっては、「人類光明化運動」と「鎮護国家」こそが、その2大柱であり運動の規範であると言ってよいでしょう。つまりこれこそ、「生長の家」を「生長の家」たらしめている最大の特徴で、これが無くなってはその他の教えは意味を持たないほどの存在なのです。

しかし、マサノブ氏は今年に入って、いとも簡単にこの2つの教団の柱を捨ててしまいました。それこそ驚がく的な「変革」(革命とでも言って良い)を簡単に強行したのです!!しかも八ケ岳教団内では、特に反対があったという話も、外部には漏れて聞こえてきません。つまり、それほど現在の教団幹部は、意気地が無くなったということであり、マサノブ氏の言うことには何でも唯々諾々と従うイエスマンだらけになってしまった――ということでもあります。今や独裁者マサノブ氏の、全くの盲目集団と化してしまっているのです。今後は、それこそマサノブ氏の思いのままのさらなる「変革」が行われるでありましょう。

「反原発」を標榜しているマサノブ氏のことです。あるいは、ヒョットしたら「大自然と調和するため」と称して「反原発デモ」まで強行するかもしれません!?


かくして、マサノブ氏は絶対に踏み越えてはならない「一線」を、踏み越えてしまいました。昨年の2つの偽経に引き続き、「生長の家」の本願である2つの運動の柱を捨てたことで、いよいよ今秋の「森のオフィス」への移転(彼の言う“40年目の変革”)を断行し、偽装教団の「マサノブ教」(実際は反日環境団体)の設立へと移行することになるのです。

この大事な一線を越えてしまったマサノブ教は、最早「生長の家」ではありません(どのように「生長の家」を自称しようが)し、宗教団体でもありません(いかなる救いもここにはありません)。単なる反日環境団体なのです。

これまで心ある谷口先生の信者の多くは(融和論者の皆さまも含め)、現象的に「邪悪な」マサノブ氏の実相を拝み、彼が間違いに早く目覚めてくれるように祈ってきました。それは教えの実践者としては、大事なことでもありました。しかし、「生長の家」の生命とも言うべき「人類光明化運動」と「鎮護国家」を「マサノブ教」として、アッサリと捨ててしまったことで、事態は一変することになりました。

彼は「生長の家」の総裁としては決して越えてはならない一線を、自ら越えてしまいました。「人類光明化運動」をしない、「国家鎮護」を祈らない教団は、最早谷口先生の愛国思想、そして「縦の真理」から遠く離れた、これまでの「生長の家」とは無関係な、「生長の家」を偽装しつつも本質的には「反日」と「環境」をベースにした、マサノブ氏独自の全く別の団体に「変革」してしまったのであります。

融和派の皆さんは、この現実を直視しなければなりません。でもこの決して越えてはいけない限界を、一線を堂々と越えたことは、マサノブ氏の「何を言っても、してもこの教団内には反対する人間はいない」といった「自信」の表れでもあり、「おごり」でもあると思います。いずれにせよ、大事な一線を自ら越えてしまった以上、彼は最早取り返しのつかない、後戻りのできない所まで来てしまったのです。


彼は谷口雅春先生の教えを潰そうと考えている「確信犯」であります。いうなればそれが彼の「憎きオジイチャン」に対するリベンジでもあるし、生き甲斐でもあるのです(このデモーニッシュな感覚は、とても我々一般の人間には理解できません。それこそ悪魔であるバール神に憑依されているとでも考える以外にありません)。また人間の本性として、齢60歳にもなれば、よほどの大転換が彼の心の中に起きない限り、最早彼の「確信犯」ぶりが変わることはあり得ません。死ぬまで邪悪な反日本的心情、対応は変わらないでしょう。「生長の家ってどんな教え?」の本にしても、結局は雅春先生の教えを、自分に都合の良いところだけを「摘み食い」して、「マサノブ教」に塗り替えるための方便、手段に使っているに過ぎないのです。


彼の「マサノブ教」は、雅春先生の「横の真理」だけを利用して、「縦の真理」を捨て、それに「反日思想」(左翼的唯物論)と「大自然」を表に出した「環境主義」をブレンドしてミックスしたような内容です。それこそ日本では初めての「反日環境教団」の誕生といっていいでしょう。

でも谷口雅春先生の愛国書、ならびに「生命の実相」が、教団から「抹殺」「使用禁止」になってからかなりの時間が経っています。彼が新たにブレンドした「反日思想」や「自然主義」のどこが間違っているのか、ハッキリと指摘してあげなければ、批判精神を持たない多くの「ぶら下がり」信徒の方々には、よく分からないのが実情だと思われます。


我々「本流」や「光明」掲示板では、幾多の警告、指弾がなされていますが、こうした「掲示板」に目を通すことの無い大多数の信徒のみなさまは、依然として騙されたままに置かれてしまいます。八ケ岳教団を辞めきれないで、まだ惰性的にしがみついている多くの善意の信徒の皆さまには、元の「生長の家」から、何がどう変わっているのか分からないと思われます。


これまで私は、何度も悟りを開いていない俗人に過ぎないマサノブ氏の、「宗教ゴッコ」の危険性を指摘してきましたが――正神に導かれない、誤った「新宗教」は、いかに「入り口だけ」が谷口雅春先生の教えを装おうとも――結局は悪霊に導かれるしかなく、「魔道」に落ちる外は無いのです。何としても覚醒された同志の皆さまの、こうした迷える信徒の皆さまへの伝道を、お願いしたいところであります。よろしくお願いします。

私は、このような危険極まりない「マサノブ教」の間違いを指摘し、またその「自然主義」の誤りをも指摘して、本流の「生長の家」の信仰を防衛し復活しようと考えています。そこで新しい段階に突入した八ケ岳教団を、今後は「マサノブ教」と呼ぼうと思います。その点をご了解下さい。

2つ目は、第一部は今後彼の教団のテキストになると思われる「生長の家ってどんな教え?」を批判材料に使います。「反日」に関しては、多くの本掲示板の皆さまがご指摘している通りですが、彼のブログや演説などを批判材料にします。

そして、第2部では、一般の「生長の家」信徒には分かりにくい「環境主義」の中の特に「自然論」を採り上げ、彼の論理の誤謬を徹底批判します。以上が今回、敢えて何処が間違っているのかを指摘する「マサノブ教批判」を、連載する所以であります。

マサノブ教批判C (751)
日時:2013年04月08日 (月) 22時04分
名前:サーチャー

マサノブ教批判C (7552)  日時:2013年04月08日 (月) 12時31分
名前:中村晃生

<「生長の家」のご本尊が住吉大神であるという事実を、決して言わないマサノブ氏>


「生長の家」の「法灯継承者」を自称し、教団に絶対的支配権を振るうマサノブ総裁が、宗教者として犯している最大の罪、謗法が、教えのご本尊、「生長の家の神様」である住吉大神をどこにも出そうとしない「住吉大神隠し」であります。

この一事だけでも、「生長の家」を自称する教団の総裁としては、失格、追放ものですが、現在の教団では誰も反対の声を上げる者がいません。みな自分の首が可愛いからです。

いやしくも「生長の家」の名称を使うのであれば、先ず真っ先にしなければならないのが、創設者である谷口雅春先生の説明であると同時に、谷口先生がどのような経緯で求道し、悟りに至るのかの経緯を説明しなければなりません。しかし、今回出版した「生長の家ってどんな教え?」の本の中には、教祖である谷口雅春先生も、先生の立教の経緯も、「生長の家の大神」である住吉大神も出てこないのです。つまり、大事な立教の歴史は全て割愛して、ある日突然、「生長の家」が出来上がったような前提で説明に入るのです。

物事には全てそれが誕生した歴史があります。ましてや宗教団体にあっては、いかなる小さな教団であろうと、教祖が辿った求道の道筋こそが大事なのであり、それを全く説かないのでは、その教えの大事な根本である「前提」が分からなくなります。つまり、木の果実にはその大事な幹があるのであり、これはどんな木であってその特質はり何か――といった説明を一切無視して、果実の素晴らしさだけを説いても、本当の良さは分からないのと一緒であります。


「生長の家」は、神戸にあります本住吉神社の近くの住吉村に谷口先生が住んでおられた時、>毎朝、朝風呂で禊ぎをして本住吉神社に早朝参拝を続けていた因縁で、この大神の御教をいただいくことになった<と先生はこのように「生長の家」の由来を解説されています。こういう基本的な事がらは、キチンと説明せねばなりません。

(P218)>この偉大なる住吉大神の御教えを受けるようになったのは、決して私が偉大だからではないのでありまして、住吉大神は、日本の運命の重大な節々に出現して、日本をお護りになる「天照大御神の御心」でありますから、現在、日本国は非情な危機に臨んでいるので、とりあえず私に御教を宣布するよう仰せられたのであります<
と、「生長の家」出現の意味についても説明されています。


こうした根本を無視して、「生長の家とは何なのか」をいくら説いても、教えの説明には全くなりません。つまり、この本は入門書としても、解説書としても(その著者と同様に)全く失格であり、不適切なのです。

問題は、何故彼が意図的にこんなことを敢えてしているのかなのです。

彼が「法灯を継承している」というのであれば、このような谷口雅春先生および住吉大神に対する不敬、仕打ちは普通の神経では全く考えられないことです。

でもマサノブ氏が、実際には――従来の「生長の家」とは全く別の自分の教団を作ろうとしている――と考えれば初めて、このような異常な仕打ち、対応も「なるほど」と理解できる(決して是認はしませんが)のです。彼は、「生長の家」の教えを「変革」して自分の教団を作るためには、谷口雅春先生も、先生が悟りに至る経緯も、住吉大神も、全てが「邪魔」なのです。だからこそ、そんな「邪魔な」事がらに、意図的に一切触れていないのです。

この本の中の、基本的な「生長の家」の教えの「簡略化」も、「谷口雅春先生隠し」も「住吉大神隠し」も、実際はこの一点に集中して彼が意図的に行っていることなのだということを我々は認識する必要があります。


おそらく最近入信した信徒さん(もしもいたとすればの話ですが)は、「生長の家の神様はどなたか」と聞かれても、ハッキリと答えられないのではないでしょうか?

「生命の実相」を信徒の目から遠ざけて以降は、マサノブ氏はもちろん、「生長の家ってどんな教え」の本の中にも、住吉大神に関しては一言も触れておりません。その点は、呆れるほど徹底しています。これって一体何なんでしょうね?

自分の教団の「ご本尊」を、何とか言わないで済まそうとする宗教団体の総裁なんていうのは、他の教団ではあり得ないし、それこそ「気が触れている」という以外にありません。


実例を、最近の彼のブログの中でみてみましょう。

これは「観世音菩薩賛歌経」の批判の項でも書きましたが、「生長の家」の「ご本尊」を「観世音菩薩」であると強弁した件です。

昨年5月27日のブログの中で彼は、

>私がこの詩(大自然賛歌のこと)を書きながら気づいたのは、現在「聖経」と呼ばれている長編詩の中には、“生長の家の礼拝の本尊”とされている観世音菩薩について、あまり言及がないことだ。<

と、勝手に「生長の家の礼拝の本尊」を「観世音菩薩」にしてしまっています。知らない人が聞けば、「生長の家」は観音信仰の宗教だと誤解しかねません。谷口雅春先生は、確かに「生長の家の大神」は、「万教帰一」の立場から、仏教では観世音菩薩として現れると言っている部分があります。でもそれはあくまでも、万教帰一の立場でおっしゃっているに過ぎないのであり、「生長の家のご本尊」そのものが、「住吉大神」から「観世音菩薩」に替わったのではありません。総裁ならそうした基本をキチンと説明しなければならないのです。


「神の真義とその理解」の本の中にも、万教帰一の立場から生長の家の大神の現れ方をいろいろと説いておられます。キリスト教においては、エロヒムであり、ゴッドであり、黙示録に書いてある「七つの燈台の点燈者」の白髪の老翁であり、仏教では釈迦牟尼仏とも観世音菩薩としても現れているとも、説かれております。つまり個々人の信仰の対象によって、理解しやすいように、現れ方が変わるけれども、本体は「生長の家の大神」と同じだと説かれている訳です。この点をマサノブ氏は悪用し、わざと

>「“生長の家の礼拝の本尊”とされている観世音菩薩」<

として、敢えて「ご本尊」の住吉大神とすり替えようとしているのです。これは自称「法灯継承者」の手口としては、極めて悪辣であります。

我々が一般的に「生長の家のご本尊」と言う場合には、あくまでも「住吉大神」を指すのであり、それ以外の神仏ではないのです。

ここにもマサノブ氏の「騙しのテクニック」が潜んでいるのです。


我々「生長の家」の本流の信徒は、雅春先生が昭和15年に、宗教団体法に基づき文部省に提出された宗教団体としての届出を、シッカリと頭に入れておく必要があります。先生はこのように解説されておられます。

(P104)>この生長の家の大神とはどなたであるか、生長の家大神という文字の下にかっこをしまして、(『古事記』、『日本書紀』に現れたる住吉大神)と申しました。これは阪神間の本住吉神社にお祭りしてあるところの神様でありまして、『古事記』に天照大御神様がお生まれになるに先立って、この宇宙浄めの神として、水と塩とを以って浄めるところの海の神様として現れられたところの上筒之男神(うわつつのおのかみ)、中筒之男神、下筒之男神といわれる三柱の神様で住吉大神(俗称すみよしの大神)と申しているのであります。<

と、明確に示されております。すなわち、「生長の家」の「ご本尊」は、あくまでも「住吉大神」なのであります。

マサノブ教批判D (773)
日時:2013年04月11日 (木) 11時40分
名前:サーチャー

マサノブ教批判D (7599)   日時:2013年04月11日 (木) 09時59分
名前:中村晃生

<マサノブ教は、今後住吉大神ではなく、観音信仰に突き進む?!>


この「生長の家ってどんな教え?」の本を詳細に検討してみると、面白いことが判明します。それは、今後のマサノブ教団の動向を暗示しているからです。おそらく彼は、今後ますます「観世音菩薩」を前面に押し出してきて、「生長の家のご本尊は、観世音菩薩である」と強弁して行くでありましょう。ますます「生長の家の大神」の意向を全く無視し、ウソにウソを上塗りしてゆくと思われます。それは、この本の中味と、彼の最近の行動を見ればよく分かります。

この本の中では、前述したように彼は、「生長の家」の立教のことをハッキリ言いません。それに言及しているのは、はしがきで >生長の家は昭和5年に立教以来、すでに八十年を超える歴史を持つが、その間一貫して“文書による伝道”を展開してきた< という部分と、「神示」に関して説明した部分で、 (P91)>谷口雅春先生が生長の家を始められて間もなく「神示」が天降ってきたのです。< この2箇所だけです。これではキチンとこの本を読んでいないと、誰が何時「生長の家」を設立したのかは、良く分かりません。

やはり立教に関しては、創始者である谷口雅春先生が、何時どのような経緯で、どのようにして「住吉大神」の啓示を受けたのか、そしてどのような悟りを開かれたのか――を明確に書く必要があるのです。それでこそ「入門書」の最低限の条件と言えるでしょう。
しかし、肝心の「住吉大神」に関しての記述は、この本の中には「ゼロ」なのです。

わずかに神の説明の下りで、雅春先生のご著書を引用して (P212)>その第二義は、宇宙の太霊が方便をもって仮にある形相に現れた場合である。観世音菩薩とか塩椎神(しおつちのかみ)とかである。方便身とも応化身とも云われている< と、「塩椎神」の名を出してあるだけ。「塩椎神」が、「住吉大神」の別名であることの説明はもちろんありません。

これに反して、「観世音菩薩」の説明は、わざわざP172から4ページにわたり「観世音菩薩からのメッセージ」という1つの章を当てており、その中で (P174)>だから、生長の家は「観世音菩薩の信仰」だと言っても間違いではない。『真理の吟唱』(谷口雅春著)には「生長の家の礼拝の本尊は観世音菩薩なのである」と明記されています< と、わざわざここだけ雅春先生のご文章の中の、自分の主張に都合の良い部分だけを「摘み食い」して、論理を変造しているのです。反対に「住吉大神がご本尊」とそれこそ明記された先生の多くの本や文章などは、山ほどあるのに一切無視して載せていません。これでは故意に「ご本尊」の本体を「くらます者」との非難を浴びても仕方がないでしょう。

前稿でも申し上げましたように、「観世音菩薩」は、あくまでも「万教帰一」の立場で先生が説かれたものであります。谷口先生の >観世音菩薩とか塩椎神(しおつちのかみ)とかである。方便身とも応化身とも云われている< のご文章にあるとおり、「観世音菩薩」や「塩椎神」は、あくまでも第一義の宇宙の「本源の神」の方便として現れているだけです。

その意味では第二義的な「住吉大神」も応現神でありますが、その応現神の中で普通我々が「生長の家の神様」と申し上げる時には、「住吉大神」であり「塩椎神」のことを指すのであり、「観世音菩薩」では決してないのです。これでは、「生長の家」に初めて接する人間は、「この宗教は観音信仰だ」と勘違いするのも無理もありません。それをマサノブ氏は、百も承知でわざと勘違いするような本の構成にしているのです。悪質な詐術であると言わざるをえません。


このような「生長の家ってどんな教え?」の本の中の作為。さらには昨年の「観世音菩薩賛歌」の偽経の作成を考えると、今後マサノブ教では、「生長の家のご本尊」と谷口雅春先生が明定されている「住吉大神」をすり替えて、「観音信仰」に突っ走ることは、火を見るより明らかです。我々は、このようなマサノブ氏の「暴挙」ともいえる「ご本尊すり替え」の作為的行動を断固糾弾して行かねばなりません!

マサノブ教批判E  (807)
日時:2013年04月14日 (日) 20時30分
名前:サーチャー

マサノブ教批判E (7668)  日時:2013年04月14日 (日) 15時17分
名前:中村晃生

<ご神像を、今度は七つの燈台の点灯者にすり替えてしまったマサノブ氏>


「住吉大神隠し」に関しては、同じことが、「生長の家」教団のご神像においても行われています。最近のブログの中で、「森のオフィス」に移転する計画をしている原宿の本部にある「生長の家の大神のご神像」のことに触れています。このご神像は無論「生著の家の大神」であり、それ以外のどなたでもあるわけがないのですが、彼はそれをずる賢くもハッキリと説明しません。

3月14日のブログでは、 >現在、東京・原宿にある生長の家本部会館には、「光明の塔」と呼ばれている円筒形の建物がある。この正面に、聖書の『ヨハネの黙示録』に由来した神像が飾られているという事実は有名だ。< と、「生長の家の大神の像である」との説明は一切せずに、ただ単に >聖書の『ヨハネの黙示録』に由来した神像< としか説明していません。これでは住吉大神に対して大変に失礼であると同時にまた、知らない人が聞けば、「なんで聖書の中の神様が教団本部に安置されているの?」との疑問を抱くでしょう。

一事が万事この調子です。他の部分でも >現在の計画では、この七層の石塔は、白髪白髯の神像の背後に置くことになる。< と、酷い話ですが今度は「住吉大神のご神像」は、単なる「白髪白髯の神像」になってしまいました。いかに彼が「生長の家の大神様」である住吉大神を嫌っているのかが明らかであります。

また彼の「生長の家ってどんな教え?」の本の中にも、住吉大神に付いての言及はなく、もちろんご神像についての説明もありません。だがこのご神像は、別に「ヨハネの黙示録に由来した神像」ではないのです。これは「事実に反する記述」であり、彼の「騙しのテクニック」の一つなのです。

こうした点は、我々は谷口雅春先生のご文章に即してキチンと把握しておかねばなりません。先生の「神の真義とその理解」の本の中で、このように先生は説明されています。

(P113)>この白髪白髯の神様のお姿は、一番最初に私の家内が見たのであります。「生命の実相」の中の一篇に「生長の家の歌」と題する部分があります。「甘露の法雨」もその一篇でありますが、その中に「光明の国」という題の詩があります。この「光明の国」の詩の校正刷りが来た時に、それを校正しておりました時に、空中にそういう白髪の裾まで神々しい衣を垂れたところの神様が出てこられたのであります。この時私はこの神様と問答したのでありますが、この神様は「タチバナのオドの尽十方むげ光、光明遍照の実相世界にいる神」と、おおされました。橘の小門の実相世界でイザナギのミコトが禊せられた時にお生まれになったのが住吉大神であります<

と、明確にご説明なさっております。つまり、このご神像は、どこか架空の空想上の神像なのではなく、谷口雅春先生ご夫妻が、立教時の苦労されている時期に、直々にご出現なされて話をされたことのある住吉大神様ご自身のお姿なのであります。その先生ご夫妻のビジョンを元に、同じお姿を先生の高弟であった彫刻家の服部二郎先生が彫刻なさったものであります。私たちも、このご神像を拝することで、谷口雅春先生ご夫妻が拝された住吉大神のお姿を、直に拝することが出来る尊いご神像なのであります。

何故マサノブ氏は、「生長の家」と住吉大神との関係、またこのご神像が、当時出現された「生長の家の大神」の御姿であることを、敢えて信徒にキチンと説明しないのでしょうか?

真実のことを伝えずに、仮装の姿しか教えない――こうしたダマシのテクニックで以って自分に都合の良い方向に教団全部を持ってゆくことは、決して許されることではありません。神をダマシ、信徒をダマスことは、宗教家としては失格以前の問題です。罪以外の何物でもないのです。ご本尊の「住吉大神」がそんなに嫌いなのならば、いっそのこと「生長の家」総裁を辞任すれば良さそうなものです。でもそれだけは死んでも絶対にしたくないのです。これだけ今の独裁体制下にある八ケ岳教団ほど我がままが言えて、イエスマンだらけの居心地の良い場所はないからでしょう――本当に困ったものです。

それこそ谷口雅春先生の弟子を自認する我々にとっては、腹立たしい限りで、「世も末だ」とさえ思えてくるような、ひどい有り様ではないでしょうか!
名前:中村晃生

<ご神像を、今度は七つの燈台の点灯者にすり替えてしまったマサノブ氏>


「住吉大神隠し」に関しては、同じことが、「生長の家」教団のご神像においても行われています。最近のブログの中で、「森のオフィス」に移転する計画をしている原宿の本部にある「生長の家の大神のご神像」のことに触れています。このご神像は無論「生著の家の大神」であり、それ以外のどなたでもあるわけがないのですが、彼はそれをずる賢くもハッキリと説明しません。

3月14日のブログでは、 >現在、東京・原宿にある生長の家本部会館には、「光明の塔」と呼ばれている円筒形の建物がある。この正面に、聖書の『ヨハネの黙示録』に由来した神像が飾られているという事実は有名だ。< と、「生長の家の大神の像である」との説明は一切せずに、ただ単に >聖書の『ヨハネの黙示録』に由来した神像< としか説明していません。これでは住吉大神に対して大変に失礼であると同時にまた、知らない人が聞けば、「なんで聖書の中の神様が教団本部に安置されているの?」との疑問を抱くでしょう。

一事が万事この調子です。他の部分でも >現在の計画では、この七層の石塔は、白髪白髯の神像の背後に置くことになる。< と、酷い話ですが今度は「住吉大神のご神像」は、単なる「白髪白髯の神像」になってしまいました。いかに彼が「生長の家の大神様」である住吉大神を嫌っているのかが明らかであります。

また彼の「生長の家ってどんな教え?」の本の中にも、住吉大神に付いての言及はなく、もちろんご神像についての説明もありません。だがこのご神像は、別に「ヨハネの黙示録に由来した神像」ではないのです。これは「事実に反する記述」であり、彼の「騙しのテクニック」の一つなのです。

こうした点は、我々は谷口雅春先生のご文章に即してキチンと把握しておかねばなりません。先生の「神の真義とその理解」の本の中で、このように先生は説明されています。

(P113)>この白髪白髯の神様のお姿は、一番最初に私の家内が見たのであります。「生命の実相」の中の一篇に「生長の家の歌」と題する部分があります。「甘露の法雨」もその一篇でありますが、その中に「光明の国」という題の詩があります。この「光明の国」の詩の校正刷りが来た時に、それを校正しておりました時に、空中にそういう白髪の裾まで神々しい衣を垂れたところの神様が出てこられたのであります。この時私はこの神様と問答したのでありますが、この神様は「タチバナのオドの尽十方むげ光、光明遍照の実相世界にいる神」と、おおされました。橘の小門の実相世界でイザナギのミコトが禊せられた時にお生まれになったのが住吉大神であります<

と、明確にご説明なさっております。つまり、このご神像は、どこか架空の空想上の神像なのではなく、谷口雅春先生ご夫妻が、立教時の苦労されている時期に、直々にご出現なされて話をされたことのある住吉大神様ご自身のお姿なのであります。その先生ご夫妻のビジョンを元に、同じお姿を先生の高弟であった彫刻家の服部二郎先生が彫刻なさったものであります。私たちも、このご神像を拝することで、谷口雅春先生ご夫妻が拝された住吉大神のお姿を、直に拝することが出来る尊いご神像なのであります。

何故マサノブ氏は、「生長の家」と住吉大神との関係、またこのご神像が、当時出現された「生長の家の大神」の御姿であることを、敢えて信徒にキチンと説明しないのでしょうか?

真実のことを伝えずに、仮装の姿しか教えない――こうしたダマシのテクニックで以って自分に都合の良い方向に教団全部を持ってゆくことは、決して許されることではありません。神をダマシ、信徒をダマスことは、宗教家としては失格以前の問題です。罪以外の何物でもないのです。ご本尊の「住吉大神」がそんなに嫌いなのならば、いっそのこと「生長の家」総裁を辞任すれば良さそうなものです。でもそれだけは死んでも絶対にしたくないのです。これだけ今の独裁体制下にある八ケ岳教団ほど我がままが言えて、イエスマンだらけの居心地の良い場所はないからでしょう――本当に困ったものです。

それこそ谷口雅春先生の弟子を自認する我々にとっては、腹立たしい限りで、「世も末だ」とさえ思えてくるような、ひどい有り様ではないでしょうか!

マサノブ教批判F (818)
日時:2013年04月15日 (月) 23時27分
名前:サーチャー

マサノブ教批判F (7694)   日時:2013年04月15日 (月) 16時35分
名前:中村晃生

<マサノブ氏は、はなぜ執拗に「住吉大神隠し」をするのか>


いやしくも「生長の家」の総裁を自認するマサノブ氏が、「生長の家」のご本尊である「住吉大神」を、なぜ執拗に信徒の皆さんの目から隠そうとするのか?――その理由は簡単であります。住吉大神は、「護国の神様」であり、天皇様を危機からお守りする「導きの神」でもあらせられるからであります。雅春先生は、この点を、「神の真義とその理解」の本の中にこうお書きなさっています。

>(P108)この住吉大神は、海の神であらせられ、潮の満干を司っていられ、あるいは三韓征伐というような、あるいは神武天皇の御東征というような、あるいはヒコホホデミノミコト(山幸彦)の龍宮海御進出というような、あるいはニニギノミコトの天孫降臨の時というような、さらに遡れば天照大御神がいよいよ六合に照徹する光を全宇宙にお顕しになるというような、国威発揚の前提として出現あそばされて、その導きをなしたもう神であって、別名を塩椎神(しおつちのかみ)と申し上げる<

と説明されております。

谷口先生は、文部省に対する宗教団体としての届出の中で、 (P103)>宇宙大生命(みおやのかみ)の道を現わし、日本国威を発揚し、国体を明徴にするところの導きの神様として心に幽斎する副斎神として生長の家の大神を礼拝するということをハッキリ本尊の項目にあらわしておきました< と記されており、本尊は住吉大神であることを明示されています。

決してマサノブ氏の言うような「観世音菩薩」や「七つの燈台の点燈者」などではないのです。

特にニニギノミコトが降臨されて >日向の笠沙(かささ)のみさきにお出であそばした時に、事勝国勝神(ことかつくにかつかみ)と現れて道案内を遊ばしておられるのが塩椎神であります< と、この時点で住吉大神は、既に戦いの神、救国の神の名称を持っておいでであります。

つまり、「住吉大神」は、あくまでも「鎮護国家」を目的とした日本にとっては重要な神様であり、国家危急の時に活躍される神様であららされますので、本質的に心の髄まで「反日」のマサノブしとしては、どうしても表に出したくないのです。彼は、昔から徹底して「反日」、「反皇室」であり、日本国のことや戦勝などということは嫌っているため、徹頭徹尾「住吉大神」を隠そう、教団から何とかして切り離そうと、必死の画策をしているのです。だからこそ、もちろん住吉大神の本願である「鎮護国家」などは死んでもしたくないのです。

この結果、谷口雅春先生が「万教帰一」の立場からさまざまに説明しておられる「生長の家の大神」のことを、ご著書の一部分のみを引用して、自分の都合の良いような解説を施しているのです。これは完全に意図的で、悪質なダマシのテクニックです。

それで私が指摘しているように、「生長の家のご本尊」を強引に「観世音菩薩」であると言い換えたり、原宿本部前に安置された「ご神像」を、聖書に言う「七つの燈台の点燈者」であると言い換えたりしているというわけです。これも「方便身」で間違いではありませんが、「本体」ではありません。ちょうど象の体の一部の耳だけを指して「象は耳が大きい動物だ」と言っているのと同じことです。総裁ならば、人々に誤解させないように象の全体像、真相を「住吉大神」であるとハッキリと示して説明する義務があるはずです!

しかし、そんなことを絶対支配権が確立しない時に言おうものなら周囲から「マサノブ降ろし」の大合唱が出てくることは必定なため、愛国分子を一掃して独裁権を確立した後に、自分の長年の思いを実現しようと考えました。そして「森のオフィス」移転のときこそがそのチャンスだと、最近、偽経の製作を始めとする一連の「暴走」を始めたという次第なのです。

宗教者としては、絶対にしてはならない「大事な一線を越えた」マサノブ氏は、もう恥じも外聞もありません。常識的な判断の出来る人間ならば、そこまでやらないと考えるのが普通ですが、どうもマサノブ氏は、「一端、暴走が始まってしまったからには、脱線転覆するまで突っ走るしかない」とでも思っているのでしょうか。

私には、彼は何か最近は“魔にとりつかれた”ような「破れかぶれ」の様相を呈している気がするのです。いずれにせよ異常なことではあります。

マサノブ教批判G (834)
日時:2013年04月17日 (水) 21時18分
名前:サーチャー

マサノブ教批判G (7737)   日時:2013年04月17日 (水) 17時00分
名前:中村晃生

<事実上、住吉大神を外してしまったマサノブ教は、もはや「生長の家」の傍流だ>


執拗なる「住吉大神隠し」に加え、「生長の家」の運動の2本の柱である「人類光明化運動」と「鎮護国家」をアッサリと捨ててしまったマサノブ教は、まだ明言こそしませんが事実上は「生長の家のご本尊」として谷口雅春先生が確固として制定されている「住吉大神」を信仰の対象として、外していると思わざるをえません。これがマサノブ氏の狡猾なところですが、彼はあくまでも「住吉大神隠し」を続け、なし崩し的に信仰の対象ではなくしてしまう状況を作ろうとしているのでしょう。

「生長の家」の2つの柱を捨ててしまったということは、論理的帰結としてもそうならざるを得ないと思います。つまり「反日」と「環境」を標榜するマサノブ教では、国家を守護する住吉大神を奉戴することは、とんでもないことであり、論理的な矛盾でもあるからです。

我々は、マサノブ教に対してこの点をハッキリさせるように仕向けなければならないと思います。果たして「生長の家のご本尊」である「住吉大神」はどうなったのか――これにハッキリと答えない、あるいは答えられないマサノブ教は、今後、この点が最大の弱点になってゆくものと思われます。

確信犯であるマサノブ氏は、事実上信仰対象として「住吉大神外し」を画策しながら、それを明確にしようとはしません。しかし、彼が「住吉大神外し」を画策していることを示す「状況証拠」は、いくらでも存在します。我々は、そうした証拠を突きつけて、彼の邪悪な「犯意」を確定しなければならないのです。

でも、そこは姑息なマサノブ氏のことです。これまでの彼の行動を見ていると、おそらくは偽経の「観世音菩薩賛歌」の中で、「南無観世音菩薩」と記したように、今後は「観世音菩薩」を前面に出して「観音信仰」に走るものと思われます。そうなれば名実共に「生長の家」ではなくなります。単なる「生長の家」の看板を掲げる観音信仰バージョンの宗教団体、つまりは「傍流」に過ぎなくなるのです。

谷口先生は昭和14,5年ごろ、文部省に宗教団体法に基づく届出をした時に、いろいろ難しい条件が文部省側から付けられたと述懐しています。特に「本尊」「教義」「儀礼」「奉斎神または安置仏」などの項目ですが、宗教法人「生長の家」の「本尊」を先生が明定されている「住吉大神」から、マサノブ氏が勝手に「観世音菩薩」に変えてしまったということになれば、マサノブ教は、宗教団体法上における資格要件の重大な変更を図ったということになります。場合によっては、宗教団体としての資格喪失にもなりかねません。いずれにせよ、完全に雅春先生創設の「生長の家」とは異なる宗教団体となったということで、このことはまだマサノブ教にしがみついている信徒の皆さん方にもハッキリと教えて宣伝して行かねばなりません。

マサノブ教側は、しきりに我々「本流」側を「別派」呼ばわりしているそうですが、我々「本流の生長の家」側から見れば、雅春先生の教えとは全く関係のない訳の分からない「自然と人間の大調和」を信仰の目標に掲げ、住吉大神を信仰したくないために苦し紛れに観音信仰に走ることになったマサノブ教は、もはや「別派」ですらない、「生長の家」の教えの最低限の要件をも欠く、単なる「傍流の教え」に成り下がるしかないと思われます。それは結局、自らご本尊の「住吉大神外し」をしたことによって招いた「自業自得」の結果なのであります。

マサノブ教批判H  (850)
日時:2013年04月19日 (金) 11時12分
名前:サーチャー

マサノブ教批判H (7778)   日時:2013年04月19日 (金) 09時53分
名前:中村晃生

<本の中で「生長の家の主宰神」のことをも、明言しないマサノブ氏>


谷口雅春先生は、神様を三種類に分類されております。私は、この本の中でマサノブ氏が故意に、第二儀的な「住吉大神」に関して、生長の家の神様あるこの「ご本尊」の「住吉大神」を「観世音菩薩」に「すり替えようとしている」と指摘し、糾弾しておりますが、実は第一義の「本源の神」に関しても彼はおかしな記述をしているのです。

谷口先生は、「神の真義とその理解」の本の中で、このように説明されておられます。

(P102)>さて我々生長の家の団体では、心に宇宙大生命(みおやのかみ)を祭るのであります。その宇宙大生命と云う文字の下にカッコして「(ソノ幽之幽ナル神トシテ天之御中主神、幽ナル神トシテ天照皇大神(アマテラススメオオカミ)、現人神(アラヒトガミ)トシテ天皇ヲ礼拝ス」と書いてありますが、「幽」とは「幽玄」の意味であって、現象の幽(おく)の幽(おく)にましますところの大実在として、日本の称名をもってすれば天之御中主神と申し上げる大神であります< と、ハッキリと書かれております。

しかし、マサノブ氏は、どこまで行っても「生長の家の神様」のことをハッキリと説明しない、おかしな自称「法灯継承者」であります。

彼は本の中で、 (P18)>生長の家は唯一神教だといって間違いありません。それならば、生長の家は主宰神として天之御中主神をお祀りしているかというと、そういうわけでもない。この辺は少し複雑ですので、知りたい方はぜひ質問してください。<

と言って逃げてしまうのです。いやしくも「総裁」と称するのであれば、「今この話をすると三十分くらい簡単にたってしまうので、この辺で終わります。」などと姑息なこと言って、時間のせいにして逃げるべきではないのです。だから、自分をも含めこのマサノブ教団では、「主宰神」も「本尊」も一体どなたであるかが、判然としなくなるのです。こんな宗教は、宗教であるとはとても言えませんよ!

「生長の家」の主宰神は、その教団の信仰の一番大事なところですので、谷口先生が書かれているように、「(ソノ幽之幽ナル神トシテ天之御中主神、幽ナル神トシテ天照皇大神(アマテラススメオオカミ)、現人神(アラヒトガミ)トシテ天皇)ヲ礼拝ス」とキチンと説明すべきなのです。そうすれば彼が「反日」になることも到底できないでしょう。

自分の教団の神様のことを、他の人々に明言できない何らかの理由があるのでしょうか?

ここに彼の問題点の本質があるのです。その可笑しさは、見合いの席で自分の親の名前をハッキリ言わないのに似ています。何か言葉が煮え切らないのです。親の名前をハッキリ言わなければ、他人は「何か隠しているのではないか」と、変な勘ぐりを起こしてしまうでしょう。実に可笑しな話です。自分の宗教の「主宰神」のことを明言しない、「ご本尊」も他の仏様の名前を挙げて本当の神様の名を隠してしまう――これほど可笑しな宗教入門書も、世間広しといえどもまたとないでしょう。

「生長の家」の主宰神は、天之御中主神――天照大御神――天皇と続く、一連の「宇宙の大生命」の流れであります。そしてこの教団は、その「宇宙の大生命」をお祭りする宗教なのです。だから究極すれば、「生長の家」は大生命の流れを仰ぐ「天皇信仰」なのです。総裁ならば、そこをハッキリと明言すべきなのです。口を濁すべきではありません。

雅春先生は、このように説明されております。

(P102)>天之御中主大神はかくのごとく、幽の幽の大実在であらせられますが、この宇宙の大神が、依然として幽玄にましまして、吾等の思慮の及ぶところではございませんが、幽之幽なる天之御中主大神よりも一段ハッキリと、『日本書紀』にしるされたる通りの「光華明彩六合(ひかりうるわしくりくごう)に照徹(てりとお)れる」神として顕現あそばされたのが天照大御神であらせられ、さらにその天照大御神様が御肉体を以て現人神として現われていらせられる神様として天皇を拝する――これが生長の家誌友が心に主宰する神様でございまして、御宮のような眼に見える形で御祭りするのではございませんから幽斎すると申すのであります。すなわち吾々は天皇様を宇宙大生命の全徳の御顕現としてそのまま現人神として拝し奉るのであります。歴代の皇霊に対して尊崇を捧げるのも同じ意味であります< と、示されています。

本質的に「反日」であるマサノブ氏が、天皇様のことを蛇蝎のように忌み嫌い、日本国を忌み嫌うのは「確信犯」として仕方が無いとしても、これは「生長の家」の根本義でありますので、それを敢えて実行しない、また敢えて教えないで信徒から隠すことは、総裁として「謗法の罪」を犯していると言えます。

ここのところが本当に分からなければ、なぜ住吉大神が谷口先生に現れて、宇宙の根本義――「真理国家日本の実相」を明らかにされたのかが、分かりませんし、「生長の家」の根本義そのものも分からないのです。

別にそれは、マサノブ氏が表面的に考えるように、雅春先生が右翼であるからとか皇国史観主義者であるからではありません。これは間違っています。私どもが知る限り、雅春先生は決して右翼でも皇国史観主義者でもありませんでした。むしろ宗教者としてこうした人々の間違っている点は、ハッキリと指摘しておられました。

先生に正神がかかってこられたのは求道時代から一貫して雅春先生が、日本の神々に対し誠心誠意、国家の安泰と皇室のイヤサカを祈念し、行をしてこられたからであります。日本の正神は、そのような使命を持った宗教的大天才にしか降りてこないのです。

日本は古来より「神国」と言われ、そうした根強い信仰があります。実際に日本人は天皇様を中心とした信仰的な国家を築いてきました。そうした中で、谷口先生がお悟りになった神様の「金波羅華(こんぱらげ)の実相世界」がそのまま現象世界に現れていたのが、天皇様に中心帰一した日本国であるとお悟りになられた訳です。

だから雅春先生は日本を「真理国家」とお呼びになり、神様の実相世界に示された構図と同じ、天皇様に中心帰一した「神国」の真姿を顕現されようと努力されたのです。この「真理国家」日本は、最終的には世界を救いうる唯一つの国家であります(このことに関しては、別途項を設けて説明します)。いまだその「真理国家」としての真姿は顕現していませんが、その顕現運動の中核を担うのが「生長の家」教団の使命でありました。だからこそ、そうしたことを外国の悪神(実態は悪魔ですが)が懸命に邪魔しようとし、その標的にされたのが教団の「鬼子」である自称「総裁」のマサノブ氏なのです。

どちらかといえば難解な唯神実相哲学およびその中核的な教えを、もっと大衆化しようとしたかったのかも知れませんが、清超先生になってから神様の意向に逆らって「縦の真理」を余り説かないで、「横の真理」ばかり説くようになりました。私は、ここが間違いの根本であったと考えています。

たとえ世間から「右翼教団」とか「反動」と、いかに罵られようと、自分の思想、信条に如何に合わなかろうと、いやしくも「生長の家」総裁であるならば、神様がお示しになった「教え」は、その通りに伝えてゆくしかありません。宗教団体が神様の意向に逆らって栄えるはずもないのです。「縦の真理」を説かず、「真理国家」日本の実相をも説かないため、教団を守る高級神霊の助力が無くなり、教団の「生命力」が無くなりました。それが「生長の家」の愛国路線を逆方向に走らせ、結果として教団衰退の原因を作ることにもなったのです。そしてその最悪の結果として、鬼子のマサノブ「反日」総裁を誕生、暗躍させるに至るのであります。

「総裁」と称しながら、敢えて「生長の家」の主宰神である「みおや神」について説明しない、あるいはそのことが「嫌だ」と言うのであれば、それは神様に対する冒瀆であり信徒に対する裏切り行為であります。何度も言いますように、そんな総裁ならキッパリ辞任した方がいいし、辞任すべきであると考えます。

マサノブ教批判I (864)
日時:2013年04月21日 (日) 14時32分
名前:サーチャー

マサノブ教批判I (7800)   日時:2013年04月21日 (日) 10時26分
名前:中村晃生

<根っからの「反日」であるマサノブ氏には、もともと「生長の家」総裁を名乗る資格は無い>


マサノブ氏が、「生長の家」の総裁となりえているのは、彼が雅春先生の孫であるというただ一点に存するだけであります。しかも、先生の孫は他に何人もおられます。必ずしも彼である必要性も必然性もありません。それよりも大事なことは――信仰者として「生長の家の大神」をキチンと崇めているのか。また谷口雅春先生の教えに忠実であるのか――の2点なのです。しかし、マサノブ氏はいずれの点でも失格者であり、総裁を名乗る資格が元々ないのです。

だからこそ訳の分からない「人間と自然の大調和」などという雅春先生の教えとは縁もゆかりもない概念を、教団内に持ち込むのであります。そして遂には暴走し、自分で考え出した独自の教団に変容させようと考えるにまで至るのです。それもこれも「神を畏れる」ことを知らない無信仰者だからこそ、「神をも畏れぬ所業」を平気で行うのであります。他の宗教団体ではとても考えられないことであり、いかにこの教団がどうしようもない段階に至っているのかの証拠でもあります。

何故こうなったのか――それは、二代目の清超先生が人選を誤ったことは明らかでありますが、それ以上に問題だったのは、後継者を選ぶ前に「生長の家」がいかなる教団なのか、その原則論をキチンして置かなかったことであります。つまり、各教団には、その性格なり規範なり、絶対に乗り越えてはならない「一線」がある訳で、それをあらかじめキチンと明記していないからこそ、マサノブ氏のような「不心得者」が出現するのです。まあ過去のことを言っても仕方ありません。しかし、この際、今後のためにも、そうした「一線」は何なのかを改めて考究してみたいと思います。


先ずは最大のポイントは、前回の論稿で申し上げた「生長の家の主宰神」に関してであります。私たちが「心の中で幽斎」すべき主宰神として谷口雅春先生は、(幽之幽たる)天之御中主神――(幽之顕たる)天照大御神――(顕之顕たる)現人神の天皇――を、挙げておられます。つまり、究極的には「生長の家」は「天皇信仰」なのでありますが、実は雅春先生はそのことを明示されているのであります。ある意味で、これが「生長の家」の最も重要な原則であり、ここを踏み外しては絶対にならないのです。

「神の真義とその理解」の本の中で、先生はわざわざ章に見出しをつけて「天皇信仰に帰一せしめる生長の家」(P120)、「生長の家は“天皇信仰”の教え」(P157)とハッキリお示しなさっているのです。

>そして生長の家のもう一つ独特なものは、生長の家は日本的宗教であるということである。日本的宗教というと狭いようだけれども日本的宗教だから広いのである。というのは、日本建国の理想が「六合を兼ねて都を開き八紘を宇(いえ)となさん」と仰せられた神武天皇の世界連邦構図に日本的というものが決して偏狭なものでないことが表現されているのである。六合とは天地四方で、あらゆる方角の世界各国を意味する。世界各国にはそれぞれ都がある。その都を兼ねて、世界各国を一つの宇(いえ)即ち家庭とならしめる。その家庭が世界連邦であり、そこにすべての国々の都はありながら、兼ねて連邦の中心たる都が出来るというのが神武天皇即位の詔勅にある建国の理想なのであります。

天之御中主神、天照大御神、ニニギノミコト、神武天皇――その幽の幽なる神、幽の神、幽の顕なる神、そして顕の神――こういうように顕れられて、それがこのキリスト教の主の祈りの「天にまします我らの父よ、御名をあ崇めしめ給え。御国を来らしめ給え。みこころの天になるが如く地にもならせ給え」とありますが、キリスト教の人は「みこころの天になるが如く地にもならせ給え」と祈るけれども、天に神意がどのようになっているのか、漠然として解らない。けれども“天”というのは、雲の浮いているお空のことではなく、“実相世界”であって、“実相世界”は神一元であって、その中心座に神様がおられて、もろもろの生きとし生けるもの、ありとしあらゆるものが一つの神なる中心に帰一している世界であります。これが「みこころの天になる世界」すなわち実相世界、実在世界であるわけで、決して「みこころの天になる世界」には、多元的中心があるんじゃなくって唯一の中心があって、一切の生命が、そしてありとしあらゆるものが一つの中心に統一して秩序整然と、たとえば我々の身体が一つの中枢に統一されて、すべての生理作用が中心に帰一して内臓はおのおの役割によって形がちがい、作用はちがうけれども、すべて異なりながら、その一つの中心意思に統一されて、秩序整然とわれわれの人体が健康の営みをしているように、実相世界もそうなっている。その「みこころの天になるが如く地にもならせ給え」というのは、やっぱり地上にも天界におけるが如く、一君万民、一つの神の王がましまして、そしてすべての人間が、ちょうど人体のすべての細胞がおのおのところを得て、おのおの天分、役割に従って、おのおの個性を発揮しながら、しかも他と衝突することなしに、調和した姿において完全に生理作用が行われているようになるのが、すなわち「主の祈り」においてイエスが祈られた如く「みこころの天になるが如く地になる」のであります。

その一つの神の王様が実相世界の中心にましますように、地上の国家群においても、その姿が顕れなければ、世界に本当の平和は来ない。その一君万民の理想的模範的な国家存在として、天照大御神がおっしゃったように、「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂国(みずほのくに)は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しくなんじ皇孫(すめみま)ゆきて治(しら)せ。さきくませ宝租(あまつひつぎ)の隆(さまえ)まさむこと、まさに天壌(あめつち)と無窮(きわまりな)かるべし」と仰せられた。その姿がつまり、みこころの天になる理想の姿である。そして、この天孫降臨の御神勅によって、その理想が天降って来た。そしてそこに現実の中心国家というのができたのが日本の国である。

だから日本は“大日本真理国家”である。ここに祭りと政事(まつりごと)が一つである国家がある。その実相は今失われて、祭政分離になっているのが天之岩戸隠れである。本来“マツリ”というのは、“真釣り”であり、“誠に釣合う”ということであります。誠に釣合うというのは、天になる世界とそれから現象世界とが、天秤が左右どちらにも傾かないで、同じ目方で真直ぐに天秤のさおがなっているように、神の国にある通りの姿がそのままに歪まずに地上の政治に顕現することであります。この真理の最初の中心模型として、日本の国があらわれているわけであります。この日本を模型として、実相そのままの中心に帰一して調和した姿が全世界に拡がるとき初めて、「みこころの天になる世界が如く地にもならせ給え」というキリストの祈りが、成就したということになるわけであります。

かくの如くして日本の国体は、結局神の国にあるところのその姿が、地上に種植えられて、そして芽を出して、今はまだ完全に現れていないで、双葉みたいなもの、あるいは蕾が開きかけているというような姿であると言ってもいいのであります。<

と、懇切丁寧に説明下さっております。ここは「生長の家」の教えの真髄でありますので、敢えて長く引用させて頂きました。この解説を読めば、「反日」総裁のマサノブ氏が、この大事な本を絶版にした理由も判然とするではありませんか!


宇宙が「金波羅華の実相世界では、中心帰一の姿をしている」というのは、別にマサノブ氏の「自然と人間の調和」のように、雅春先生が勝手に頭の中で想像して作り上げてものではありません。先生がお悟りになられた時に「宇宙の理念」としてお分かりになられたものであります。それが現象世界では日本国と天皇様に体現されているのです。ですから「生長の家」では、「天皇信仰」は、ある意味で根本中の根本の原則なのであります。しかし、雅春先生がお亡くなりになられて以降、このことは余り説かれないようになりました。

ここが間違いの根本でありました。しかし、この根本の原則が清超先生になって余り言われなくなったことに加え、マサノブ氏が、実権を握ってからこうした内容の雅春先生の書物を次から次へと「発禁」処分にしたため、今ではさほど多くの人間がこの大事な原則のことを知りません。ましてや最近の「ニュー信徒」には全く知らされておりません。

これが勝手に教えの原則そのものを次々と変更して、平気でいる「鬼子」マサノブ総裁とマサノブ教を現出したのであります。しかし、本来が「天皇信仰」の教団にあって「反日」思想の総裁が君臨すること自体が、あり得ないことで、もともと彼には「生長の家」の「総裁」など名乗る資格は無いのです。


また大事なことは、この主宰神と合わせて、「生長の家のご本尊」の「住吉大神」が「真理国家日本」を守護するため実相世界(=龍宮世界)からわざわざ出てこられた神様であるという事実でです。それは谷口先生が立教時にお会いされた神様が、

>空中にそういう白髪の裾まで神々しい衣を垂れたところの神様が出てこられたのであります。この時私はこの神様と問答したのでありますが、この神様は「タチバナのオドの尽十方むげ光、光明遍照の実相世界にいる神」と、おおされました< と書かれていることから分かります。

「住吉大神」は、現象世界に積極的にご自身の姿を現される珍しい神様であらせられます。私もお姿こそ拝見していませんが、数多くの「恩寵」を頂いております。私たちが困っている時、積極的に助けを求めれば、それにお応え頂ける有り難い神様でもあるのです。しかし、それだけに我々の側も、キチンと奉斎して行く必要があります。決してマサノブ氏のように、あだ疎かにしてはならないのです。

したがってマサノブ氏の「反日・反国家」的な態度は、それだけで主宰神、ご本尊のいずれから見ても、「総裁失格」に当たるのです。

マサノブ教批判J (878)
日時:2013年04月23日 (火) 20時16分
名前:サーチャー

マサノブ教批判J (7846)   日時:2013年04月23日 (火) 16時39分
名前:中村晃生

<「生長の家」のご本尊である住吉大神の絶大なる御神威の力を知れ!>


マサノブ氏が、余りにも「生長の家」の大神である「住吉大神」をないがしろにしており、信仰の本質を理解していないため、私が、個人的に体験した「住吉大神」のご神威に関して皆さまに少しご報告申し上げ、「生長の家の大神」の信仰の一助にして頂きたいと思います。実際には、「住吉大神」は絶大な力を発揮される神様であられ、誠心誠意信仰すれば、その役割、立場に応じて必ず「恩寵」を与えてくださります。なお私が体験したことは、個人の与えられた役目の問題もありましょうが、どなたであっても体験し得ることであると確信しております。

私は、ご縁がありまして昭和58年、38歳の時に福岡県大川市の市長になりました。当時は日本で2番目に若い市長であり、関西以西では最も若い市長でした。もともと私の本籍が大川市であったことがご縁となったのですが、その当時私は、田中六助衆議院議員の秘書をしており、地元の陳情などを処理して上げていたことなどで、「六助先生の所にうちの出身者がいる」ということが評判になり、来るべき市長選挙の候補者として担ぎ上げられたと言う次第でした。実際には私は家族と共に子供の頃から東京に出てきていたため、言うなれば、地元のことをあまり知らない「落下傘候補者」であった訳です。

当時の現職市長は、市役所の生え抜きであり、実力者でもありました。背後には暴力団の影が噂され、市民からは恐れられた人物でもありました。そんな事情は全く知らずに、「郷里の困っている人たちを助けよう」との心意気一つでこの選挙に飛び込んだのですが、選挙自体は大いに盛り上がり最終的には、市が真っ二つに分裂する国政選挙並の大選挙になりました。

右も左も分からない大川市内を、ひたすら歩いて戸別訪問をしてあいさつ回りをする中で、私が信仰する「生長の家大神」、「住吉大神」のご存在、ご助力を感じたのはこの時です。大川市には、市中心部に「風浪宮」という古社があります。実は、神功皇后が三韓征伐をされた帰途、暴風雨に会い、船団はバラバラになりながらも何とか本土に戻り、初上陸したのが大川市であったという伝説があります。皇后が上陸されたその時、その地点から白鷺が飛び立ち、皇后は「あれはワダツミノカミの化身である」として、アズミノイソラマロという武将に、後をつけさせます。白鷺は3キロほど飛んで、楠木の上に止まり、そこをワタツミノカミ、すなわち住吉大神をお祭りする神社にした次第なのです。

このような奇縁でもって私は、信仰していた「住吉大神」と巡り会いました。市長選挙に臨み、最初は私は選挙事務所の場所を探しあぐねていました。というのも実力者であった現職の市長が、選挙事務所になりそうな空き地をことごとく自分の方で押さえてしまい「中村の借り賃の倍出すから彼には貸すな」と、土地の所有者に圧力を掛けていたからです。それでも1ヶ所だけ最適な空き地が見つかり、私はそこにプレハブ作りの事務所を立てることが出来たのです。

そして、その事務所が立った時、私は「これでこの選挙は勝った」という不思議な安堵感を感じたことを覚えています。それも、その空き地がちょうど神社と市役所を結ぶ三角形の頂点に位置していたためで、「住吉大神が神社と市役所をむすんでくれている」との感覚がしたためであります。

事前の大方の予想を覆して、選挙は「奇跡的」に私の地すべり的な大勝利でした。市長に就任して役所に通勤するようになると、私は毎朝、風浪宮に参拝することを日課としました。市長になったのが5月で、ちょうど田植えのシーズンでした。そのシーズン中にある部落の農家の皆さんが多数陳情に押しかけたのです。農家の皆さんの話では、「もう30日近くも雨が降っておらず、田植えが出来ないで困っている」とのことでした。その地域は、大川市内でも筑後川の最下流域にあり、雨が降らないため水不足で田植えができないというのです。陳情は、市の力で井戸を掘って欲しいと言うものでした。もちろん快諾したのですが、でもそうは言ってもやはり井戸掘りは直ぐ出来る訳でありません。その間に田植えの時期を逸することもありえます。

いろいろと考えてみた私は、大川市の守り神である風浪宮の神様に雨を降らして頂けるように頼みに行くことに決めました。もちろん、100%の自信があったわけではありません。しかし、「絶対に勝ち目はない」と言われていた私を、勝利に導いていただいたほどの力のある大神様です。しかも竜神様であり、天候を左右される神様でもあります。あるいは、何とか願いを叶えて頂けるかもしれないと、一縷の望みを託していたのです。その日の夕方、仕事を終えた私は、帰途に神社に立ち寄り「降雨」の祈願をしたのです。奇跡は、その日の晩に起きました。30日間も降らなかった待望の雨が、「ザー」と音を立てて肺然として市内に降り注いだのです。もちろん水不足の問題は直ちに解決しました。

こうした出来事が、一回限りしか起きなかったら、私も「単なる偶然だったかな」ということで終わっていたと思います。しかし、私が雨降りの祈願に神社に向かうと、必ずその日の夜か翌朝には雨が降るのです。それが私が市長をしていた5年間に5,6回起きました。こうなるともう「偶然」とは言えなくなります。これは「住吉大神」の信仰者であった私と、大神様との間に何らかの「黙契」があると思わざるを得ません。つまり、大神様はハッキリとおっしゃらないが、私との間に「我祈れば天地応える」状態が出来上がったと、感じるに至ったのであります。またそのような大神の「恩寵」に深く感謝を申し上げ、ますます私は信仰を深めるようになりました。

ある時は、こんなことがありました。その日、台風が北上して大川市に近づいていました。私は市長室に座ってテレビで台風の進路を心配しながら見守っていたのですが、どうもテレビの報道では大川市を直撃しそうな気配なのです。有明海を真っ直ぐに大川市に向かって北上するテレビ画面の報道に、「このままでは市が直撃を受ける」と感じた私は、思い余って神様にお願いに行くことにしました。雨の中を拝殿にぬかずいて私は、大神様に「台風の進路を変えて下さい」と、無謀なことを頼み込んだのであります。すると、その直後に何と台風は、大川市の直前で進路を「左に直角」に変更(通常台風は右に曲線を描いて本州方面に動くのですが)、韓国方面に向かったのでした。これには祈った方の私も、ビックリ魂消てしまいました。大神様は私の「無理な願い」を聞き届けて下さったのです。

もっと大きなご神慮を頂いたのが、筑後川で行われた防災訓練での出来事でした。実は昭和26年に筑後川は大雨で大氾濫を起こします。特に久留米市周辺で堤防が何ヶ所も決壊し、数百人が死亡する大惨事となりました。そんなことの教訓で、福岡県ではその後は毎年、筑後川流域の自治体で交代で大規模な防災訓練が行われています。この年は大川市で訓練が行われることになり、その日は県知事以下の要人を含め、市民2千人が参加する予定となっていました。

しかし、当日はあいにく福岡県全域が「朝から雨」の天気予報でした。早朝、心配しながら起きてみると案の定、外はシトシトと雨が降っていました。この頃になると大神との関係に大分自信を持ち始めていた私は、早速雨の中、風浪宮に向かいました。そして大神様に「どうか天気にして下さい」と、またムリなお願いを祈ったのです。大会の開会は、御前10時から予定されていました。でも8時ごろになると雨脚は次第に弱くなりポツポツとなって、大会が開始される頃には何と完全に止んで、上空には青空が広がりはじめました!心の中で大神様に感謝申し上げたことは、言うまでもありません。

防災大会は、大盛況で素晴らしい大会となりました。正午に大会を無事終えて、その後は県庁から来て頂いた来賓の皆様方と「なおらい」の会食に入ったのです。その時、県知事に同行してきた秘書課長が、私のところにやって来て、「しかし、市長さん、世の中には不思議なことがあるものですね」と真剣な表情で言うのです。どうしたのか尋ねると、「イヤ、実は今日は県内全域雨の予報で、私たちが福岡市の県庁を出た時も雨が降っていました。でも1時間半ほど南下して大川市の手前まで来ると、何と大川市の上空だけポッカリ穴が開いたように雨雲が無く、青空になっていたのです」と首を傾げて話すのです。私は、下界の大川市にいたので県内の他の都市の状況まで知る由もありませんでした。都合良く雨が上がってくれて良かったとしか思っていなかったのです。しかし、課長の話を聞いて、初めてこの天気は、私の祈りに応えて、大神様が「特別に」ご配慮頂いたものだと分かったのです。

大神様の、御神威はかくのごとく強大であります。特にその団体、あるいは組織の長が「住吉大神」を信仰していれば、必ずや力をお貸し頂けるのです。私は、自分がこのような奇跡的な体験を何度も経験しているからこそ、マサノブ氏が新潟の講習会の前日に大地震に出会ったり、昨年8月の「大自然賛歌経」の発表日に、宇治別格本山の大講堂に落雷が直撃するような事件が起きるということは――マサノブ氏が「住吉大神」を信仰していない。逆に大神がお怒りになられている――「証拠である」と自信を以って断言し、厳しく糾弾する理由なのです。

我々が谷口雅春先生をお慕い申し上げ、「生長の家」の信仰をしているということは、取りも直さず「生長の家の大神」である「住吉大神」の信仰者であるということであります。神様に対する信心は、誠心誠意行わなければなりません。大神の御神威を畏れ、そのご配慮、恩寵に絶えず感謝する気持ちが大事なのです。

マサノブ教批判K (890)
日時:2013年04月25日 (木) 10時12分
名前:サーチャー

マサノブ教批判K (7907)   日時:2013年04月25日 (木) 09時27分
名前:中村晃生

<住吉大神への信仰の帰趨は、絶対的な帰依心如何にかかっている>


住吉大神を執拗に隠し続けるマサノブ教(実際にはマサノブ氏がそうしているのですが)は、信仰そのものの本質が全く分かっていないと言わざるをえません。信仰は、そのご本尊に徹底して「帰依する」ことによって始まるのであります。それだからこそ大神様の方も、こちらの誠心に感応して、恩寵を与えて下さり「奇跡」も起きるのです。その「ご本尊」を尊重することをせずして、一体何をやるつもりなんでしょう?

先にも言いましたように「生長の家」の「ご本尊」は、あくまでも「住吉大神」であります。決して「観世音菩薩」ではないのです。

これは私の信仰の先輩から聞いた話ですが、ある事情があって、かつて谷口先生のおそばに仕えていたその先輩が、教団を離れなければならなくなり、谷口雅春先生においとまを頂きにご挨拶に伺ったそうであります。その時、谷口先生はその先輩に「ところで君は、大神との約束はどうするのか?」と、尋ねられたということです。

先生のされたこの問いかけの持つ意味合いは、実に大きいと思うのです。つまり、それが一面、「信仰の真髄」を突いていると思えるからです――我々が、「生長の家」の信仰に触れて入信したということは、取りも直さず「生長の家の大神」つまり「住吉大神」との間の「結縁」が生じたということであります。その「ご縁」によって私たちは(各人違いますが)、人生のさまざまな難問を乗り越えることも出来たと思うのです。その意味で、私たちは、護国の大神としての「住吉大神」との一生涯の「ご縁」が出来た訳で、谷口雅春先生のおっしゃる「大神との約束」も――その人によって内容は違うと思いますが、私たちが担うべき「天皇国日本の実相顕現」の使命の中での、私たちの役割をどのように果たすのか――という先生の私たちへの問いかけであるとも考えられます。もちろんその問いに対する「答え」も人によって変わると思います。

ただ要は、私たちがそうした各人の役割に、どのように誠実に応えるかに掛かっているのです。私たちが、いずれ霊界に移行する時に、霊界で先生に「よく頑張ったな」と、喜んで頂けるように、皆さん共々、一層の努力をして行きたいものです。


谷口雅春先生は、一生涯を通して亡くなるまで徹頭徹尾、大神様に対して真心を以って対応されていました。それはご著書の中にも書き表されています。亡くなる直前の自筆の署名と写真が掲載されている谷口雅春著作集第4巻の「実相と現象」(絶版にされた書物の一つ)の本の「はしがき」には、こう記されています。

>私はかつて『神 真理を告げ給う』と題する本を著した。それは私の名を冠してはあるが、決して私の本ではなかった。それは神が私の二度目の海外巡錫の講話の内容につき、暁方の夢うつつの如き目覚めの心境において、“真理をかく語れ”と導き給うた内容であった。私はそれを筆記したのではない。唯、繰返し告げ給うた言葉を記憶によって再現して、文章に表現したのであった。従って、文中にある“わたし”は“神”御自身のことであり、私、谷口のことではない。神が谷口を通して告げ給う真理の精髄を、ひたすら忠実に文章に再現したものである・・(中略)・・この“わたし”は勿論、言うまでもなく神である。このような文章――神の言(ことば)に接するたびに、私は畏れ平伏するのである。そして図り知れない神のはからい、摂理、お導きに、谷口は十二分にお応えし得たであろうか、この九十余年の生を以っていささかの悔いることなく尽し得たであろうか、と魂の打ちふるえるのを覚えるのである。そして谷口に賜った神々の大いなる恩寵に、ただただ感謝合掌、悦びが、悦びの波紋が見渡す限り拡がる様を、心眼に拝するのである<

とあります。私たちの尊師はこのように誠心誠意、神様に接し、仕えて来られました。私たち弟子も、同様に仕える必要があると、私は考えております。


しかるにマサノブ教は、仕えるどころか何と住吉大神そのものを隠蔽しようとしているのです!

大神の意思に背いて「鎮護国家」を外しただけでも、大神様の怒りを買っているはずです。さらに、その大神を「ご本尊」の座から引きずりおろし、「観世音菩薩」が「ご本尊」であると強弁しているのです!これほど大きな罪があるでしょうか。それとも大神の怒りなど、何とも思っていないのでしょうか?だとすれば、もはやこの教団は、信仰の何たるかを何も知らない、神を冒涜して恬淡としている「素人集団」の集まりとなってしまった(また実際にそうなのでしょう)ということになります。これでは信仰集団には到底なりえません。また大神の怒りをそのままにして、信仰が成立するはずもありません。


これは私の想像ですが、おそらくマサノブ氏は、「生長の家」で本来教えている形での神想観もしていない、と思います――というのも、「生長の家の神想観」では、必ず住吉大神が登場し、宇宙および私たちを浄化される祈りをするからです。住吉大神の意向に反して「鎮護国家」を勝手に外したマサノブ氏は、どんな顔で住吉大神に相対できるでしょうか?

そう考えた時に、「観世音菩薩賛歌」の偽経を作り、そのお経の中に「南無観世音菩薩」とマサノブ氏がわざわざ書いている理由も見えてきます。やはり彼の心の中で大神に対する「罪の意識」があり、それで敢えて「観世音菩薩」への帰依を宣言している訳です。しかし、こんな形だけの帰依で「観世音菩薩の加護」があるはずもありません。これでは完全に神仏をバカにしています。そんないい加減なことで神仏が動くと考えていれば大間違いです。ここにマサノブ氏が、本物の信仰をしていない、宗教のことを何も勉強していない、その本質を全く知らない「ド素人ぶり」が露呈しているのです。

「何をやっても、言っても『生長の家』では罰も何も当たらない(実際には、それは第一義の神のことで、第二義の神、つまり応現神のことではないのですが)」と、タカをくくっているマサノブ氏は、大神を軽んじることで、いずれは高い代償を払うことになるでありましょう。それは神が罰を下すということよりも、「業の流転」という形でやってくると思います。いわば「自業自得」ということです。そしてその時には、「観世音菩薩」を含め、誰も助ける存在は現れないでしょう。その時に、いくら泣き叫んでも、もう遅いのです。信仰とはそれほど峻厳なものでもあるのです。

マサノブ教批判L (945)
日時:2013年05月01日 (水) 18時33分
名前:サーチャー

マサノブ教批判L (8086)   日時:2013年05月01日 (水) 17時18分
名前:中村晃生

<単なる「入り口宗教」となってしまったマサノブ教>(この講終わり)


「生長の家ってどんな教え?」の本は、我々に今後のマサノブ教が辿るであろう運命に関して、多くのことを教えてくれます。ある意味で、実に面白い本とも言えるのです(笑)。

何が面白いのかと言えば、彼は必死になって自分が理解できた範囲内の谷口先生の「真理」――人間「神の子」、実相と現象、唯心所現など――を、絵入りで分かりやすく解説しようとしているのですが、何しろご本人が信仰的な体験を持っておらず、実際の人々の苦悩を「真理」によって解決した経験も持っていないために、どこまで行ってもその解説が、「入り口」のほんの表面的なものに終わってしまっているということです。

この点は清超先生の方が、体験談を中心として真理を解説するスタイルを取っていたため、まだ「実生活に即した」話でありました。しかし、マサノブ総裁になってからは、八ヶ岳教団ではほとんど体験らしい体験も出てこなくなり、したがって彼の話も体験談は一切なしの表面的な「理論」だけの話にならざるを得ないのです。

その結果として、話そのものに暖かみも感動もありません。実生活にどのように「真理」を生かせばいいのかのヒントすらありません。これでは単なる「生長の家」の入り口の理論的な説明に過ぎず、おそらくは聞いている人たちも「分かったような分からないような」気持ちで帰るだけなのではないでしょうか?

谷口雅春先生は、良く盲目の人が象の一部分だけを触って、象とはいかなるものかをそれぞれ違った形に判断する例え話――それでは全体相を掴めない――をされていましたが、マサノブ氏の「生長の家ってどんな教え?」の本でマサノブ氏は、自分の好みに合った本来の「生長の家の教え」のほんの一部分、しかもその「入り口」だけしか採り上げていません。これでは、とても「生長の家」の教えを解説したことにはなりません。その意味では、この本の内容は「本当の生長の家ではない」と言わざるをえないのです。

谷口先生は、他の宗教と異なる「生長の家の特色」として、かつて12点の特色を挙げられたことがあります。ところがこの本では、そのうちわずか数点を挙げて、しかもその「さわりだけ」を説明しているに過ぎないのです。したがって、この本の内容そのものには余り論じる価値がありません。間違いとは言いませんが、単なる「さわり」だけではほとんど意味がないのです。

マサノブ氏は、一貫して「生命の実相」を始めとした谷口雅春先生の主要な著書とその正統な教えを、人々の目に触れさせないように企んできました。今やその罰が当たったと言わなければなりません。自らが引き起こした裁判で、正式に「生命の実相」と「甘露の法雨」は、社会福祉事業団の帰属になりました。教団側は、諦めきれないのか(それとも時間稼ぎのためか)さらに裁判を最高裁にまで持ち込んでいますが、いったん下級審でダメと判定されたものが、新たな証拠もなしに上級審で引っくり返るはずもありません。所詮は見え透いた、ムダな努力なのです。ですから最高裁で同じくダメと判定されるのも、時間の問題でしょう。

やはり「生長の家」を名乗るためには、教えの全てが記載されている根本経典である「生命の実相」40冊と、聖経「甘露の法雨」が、「車の両輪」として絶対に必要なので、それ以外のことを教える教団は、「偽教団」であり「生長の家」を名乗る資格は本来無いのです。

マサノブ教では、この本に書いてあるとおり、「御教え」の数項目に関してのほんの「入り口」の解説しか、今後も出来ないでしょう。つまりは「入り口」教団と化してしまった訳です。

「では、入り口の先は、どこで教えているの?」と、探求したい人々は、本流の教えを説いている「学ぶ会に来るしかないでしょう!」ということであります。つまり、マサノブ教は、「学ぶ会」に人々が導かれて来る「入り口」の宗教としての役割を、今後は果たすことになるのです。



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