生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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< 緊急特報 > 「七つの燈台」を捨て、「七層の石塔へ」!――ここまでやるか、狡知の雅宣(自称)総裁!! (722)
日時:2013年04月06日 (土) 23時39分
名前:画龍点睛


合掌、ありがとうございます。
本日発表された4月6日の「唐松模様」の記事には激しき義憤と公憤を憶えるものであります。雅宣(自称)総裁は遂に開祖・谷口雅春先生の『御教え』を更に否定し、「生長の家」という看板はそのままにして中身を完全に「雅宣教」としてゆく第三弾を放ったのであります。先ずは、雅宣ブログ「唐松模様」の要点を次に転載いたします。



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「唐松模様」4月 6日 (土) 七層の石塔について (2)  (要旨)

<< ・・・4月3日の会議で決まった。正式名称を「七重塔(しちじゅうのとう)」と言い、毎年、7月7日の万教包容の神示の日に、オフィス敷地内にできる「万教包容の広場」に1基ずつ増設し、その際、万教帰一の教えによる世界平和の実現を誓願する「万教包容の御祭」を行うことになった。・・・ 七重塔の最下層には、聖経『甘露の法雨』のほか『大自然讃歌』と『観世音菩薩讃歌』の経本を収めることになった。・・・実相世界の荘厳を地上に顕現させる−−そういう役割をもった如意宝珠をいただいた運動であるということを表現したのである。 この点については、『法華経』見宝塔品のクライマックスの解説で、谷口雅春先生は次のように、如意宝珠と多宝塔との関係を説かれている−−(『法華経解釈』、p.357)・・・仏教の伝統では、多宝塔は基本的に2層構造であるが、生長の家では「七つの燈台」との関係で7層構造を採用している・・・七重塔のもう1つの構造的特徴は、中心部に垂直方向に鉄筋が貫いていることで、これは「多様性を中心にまとめる」という中心帰一・万物調和の理念の象徴としてとらえられる。また、この「7」という数字は「完成」や「すべて」を表現していることから、生長の家の七重塔は、「完全円満」な「すべての存在」を包蔵する実相世界を様々な角度から表現する“象徴”としての役割を担うことになった。この役割は“7つの象徴”として次のような7項目にまとめられた−− ➀万教帰一(七つの宗教)  A国際平和(七つの大陸)  B多様な民族の調和(七つの民族)  C多様な文化の調和(七つの文化)  D世代間の調和(七つの世代)  E生物間の調和(七つの生命)  F拠点・組織間の調和と発展(七つの拠点)  このような“古くて新しいシンボル”ができたことで、私たちの運動が今後、さらに飛躍的に進展することが期待されるのである。>>  谷口雅宣



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( 講評 )


< 狡知そのもの――「雅宣」戦略! >


@ 「七層の石塔」建設は、本来の『御教え』否定そして「雅宣教」確立への信徒洗脳第三弾である。

実に雅宣(自称)総裁はの狡知に長けた知恵には恐れ入るのであります。彼は一挙に変革を打ち出して信徒の反感を買う戦略は決して採らない。催眠術をかける時と同じく、信徒を徐々に徐々に過去を否定して自己の欲する状態へと洗脳していくのであります。昨年11月の生長の家秋季大祭で、総本山の「七つの燈台」建立の真義を<自然と人間の大調和を祈る「燈台」>という意味であると解説し、その流れの上に立って今年の1月29日の拡大最高首脳者会議で平成25・26年度運動方針を決定、それを2月27日の全国代表者会議で発表徹底し、自然と共に延びる運動の宗教的実際化として新たに二つの祭りが追加された。それは「神・自然・人間大調和祭」(3月11日)と「自然の恵みに感謝する収穫祭」(10月28日)であります。これ等の布石の上に立って4月3日の森のオフィスの中へ「七層の石塔」を建設することの決定発表であります。


A 開祖・谷口雅春先生の『御教え』を否定、そして「雅宣教」を確立する信徒洗脳第一弾は、

聖経『甘露の法雨』から新経本「大自然讃歌」・「観世音菩薩讃歌」への徐々なる切り替えであります。一挙に『甘露の法雨』を捨てないで、“補強するもの”とまず説明する、そして“新経本”として一段格上げして全国で『甘露の法雨』と共に必ず諸行事における読誦奨励運動を指示する。さらに、千葉教区では新教化部長就任に際しては「大自然讃歌」で迎える?というようにさらに一段前進させる。おそらく最高裁の上告棄却の判断が示されると、ニュー信徒が『甘露の法雨』を入手できないという理由等をつけて、それに代わるものとして二つの新経本を“自然とともに伸びる”「雅宣教」の聖経に格上げすると思われます。


B 本来の『御教え』否定、そして「雅宣教」を確立する信徒洗脳第二弾は、

いうまでもなく聖典『生命の實相』に代わるものとしての新聖典の執筆であります。『小閑雑感』や『唐松模様』の名前は“聖典”とするには不適切、おそらく『新・生命の實相』か『神と自然の實相』というような表題で雅宣(自称)総裁は自ら“新聖典”(全10巻位)を執筆する算段だと思われるのであります。そこへの導入として昨年11月に『生長の家ってどんな教え?』を“雅宣教”入門書の様な形で出版したのであります。表題は“生長の家って?”となっておりますが、内容は違っています。ニュー信徒・ニュー講師の皆さんだまされてはなりませんぞ! この本には、開祖・谷口雅春先生が説かれた『生長の家』地上出現の二大使命が完全に放棄されているのであります。一つは「病悩苦からの体験談・先祖供養・霊界」を無視していること、もう一つは「生命的国家論および日本精神」を完全無視していることであります。だから「雅宣教」なのであります。だから実際は『雅宣教ってどんな教え?』がこの本の正しいタイトルであります。雅宣(自称)総裁の巧みな蛇の知恵による催眠術にかかってはならないのであります。


C そして、第三弾は今回発表の「七層の石塔」建設でありますが、これは明らかに総本山にある『七つの燈台』を放棄し、『七つの石塔』に置き換える雅宣(自称)総裁の戦術(悪辣なたくらみ)であります。「鎮護国家」を外して「世界平和」へ変更したときにすでにこのことは雅宣(自称)総裁の頭の中では完成されていた戦略なのであります。


総本山の『七つの燈台』とは――

➀ 天孫降臨皇御國成就燈  A伊邪那岐文化成就燈  B伊邪那美文明成就燈  C三界萬靈悉皆實相開顯成佛燈  D地上天國世界連邦成就燈  E萬物一元萬教歸一成就燈  F君民一體地上天國成就燈


「森のオフィス」の『七層の石塔』とは――

➀万教帰一(七つの宗教)  A国際平和(七つの大陸)  B多様な民族の調和(七つの民族)  C多様な文化の調和(七つの文化)  D世代間の調和(七つの世代)  E生物間の調和(七つの生命)  F拠点・組織間の調和と発展(七つの拠点)
 

総本山の『七つの燈台』と「森のオフィス」の『七層の石塔』とを比較して見ますと、開祖・谷口雅春先生の説かれた<神が日本国家と日本民族とをこの地上世界に出現せしめられた真義>が『七層の石塔』では何も語られていないと云う事であります。雅宣(自称)総裁の<国家民族意識を超えた世界平和と自然との共生>という左翼思想と同様の個人的価値観が象徴化されたものが『七層の石塔』であります。雅宣(自称)総裁が「森のオフィス」の『七層の石塔』を作ることを決定した真の目的は、どうしても総本山の『七つの燈台』を信徒の意識から消して行きたいのであります。同時に開祖・谷口雅春先生のお造りになったものを着実に一つづつこの世から消して行きたいのであります。ここに於いても雅宣(自称)総裁は、開祖・谷口雅春先生の『法華経解釈』、p.357をたくみに引用して如意宝珠と多宝塔との関係を説明することによって信徒の感ずる違和感を巧みに反らし無意識的洗脳を施しているのであります。


D 雅宣(自称)総裁の『七層の石塔』の名前と内容の解説を読んでみましても、宗教的情熱などはわいてこないのであります。「人類の病悩苦からの解放」と「日本國實相顕現」という言霊の響きがなくなり青年会運動から情熱が消え壊滅の結果を招来したように、このような閑人の白昼夢のような「国際平和」と「自然との調和」という言葉からは宗教的情熱は湧いてこないのであり、信徒離れは益々加速されていきます。第一に“燈台”という言葉は“光り”を連想しますが,“石塔”からは“冷たさ、寂しさ、無言”といった言葉しか連想できないのであります。益々教勢低下に拍車が掛かるばかりであります。彼は「言霊」の力を無視しているのであります。いや、逆に縮小均衡を加速させて行っているといった方が当っているでしょう。


E このように、雅宣(自称)総裁は、開祖・谷口雅春先生の息の掛かったものは全部一つ一つ着実に消して行くのであります。その代わり、チャッカリと蓄積された信徒の浄財はそのまま独裁権限で自由に使うのであります。更に、信徒をつなぎ止め、今後とも無垢な信徒達から浄財を吸い上げる打ち出の小槌としての「生長の家」という看板を抱えて離さず、死ぬまで生涯保障の完全就職口としての「総裁」の椅子には座り続ける――何と悪辣な狡知に長けた宗教家でしょうか! 信徒の皆様、中でも特にお孫さま信仰信徒の白鳩の皆様、そしてニュー信徒の皆様早く本当の実情を理解して、開祖・谷口雅春先生の本来の『御教え』復活を目指す流れに加わって頂きたく存じます。 再合掌




ああそう言えば雅宣氏は知ったかぶって「七つの燈台」の解釈をしていたなぁ〜! (723)
日時:2013年04月07日 (日) 00時52分
名前:神の子A

ああそう言えば雅宣氏は知ったかぶって「七つの燈台」の解釈をしていたなぁ〜!


唐松模様 2012年11月22日 (木) “天孫降臨”とは神意の現成なり

http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2012/11/post-0304.html



「七つの燈台」から「七層の石塔」へ

「光明の塔」は破壊され、雅宣氏にとって都合のよい解釈の「七層の石塔」が新たに造られる計画のようである。


>➀万教帰一(七つの宗教)  A国際平和(七つの大陸)  B多様な民族の調和(七つの民族)  C多様な文化の調和(七つの文化)  D世代間の調和(七つの世代)  E生物間の調和(七つの生命)  F拠点・組織間の調和と発展(七つの拠点)


どれもこれも後付けでこじつけで考えられたものであるとしか考えられない。

何の事はない、雅宣氏の口先だけの理念・理想を七つ列挙しただけの事である。

確かこの塔も「観賞用」だったと記憶している。

昨年11・22「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」スピーチは、雅宣総裁、「雅宣教」の正体を完全暴露! =日本国の否定、天皇制の放棄、住吉本宮「鎮護国家」祭祀の放棄= (730)
日時:2013年04月07日 (日) 10時15分
名前:画龍点睛




合掌、ありがとうございます。
われわれは、もう一度、雅宣(自称)総裁が「雅宣教」の正体を完全暴露した平成24・11・22「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」スピーチ(「唐松模様」2012年11月22日 (木) =“天孫降臨”とは神意の現成なり=)のマチガイ(雅宣流の我田引水的解釈)を指摘せねばならないのであります。これに関しましては、「信徒連合」様の発表された下記の記事があります。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=756

この時のスピーチは「雅宣教」の正体を完全暴露したものであり、日本国の否定、天皇制の放棄、住吉本宮「鎮護国家」祭祀の放棄といえる内容であります。この投稿記事のなかから、本来の『御教え』から観ての雅宣(自称)総裁の自己流解釈のマチガイ指摘の部分を下記に再掲示させて頂きます。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



 開祖・谷口雅春先生の『御教え』から観た「雅宣教」の明らかな間違い・・・(間違いのスピーチ箇所を箇条書きにして次に示します。)


「唐松模様」2012年11月22日 (木) =“天孫降臨”とは神意の現成なり=

@ 生長の家の目的は・・・「“罪”と“病”と“死”との三暗黒を消尽する」ことです。・・・この点は、きわめて重要なのですが、時々忘れてしまう人がいるようです。

A 生長の家は他の宗教とは異なる特殊な目的をもっているとか、生長の家は日本で生まれた宗教だから、日本人以外には本当には理解できないとか、妙な解釈をする人も出ているようです。・・・

B 「天孫降臨皇御国成就燈」・・・この名前は一見、現実の日本国の国威発揚を願った燈台のように思われます。・・・天皇主権の日本国家の実現を「いの一番」に願った燈台のようにも解釈できます。

C 天孫降臨の意味・・・「君民同治の神示」(昭和20.12.28)「大和の国の神示」(昭和21.1.6)で・・・人間心理の分析が書かれているのです。・・・自分たちは神国の民だから、他国や多民族を征服して支配する権利があり、さらには蛮族を支配する義務があるなどと考える人が出てこないわけではない。戦前の日本には残念ながら、そういう思想が人気をもって拡大した。

D 「天孫降臨皇御国」というのは日本国のことではなく、神の御心が十分に反映した平和な世界のことだと書いてあります。「天孫降臨皇御国」とは、現象的な日本国家のことではなく、世界平和が実現したさいの地球世界ということ、さらには地球を含んだ宇宙をも意味していると考えられます。

E 「国」という言葉を「国家」だと解釈すると間違います。このことは、神想観の最後に詠う「光明思念の歌(大調和の歌)」の文言を思い出してくだされば分かることです。それは、「天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙(くに)静かなり」です。この「クニ」という音声に当てはめられた漢字は国家を意味する「国」ではなく、「宇宙」なのです。国家のような地球上の小さな領域ではなく、地球よりさらに広い概念を「クニ」と読ませている。そのこととも一致します。この点をはっきり理解し把握しなければ、運動の方向性を間違うことになります。

F (谷口雅春)先生が私たちに託された願いは、「天の下ことごとくに神の御心が満ちひろがる世界が来ること」です。「日本に天皇制国家を樹立する」などと解釈することは、全くの誤りであります。

G 「三界」という言葉が出て来ますが・・・現象界すべてについて言っているので、人間以外の生類すべての実相開顕を願うということです。つまり、自然界の大調和も“神意”であり、したがって私たちの目的の1つである。

H 「君民一体」という言葉・・・それは必ずしも「天皇と国民」だけを指しているのではなく、天皇が存在しない国もあるのですから、一般に「支配者と国民」の関係を述べていると思われます。その場合、支配者と国民の間に「意思の齟齬がない」こと、さらには「感情的な対立もない」ということが「一体」の意味ですから、それが“神意”であるということです。

I 「神の御心が十分に反映した平和な世界」「神−自然−人間が大調和した世界」の実現に、さらなる熱意と信仰をもって取り組んでくださることを念願いたします。 谷口 雅宣




< 上記マチガイ箇所の説明 >


@ < 生長の家の目的は・・・「“罪”と“病”と“死”との三暗黒を消尽する」ことです。・・・この点は、きわめて重要なのですが、時々忘れてしまう人がいるようです。> と雅宣総裁は言いますが、誰よりも完全に“忘れて”しまっている(実際は“放棄”した)のは他ならぬ雅宣総裁自身であります。

雅宣総裁は「“罪”と“病”と“死”との三暗黒を消尽する」という人類光明化運動について講習会では一切触れず、信徒の体験談には興味も関心もなく、「人類救済をしている間に肝心の地球が人が住めない星になったらどうするのか? 病悩苦の救済よりも地球の温暖化防止がすべてに優先する」として「生長の家」の運動を「人類光明化」と「日本國實相顕現」から「地球環境問題」に入れ替えてしまっているのであります。

然し、「地球環境問題・温暖化防止運動」と言っても、総裁自身と取り巻き100人規模のセレブ高給取り(原資は「聖使命会費」)階層の引き篭もり型パソコン中心の高級リゾート地での大規模な別荘生活(森のオフィス)にしか過ぎず、大海の一滴すらの効果もないものであります。信徒の浄財を独裁権限で使って雅宣総裁自身の個人的人生目標をエンジョーイしているだけなのであります。



A < 生長の家は他の宗教とは異なる特殊な目的をもっているとか、生長の家は日本で生まれた宗教だから、日本人以外には本当には理解できないとか、妙な解釈をする人も出ているようです。>と雅宣総裁は言っておりますが、雅宣総裁は『生命の實相』を全巻熟読していないのですから、従来の宗教と大きく異なる一大特徴――「国家の成仏」ということが彼の頭では理解できないのであります。

「国家の成仏」、具体的には「日本国實相顕現」を国家主義・国粋主義と解釈しているのであります。この解釈は彼が開祖・谷口雅春先生の御著書を真剣に熟読せず、何処かに間違いの箇所はないか?と間違い探しの目で読んでいるからであります。ここに置いても「教祖反逆罪」を犯すとともに、霊的理解力の貧弱さを彼みずから暴露しているのであります。



B <「天孫降臨皇御国成就燈」・・・この名前は一見、現実の日本国の国威発揚を願った燈台のように思われます。・・・天皇主権の日本国家の実現を「いの一番」に願った燈台のようにも解釈できます。>と雅宣総裁は言っておりますが、この解釈は完全に間違っているのであります。

すなわち、「龍宮住吉本宮鎮座祭祝詞」には、<<・・・このとき住吉大神を、かく實相世界の秩序に基いて顕祭し奉る所以は、大神の本来の国家鎮護皇国護持の御使命を完全に発動され給はんことを希ひ、日本国土より、すべての妖雲暗雲を悉く祓ひ清め、天照大御神の御稜威六合に照り徹りて、神武天皇建国の御理想は実現せられ、八紘は一宇となり、万国の民悉くその御徳を中心に仰ぎ奉りて中心帰一、万物調和、永久平和の世界を実現せんことを期し奉るがためなり>>と明確に永久の世界平和のためには、先ず日本国の實相顕現という具体的な真理国家作りが第一で、それを完成敷衍して始めて世界平和が実現できる、その為にこそ實相宇宙の根本構図である中心帰一理念が天降って地球上に「天皇国日本」として日本国家が現成しているのだと書かれているのであります。この神定国家を先導し鎮護されるのが住吉大神の御使命であると教えて頂いているのであります。

左翼主義者の“世界平和”は空想的平和でありますが、開祖・谷口雅春先生の説かれた“世界平和”は具体的な方法論が確立された世界平和であるのであります。また、雅宣総裁は不用意にも「天皇主権の日本国家」と表現しておりますが“天皇主権”と言う言葉は後述の如く完全に間違った表現であります。



C <天孫降臨の意味・・・「君民同治の神示」(昭和20.12.28)「大和の国の神示」(昭和21.1.6)で・・・人間心理の分析が書かれているのです。・・・自分たちは神国の民だから、他国や多民族を征服して支配する権利があり、さらには蛮族を支配する義務があるなどと考える人が出てこないわけではない。戦前の日本には残念ながら、そういう思想が人気をもって拡大した。>と雅宣総裁は言っております。

然し、選民思想はユダヤ教・キリスト教を信ずる西欧民族の方が強くそれがアジア・アフリカの植民地侵略を生んだのであり、日本民族には西欧流の選民思想や植民地支配思想はなかったのであります。第一次世界大戦後のパリ国際平和会議に於いて、当時の日本は「人種差別撤廃条項」の採択を提起したのでありますが、西欧諸国がこれを拒否しているのであります。だから、日本には西欧流の選民思想などはなく、ましてや生長の家信徒には選民思想や他民族支配思想を持っている信徒などはいないのであります。

雅宣総裁は<戦前の日本には残念ながら、そういう思想が人気をもって拡大した。>と書いているが、そのような行き過ぎた国粋主義思想(日本民族絶対主義)を拡散せしめたのは朝日新聞を筆頭としたマスコミ界であったのであります。マスコミが世論を作り誘導して行っているのは戦前戦中戦後を通じ同じであり現在に於いても少しも変わっていないのであります。「聖使命新聞」ですら“お孫さま絶対思想”で信徒を誘導し洗脳して行っているではありませんか!

雅宣総裁は、<天孫降臨>の意味を『秘められたる神示』P.123の「人間は自己自身の神聖性のゆえに神造の国家に神聖降臨の神話を創造してその歴史の中に住む自己を観るのである。天孫降臨とは人間自身すなわち民自身が天孫であり、神の子である自覚の反映にほかならない。」と云う部分の引用によって説明しているのでありますが、この引用は間違いであります。これは「天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映」せるものである事に対するの説明であり、この肝心なところを雅宣総裁はスッポかしているのであります。

「天孫降臨皇御国成就燈」の「天孫降臨」の説明の場合には、むしろ、『第二青年の書』第二十章P. 267に書かれている<<諸君は知る、天照大御神の孫の降臨とは、真子(まご)の降臨であることを。それは神意の伝承、「まことの理念」の伝承のことである。この尊き天意の伝承の下に日本国は肇まったのである。>>の御文章こそを引用すべきと思うのであります。つまり、「天孫降臨」とは神意(天意)の天降り、具体的には天照御大神の「天壌無窮の御神勅」による日本國體理念によって日本国家は肇った、地上に形成されたという意味なのであります。何しろ、雅宣総裁は「天壌無窮の御神勅」による天皇国日本の國體が大嫌いなのでありますから、引用文を変えてしまったのであります。しかしこれは彼の教義解釈の間違いであるのであります。



D 雅宣総裁は、<「天孫降臨皇御国」というのは日本国のことではなく、神の御心が十分に反映した平和な世界のことだと書いてあります。「天孫降臨皇御国」とは、現象的な日本国家のことではなく、世界平和が実現したさいの地球世界ということ、さらには地球を含んだ宇宙をも意味していると考えられます。>と、鬼の首でも取ったかのごとく『大和の国の神示』の内容を得意げに引用しているのでありますが、彼の狙いはあくまでも「日本国實相顕現」の具体的行動を阻止することにあるのみならず、地上世界の現実の日本国家の否定を狙っているのであります。

その為に、開祖・谷口雅春先生の『大和の国の神示』解説中の次の御文章を無視しているのであります。ここに隠れ左翼・雅宣総裁のズルさと間違いがあるのであります。即ち――(特に“その表現には配慮がなされている”と言うところに注目ください!)

<< さてこの「大和の国の神示」は、昭和二十一年一月一日に「天皇の人間宣言」と世にいわれる詔勅が渙発された五日後の一月六日の朝に掲示されたものであります。そして当時のことを回想すると、神武天皇の「八紘為宇」の建国の理想は世界を征服して一つに統合するという侵略主義であって、その軍閥の中枢を成しているのが天皇であるといった判断を連合国がもっていて、日本を裁くところの極東軍事裁判(東京裁判)において、天皇を戦争犯罪人として出廷せしめようとする強い動きがあるなかで、私はこの啓示を受けたのであります。従って占領軍の天皇への風当たりを避けしめるためその表現には配慮がなされているわけであります。私は、天皇さまを、實相を直視して全知全能の神の御現われであるというように今も考えているのであります。そしてアインシュタインがいみじくも言った如く世界連邦が成立し、誰をその連邦の神聖な中心にすべきであるかというと、自然に日本天皇がその首座に推されるほかはないと信ずるものであります。>>(『大和の国の神示』P.33)



E 雅宣総裁は、<「国」という言葉を「国家」だと解釈すると間違います。・・・「国」ではなく、「宇宙」なのです。国家のような地球上の小さな領域ではなく、地球よりさらに広い概念を「クニ」と読ませている。そのこととも一致します。この点をはっきり理解し把握しなければ、運動の方向性を間違うことになります。>と書いております。雅宣総裁は神想観終了時の「みすまる(大調和)の歌」を上手く巧みに活用して、“国家概念を持つことは間違いである”と言う考え方に信徒を誘導するのであります。この国家概念の廃棄は、開祖・谷口雅春先生のお悟り(大悟徹底)の否定であります。

<<大日本國體の尊厳無比、宇宙の實相と同体にして久遠無窮なる事実・・・大日本国家は因縁仮和合の国家ではない・・・私は『無』の門関を超えて、釈尊の指頭にある金波羅華が象徴する「実在」の荘厳無二組織完備の大日本国家を把握したのである>>(『無門関解釈』第六則「世尊拈花」の公案解釈P.70−72)

 

F かくのごとく、雅宣総裁は「日本国家」と云う国家意識を持つことは間違いであると言うのみならず、ここに於いて遂に<「日本に天皇制国家を樹立する」などと解釈することは、全くの誤りであります。>と明確に言い切ったのであります。即ち、雅宣総裁は「天皇国日本」と「天皇制」と云う“國體”をハッキリと否定したのであります。日本民族解体思想――これが「雅宣教」の中心思想であります。

この「雅宣教」の思想は、開祖・谷口雅春先生の『御教え』(教義)への真っ向からの反逆であります。まさに“破門”に値するものでありますが、雅宣総裁のこれまでの積みかさねられた独裁権力樹立のための「教規改訂」によって残念ながら護られているのであります。



G 雅宣総裁は、<現象界すべてについて、人間以外の生類すべての実相開顕を願うということ。自然界の大調和も“神意”であり、したがって私たちの目的の1つである。>と、のたまうているのであります。しからば問う! 「大調和」が“神意”と説教するが、なぜ貴殿は義兄実弟の身内の人たちを「大調和」精神に反して教団から追放したのか? まさに言行不一致の典型ではないのか? サッ、サッ! 明確に信徒に向かって返答せよ!



H 雅宣総裁は言う、<「君民一体」という言葉・・・それは必ずしも「天皇と国民」だけを指しているのではなく、天皇が存在しない国もあるのですから、一般に「支配者と国民」の関係を述べている。その場合、支配者と国民の間に「意思の齟齬がない」こと、さらには「感情的な対立もない」ということが「一体」の意味ですから、それが“神意”であるということです。>と。この箇所に於ける雅宣総裁の解釈の間違いは、「天皇制」と云うものを西欧流の“支配者と被支配者”の関係として捉えていることと、「天皇制」を西欧流の“王権神授説”でもって理解していると云う事であります。雅宣総裁は、生長の家の『御教え』に対しては全く不勉強極まりない“総裁”で在るのであります。

「君民一体」の解説において、雅宣総裁は「君民同治の神示」の開祖・谷口雅春先生の解説文の中の次の重要な部分を、これまた敢えて無視しているのであります。すなわち、――

<<「民は君を拝み、君は民を拝む。民を拝みたまふ“治”(ぢ)は君を拝むところの“事”(じ)と一体である。治事一体であり、治めると事(つか)へるとは一体であり、君民同治である・・・」このように神示によれば、政治とは権力階級が非権力階級を圧(おさ)へつつ治めることではなく、「民は君を拝み、君は民を拝む」――すなわち「君と民との拝み合い」ひいては「政府と国民との拝み合い」が本当の政治なのであります。>>(『秘められたる神示』P.123〜124)

しかし、雅宣総裁は、日本国家を何としてでも解体したいのであって、その為に「天皇制」の真髄を信徒の目から遠ざけようとしているのであります。そして、何としてでも次なるステップとして、“日本共和国大統領制”を推進したいのであります。だから、実質的天皇制の解体を狙う「女系天皇制」を賛成推進しているのであります。



I 斯くして雅宣総裁は、<「神の御心が十分に反映した平和な世界」「神−自然−人間が大調和した世界」の実現に、さらなる熱意と信仰をもって取り組んでくださることを念願いたします。>と結んでおりますが、日本國体の根底概念である所の天照御大神の「天壌無窮の御神勅」は西欧の“王権神授説”の日本的焼き直しとして排斥すると共に、神武天皇の「日本建国の大詔」の世界連邦構築思想(八紘為宇)を、世界的権力機構「欧米エシュタブリッシュメント」の目指す、国境と民族意識を放棄せしめての「世界統一国家」・「「世界統一政府」・「世界市民意識」に洗脳誘導する手段に使っているのであります。

雅宣総裁が日本建国の理想は「神・人・自然」の大調和世界の実現にありとするのも、日本民族意識・天皇中心国家としての国家意識・日本精神、これらの意識を希薄、無関心にする事を狙ってのことなのであります。これが彼の著書名ともなっている「民族を超え、国家を超えた信仰による世界平和への道」であり、これによって到達された平和な世界こそ、「神の御心が十分に反映した平和な世界」「神−自然−人間が大調和した世界」であるとするのであります。しかし、彼の考え方は誰が考えても間違っていると考えざるを得ないのであります。

雅宣総裁の目指す「地球国家」・「世界政府」・「世界市民」なるものは、全くの机上の空論にしかすぎないのであります。神武天皇の「八紘為宇」と云う世界連邦思想と雅宣総裁の目指す世界統一政府の世界連邦の根本的違いは、次の通りであります。


イ. 雅宣総裁の目指す「世界連邦」は、国境を廃止する、つまり、国家意識を認めない、民族意識を認めないという机上の空論であります。この考え方では逆に民族紛争は多発し、局地戦争も多発し、それを押さえる強力な世界政府軍が必要となるのであって、全く以て、空想的世界平和論であることがわかるのであります。更に世界国家の大統領は支配欲と権力欲強き人物が登場してきます。結果的には、一部特権階級による資源と金融と食糧の一極集中搾取経済社会となり、一部富裕権力階級とその他大勢の経済的弱者階級の大格差社会となります。


ロ. 一方、神武天皇の「八紘為宇」の世界連邦思想は、世界の各民族と各国家の大調和理念による独立発展を目指すのものであり、各国内に於いても「生命の實相」教育による人間神の子の考えに基く相互扶助、相互礼拝社会を目指し、更に「世界連邦」首長の選定基準は「人徳」の大きさによって選ばれることになるのであります。これこそが「神の御心が十分に反映した平和な世界」なのであります。




< 結 語 >


「雅宣教」の思想は、上記詳細の如く、日本国家の否定、天皇制の否定であります。そして、目指すところはロスチャイルド・ロックフェラーといった国際的大金融財閥を中心とした世界的権力機構「欧米エシュタブリッシュメント」の世界支配政府樹立への協力であります。そのための「生長の家」の地上からの抹殺であります。霊的に観れば、「欧米エシュタブリッシュメント」の憑依指導霊も、「雅宣教」の憑依指導霊もともに同じ強大な悪霊であると云う事であります。


故に、雅宣総裁は、信徒の急激な減少に対しても何ら責任を感じず、むしろ平然として大閑をもてあましているが如くゲーム作りに熱中しておれるのは、彼の予定どうりに「生長の家」抹殺計画が進んでいるからであります。すべて想定内のこと、織り込み済みであるからであります。


そして、この度、住吉本宮の「鎮護国家」の言葉を抹消して「世界平和」に変えると決定発表したことは、益々の信徒離れ現象を加速させて行くためであります。次には、御神体の「護国の神剣」を“神武不殺”の日本建国の精神に反するとかいう理屈をつけて封印し、物置部屋へしまってしまうことすら実行すると思われます。そして、総本山の七つの燈台も撤去しかねないと思われます。


もはや雅宣総裁には総裁の資格は無く、彼の異常とも思えるものの考え方は普通人の感覚では捉えられないところまで行ってしまっているのであります。

こと、此処にいたり末端信徒の出来る今スグの決起手段は、速やかに「聖使命会費」の奉納一時停止と講習会受講券の買い取り拒否であります。この決起行動を採る信徒の人が多くなるほど「雅宣総裁の更迭」の時期は早まり開祖・谷口雅春先生の本来の『御教え』復活が早まるのであります。

現下の大国難を乗り越えていくためにも開祖・谷口雅春先生の『御教え』の全面復活は日本の国にとっても喫緊事であります。多くの信徒さんの決起を促すものであります。





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