生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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反・『御教え』・・・雅宣総裁語録と講評 <第五十話> (783)
日時:2013年04月12日 (金) 08時35分
名前:信徒連合




< 第五十話 >「私は“霊的なこと”は、判りかねます。雅宣拝!」

(平成22年6月27日『小閑雑感』より)


<<(大分教区)講習会後には、旧日出(ひづ)藩の城跡である「暘谷城跡」という所へ寄った。前日は雨の予報だったのが、青空が出て、夏らしい強い日差しを浴びたが、日陰は涼しく、緑がまぶしかった。その時、妻が頭の上を指差して「おもしろい雲が出ている」と示したのを、写真に撮った。雲は不思議だ。上空の複雑な気流の違いで様々な模様を見せてくれるのだが、人間はその形を見て、入道だとか、イワシだとか、ヒツジだとか、いろいろ連想する。そういうイメージを掻き立ててくれる力をもっている。この時の私には、自分たちの頭の上だけ、他とは違うパターンの雲が浮かんでいるように思えた。秋に見えるイワシ雲より、さらに細かい綿毛のような、やさしい雲だった。谷口 雅宣>>



(講評)


 この写真の感想として気づいたこと

(1)この雲は上記の文章にもありますように、<<自分たちの頭の上だけ、他とは違うパターンの雲が浮かんでいるように思えた。>>つまり、「三界唯心所現の理」に照らしますと三代目雅宣(自称)総裁の心境の現象化で何らかのメッセージが示されているものと思われます。(しかし、本人は此の事に少しも気付いてはおりません。)

(2)<<細かい綿毛のような、やさしい雲>>と表現されていますが、中央部分の雲は薄い綿のような二つの雲がくっついて空へ登って行っているようであります。このことは・・・?

(3)この雲の写真を大きく拡大してみて見ますと、右端の真中よりスグ下のところの薄い白い雲が見ようによっては、女性の顔に見えます。そして、その女性は腕に赤ん坊を抱いています。その赤ちゃんは両手をあげて前向きに抱かれているように見えます。

(4)さらに、真中の左の所のハッキリした白い小さな雲がありますが、これも子供の顔に見えます。両目、鼻、口が分かると思います。


 このような特徴から考えてこの三代目雅宣(自称)総裁が撮影した写真は一種の“心霊写真”と考えられます。「心霊写真」の判読が出来る霊能者ならどのように判読されるでしょうか?じつに意味深長であります。


 三代目雅宣・純子両(自称)総裁にとっては“おもしろい形の雲”について、別の人の感想が<生長の家大論争>というブログに投稿がありましたのでご参考までに転載させていただきます。



************



タイトル:<本人は知らない大事件>

大分県講習会が終わった。相変わらずの旅行の帰りには、観光だ。

 >>講習会後には、旧日出(ひじ)藩の城跡である「暘谷城跡」という所へ寄った<<

と書いておられる。そこでお二人の出会われた大自然からのメッセージが真っ蒼のお空に妙霊不可思議なる白雲だった。ご自分でブログにその写真を発表されているのだから、仕方が無い。しかしご自分達は何とも感じられていないのが可愛そうでならない。

総裁は写真をご自分の意志でブログにアップされたようだが、それはそうでは無い、潜在意識のなせる技であり、発表しなければならなくなったのだ。

雅宣総裁の潜在意識の懺悔の働きか、この写真をよくよく見ると、入道雲の両端から霊雲が昇り何かを大いに訴えている広大な意識霊雲です。そしてその左中程には胎児のような幼子が両手を挙げて雲を見上げている総裁夫婦を見つめているではないですか。

以前雅宣総裁が副総裁の時に「宇治の流産児供養塔にお参りしても、救われる場合もあればそうでない場合もある」と発言された。それ以後生長の家では流産児供養や流産児を出さない教えがほとんど説かれなくなった。

霊界の流産児は谷口雅春先生に救われ天使となって喜んでおられたのだが、雅宣氏が総裁になられてからは、流産児の天使達は悲しみに包まれていました。そこで雅宣氏が空を見上げたその時妙霊雲が立ち昇りそれに誘発されて霊界で生長の家の転換に悲しんでいる流産児が訴えに出て来られたのだが残念、雅宣総裁には何にも気づかれなかったのです。さて流産児の天使達の次の手は如何に・・・・・



<高級霊界の流産児天使の皆様へ>

現象生長の家は仮の姿、仮の教団であります。又霊界に進まれた流産児の皆様は地上で何十年と生活している者よりも何段も霊的ステージの高い高級霊さまであります。どうか雅宣総裁と言う仮の姿に囚われず、麗々妙々素晴らしい実相世界を見つめて尚高き境地にお進み下さい。我々地上に置いても谷口雅春先生を崇敬する「天使のほほえみ」等の団体もあり流産児天使さまのお幸せとご供養を熱心にさせて頂いております。仮の姿の現生長の家教団はお忘れ下さい。 雅宣教は今や生長の家をかたる環境団体であり霊界とのつながりもございません。   合掌ありがとうございます。



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 当、ブログの読者は如何お考えですか?三代目雅宣(自称)総裁は実質的には、雲の発生と形は水蒸気と大気の流れと温度の関係によって決まる人間の想念などとは何の関係もない単なる「自然現象」と考えているのであります。講習会では「三界唯心所現の理」を説きながら、現象世界は唯心所現ではなく、科学的自然現象だと心の底では深く信じているが故に、此の写真をみて霊的な意味など何も考えずに“おもしろい雲”と思って堂々と発表したのでありましょう。霊能力など持ち合わせていない末端信徒でさえスグに気付くことなのですのに何の気付きもなく、「自然現象としてのおもしろい雲」という認識では、決して宗教家とも云えないでしょうし、ましてや、偉大なる開祖・谷口雅春先生の生長の家の後継総裁としては不適格者であることが明瞭に証明されたのであります。



<ご参考までに>

昭和天皇御崩御の際、富士山頂から白鳥の形をした大きな白雲が発生。

<<合掌、ありがとうございます。昭和64年1月7日、午後6時35分、昭和天皇陛下御崩御のニュースと同時に、富士山頂より俄かに白雲が湧き起こり、みるみるうちに白鳥の姿となって大空のかなたに天翔けりゆく様子を、全身がしびれるような感動で見送りました。(その巨大な白鳥の形状をした雲を道場職員がカメラに収めました。)>>(生長の家富士河口湖錬成道場・総務 鹿沼景揚先生記)






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