生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示<第四十八話> (813) |
- 日時:2013年04月15日 (月) 17時38分
名前:信徒連合
生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇
第四十八話
個性命の進化と向上(その1)
* 『生命の実相』第9巻霊界篇・上巻には、「進化」という文字が数えてみますと151回ありました。数え落としもあると思いますがそれほどまでに「個性命(個々の霊魂)の進化(霊界を含めての現象世界に於ける実相顕現の過程=プロセス)」というものが重要なものである事がわかるわけであります。
以下、開祖・谷口雅春先生の御著書から「個生命の進化」に関する御文章を抜粋させていただきます。なお、「個性命(霊魂)の進化」に関しては、第三代目・谷口雅宣先生の『今の教え』では意識的に回避しておられるのであります。
その理由は第三代目・谷口雅宣先生御自身が左翼唯物論思想が基本でありますので、<霊と霊界>のことは、「自分には解からぬ(=信ぜず)」と講習会での信徒の質問に答えておられるのであります。
生命は死を超えて前進する
(別冊・真理<生死を超える道>』(P.51−55)
<< 大甲虫(おおかぶとむし)は樫(かし)の木の皮の中に生みつけられた卵から孵(かえ)のである。孵った時は小さな蛆(うじ)で長さ半インチ、太さは小麦の茎(くき)ほどのものです。体の色は黄色がかっており、頭は黒く、鋭い顎(あご)があって樫の木の硬い木質に孔(あな)を穿(あ)けます。
孵化(ふか)すると木質の表面で生活を始めるのであります。穿孔虫(せんこうちゅう)であって三年間位は樫の木の中で生活するのであります。
この虫の感覚は基本的なもの二つ――即ち味覚と触覚しか持っていません。見ることも聞くことも齅(か)ぐことも出来ないのであります。樫の木質について発達した味覚をもっています。又この大甲虫の棲(す)む樫の木を割って、針で突くか或いは触れると触角があると云う反応を示します。神経組織は最も簡単なものであります。
自然この虫が最初に穿(うが)つ孔(あな)はその体の大きさしかないのです。然し体が樫の木の内部に進んで行くに従って体は生長して大きくなります。生長して大きくなった身体は、幼い小さい時に穿(うが)った孔へと引き返して帰ってくることが出来ません。
この虫は木質を消化する為の「一片の腸」みたいなものにすぎないような存在ではあるが、生長するに従って、通路も大きくなる。体の前部を伸ばし、後部を縮めて前に引き寄せ、次いで後部を伸ばして前部を縮め、徐々に前進します。
この虫の腹部には毛虫の腹部にあるような匍匐(ほふく)動物の廃退器官の痕跡(こんせき)とでもいうべきものが残っているが、それはもう使用しない。――しかもその跡が残っていて、この虫の生命のある時期には匍匐動物であって、物の表面で生活し、恐らくは樫の葉を食べていたのだと云うことを示しています。
然し進化の或る段階で樫の木質を好むようになり、穿孔(せんこう)動物になったのであります。或いは多分、鳥はこの虫がおいしくて滋養に富んでいると云うので、この敵から逃れるために孔を穿つことになったのかも知れません。ともかく外界を去って樫の木の中の不思議な暗い所に入り、そこで生命周期の最初の部分を過ごすのであります。
大甲虫の幼虫は三年の間、生きながらの墓場、冥土(めいど)のような闇の中でこうして暮らしています。そして遂には二インチ半ないし三インチの長さになり、人間の小指位の太さになります。次いで体内に神秘な変化が起こり、その変化のために否応なしに木の表面に向かって真直ぐに孔を穿って出て来ます。
そしてさっさと仕事に取り掛かり、居心地の良い寝床になるように、直径三インチ位の適当な長さの巣を造ります。虫自身のいのちの中にある“何物か”の智慧により、樫の木から取った繊維で巣に内張りをするのです。
この“何物か”を我々は何の躊躇(ちゅうちょ)も無く本能と呼んでいます。実はこの“何物か”は神の智慧が光のごとく現われたものであり、この智慧によって変貌を行うに便利な場所を準備し、その変貌によってこの虫は新しい生活と新しい運命とに入って行くのであります。
然しこの変貌を行う場所としての彼の楽屋は、これだけの準備で完成したのではありません。幼虫は将来の出口をカモフラージュするに丁度足るだけ樫の皮の表皮をホンの少し残してその下のところを全部齧(かじ)って、不思議にも将来出て行くことを本能的に知っていて将来にそなへて、出ることを容易にしておくのであります。
次に体内の分泌物からかたい粘質物を吐いて入り口を封鎖し、雨その他の侵入するものを防ぎます。このようにして一大変化の準備を終ると、この醜(みにく)い、見ればぞっとするような姿をした虫――当時は、その感覚は基本的なものが二つしかなく、どう観ても樫の木質を消化する能力を持つ長さは指ほどの一片の腸にすぎないような様子をしたこの虫は――眠りに入るのであります。
併し、その眠りは今まで全然知らなかったような眠りです。「死」さながらの眠りです。そして本能的に頭を入り口の方にして眠るのです。これには重大な意義があるのですが、そのことは後に述べます。
この点に注目して、一般の人間は「死」と云う一大変貌の起こる前にこの虫位の分別があって、肉体の「死」の後に来る「生」について準備が出来ているか確かめてみるがよい。
一定の時が経つと「復活」と云う不思議が起こるのです。生きた大甲虫が「死んだ体」から現われます。芥(あくた)の如く「醜い虫」の死の体から生きた新しい輝かしい体が甦(よみがえ)るのです。彼はぎらぎら光る鎧(よろい)を着け、翼を持ち、味方か敵か、恋の相手か恋敵かを、その顫動(せんどう)によって見分ける鋭敏な触覚を持っています。
彼は、もう味覚と触覚だけの下等生物ではない。立派に“五官を具(そな)えた”誠にすばらしい動物であります。彼は恋愛その他の高い程度の冒険をすることも出来るし、かれは、もう前方へ匍匐(ほふく)するだけしか知らない動物ではない。もう飛翔の機は熟しています。
永眠の死の扉はばらばらに裂かれ、新しい生き物となって防寨(ぼうさい)を破って外界に飛び出して天空に舞い上がるのです。如何なる意味から考えても、彼は全然新しき生物です。そして新しき世界に、新しき生活を始めるのです。
若し出来るなら、何がかくならしめたか、説明して戴きたい。私はその経過を説明しただけであって、その不思議を説明することは出来ないのです。この不思議を司るものこそ宇宙普遍の知性――神なるもの――ではないでしょうか。その不思議な知性があなた達にも宿っているのではないでしょうか。>>
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