生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家「今昔物語」・ 理性篇の再掲示 <第五十四話> (819)
日時:2013年04月16日 (火) 08時19分
名前:信徒連合




生長の家「今昔物語」第六篇 理性篇



第五十四話(通算第380話)


 
暗示が内在の神癒力を喚起した事実(1)

(『神癒への道』P.49−54)



<< ある時、一人の外科医に複乳嘴(ふくにゅうし)突起の手術を受けてから後、痙攣性の嘔吐に悩んで一週間の間何一つも食べられない十二、三歳の少女を見舞ってくれないかという紹介をウォルセスター博士は受けたのであった。

患者はボストンの或る眼耳科治療所に入院していた。医者のいうところによると、「彼女は、長く続いた痙攣状態のため完全に衰弱しており、若し次の数時間の間睡眠を取り食物を保持する事が出来なかったら生命はとり止め得ない」というのであった。

 ウォルセスター博士は病室へ入って往ったときの光景を次の如く述べています――

「部屋へ入った時、余は悲しい光景を見た。骸骨のように痩せ衰えて、弓のように体を背の方へ湾曲した一人の少さな娘が尚かすかに嘔吐を催していた。母親が泣きながら一方の腕を抱え、看護婦がもう一方を押さえていた。余は婦人達に部屋の他端へ退くことを乞い、子供の傍らに腰かけて、熊が冬どのようにして彼らの隠れ穴を作るかという物語を話してあげよう。そしてそれを話している間にあなたは眠ってしまうでしょうと言った。

余は幾度も繰り返し繰り返し、熊がどんな風にして次第次第に眠くなって行くか、そしてあなたも眠いでしょうという話を続けた。

約五分の後この暗示は効果を表わし始めた。小さな娘はその痩せ衰えた体を弛(ゆる)め深い眠りに陥った。それから余は彼女に、彼女は約三時間眠るであろう。そして彼女が目覚めた時、彼女の胃は完全に平静になっている。彼女は空腹を感じ、母親に食物(たべもの)を求める。母親は彼女が望む食物を何でもくれるという暗示を与えた。---------」(ウォルセスター博士著『肉体と心と霊』15頁)

 こうしてウォルセスター博士の精神治療は終ったのである。博士は立ち去るにのぞんで母親と看護婦とに、子供が自然に目覚めるまでに彼女を静かに放置すること、子供が目覚めて食べ物を欲したら、求むるままに与えること、そして就寝前に彼女の容態を電話で報告するように話して置いたのである。

その夜の十時ごろ、その母親からウ博士に電話が掛かって来た。それによると、少女は、三時間ほど眠ったのち目覚めて、「母さん、おなかの気持がいいわよ。何か食べるものが欲しいわ」と言った。そこで看護婦が一杯の牛乳と一包みのソーダビスケットを与えた。それを食べて終うと少女は「もっと欲しい」と言った。そして彼女は与えられたお代わりを平らげて終うと、今度は「ジンジャエールを一杯頂戴」と言った。これはどうも乱暴ではあるまいかと母親は気遣ったが、もう彼女は子供は魔法にかけられて治ったのだと考え始めていたので、この飲み物をコップに一杯与えた。

子供は直ちに再び眠りに落ち、やがて晴れ晴れとした気持で目覚め、そして首尾よく翌日は通常の健康状態を取り戻して症状は決して再発しなかったということであります。


 ウ博士のこの病床で語った「熊が冬に巣を作ってその穴の中に眠る話」は甚だ興味があると思う。それはその原稿の最初に書いたところの山田明子女史の病床で、今川三郎博士が、病気に何の関係もない明るい楽しい話をして聴かせたのと一対の好適例である。

 早(はや)三十数年前のことであるが、彫刻家の服部仁三郎氏は、肺炎に肋膜炎を併発し更に頚部が異常に脹(は)れていてその脹れが呼吸を圧迫して呼吸が困難なような状態で、いつ危篤の状態に陥るかわからない状態であった。

その時、同じ彫刻家仲間の片岡環(たまき)氏が訪問して来た。そして『生命の實相』の小さい分冊を持って来、人間本来神の子であり、病気は本来無いものであると云う話をし、読めるならばこの小冊子を読んで見るようにと薦(すす)めたのである。そして神に祈る方法として神想観の話をし神想観は本当は正坐して行なうんだけれども、仰臥のままでもその心境となれば好い。心のうちで招神歌(かみよびうた)をとなえて精神統一の状態に入れば好い――こう言って次の招神歌四首を毛筆で白紙に書いてくれたのである。


  生きとし生けるものを生かし給えるみおや神もとつみたまゆ幸(さきは)えたまえ

  わが生くるはわが力ならず天地(あめつち)を貫きて生くるみおやのいのち

  わが業(わざ)はわがなすにあらず天地(あめつち)を貫きて生くるみおやのちから

  天地(あめつち)の祖神(みおや)の道を伝えんと顕(あ)れましし生長の家の大神まもりませ


服部仁三郎氏は病床『生命の實相』の分冊を読み、片岡環氏が書き残して往った此の四首の歌を繰り返し繰り返し読んだ。それを心でとなえながら読んでいるうちに、自分が生きているのは自分の力ではないのだ。神の無限生命力が今此処で生きているのだという感銘が急に内部生命から爆発するような感じで沸き起こって来たのである。

自分の力で生きよう生きようと思って焦っているのが間違いだったのだ。そうだ神が生かしているのだ――こう自覚するともうその重態の病床から起き上がって、帝展に出品するつもりでやりかけて病気になって中絶していた「心の影」と題する塑像を元気にやり出した。

すると不思議な事に即座に病気が消えてしまったのでした。

その翌日のことであった。近所のある彫刻家の奥さんが服部仁三郎氏の病気見舞いに来た所が、もう病床もなにもない、綺麗に片付いて、服部氏はアトリエで制作に熱中しているというので、アトリエに往ってみると服部氏はセッセと仕事を励んでいる。

 「まあ、よほど御重態と承って来たのですのに、もうそんなにお治りになったのですか」と其の彫刻家の奥さんは言うのであった。服部氏は実は、こういう教えを片岡環君からきいて、人間は神の子で自分の力で生きているのではない。神の力で生かされているのだと悟りましたら身体が急に軽くなって治ってしまって昨日から仕事を一所懸命にやっても何ともない―――と話していると、その奥さんは急にあらたまって、

「先生、まことにありがとうございます」と手をついてお礼を言うのであった。

「え、どうしたんですか」と服部氏が驚いて聞くと、
「先生のお話をきいているうちに、ほんとうにそうだな、人間は自分の力で生きているのではない、神様が生かして下さるんだ、ほんとうにそうだと思っていますと、先生、私の此の手はリュウマチで指が思うように動かぬようになっていたのですが、そんな筈はない神様が生かして下さるんだという気がすると共に動くようになってしまったので、思わず有難うなって御礼をもうしたのですわ」と言うのでした。

 それ以来、服部仁三郎氏の話をきいて治る者が無数にあって、その奇蹟の如き治病経過は『生命の實相』第三巻(頭注版第5・6巻)に連載した通りである。真理は伝えられて癒された人がまた次へ真理を伝えるとまた癒される、聖霊の火が次から次へと点火されるような状態がつづいたのであった。----------途中のことは省略する。






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