生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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「初心者=雅宣(自称)総裁」はかくのごとく生長の家の『御教え』を否定する! <その32> (832)
日時:2013年04月17日 (水) 15時04分
名前:四万十分析官


「初心者」という人物は、「トキ掲示板」において下記の如く生長の家の『御教え』を否定しているのである。「トキ掲示版」規約には「基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教えを支持、共鳴する人のためのサイトです。生長の家と谷口雅春先生へのご批判をされる内容の投稿はご遠慮下さい。」と書いてあるが、一連の「初心者」と名乗る人物は、この投稿規約に反する投稿を続け、管理人氏も未だに一回も注意を与えていない。「初心者」と「トキ掲示板」との関係は主従の関係にあり、この様なところから「初心者=雅宣(自称)総裁」と言われているのである。そして、彼、雅宣(自称)総裁としては、決して公の“総裁”としての立場では言いたくても言えない開祖・谷口雅春先生への反逆の「本音の思想」を「初心者」なる名前を使い、思う存分吐露し続けているとも考えられるのである。この意味からでも、彼のやり口は宗教家として非常に卑怯そのものであり、“総裁更迭”に十分に値するのであり、信徒はもっと声を大きくしなければならないのである。

以下、生長の家の『御教え』を否定する「初心者」なる人物の投稿を転載させていただき読者のみなさんの判断に供するものである。



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「トキ掲示板」より


1740 :初心者:2012/10/13(土) 19:47:07 ID:qBrfhCPc

実相世界がすでに完成しているとすれば、現象世界に、これほどまでに躍起になって実相をあらわす必要もないし、もめごとを起こしてまで、すでに実現されている日本国の実相を顕現する必要もなく、マボロシはマボロシとして扱えばよいだけの話でありますよね。なにがなんでも実相をあらわさなければならないとすれば、実相世界はいまだ完成していないとみるよりほかはないという気がいたします。


305 :初心者:2012/10/14(日) 11:03:41

『古事記』には、ちょっとした違和感を持ちつづけています。なにかしらの定式化された思想が語られている。当然のことながら、そんな気がいたします。



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<問題点>


@ 「初心者=雅宣(自称)総裁」はここにおいても、如何に開祖・谷口雅春先生の實相哲学の本質を正しく会得していないかが現われているのである。 < 實相世界とは未だ完成されていない世界である > この捉え方が「初心者=雅宣(自称)総裁」の人間知による「實相世界」なるものの理解である事をあらわしている。開祖・谷口雅春先生は人間知を百尺竿頭進一歩して「實相世界」そのものの真っ只中に躍入せられて、自己生命そのもので實相世界の様相を把握されたのである。


A それが、「實相世界」の特徴として『限りなく日本を愛す』P.141〜150にて書かれているのである。「初心者=雅宣(自称)総裁」はここを読むことは読んだのであるが、如何せん、素直な気持で読まず、懐疑的な人間知で読んだものだから、空無なマボロシの存在である現象世界の存在の意義・目的が分からず、さらに「實相世界」は未完成と人間知だけで自分勝手に判断をしてしまったのである。さらに「初心者=雅宣(自称)総裁」は、實相宇宙は未完成不完全といい、このほかに「ホンモノの宇宙」があると、まことに不埒千万なことを人間知の理屈で考えて言っているのである。「初心者=雅宣(自称)総裁」は、< わたしは“生長の家”の教えを捨てた >というのであれば、生長の家の掲示板からトットと出て行けばよいのに、いつまでも居座って『御教え』批判を繰り返していることはまことにケシカラヌことである。


B それでは「實相世界」はどんな特徴を持っているのか? <中心帰一の妙有世界>・<陰陽の秩序整う世界>・<無限創造の世界>・<金剛不壊なる世界>・<遠心求心調和の世界>・<無限包容の世界>・<円満完全至美至妙の世界>の七つの特徴を有する世界である。


C 「初心者=雅宣(自称)総裁」は、この<円満完全至美至妙の世界>であるならば、どうして<無限創造>となるのか?、すなわち“完全円満である”と云う事は“既に完成している”ということであるのではないか? そうすると完成されたものがなぜ更に創造のプロセスを歩んでゆかねばならぬのか? 更に創造のプロセスを無限に歩み続けねばならぬと云うことは、もともとの状態が“まだ完成された状態”ではなかったと云う事だ。即ち「實相世界」とは無限の未完成状態の連続の状態である。したがって「實相世界」は完全円満ではなくして、不完全であり、無限の時間を掛けても完成には至ることはない、と結論したと思われる。しかし、ここが人間知(肉体頭脳知)の至らざるところなのである。


D 五官六感を超越した實相智による理解では、“無限創造”とは、<円満完全なる状態の無限に続く創造>ということで、然るが故に<至美至妙の世界>となり何らの矛盾点もないことが判るのである。このことは『生命の實相』を素直に、海綿が水を吸うが如く読んで行くならば、容易に理会できるのであるが、肉体頭脳知による懐疑的読み方では容易にはわからないのである。


E 『生命の實相』を読めばわかるように、ちょうど画家や音楽家が、画布や楽譜に心の中にある絵や音楽を具体的に描き出したり作曲したりするが如くに、神の子人間は完全な想念の自由という特権のもとに、<円満完全至美至妙の世界>を三次元現象世界に描き出し、その過程と結果に自己生命の歓喜を味わう、これが神の子の實相顕現であり、その一つが「日本國實相顕現」である。< 日本國体は實相至妙世界の顕現である(P.151〜152)> からである。此処に日本人としての魂の深い歓びを感ずると共に、自己生命の進化(實相顕現)の階梯を昇っていくことにもなるのである。


F 「實相」という観点から見ると以上のような霊的歓喜を味わえることになる。しかし、何事も不完全な「現象」という観点から見ると、「初心者=雅宣(自称)総裁」のごとく < 現象世界に、これほどまでに躍起になって実相をあらわす必要もないし、もめごとを起こしてまで、すでに実現されている日本国の実相を顕現する必要もなく、マボロシはマボロシとして扱えばよい > という霊的歓喜のない虚無的理解しか得られないことになるのである。


G 「初心者=雅宣(自称)総裁」は、< 『古事記』には、ちょっとした違和感を持ちつづけています。なにかしらの定式化された思想が語られている(に過ぎない)。>と書いておるのであるが、これだけを見ても「生長の家」を語る資格はゼロである。何が<総裁>か?、と問いたいのである。古事記は霊感で以て書かれたものであるから、<霊感で書かれたものは、霊感でのみ正しい解釈が出来る>のである。「初心者=雅宣(自称)総裁」は霊感などチリほども持ち合わせていない、しかし、開祖・谷口雅春先生を何とか阻害していきたい。だから、人間知でこのような古事記の内容にケチを付け、開祖・谷口雅春先生の古事記解釈を貶めたいと考えるのである。


H 『限りなく日本を愛す』P.153以下において開祖・谷口雅春先生は次のように書かれている。

<< 『古事記』の神代に当る部分は、神話の部分でありますが、神話というのは直感によって知られたところの「真理」を象徴的神様物語に現したものが神話であります。>> 

そして、古代の日本民族が直感的に把握した宇宙の形而上的真理とは、

< 日本民族は天地を「一」として観じた>・<古代の日本民族は宇宙を「球状宇宙」と知っていた >・< 古代日本民族は神は遍在であると知っていた >・< 古代日本民族は“神はコトバである”と知っていた、日本民族の言葉は自然発生のコトバそのままに出している >・< 古代日本民族は「未発の中」について直感把握していた >・< 古代日本民族はムスビの原理について直感把握していた >・< 古代日本民族は「一即多・多即一」の真理を直感把握していた >・< 古代日本民族は天体は如何にして発生したか、を直感把握していた >・< 古代日本民族は、實相宇宙の本質は中心帰一・金剛不壊・無限創造・無限包容・陰陽の秩序・遠心求心調和・円満完全・至美至妙である事を直感把握していた >・< 古代日本民族は、實相を生きるには無相にして無限相を表さねばならぬ、と直感把握していた >ということであります。これが、開祖・谷口雅春先生が霊感を持って「古事記神話」を解釈された内容である。


I 「初心者=雅宣(自称)総裁」は、上記のような開祖・谷口雅春先生の霊感による解釈に対して“違和感”を持つという。そして、<定式化された思想>であると云う。それはそれで結構! 「初心者=雅宣(自称)総裁」の左翼唯物思想では開祖・谷口雅春先生の霊感的解釈は理会出来ない事は分かりきったことなのである。霊的レベルが余りにも違いすぎるのである。この様な雅宣(自称)総裁は「生長の家」総裁の椅子には座れない。だから吾々は一日も早く辞去しなさい!と云っているのである。初老の老人(自称)総裁よ! 難解な幼稚議論はもうよい。「雅宣教」として看板を付け替えて独立しなさい!






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