生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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生長の家「今昔物語」・ 理性篇の再掲示 <第五十六話> (836) |
- 日時:2013年04月18日 (木) 08時58分
名前:信徒連合
第五十六話(通算第382話)
無時間無空間の「久遠の今」について(1)
(『神癒への道』P.134−136)
<< 生長の家の信仰によって病気が治るようになったのは決して病気治療の触手的療法から始まったのではありません。随ってこのメタフィジカル・ヒーリングの原理を深く体得するには、どうしても無時間無空間の世界に存在する永遠不滅の生命というものを自覚しなければならないのであります。
これは非常に高度な哲学的の問題でありますが、深く人間無病の真理、肉体無の真理を知るにはどうしても其の根底に横たわる「無時間・無空間」の真理を理解せねばなりません。
イエス・キリストは「吾は神の子である。永遠に死なないものである」こういう意味を被仰(おっしゃ)っております。そしてそれは単にイエス一人に限られているのではなく「われ行きて汝らに来るなり」と被仰(おっしゃ)って吾々に宿るキリスト――すなわち吾々の本当の生命も「神の子」であって永遠に死なないものであるということを示し給うたのであります。
又「吾は真理なり、道なり、生命なり」というようなことを仰(おっしゃ)いましたし、又「吾はいのちの泉である。吾に汲むものは死すとも死せず」とも被仰(おっしゃ)いました。
ところが、普通の人は人間というものは自分を肉体だと思っておりまして、肉体がなくなったら人間はいなくなる。斯ういうように考えているのでありますけれども、イエスの教えに依りますと、(それは生長の家の教えでもありますが)本当の人間というものは、目に見えないのが本当の人間である。肉体を超えて存在するものが本当の人間だというのであります。
無時間無空間の世界に吾々は住んでいるのでありまして、この縦の線が時間の流れであるとしますと横の線は空間のひろがりであります。
時間と空間とがその交叉の一点で合している。
その一点のところは時間空間の本であって、時間空間いまだあらわれざる「無」の世界であります。
『維摩経』の中にありますが、或るお坊さんが托鉢をしていると、托鉢というと供養をされた食物を受ける鉢を差し出すことで、行乞(ぎょうこつ)のことであります。
維摩が「お前はどの時間で此の供養された食事を食べるのであるか、此の時間に食べるのか、どの時間に食べるのか、そういう過去の時間はもう過ぎ去ったから食べることは出来ない。それでは現在の時間に食べるのか、現在と思っている時間はその瞬間もう過去になってしまっている。そうすれば現在でも食べられはしないじゃないか。未来はまだ来はしない。そうすると時間的流れの中で供養された御飯を食べようと思っても、食べる時間というものがないじゃないか。」斯ういうような問題が提出されております。
これは吾々が考えている常識的な時間とは全然別物であるが「本当の時間」であるということを示しているのであります。「本当の時間」というものは、常識的な過去・現在・未来を超えたところにあるのであります。
すなわちそれは「無」又は「無時間」ともいうべき世界で吾々は御飯をたべるのであります。
御飯を食べるだけじゃないのでありまして、何をするにしても吾々は<どこで>何時しているかというと、過去とか現在とか未来とかいって、流れているところの現象時間の中では吾々は生活をしていないのであります。
その過去・現在・未来のどの時間に御飯を食べようと思ってもどうしても食べられないのですから、吾々は結局現象的時間の流れを超えて、そして過去・現在・未来を超えた時間――即ち無時間時間――で吾々は食べなければならないのであります。
これは御飯を食べるときの問題だけではないのでありまして吾々のいのちは何時も時間のない時間――無時間――の世界に生活しているのであります。>>
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