生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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開祖・谷口雅春先生の直接指導録 <その19>  =「生長の家」誌発行の資金調達= (862)
日時:2013年04月21日 (日) 11時28分
名前:信徒連合





開祖・谷口雅春先生の直接指導録 <その19>  




             =「生長の家」誌発行の資金調達=



      『生命の實相』第15巻・人生問答篇(P.135〜139)




谷口:

それから石川さんは『生長の家』誌の発行がわたしの別途の職業より得るところの資金で維持されている以上、わたしが別途の職業を失うとき、「生長の家」は滅びるかもしれぬと言われたそうであすが、それは観察点が誤っています。

他に職業をもって<いるから>「生長の家」ができるのではなく、他に職業をもって<いてさえも>、人に光を与える生活ができるという実証のひとつの顕われとして「生長の家」ができているのです。

いまわたしは雑誌を出す経費を儲けようと思って会社員になっているのではない。わたしは前から普通の会社員であった。会社員では人を救うことができない。何々業では人を救う余裕はでてこない、世間の人は普通そう思っている。

私も前にはそう思っていた。その時分には会社をたびたび逃げ出そうと思った。ところがふとしたことからこの迷信が破れた。そしてどんな激務をもち<ながらでも>人を救うことができるということを解らせてもらって「生長の家」が出ることになったのです。

だから今は、もう会社を逃げ出そうとも思わないのです。このままで人を救うことができる。それから何も人間を救うのに雑誌を出さねばならぬということもない、出せたら出す、出さねば出さぬで人間に道を伝えることができる。

雑誌を出して遮二無二(しゃにむに)お粥でも啜(すす)ってゆかねばならぬ、そのほかにわたしの「生命」が生きる道がないというようになってしまうと、人間の「生命」の自由な発露の一つとして雑誌を利用して人を救って行くということにはならないで、人間の生命が雑誌に都合のよいように奴隷になってしまいます。

雑誌さえ伸びたらよいというのだったら、俗受けさえすればどんな下らない記事や広告でも載せるが、俗受けせねばどんな善いものでも紹介しないというようにもなりましょう。

これでは人間の生命が雑誌発展の奴隷になったのです。

そんなことでは人を救うことはできません。

「生長の家」の発見せる真理のうちの大なる一つは、人間の生命は何物にも縛られない自由奔放無礙自在なものであるということです。

人間の生命が、雑誌だけにくらいついて生きるということになれば、それは実に人間の生命を狭い窮屈なものにしてしまいます。それでは道を伝えるどころか道そのものが崩れてしまうので伝える機関ばかりが大きくなってもなんにもならないのです。

雑誌が出ねば人を救うことができぬというようなら、全世界の人類大多数は互いに人間を救うことができぬということになってしまいます。

ところが人間の「生命」というものは何も雑誌にかじりつかなくとも、どんな生活をしていながらでもたがいに兄弟に光を与えることができるのであってこそ、そういう生活なら万人に伝えて進めることができるのです。

「生命」というものは、コチラの出口をふさぐとあちらから流れ出る。あちらを押えるとこちらから辷(すべ)り出る。それは水のように地下をもくぐれば雲霧となって天空にも飛びあがる。

こういうように、どんなやり方をしてでも、どんな境遇におかれてでも、閉口してしまわず、人を救いうるところにあるのです。

わたしは本間俊平氏が脱ぎ捨てられた草鞋(わらじ)の片足ずつを拾って歩いて、草鞋がなくて困っている人に一足揃えて差し上げて非常に喜ばれたという話を尊いと思います。

<あの行為が尊いのは本間氏が草鞋を拾うということを専業にせずこれによってパンを得ていないところにあるのです。> 

草鞋を拾ってこれを売ることによって、粥でも汁でも絞り出さねばならぬというのであれば、それは自分自身の悲劇であって人に光を与えることにはならないでしょう。

パンを得るための草鞋拾いならば紙屑拾いと同様で本間氏に俟(ま)つまでもないでしょう。パンを得るための雑誌業や野心を満足さすための雑誌業なら、わたしでなくともできるのです。

本間氏の草鞋拾いの尊さは、どこかへ行くその旅行の本当の目的のほかになおその片手間にすら善き行ないを見出していたところにあるのです。

それは自己のパンや栄達を得るためにではなくなされる行為だからこそ光って見えるのです。

キリストは「兄弟のいと小さき者になせる愛の行為はわれにしたのと同じことである」と言われています。人間の生命の偉大さは、その仕事の形の大いさで計らるべきものではないのです。



欧州全土を征服したナポレオンの事業よりも、本間俊平氏が困れる人に与えた一足の草鞋の方が尊いのです。

ナポレオンの生き方にはむろん推奨すべき美点をもっています。その意志の強さや、自信の強さや、目的に対して一路邁進する勇気や――それは実に「生長の家」の生き方に適っているところがあります。だから時々『生長の家』誌にも引用して、ややもすれば挫折しようとする人類の意気を鼓舞する範例にいたしています。

しかしナポレオンの意志の強さ、自信の強さ、その強靭なる邁進力は、向けられた方向がまちがっていました。

彼はこの尊き性質を、ただ自己の“野心”を満足せしめるために使ったのです。

“与えるため”につかったのではなく、“奪うため”につかったのです。

“野心”がいかに強くとも、一時いかに偉大に成功したように見えようとも、それは「迷いの心」であり、「我の心」ですから、やがて崩れる時が来るのです。

「迷い」は実在でないから迷いの心にささえられたものは滅びる。小我は実在でないから小我で突っ張りとおしたものは滅びる。

ナポレオンがよい証拠です。彼はワーテルローの戦いに一敗する一ヶ月前にゲーテに対(むか)って依然として「わが前に不可能はない」と言って自信力の福音を説いていたといいます。

ナポレオンの自信の強さはよい、しかしそれは「我の自信」でした。「我の自信」はいつかは壊(くず)れ、くずれた後にはただ敗残が残るのみなのです。

ところがキリストは「和が来たれるは人に役(つか)われんがために来たので、人を役(つか)うために来たのではない」と言っています。

キリストは奪うために来たのではなく与えるために来たのでした。

彼は世界を < 征服するために来たのではなく征服せられて土台石にならんがために来たのでした。> 

彼は時分で言っているように「われは父のみこころをなさんがために来た」のであって、「我意」で遮二無二突き通すために着たのではありませんでした。

そこがナポレオンとキリストのちがうところです。

「生長の家」がこの世に臨(きた)ったのも雑誌を経営したいという我(が)を主張するために来たのではなく、「父のみこころをなさんがため」に来たのです。そうであってこそ天使(てんのつかい)の守護があるのです。






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