生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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キリストの偉さと三代目・雅宣(自称)総裁の偉さ =『生命の實相』第15巻P.138〜139を雅宣(自称)総裁に当てはめて読み替える= (865) |
- 日時:2013年04月21日 (日) 16時40分
名前:読みかえ人
=『生命の實相』第15巻P.138〜139を雅宣(自称)総裁に当てはめて読み替える=
<< 人間の生命の偉大さは、その仕事の形の大いさで計らるべきものではないのです。欧州全土(「生長の家」)を征服したナポレオン(三代目・雅宣)の事業(「森のオフィス」)よりも、本間俊平氏が困れる人に与えた一足の草鞋の方が尊いのです。ナポレオン(三代目・雅宣)の生き方にはむろん推奨すべき美点をもっています。その意志の強さや、自信の強さや、目的に対して一路邁進する勇気や――それは実に「生長の家」の生き方に適っているところがあります。だから時々ナポレオンの生き方は『生長の家』誌にも引用して、ややもすれば挫折しようとする人類の意気を鼓舞する範例にいたしています。しかしナポレオン(三代目・雅宣)の意志の強さ、自信の強さ、その強靭なる邁進力は、向けられた方向がまちがっていました。
彼(ナポレオン=三代目・雅宣)はこの尊き性質を、ただ自己の“野心”を満足せしめるために使ったのです。“与えるため”につかったのではなく、“奪うため”につかったのです。“野心”がいかに強くとも、一時いかに偉大に成功したように見えようとも、それは「迷いの心」であり、「我の心」ですから、やがて崩れる時が来るのです。「迷い」は実在でないから迷いの心にささえられたものは滅びる。小我は実在でないから小我で突っ張りとおしたものは滅びる。ナポレオン(三代目・雅宣)がよい証拠です。彼(ナポレオン=三代目・雅宣)はワーテルロー(「生長の家」の“雅宣教化”)の戦いに一敗する一ヶ月前にゲーテに対(むか)って依然として「わが前に不可能はない」と言って自信力の福音を説いていたといいます。
ナポレオン(三代目・雅宣)の自信の強さはよい、しかしそれは「我の自信」でした。「我の自信」はいつかは壊(くず)れ、くずれた後にはただ敗残が残るのみなのです。ところがキリストは「和が来たれるは人に役(つか)われんがために来たので、人を役(つか)うために来たのではない」と言っています。キリストは奪うために来たのではなく与えるために来たのでした。彼は世界を < 征服するために来たのではなく征服せられて土台石にならんがために来たのでした。> 彼は自分で言っているように「われは父のみこころをなさんがために来た」のであって、「我意」で遮二無二突き通すために着たのではありませんでした。そこがナポレオン(三代目・雅宣)とキリストのちがうところです。「生長の家」がこの世に臨(きた)ったのも雑誌(「森のオフィス」)を経営したいという我(が)を主張するために来たのではなく、「父のみこころをなさんがため」に来たのです。そうであってこそ天使(てんのつかい)の守護があるのです。>>
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