生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示<第五十五話> (876) |
- 日時:2013年04月23日 (火) 10時58分
名前:信徒連合
生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇
第五十五話
個性命の進化と向上(その8)
『別冊・真理』<生死を超える道>よりの抜粋
展開する舞台――
<< 人生が発展し行く舞台面を見るためには色々の場面があって、それが統一されて最高の目標すなわち理想に向かって進んでいるのだと云うことを先ず知らなければなりません。
鉱物界に岩石が生まれてやがてその岩石が砕けて土となったのは破壊であるかと云うと、そうではなくて、植物と云う地上生命出現のための準備をしたのであって、常により高きものへと前進しているのだと云うことであります。
やがて植物は壊(くだ)けたる岩石の集合体なる土壌から発生し、それには種子(たね)を生じ種子は植物となり、植物は次代の種子を造ります。そしてこれが無限に繰り返されます。それは無限に増殖する生産能力を有する生きた有機体であります。それは霊の表現であるからです。
またこの故に、植物は生産機械以上のものであります。機械は終いには摩滅して、役に立たぬ部品となってしまうけれども、植物は自己を修理し、自己の傷を癒し、自己と同じ美しさの植物を又別に創(つく)ることが出来るのであります。
然し個々の植物はその存在の周期を終る時その活動を停止し、これを再び活動せしむることは出来ません。その復活は新しい体の中に行なわれます。すなわち、成熟した種子の中に再生するのであります。
植物及び全ての生物はこの周期的再生によって進化が可能なのであります。
全ての生命の根元である「霊」は常に一層高度の表現に向かって進んでいるのであります。
鉱物界に於いて、「植物」にまで発展すると云う声なき預言が、無生物の形の中に既に豫示(よじ)されているのと同じように、植物界には、さらにそれがなお一層複雑な有機体に発展することが豫示(よじ)されているのであります。
植物の中には這うもの、歩くもの、走るもの、登るもの、飛ぶものがあるのであります。動物の如く食物を消化する植物もある。極めて巧妙な工夫と罠(わな)とを用いて獲物を捕らえる植物もあります。一寸触れるだけの刺激を与えるだけで、反応を表す神経組織を持っている植物もあります。或いは観たり、聞いたり、その他自己の生存する環境に適応する不思議な力を持っているものもあります。
一つの植物がすべての感覚を持っているものはないが、種々の種類の植物の中にあらゆる感覚が表現されているのであります。
この無言の預言の中に、別の形の生命即ち動物界が預見されないでありましょうか。観察眼のある注意深い研究家なら、原始時代の植物界の高級な「種」の生命と知性とは、更に高級な生命体(動物)の出現を預示していたのだと云うこと、即ち植物の有する未完成感覚は、動物の視覚、聴覚、味覚、触覚となって表われる時代へと進んで行く過程中の胎児期であったと云うことに気がつくはずであります。
ここに注意を要する点は、生命が一段高い標準の生命に高昇する時、低い階級の生命的存在を常に支配すると云うことであります。
この点は植物王国が感覚のない鉱物界より優位にあることは見れば明瞭であります。植物界に於いて生命は、自動力のない物質を捉え、持ち上げ、活動のための体として使用し、それによって霊と智慧とを発揮するからであります。私はこの興味深い植物の内にすでに潜在的に存在する動物的性格に興味を深く感ずるのであります。>>(P.101−103)
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