生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示 <第六十話> (919) |
- 日時:2013年04月28日 (日) 14時54分
名前:信徒連合
生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇
第六十話
先祖供養、および個別霊の供養(その3)
運命決定の三要素(『霊供養入門』)
(3)神または高級霊による運命の修正(第三要素)
<< これによって考えると、自己の運命の前半は、“過去世の業”(過去の生まれ変りの世代での業績)で決定されるのであるけれども、自分の運命の後半は、今世に生まれてからの“心の持ち方”や行いの仕方、人のためになる事をどれだけ心がけてしたかの自分の努力によって決定されるのである。
しかしながら「稼ぐに追いつく貧乏なし」という諺(ことわざ)もある。急激なインフレや不景気などの社会情勢の中にあっては人間の努力だけではどうにもならない、いつまでも苦しい運命に追い込まれたままで、それを耐え忍ぶよりほかに道がないようにも思われる。
そこで人間の努力の及ばないところに、“神”または高級霊の援助または加護を必要とするのである。
人間の運命の半分は前世の業績、残りの半分の1/2は自分の努力による業績で、残りの半分の、もう1/2は、神または高級霊の加護による運命の改善または修正によって、もっと不幸になる筈の運命が救われるということになるのである。>>(P.48)
<< その予言がデタラメであろうが、実際その予言者が超能力をもって、すでにその来るべき運命の霊的原型を直感して得た予言であろうが、それが凶運である限り、その運命を修正したいのは何人(なにびと)もの同じ願いであると思う。
ここに運命を構成する要素の第三である所の“神”または“高級霊”の出動がる。すでに“霊の世界”又は“心の世界”には事件の原型が出来上がっているのであるから、その光景が現実世界に映写されるべく待機している運命のフィルムを、“神”または“高級霊”によってその現実化以前に、幸運の方向に修正して頂くほかには、“凶運の霊的原型”を修正する方法は無いわけである。
そのような修正をお願いすべき相手は“神”または“高級霊”であるが、“神”は“祈り”によって心を左右されて、相手に恵を垂れたり、恵みを与えることを差し控えたりされるような“愛憎の念”の持ち主ではないのである。
しかし純粋に“正”と“義”をもって立ち給う“神”にわれわれの心が振り向く気持になったときには、祈る人自身の心が浄(きよ)まる。その心の浄化の程度に従って、浄化せる心の持ち主である“高級霊”の心に、祈りの念願が達して、高級霊の加護の力が動き出すことになるのである。
それらの高級霊は“霊の世界”に住んでいるので、“霊の世界”に在って、まだ現象世界に移行していない凶運の霊的原型を破壊したり、修正したりすることができるのである。それは、あたかも上映前の映画フィルムを点検して、その映像の“悪い部分”をカットしてから映画館(現象界)で上映されるようなものである。
それら高級霊の中にはわれわれの祖先の霊魂もふくまれている。それ故に、祖先霊に「真理の言葉」を供養して祖先霊が真理を一層悟り神通力を増し給うてわれわれ子孫を加護して厄難(やくなん)を祓(はら)って下さるように、毎朝または毎夕、仏前または神前で先祖霊に対してお経、または聖経『甘露の法雨』を読誦(とくじゅ)するがよいのである。>>(53−54)
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