生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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原宿城凱旋・FAX作戦原稿傑作撰! (51〜55) (950)
日時:2013年05月02日 (木) 09時30分
名前:FAX作戦推進本部

   <雅宣総裁「今の教え」のおかしさ>

           わたしは、“平凡”・非凡“どちらでしょう?


<<人間の食用になるキノコと有毒のキノコでは、いったいどちらが「平凡」で、どちらが「非凡」なのだろうか? どちらが優れていて、どちらが劣っているのか? あるいは、「適者生存」の原則に即して、どちらがより進化をとげているのだろうか? この問いに対する答えは、結構むずかしいと思う。>>(平成22年7月2日『小閑雑感』より)

              ************

<生長の家間連の他の掲示板での感想投稿より>

▼ この「小閑雑感」の文章のどこに「宗教的真理」の解説がありますか? 雅宣総裁は「この問いに対する答えは、結構むずかしいと思う」なんて 答を示さず遊んで おられる。

▼ この小閑雑感の意図は「わたしは「平凡」でしょうか、「非凡」でしょうか? それとも単なる「○○」でしょうか?と信徒達に問いかけているのでは?

▼ まさに、『小閑雑感』ではなく『大閑雑感』・セレブ坊ちゃまの山荘でのお遊びに他ならず、このお遊びが講習会のテキストとなるのですよ。

              平成25年○月  
               開祖・谷口雅春先生の『御教え』の復活を真剣に考える信徒


              〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


注: 上記原稿は、A4一枚に納まるように作られています。




原宿城凱旋・FAX作戦原稿傑作撰! (52) (957)
日時:2013年05月03日 (金) 11時40分
名前:FAX作戦推進本部




            雅宣(自称)総裁のみた不思議な雲!


<<大分教区講習会後に「暘谷城跡」という所へ寄った。。その時、妻が頭の上を指差して「おもしろい雲が出ている」と示したのを、写真に撮った。雲は不思議だ。この時の私には、自分たちの頭の上だけ、他とは違うパターンの雲が浮かんでいるように思えた。秋に見えるイワシ雲より、さらに細かい綿毛のような、やさしい雲だった。>>(平成22年6月27日『小閑雑感』

                **********

▼ ご本人は少しも気付いてはいないが、「三界唯心所現の理」に照らしますと、雅宣総裁の心境の現象化で何らかのメッセージが示されていると思われます。

▼ 拡大してみて見ますと、 右端の真中よりスグ下のところの薄い白い雲が女性の顔に見えます。 その女性は腕に赤ん坊を抱いています。 その赤ちゃんは両手をあげて前向きに抱かれて見えます。

▼ さらに、 真中の左の所のハッキリした白い小さな雲がありますが、 これも子供の顔に見えます。両目、鼻、口が分かると思います。

▼ 雅宣総裁が撮影された写真は一種の“心霊写真”と考えられます。

▼ 「心霊写真」の判読が出来る霊能者ならどのように判読されるでしょうか?じつに意味深長であります。

              平成25年○月
               開祖・谷口雅春先生の『御教え』の復活を真剣に考える信徒



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



注: 上記原稿は、A4一枚に納まるように作られています。


<追記>

*  三代目雅宣(自称)総裁は、雲の発生と形と言うものは、水蒸気と大気の流れと温度の関係によって決まる人間の想念などとは何の関係もない単なる「自然現象」と考えているのです。。

* 講習会では「三界唯心所現の理」を説きながら、現象世界は唯心所現ではなく、科学的自然現象だと心の底では深く信じているが故に、 此の写真をみて霊的な意味など何も考えずに“おもしろい雲”と思って堂々と発表したのでありましょう。まさに、「私は“霊的なこと”は、判りかねます。雅宣拝!」であります。

* 霊能力など持ち合わせていない末端信徒でさえスグに気付くことなのですのに何の気付きもなく、「自然現象としてのおもしろい雲」という認識では、決して宗教家とも云えないでしょうし、 ましてや、偉大なる開祖・谷口雅春先生の生長の家の後継総裁としては不適格者であることが明瞭に証明されたのであります。

             ************

 雅宣・純子総裁にとっては“おもしろい形の雲”について、別の人の感想が他の生長の家関連のブログに投稿がありましたのでご参考までに転載させていただきます。


タイトル:<本人は知らない大事件>

  大分県講習会が終わった。 相変わらずの旅行の帰りには、観光だ。講習会後には、旧日出(ひじ)藩の城跡である「暘谷城跡」という所へ寄った<<と書いておられる。 そこでお二人の出会われた大自然からのメッセージが真っ蒼のお空に妙霊不可思議なる白雲だった。

 ご自分でブログにその写真を発表されているのだから、仕方が無い。 しかしご自分達は何とも感じられていないのが可愛そうでならない。


 雅宣(自称)総裁は写真をご自分の意志でブログにアップされたようだが、 それはそうでは無い、潜在意識のなせる技であり、発表しなければならなくなったのだ。

 雅宣総裁の潜在意識の懺悔の働きか、 この写真をよくよく見ると、入道雲の両端から霊雲が昇り何かを大いに訴えている広大な意識霊雲です。 そしてその左中程には胎児のような幼子が両手を挙げて雲を見上げている総裁夫婦を見つめているではないですか。 以前雅宣総裁が副総裁の時に「宇治の流産児供養塔にお参りしても、救われる場合もあればそうでない場合もある」と発言した。 それ以後生長の家では流産児供養や流産児を出さない教えがほとんど説かれなくなった。

 霊界の流産児は谷口雅春先生に救われ天使となって喜んでおられたのだが、 雅宣氏が総裁になってからは、流産児の天使達は悲しみに包まれていました。 そこで雅宣氏が空を見上げたその時妙霊雲が立ち昇り、 それに誘発されて霊界で生長の家の転換に悲しんでいる流産児が訴えに出て来られたのだが残念、雅宣総裁には何にも気づかれなかったのです。  雅宣教は今や生長の家をかたる環境団体であり霊界とのつながりもございません。  
 合掌ありがとうございます。



************



<ご参考までに>

 昭和天皇御崩御の際、富士山頂から白鳥の形をした大きな白雲が発生

<< 合掌、ありがとうございます。昭和64年1月7日、午後6時35分、昭和天皇陛下御崩御のニュースと同時に、富士山頂より俄かに白雲が湧き起こり、みるみるうちに白鳥の姿となって大空のかなたに天翔けりゆく様子を、全身がしびれるような感動で見送りました。

(その巨大な白鳥の形状をした雲を道場職員がカメラに収めました。)>>(生長の家富士河口湖錬成道場・総務 鹿沼景揚先生記)



************




原宿城凱旋・FAX作戦原稿傑作撰! (53) (970)
日時:2013年05月04日 (土) 09時24分
名前:FAX作戦推進本部




      <「今の教え」の誤り>

              雅宣総裁・唯物論の典型的事例!


『ニューヨーク・タイムズ』(電子版)によると、人類でもっとも最近起こった“進化”は、約3千年前に中国の漢人からチベット人が分化したことだとする研究・・・特に驚いたのがこの「HIF2a」という遺伝子で、漢人は9%にしかこれがないが、チベット人の87%がこれをもっているらしい。この遺伝子のおかげで、チベット人は高地にいても赤血球があまり増加しないという。・・・チベット人が分化したことで、中国系の人類全体を1つのグループと考えれば、そのグループ全体の環境への適応能力は増加したのである。だから人類は、このようにして多様性を拡大することで、人類全体の生存能力を増大してきたということができるだろう。>>(平成22年7月4日『小閑雑感』)

                **********

★ 三代目・雅宣氏は“現象に先立つ理念”がどうも理解できないらしい。

★ 三代目・雅宣氏は“霊魂の進化・霊性の進化”もわからないらしい。

★ この様な「小閑雑感」の唯物論文章は、本来の『御教え』を説くものではない。最高指導者としては落第点であります。

★ 三代目・雅宣氏には即刻退陣してもらいましょう!

               平成25年○月 
                本当の「生長の家」真理を求道する信徒


     〜〜〜〜〜〜〜〜(A4チラシの原稿はここまで)〜〜〜〜〜〜〜


注: 上記原稿は、A4一枚に納まるように作られています。




<補足説明>


今回のチラシ原稿だけでは、説明が不十分でありますので、以下少々詳しく補足をしておく必要があると考えます。

再度、雅宣(自称)総裁の文章を詳しく記させて頂きます。


<<ここでキノコと人間とを比べるのは早急かもしれないが、最近の研究で興味あるものが報道されている。それは、人類も“進化”の途上にあることを示す研究だというのだ。7月2日付の『ニューヨーク・タイムズ』(電子版)によると、人類でもっとも最近起こった“進化”は、約3千年前に中国の漢人からチベット人が分化したことだとする研究・・・特に驚いたのがこの「HIF2a」という遺伝子で、漢人は9%にしかこれがないが、チベット人の87%がこれをもっているらしい。この遺伝子のおかげで、チベット人は高地にいても赤血球があまり増加しないという。
 もしこれが“進化”だとした場合、チベット人は漢人より全体的に「優れている」のだろうか? そんなことはあるまい。もし優れている面があるとしたら、それは「高地にあって生活する能力」という一部だけである。ただしその反面、この遺伝的な適応があったおかげで、別の面ではハンディキャップが生まれているかもしれないのだ。全体としてどちらが優れているかは、誰にも分からないだろう。なぜなら、生存上の有利不利は、その人が棲む「環境」を無視しては決められないからだ。そして、環境は地域によって様々だから、比較して優劣を言うことはできないからだ。しかし、ここでも言えることは、上記のように漢人からチベット人が分化したことで、中国系の人類全体を1つのグループと考えれば、そのグループ全体の環境への適応能力は増加したのである。だから人類は、このようにして多様性を拡大することで、人類全体の生存能力を増大してきたということができるだろう。>>(平成22年7月4日『小閑雑感』)


雅宣(自称)総裁のこの「小閑雑感」の文章は、“適者生存の進化”に関するものでありますが、<人類の進化・民族>というものを、いつものように“物的環境への適応能力”という唯物論の観点からしか捉えていないのであります。

生長の家総裁というからには開祖・谷口雅春先生の説かれた唯神實相という本来の『御教え』の観点から説かねばならないのではないでしょうか。


雅宣(自称)総裁は、生長の家の根本的な『御教え』であるところの「理念が現象に先立つ、理念が現象化する」観点からから説かなければならないし、進化についても形而上的な面から説かなければならないのであります。

然るに、雅宣(自称)総裁は唯物的方面からしか説いていないため、この文章の基本的考え方として次の二つに帰着してしまっているのであります。

(1)人類(生物)の「進化」とは、環境に対する生存能力の増大のことをいう。

(2)チベット民族は漢民族から分化(枝分かれ)した。逆に云えば、チベット民族のルーツは漢民族である。(だから、チベットはシナの一部である事の正当化の根拠となる。)

 やはり、三代目・雅宣(自称)総裁は“左翼唯物論学者先生”であることが再び立派に証明されたのであります。

 開祖・谷口雅春先生の「御教え」を正しく信徒に説き、時代に伝える人ではないことがこの7月4日の『小閑雑感』の文章によって証明されたのであります。


 三代目・雅宣(自称)総裁は、「進化」について、「民族」についての考え方が全て“唯物的・現象的観点”からのものであって、少しも“霊的観点”すなわち「生命の実相・唯神実相哲学」の観点からのものではないのでありますから、 生長の家最高指導者としてはこれでは困るのであります。『御教え』を正しく説く事が出来ないから失格です。


 以下「進化」と「民族」に関する開祖・谷口雅春先生の御著書から要点をまとめさせていただきます。


[T] 「進化」について

(1)霊魂の進化とは、現象世界(地上現象世界・幽界・霊界)に実相人間を顕現してゆく課程をいう。つまり、個生命がわが実相の一層自由な相を顕わして無限生長の道を歩んで行く事である。(『生命の実相』第9巻・P.102−103を参照)

(2)霊魂進化の課程を短縮するのは「念の浄化」であり、そのためには「実相」を悟ることが第一、物質欲に捉われない事が第二、そのためには、物質本来なしの真理を悟るのが第一である。(『生命の実相』第9巻・P.102−103を参照)

(3)地上に於ける霊魂進化の尺度とは
  * 他に対する赦し、寛大と峻厳との必要を知る雅量
  * 卑しき者、世に出でざるもの、弱きものに対する愛、社会的成功・名誉・地位等に対する無関心によって伴われる愛
  * 哲学的思索の傾向、霊界の神秘を知らんとする熱望、その神秘に貫き入る努力
(『生命の実相』第9巻・P.120を参照)

(4)個生命(霊魂)の進化によって自我は薄くなり、しかし、益々個性的になる。霊魂が一生涯かけて獲得し、征服した全ては霊魂の個性をそれだけ明瞭かつ強大にする。個性は彼のみのものである。(『生命の実相』第9巻・P.135、『人間死んでも死なぬ』P341を参照)

(5)地球やその他の天体は人間の霊魂が修行し向上し、内在無限の神性をより多く発揮する場であると共に、より一層進化向上した霊魂の指導を受けて運命を修正して行くのである。(『生命の実相』第9巻・はしがきP.2参照)

(6)魚族、鳥族、象族等が「種」の進化の共通のものを代々受け継いで行くが如くには、人間は、種族全体が、個人の知的精神的発達を代々受け継いで行くことを証明する何物もないのであって、人間は、個々の霊魂が一人ひとり進化するのであります。(『別冊・真理P67−68参照)


『生命の実相』第9巻霊界篇・上巻には、「進化」という文字が数えてみますと151回ありました。 数え落としもあると思いますがそれほどまでに「個性命(個々の霊魂)の進化(霊界を含めての現象世界に於ける実相顕現の過程=プロセス)」というものが重要なものである事がわかるわけであります。

「個性命(霊魂)の進化」に関しては、三代目・雅宣(自称)総裁の『今の教え』では意識的に回避しているとしか考えられません。 その理由は雅宣総裁自身が左翼唯物論思想が基本でありますので、<霊と霊界>のことは、「自分には解からぬ(=信ぜず)」と講習会での信徒の質問に答えているのであります。



[U] 「民族」についての要点をまとめさせて頂きますと、

(1)国家というものの本質(本源)は「国家という理念」である。従って、日本と云う国は「日本国家なる理念」が顕現したものである。

(2)民族というものの本質(本源)は「民族という理念」である。従って、日本人・日本民族は「日本民族という理念」が顕現したものである。

(3)「理念は現象に先立つ・理念は現象化する」という哲理から考えるとき、

<日本民族とは複数の渡来民族によって形成された「多民族国家」という今日の一般常識は唯物論の現象的観察としては頷(うなづ)けるかも知れませんが“理念の哲理”から観ますと“観方(みかた)”としては極く浅い不十分なものであります。

(4)「日本民族なる理念」が、「日本精神」なるものを霊魂としての各人の深層意識下に醸成していた人々を地球上の各地から引き寄せ現実の「日本民族」を形成してきたのであります。

 「日本民族なる理念」に心の深層(無意識の意識層)に於いて共鳴を感じた人々(霊魂)が同類親和という波長共鳴の宇宙法則の作用によって日本民族を形成し、かくの如き原理によって、外国人に生まれても日本に帰化し日本民族の一員となることに魂の歓びを感ずるのです。

(5)このように、日本人のこころの深層には、皆この「日本民族という理念」・「日本民族精神」・「日本精神=中心に帰一する心・大和の心・雅の心・清き明かき心等々」が存在しているのです。

 この一つの共通点によって、日本人は心の中で強く結ばれていて、「理念としての日本国家なるもの」・『日本の国家理念』が(無意識的であっても)理解出来ているのであります。ここから理論と理屈を超えた愛国の感情が出て来ているのであります。

(6)「日本民族精神」は、言葉を換えれば『神ながらの道』であり、 この精神を心の最深奥(深層意識)に日本人が皆大切に保持して居るが故に、いつの時代でもお伊勢まいりも途絶えることなく、また、平成の今も、各家庭の宗派は異なってもお正月には神社へ初詣に出かけるのです。

 日本民族はその外面的なルーツを見れば渡来民族で、どこから来たのであろうか、何時ごろ渡来して来たのであろうか,と云った“ルーツ探求”に興味と関心を向ける人々も多くおりますが、

 それよりも形而上的な日本人・日本民族の最深層意識「日本精神=神ながらのみち」に注目すれば、自ずから日本民族は「霊的単一民族」である事が判るのであります。

(付言しておきますれば、以上の事柄が理解できますと、国家護持のために生命を捧げた英霊の魂は皆、“神ながら”の方式に従って、靖国神社に祭祀されることを深層意識として望んでいることであり、靖国神社の国家祭祀は当然のことといえるのであります。)

(7)結論を纏めますと、「日本国の国家理念」が「日本民族の民族理念」として展開して、大宇宙の高級神霊界の摂理と経綸によって、個生命としての各人の霊魂の心の深奥部に「日本民族の理念」を植え付けられた人々を高級神霊界の眼に見えぬ摂理の糸が日本の国土へと引き寄せ手繰り寄せて出来あがったのが現実の日本民族であります。

 その目的とするところは、アインシュタイン博士やポール・リシャール博士の直観せる如く、この地上に実相の真理国家の映しをまず一つお手本として顕現せしめ、それを世界に敷衍する事であります。


 三代目・雅宣(自称)総裁には開祖・谷口雅春先生の思想はないと考えた方が当っているのです。

 だから、『生命の實相』等は真剣には読まないのです。 目的は生長の家を日本国家にとって有害無益な存在とし、日本人の心から国家意識・民族意識・日本精神(大和魂)を消して世界市民意識にして行こうとしていると考えられるのであります。 この様な人に開祖・谷口雅春先生のすばらしい「生長の家」は任せられません。

 
 全国の信徒のみなさま!
 三代目・雅宣(自称)総裁には即刻退陣していただき、 新しい総裁の下に真の日本の国のためになる生長の家を再建いたしましょう!行動を起しましょう!





原宿城凱旋・FAX作戦原稿傑作撰! (54) (980)
日時:2013年05月05日 (日) 08時33分
名前:FAX作戦推進本部




    <「今の教え」の誤り>

           肉体頭脳知で原稿を書いて“肩の荷”をおろす”


<< 木曜日の休日でしたが、原稿があったのでずっと原稿書きをしていました。教修会が終わってから、すぐ原稿にかかり、ようやく今日の夕方メールで原稿を送りました。肩に重くのしかかっていた荷を、ようやく降ろして、久しぶりに解放感を味わっています。難しいテーマの時には、混沌として深い霧の中にいるようなときもあります。そういう時は、霧が晴れることがあるのだろうかと思います。ですから、仕上がった時は、格別な解放感を味わうのです。>>(平成22年7月15日『恵味な日々』)

               **********

純子白鳩総裁の文章には、総裁にふさわしい執筆態度がない。

▼ 「神想観」をして神様の御知恵に導かれて書くという謙虚さが全然ない。

▼ 女流エッセシストのノルマを達成した時の、開放感に思える。

▼ 「人類光明化運動」への燃える使命感なき執筆態度である。

             平成25年○月  
              開祖・谷口雅春先生の『御教え』の復活を真剣に考える信徒


        〜〜〜〜〜〜〜(A4チラシ原稿はここまで)〜〜〜〜〜〜〜

注: 上記原稿は、A4一枚に納まるように作られています。




<補足>

平成22年7月15日『恵味な日々』の文章の「肩の荷を降ろす開放感」の詳しい記述は、

<< 木曜日の休日でしたが、原稿があったのでずっと原稿書きをしていました。教修会が終わってから、すぐ原稿にかかり、ようやく今日の夕方メールで原稿を送りました。肩に重くのしかかっていた荷を、ようやく降ろして、久しぶりに解放感を味わっています。私は原稿を書くとき、まずテーマにそって心に浮かんできたことを、何でもどんどん書いていきます。それから、重複しているところや、表現があいまいなところ、論理が飛躍しているところなどを直していきます。 その過程で、自分がよく理解していないことが分かったり、あるいは疑問点などが出てくると、テーマに関連した本などを読んで確かめます。そんな作業があるので、一日で仕上げるというわけにはいきません。書いた原稿を、一日、二日と置くことにより、客観的に見ることが出来るようになり、独りよがりなところは変えていきます。それでも、難しいテーマの時には、混沌として深い霧の中にいるようなときもあります。そういう時は、霧が晴れることがあるのだろうかと思います。ですから、仕上がった時は、格別な解放感を味わうのです。>>


* このようにして書き上がった三代目純子白鳩会総裁エッセイ文が毎月の月刊誌(「神誌」ではない!)に掲載されるのであります。タイトルは“肩の荷を降ろす”であり、毎月の原稿書きは何か自分に課せられたノルマの達成責任としての仕事との感を受けるのであります。

* また、<テーマにそって心に浮かんできたことを、何でもどんどん書いていきます。>とありますが、今までの月刊誌に発表された文章を拝見させて頂きましても、人生の深刻な病・悩・苦の解決を求めて宗教の門を叩く人の存在など全く眼中に無いような一般主婦のエッセイ文のような文章内容であります。特に宇宙大生命(サムシング・グレート)の御意志によって開祖・谷口雅春先生を通じて地上に出現せしめられた『生長の家』の今一つの大きな目的は“国家の成仏”であったのであります。民主党政権が招き寄せ進行せしめた種々の国難のことなどは純子総裁の心に浮かばないのでしょうか?

* <国難というコトバで認めるから“国難”になっている。実相世界には国難などは無いのであるから、そのままで善い。そのままで善いのだ。非実在のものは自然消滅するのであるから。>としか思っていないのでしょうか?国難の自然消滅は確かにそのままにして置けばなくなりましょう。ただし、それは日本人の日本国家・日本民族意識がなくなり共産中国に併呑されれば国難はなくなりましょうが、それは果たして宇宙大生命(サムシング・グレート)の御こころでありましょうか?開祖・谷口雅春先生の御教えでしょうか?断じて『否』であります。

* <難しいテーマの時には、混沌として深い霧の中にいるようなときもあります。そういう時は、霧が晴れることがあるのだろうかと思います>と、ありますが、<そのようなときには暫し神想観をさせていただきます>とはどうして書けないのでしょうか?また、常に国家のこと、人類の病・悩・苦について宗教家として常日頃からこころを致しておれば、どんな難しいテーマでもそれに関連する開祖・谷口雅春先生の御著書の中の章句が先ず浮かんでくるはずであります。純子さんには“宗教・信仰の導師”として、それに相応しい『生命の實相』に基づいた内容の文章を書いていただかねば決して“先生”などとは呼べないのであります。そもそも第三代目・雅宣・純子さんは信徒の浄財のお蔭で物質的には悩み無きセレブ生活を送っているわけですから、国家のことや末端国民のことなど平素から大してこころに止めていないのでありましょう。

* <疑問点などが出てくると、テーマに関連した本などを読んで確かめます。>とありますが、関連した本の中には開祖・谷口雅春先生の『生命の實相』その他の御著書は入らないのでしょうか?それこそ「原理主義」に陥る危険性が大であるからなので開祖・谷口雅春先生のご本はあまり読まないことにしているのでありましょう。ましてや、近い将来、聖典『生命の實相』や聖経『甘露の法雨』は原宿教団からは消えてなくなるのでありましょうから。

* それにしても、私たち末端の信徒が読んでも三代目・谷口雅宣・純子両(自称)総裁の文章には何の感銘も受けず、魂に響いてくる言葉や章句はまったくありません。深刻な人生苦など救われるわけもないのであります。どこにでもあるような学者・評論家・主婦の片手間エッセイの類であります。洵(まこと)に残念であります。

<ここまで現在の三代目・雅宣氏の「生長の家」の霊的レベルが落ちに落ちたとは!>。多くの正統派信徒達が魂を熱くして繰り返し読んだ『生命の實相』の御文章を二つ掲げさせて頂きます。



*************



「生命の実相」第1巻P.15−16

<< ところが、埼玉県から霊眼によって、わたしが『生長の家』の原稿を書いている現場を透視した人があって、わたしが霊感によって書くということを客観的に証拠だてた人があります。それは埼玉県の笠原政好君であって、昭和6年6月1日付で報告が来ています。

「 神想観を実修して、大虚無の境地に入っていた。ふと目に映じ出した、私の処から西南に当たる方向に先生の姿が髣髴(ほうふつ)として見える。実はまだ私は一度も先生のお顔を拝見したことはない。それが霊の性質かもしれないが確実に見える。さっきから先生は広間の片隅で穆々(ぼくぼく)しく机に向かっておなじみのペンを持って何かお考えを書いている。姿勢よく座し、しかとペンを握り十分に含ませたインク、あたりの光景は手に取るように見える。光明は先生の軀(からだ)から無限にも放出する。ちょっと弱そうな容貌、しかしその熱烈さ。『道』に奉ずるの御決心は一目瞭然である。

生き生きしたペンはソロリソロリ走り出した。まだなん行とも書かぬうち先生は無我のうちにおかれ、またたくまにペンのスピードは前とはまるで変わってくる。走る走るあらっと思う間もなくぜんぜん先生とは違った人になっている。口元の締まった、あご髯(ひげ)の胸まで垂れ下がった、見るだに気高き霊人だ。あれ先生はどこにと、見詰めた。ああ先生は霊人の内に溶け込んでいるのだ。霊人は全支配権を握り、わき目もふらず書を進めてゆく。あれなんという、推敲(すいこう)もせずそしてペンの早さは目も及ばぬほどだ。まあ不思議なこと一体どこから来た方だろう。霊人の軀から神々しい霊光が放たれ付近は光明浄土と化した。

静寂また静寂、付近はまだ霊人の占領地となっている。やがてペンははたと止み、霊人はどこにか姿を消してしまった。目的の文ができあがったらしい。後は先生の独座とかわった。やれやれ重荷でもおりた様子。籠の鳥が放たれたように急にのんびりして今書き終わった短文を精読している。精鋭な先生の視力はやたらに文字に引きずられてゆく。二回も三回も熟読してますます神秘の霊感に打たれている。『無理はない』渺漠(びょうばく)の領境に導かれるどころか独専霊人の書だ。数十分の間私は恍然としてこの光景につりこまれて、ひたすら現象のなり行きを見つめていた。先生はこれを整理してまた他の目的に向かってお働きになられた。

(付言)、先月14日にも神想観実修のおり、目に映ったことがあり、昨夜も同然御動静を拝し、当夜はまたこんなに勝れた光景にまで出くわしました。政好は年若く、世の経験に乏しいものです。ですがすべてを政好の感性の所産と思し召しくださるな。私は初めて自分の偉大さを知る。私は私の背後にもやはり常に私を操ってくださる方のいることを信ずる故に。頓首。(12月30日夜)」 >>


 
************



「生命の実相」第25巻・教育実践篇上巻(布製携帯版P.104-106)

<<「生長の家」で説くところの宗教的真理は、多くの善き宗教の真髄をなしている宗教的真理と同じであり、むしろ多くの宗教の説く真理に開眼を与える底のものでありますが、何処が違うかと言うと文章によって一喝(いっかつ)を与える点であります。本を読めば病気が治るということも、文章による一喝によって、読者の生命の実相が開かれて心の病気が治る。肉体の病気の治るのも、この随伴的結果なのであります。

 <この生命の実相>というものは、今までは文字・言語のよく説くところではない。言詮不及(ごんせんふきゅう)・不立文字(ふりゅうもじ)であると言われていた。それを文字を立て・文章を立て・言葉の力によって生命の実相を悟らせるようにさせた所が、生長の家の独特なところであります。 今までは、真理と言葉とが二つに分かれていて、言葉や文章は真理を完全に表わすものではない、と思われていた。ところが、生長の家では、言葉と真理・文章と実相とをピッタリ一致させた。 古来、直接説法・以心伝心でないと悟ることも出来ない真理を、ただ文章を読むだけで悟れるように、文字の中に生命あり・生命の中に文字あり・文字と生命と一体と言うような域にまで達せしめ得たのだろうと思います。

 さればこそ、本を読むだけで直接参禅しても得られないような悟りに到達する人が多勢現われて来て、その影響の及ぼすところ肉体の病気も治り、境遇・環境まで変化してくるというようになって来たのであります。 生長の家は、宗教としては今までの多数の宗教に対して敢えて別異を説くのではない。根本に於いて・真理に於いて同じことでありますけれども、その表現が今迄に見ないような強い迫力ある芸術になっている。生長の家では、活字が道場である。文章が教化の師である。活字の印刷した新聞紙の行くところ、活字の印刷した小冊子の行くところ、其処が道場化して人を救うということになるのであります。>>




原宿城凱旋・FAX作戦原稿傑作撰! (55) (987)
日時:2013年05月06日 (月) 14時15分
名前:FAX作戦推進本部




        三代目・雅宣氏へ

                辞 去 の す す め !

合掌、ありがとうございます。
 このところ急速に、雅宣(自称)総裁の独裁恐怖体制・宗教家としての言行不一致・中道愛国の生長の家の抹殺目的が末端信徒まで伝わって行っております。貴殿自体の名誉を保つため、今が潮時、みづからの積極的辞任を求めます。

雅宣氏の原宿教団からの辞去は次のような好影響をもたらすのであります。

(1) 開祖・谷口雅春先生の本来の『御教え』をそのまま継承する新総裁の下で、正しい「人類光明化運動」と中道実相の真理国家の建設、すなわち「天皇国・日本の実相顕現運動」が再び強力に推進され、日本国家及び世界人類のためになる本来の『生長の家』となります。

(2) 霊的に優れた有為なる人財が綺羅星(きらぼし)の如く再集合して参ります。信徒とくに愛国青年の目は往時の輝きを取り戻し、「使命行進曲」にある如き信徒全体の使命感は高揚し、国民世論の霊的次元の向上が期待されるのであります。

(3)雅宣(自称)総裁自身の霊魂にとっても、これ以上の法罪(教組反逆罪)を重ねることから救われ、帰幽後の暗黒霊界での反省のための滞在期間も短縮されることになるのであります。

 いづれにしても、すべてに於いて『目出度し!目出度し!』の結果が出るのであります。

            平成25年○月 
             開祖・谷口雅春先生の『御教え』の復活を真剣に考える信徒



            〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


注: 上記原稿は、A4一枚に納まるように作られています。






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