生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家「今昔物語」・ 理性篇の再掲示 <第七十一話> (968)
日時:2013年05月04日 (土) 08時55分
名前:信徒連合




生長の家「今昔物語」第六篇 理性篇



第七十一話(通算第397話)


 
人を癒すには如何に念ずるか(1)

(『神癒への道』P.211−214)




 現在の光明思想運動、精神力又は心霊力によって、境遇及び肉体的疾患を癒そうという運動は、これを総括してメタフィジカル・ムーブメント(哲学的運動)といわれているのでありまして、それは最近此の哲学者達が一般に承認している一元論的一神論的哲学に根拠をおくのであります。

それが一元論であるというのは、その学説と根拠が、宇宙には唯一つの自然的秩序があり、唯一つの原理があり、唯一つの神があり、全体が神なる宇宙霊によって支配されているという哲学であるからであります。

これが縦の真理でありまして、その横の真理は所謂(いわゆる)観念論的哲学でありまして、一切の現象界の事物は、悉く観念の展開であるとするのであります。

すべての現象の形の奥には、その現象と同じ姿の観念的或いは想念的な原型があるというのであります。

 このメタフィジカル・ムーブメントが勃興したのは十九世紀の中葉に於いて、アメリカに於いてでありますがそれまでの宗教的指導者達は、どちらかというと、一元論よりも二元論を採用していたのであります。

即ち彼らは、一切のものの終局の本源として霊と物質とを対峙(たいじ)せしめておったのであります。即ち霊が物質なる肉体に宿って、その肉体を操縦し、或る使命のためにその肉体を使用し、用終れば霊はその肉体を捨てて霊界に去るのである。之(これ)を肉体の死というのである。之が即ち十八世紀の中程までの宗教の見地であったのであります。

之に反して、当時勃興しつつありし科学は、唯物論的一元論を採用して、物質のみがすべての存在の終局原因であり、その物質の作用が生命(いのち)の現象であり、物質をはなれて、生命も精神も、あり得ないと説いたのであります。

この唯物論なるものには何ら理想的なるものは認められない。生命は唯(ただ)、物質の過程又は作用にすぎないのであるから、永遠の価値などというものはどこにも存在しないのである。というような無理想、無解決の人生観が幅をきかせていたのであります。


 そこで在来の肉体の外に、自主的な霊が存在するという宗教的なものの考え方と、霊などは存在しないのである。物質の解体と同時に精神現象は消滅してしまうものであるとの二つの見解の間に結局理論的闘争が行なわれる事になり、その闘争の新たなる解決者として現われたのがこの新しきメタフィジカル・ムーブメントだと観ることが出来るのでありまして、此の新しき哲学は二元論的宗教論にも一部分反対しつつ、その中の霊的存在を認める方面にのみ賛成し、同時に唯物論を否定しながら、一元論を採用して、霊的一元論ともいうべき哲学を展開したのであります。


 この哲学は、今までの哲学が或いは象牙の塔上の空想的哲学であったり、或いは机上の空論であったりした欠点を補って実証を携えて登場したのであります。

この哲学運動の創始者は所謂る光明思想家群であって、各々類似の学説と実証とを携えて、或いはメンタル・サイエンスと称し、或いはスピリチュアル・サイエンスと称し、或いはリリジャス・サイエンスと称し、色々の名称を附したものでありますが、互いに手を携えてその運動を展開したのであります。

彼らは言います、「唯物論者は、凡ての事物の根源は一つでなければならないという点に於いて正しいのである。然しながらその一つの根源は『霊』であって、霊のみが唯一つの存在であり、物質は霊のある法則に於ける現れ、『現象』にすぎないのだ」と主張するのであります。

この運動は最近の新興物理学の進歩によって、物質が一定の形態を備えた空間的容積を備えた空間的容積を有する存在ではなくそれはエネルギーの波動に還元さるべきものであるという学説にバックされて、科学と宗教との間の闘争を調和せしめつつあるのであります。

この立場に於ける思想は今日メタフィジカル・ムーブメントの人たちによって、支持せられているのみならず、多くの一宗一派に偏らない宗教のリーダー達によって採用されているのであります。生長の家の哲学もこの新しき科学と調和する哲学を採用して出発しているのであります。>>







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