生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示<第六十八話> (986)
日時:2013年05月06日 (月) 13時43分
名前:信徒連合




生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇



第六十八話


 先祖供養、および個別霊の供養(その11)



誌友・鈴木友二郎氏による降霊会の記録(2)

(『到彼岸の神示』帰幽の神示P.222−225)



――つづき

生きていると思っている死者の霊


<< 兎も角、藤倉夫人はそういう事をやる霊媒でありました。その人が、上海(シャンハイ)にやって来たので、鈴木友二郎さんはその藤倉霊媒に、自分の死んだ息子を呼び出してもらったのです。

すると息子の霊が、藤倉夫人の身体に憑(かか)って出て来た。父の友二郎さんが、「お前もう死んでいるんだよ」と言うと、「いや、私はこの通り生きている」と、その息子が言うのです。「私はね、船のマストから墜落してから一時人事不省になっていたが直きに目が覚めて、それからお父さんの家に帰ったんだよ。」

彼は“直きに目が覚めた”と思っているけれども、昏睡状態の間は心が働かないから、本人にとっては時間が“ない”のです。だから、何ヶ月間も霊界に眠っておっても意識を恢復(かいふく)したときには直きに目が覚めたと思うのであります。息子の霊は続けて言いました。
 「そして目が覚めて、お父さんの家に帰ったら、お父さんの家ね、空家になって戸が閉まっておった。それでお父さんは死んだんだなあーと僕は思っていたのです。お父さんはまだ生きていたんですか、それなら何処に往(い)ってたんです」と言うのです。

その息子の霊は、自分の肉体が死んでいるのに、逆にお父さんの方が死んでしまって、それで家が空家になっておったと言うのです。多くの霊魂の中には、自分が人事不省になっている間に肉体を火葬に附して既に肉体が“ない”ことを知らない霊魂があるのです。

そこで鈴木友二郎さんは、「そんな事あるもんか、わしはこの通り生きているのだよ。あの頃わしはあの家を引っ越して今の此の家へ移って来ていたんだよ。お前は死んでいるんだよ、この通りお前の葬式のときの写真があるだろう」と言って葬式の写真を見せて説明すると、「いや、僕は生きている。この通り死んでなどおらん。」こう言って藤倉夫人の身体を慄(ふる)わして“生きている”ことを主張するのです。

「お前男じゃないか、その身体を自分の身体だと思っているけどさ、その乳房をさわって見い」と鈴木友二郎さんは言います。藤倉夫人は女ですから乳房が大きいのです。息子の霊は、それを自分の身体の如く触りながら、「ほう乳房があるな」と言う訳なんです。それでその息子はようやく、自分の肉体は死んで、今は霊魂だけで生きていて、藤倉夫人の女性の肉体を使って話しているのだと納得したと言うのであります。「お前はどうして此処へ来ることができたのか」と訊(き)きますと、「この藤倉夫人の坊ちゃんが高い所におって黄金色の後光が射している。その坊ちゃんなかなか素晴らしい、その坊ちゃんが此処へ行けと言うから、僕は此処に来たんだよ」と言っているのです。>>(P.222−224)




幼くして死せる人間の霊が高級霊である実例


<<藤倉夫人の坊ちゃんというのは四歳で死んだのでした。幼くして現実界を去る霊魂は概(おおむ)ね地上生活を卒業したところの高級霊でありますが、これなどはその一つの例証であります。

その坊ちゃんの霊は高い所におって、その霊体からは黄金色の光を放ってお母さん(藤倉夫人)を守護していたのであります。着衣のままで下衣(したぎ)を抜き取るなどのいろいろの現象を起すのは、この高級霊に配属されたその方面に才能ある霊がするらしいのであります。

 こういう実例によって、霊というものは霊界に行って意識がめざめても、肉体を有(も)ったままで目が覚めたと思っている霊魂がたくさんあって、そのために、肉体の生活圏――物質世界に執着していて、霊界の行くべきところへ行くことができない――所謂(いわゆる)「浮かべない霊」が沢山あるのであります。

そういう霊は、「もう私は肉体ぢゃなかった、私は肉体の時代は終って霊魂だけになったんだ」という事を知るのが悟りの第一歩であって、自分は既に物質世界に属しないと知ると、物質に執着しなくなるのであります。現実界のものに執着しなくなると、霊的修養に励むことができるようになり、霊の向上――霊的進歩が得られるという事になるのであります。>>(P>224−225)






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