生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示<第六十九話> (994)
日時:2013年05月07日 (火) 09時25分
名前:信徒連合




生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇



第六十九話



 先祖供養、および個別霊の供養(その12)





降霊実験会後記(1)

(『生命の実相』第10巻・霊界篇下巻(P.152−155)


<< この霊媒の物理的心霊現象においての特徴ともいうべきは、城坂京子氏の母堂の霊魂が招霊もしないのに出現して救われたことであります。そしてその空中談話も、特に選んでその遺児たる城坂京子氏自身の左耳の真上に、そして沢村正子氏の右耳の真近に出現して聞かれたのであります。それでこの二人はその母堂の声を最も真近に、実にその人の臨終の側に侍するがごとく明瞭に聞いたのであって、他の人たちには、大変遠くにいるように聞こえた。

これは直接談話が空中に浮揚せるメガホンの口を、城坂京子氏の左耳を特に選んでそれに近寄せて話されたので、メガホンの口の真近にいる人には、電話の受話器に耳を当てたように明瞭にきこえたが、メガホンの口に遠き位置にいる人には、電話の話が受話器に遠い所にいる人に対するように聞こえがわるかったのであります。

ともかく、城坂京子氏は自分の左耳元一尺と隔たらない空中に、臨終の母堂の苦しみ、その切なさ、そのままをきいたので、覚えず、「お母さん、京子です」とさけんだのだといっていられました。


 城坂京子氏の述懐によれば氏の母堂は、まだ死ぬとは思わず、遺児のことを思い煩いつつ、病(やまい)急に重(おも)りて霊界に移られたので、まだ他界せる自覚が無かったのは当然であろうとのことでありました。

これによっても、まさに霊界へ移って行こうとする刹那(せつな)の霊魂にとって、いかに正しい引導をわたすということが必要であるかがわかるでありましょう。

引導の渡し方が悪ければ、修行のたらぬまだ未発達の霊魂にとっては霊界へ移転せる自覚がなく、したがって霊界にて依然として病的肉体を維持せる意識をつづけ、その念に従って幽体に病苦をあらわして、この実験において城坂京子氏の母堂が死後十七年間病苦を継続せるごとく、永く霊界において病苦を継続しなければならないのであります。

 では、こういうふうに霊媒を通じて霊魂に話しかけないと、迷っている霊魂は救われないものだろうかというと必ずしもそうではないのであります。

城坂京子氏の母堂の霊魂にとっては、今日ああして現界の人から話しかけられて真理を悟る機縁が熟したのですが、他の霊魂にとっては、霊界における先輩の諸霊たちに諭(さと)されて真理を悟る場合もありうるのです。

霊媒というものはそう多数あるものではありませんし、霊媒の存在すら知らぬ人も多い。霊媒を通さなければ人間の霊魂が真理を教えられることが出来ないとしたならば、人間はほとんど救われないということになりますが、そんなものではないのであります。


迷える霊魂は霊界の先輩から直接に導かれることもあり、現実界の人間から霊媒を通して、または通さずに導かれることもあります。この実験に立ち会われた有元氏の父の霊魂などは、有元氏自身が霊媒も何もなしに、私の勧めた方法により直接父の霊魂を呼び出して、毎日仏前で『生命の実相』を説いて聞かせることにしたら霊界の父が真理を悟って救われたのであります。有元氏は次のように言っていられます。

「子が親の霊を招びだすのですもの、その親の霊が出て来ないということはありませんよ。私は糖尿病にかかって神経痛を併発してどうしても治らない。今井先生の使う女医の霊媒にも頼んで、禍(わざわ)いしている数個の霊魂を処分しましたがそれでも治らない。それで最後に『生長の家』に来ますと、わたしの親父の霊魂が霊界でまだ依然として肉体をもっているように信じ、その信念に従って私の父は霊界へいっても、まだ糖尿病を持続しているのであるから、その父の霊魂を招び出して『肉体は本来無いから、病気も本来無い』という真理を説いて聞かせてやれといわれましたので、毎日父の名を呼んでは、その真理を説いて聞かし『生命の実相』を読んできかすことにしましたら、霊界の父の糖尿病が治ってしまった。

そのためにその糖尿病の念波を自分に送らなくなり、自分の糖尿病も治ってしまったのです。どうして父の霊魂の糖尿病が治ったということがわかるかといいますと、実は私の父は糖尿病に神経痛を併発して死んだので、その父の霊魂がなんとかしてすくわれたいと思って、糖尿病の念波を送ってくるためでしょう。その念波の影響で私と私の弟が“同時に糖尿病になっていたのです”。それでもし父から発する糖尿病の念波でわれわれに病気が起こっていたものならば、霊界にいる父の糖尿病がなおったら、私の糖尿病と弟の糖尿病とが同時に治るはずである。ところが、今日東京から大橋という親類の者が来て聴きますと、“弟の糖尿病も治っているんですよ”。その証拠人として明日はその大橋を道場へ伴れて来ますがね。当時わたしは自分の糖尿病が治った時、人から病気のことを尋ねられると、『糖尿病は治りすぎましたよ』という言葉が口癖のように何心なく口から飛び出してくるのでした。ところが言葉の力は不思議なものですね。実際『治りすぎていた』のでして、わたしが治っただけではなく、霊界にいる父と私の弟と三人一緒に治ったのですからねえ。」>>(P.152−155)






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