生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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忘れられないドキュメントその一 (996) |
- 日時:2013年05月07日 (火) 13時28分
名前:蒼穹
それは清超先生の葬儀の時でした。
当時の掲示板に投稿されていたものです。
葬儀の話に少し触れられていたので私の取材した話を書きます。複数のご親族の方とお手伝いの方から聞きました。
清超先生のご葬儀は密葬として原則家族のみで行われました。祭司と祭員は参議長と講師部長と宗務課職員。理事長と雑用の総務部長もいたようです。門の外には警備の秘書課の職員が名簿を手にして親族の方の名前をチェックしていたようです。 どうやらその名簿には家族でも全員の名簿ではなく「谷口家」のみを中心としたものであり、その配偶者すらも排除されていたようです。つまり、この時点で宮澤潔氏は×荒地浩靖氏は×になっていたようです。宮澤壽美さまはお子様なので○谷口佳世子さまは○という事でさらにそのお子様も○となっていたようです。 谷口貴康氏もお子様も○配偶者は×ということだったようです。
この名簿は明らかに誰を排除するかという意図が明らかだったようで事前に事実上の主催者(喪主とは別の)が作ったようです。
ここで、問題が起こったのはこのような名簿があることは親族の方は何も知らずにいたため、配偶者の方も当然のこととして何人か見えられていて、長崎からは谷口貴康氏そして貴康氏にぜひ参加してくださいと声をかけられた荒地浩靖氏が札幌から駆けつけておられたわけです。 いうまでもなく荒地氏は清超先生のご実家を正式にお継ぎになつた嫡子であり、家族の中でも最も故人の家系と最もゆかりのあるかたです。その方が直前になって名簿に無いことが判明して、佳世子さんの実のお子さんである荒地光泰氏とみえこさまが貴康氏とともに喪主である谷口恵美子先生に出席出来るように嘆願して、さらにその場にいた佳世子さまと壽美さまも賛同して、 「それでは荒地さんも参列してもらいましょう」 と喪主である谷口恵美子先生はその場ですぐに門の外に待機している係りの人に 「荒地さんがこられたら入ってもらうように」 と指示を電話でされたそうです。すると・・・しばらくして雅宣氏が家族おそろいの和やかな部屋に入ってきて激高しながら 「一度決めたことを何で変えるのですか!だいたいアンタはいつもそうなんですよ」 と大声で言ったその後、荒地光泰氏にたいして 「だいたいアンタわかってるんだろーな!本当はアンタがここにいることもおかしいんだ、社会事業団がどれだけ迷惑なのか解ってるだろーアンタが委員長をやっていることも講師でいることもこちらでどうにでも出来るんだぞ」 と脅し文句を数分にわたって怒鳴り続けそのせいで他の子供たちも廊下に集まり唖然として事の成り行きを見守っていたそうです。−(その中のお一人が携帯の録音機能を使い途中から録音した物があります)そこで一言、言葉を発せられたのは壽美先生。
「あなたはこんなときに一体何ですか。そのモノの言い方は、おかあさまが喪主として決められたからいいじゃないですか」 すると、雅宣氏の口から驚愕の言葉が・・・ 「だいたいこの家の人達はみんな異常なんですよ!わかってるでしょそんなことは!アンタもアンタもおいオマエもだ」 と言って後ろを向いて座っている貴康氏の頭を小突いたようです。ゆっくりと振り立ち上がろうとする貴康氏。危険を察知したかのようにその時恵美子先生は 「わかりました、決めたようにします」 「どっちに決めるのですか」 「前に決めたようにします」 つづく
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