生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示 <第七十一話> (1025)
日時:2013年05月10日 (金) 09時45分
名前:信徒連合




生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇



第七十一話



 先祖供養、および個別霊の供養(その14)



特に、中絶児供養について(1)

(『霊供養入門』(P.214−226)




自然流産と人工流産

<< 自然流産は、その宿っている霊魂が、子宮内における体験を意識的に経験してそれを卒業し、もう再びその体験を継続する必要のない場合に、その霊魂が母体から去るのであるから、何ら不自然なことはないのであるけれども、人工流産は、せっかく生まれ変わる必要を感じて受胎してきた霊魂を強制的に霊界に復帰させるのであるから、これは大変な霊魂にたいする冒涜(ぼうとく)であり、大いなる罪を重ねることになるのである。

それは恰(あたか)も、大学へ首尾よく入学した学生が勉強の最中に、本人の過ちにもよらず、本人の意思にもよらず、強制退学を強行させられるようなものであって、その霊魂は非常なショックを受けるのである。>>(P.214)




小児麻痺と人口流産児の霊との関係

<< 人間は突如として殺される場合、その霊魂は、その殺害時の苦痛その他のショックによって、目を廻して人事不省に陥るのである。そして霊界に移行して後もその無意識状態はある期間つづく。その期間の長短はその霊魂の発達の程度によるのであって一様ではないのである。

高級の霊魂ほどその無意識状態は短く、速く目覚める。未発達の霊魂は永く無意識状態を続ける。さて霊魂が霊界に於いて目を覚ましたとき(意識を回復したとき)すぐ思い出すのは死の直前の状態である。胎児が殺されて堕胎(だたい)せしめられた場合、彼の霊魂が霊界で目覚めると、自分が子宮の中で羊水(ようすい)の中に浮いていた状態を思いだすのである。そして自分がまだ胎児であって、手足が充分動かない状態であることを思い出す。

霊界は心で思った通りの状態が、唯心所現的に出現するので、彼の意識的体験としてはそのような状態を具体的事実として体験するのである。しかし、母の胎内にいた時とは何だか状態が異なるのである。彼は誰かに救われたいと思う。誰かに縋(すが)りつきたいと思う。その思いが放送されて、それを不幸にして受信して受像した子供(または大人の場合も稀にある)は、水子(みずご)のような姿を自己の上に受像再現して、手脚が充分きかぬ、頭脳も明瞭でない小児麻痺的症状を呈することになるのである。

人工流産児の供養によって、小児麻痺の治った例が起こるのは、その病気の背後にある流産児の霊が、聖経読誦の功徳によって悟りを開いて正常状態になり、その病的症状を放送受像させなくなるからである。生長の家の宇治別格本山に人工流産児供養塔が建立され、同様の霊魂を合祀(ごうし)して以来、小児麻痺患者が減ったのは事実である。>>(P.215−216)


<(註・コメント)

にもかかわらず、三代目・雅宣(自称)総裁は人工流産児供養はすべての場合に効果があると云う事は出来ないとして、一部の対策とはなっても確実なものではないと懐疑的に考えており、霊魂の事は現代社会の理性に反するとして信じていないのであります。従って、三代目・雅宣先(自称)総裁は実際的には唯物論者であることがわかるのであります。>




ある奇病の治った話

<< 流産児の霊魂の状態が、その霊波の放送を受けたために、流産児の羊水中にある状態を再現した不思議な病人の実話がある。

 彼は、満州にいたとき重い腎臓炎にかかって医療によって治ったのであるが、その予後に不思議な症状にとりつかれた。彼は、就眠中に非常に多量の盗汗(ねあせ)をかいて夜は三度位ビショ濡れになった寝間着を取り換えなければならないのであった。満州の医者に相談しても原因不明で治療の見込みがないので、彼は日本へ帰ることにした。

途中、大連を通過した際、当時大連に和田敬三という人が主宰している生長の家の大連支部へ立ち寄って話を聞き革表紙の『生命の實相』一冊を頒(わ)けて貰って船の中で読み日本へ帰ったら、真っ先に生長の家本部へ立ち寄って直接指導を受けたいと思って来たのだった。

本部で流産児を祀(まつ)る形式や方法をきいて宿舎へ帰り、奉書(ほうしょ)の紙に流産児の名前を書いて宿舎の床の間に祀って、聖経『甘露の法雨』を二回、流産児の霊の悟りのために読誦して眠りについた。いつも三回も夜半に目覚めて寝間着を取り換えるのに、その夜にかぎって久し振りに朝までグッスリ眠ることができた。そして寝間着を取り換えようと思って見ると、少しもその寝間着が汗で濡れていないのであった。

それきり彼のこの奇病は治ったのであったが、これは霊界で目覚めた流産児の霊が羊水の中に浸りながらいる状態を生前の記憶が甦って再生し、その水浸しの状態を霊波によって放送し、それを父親である彼が受像して、父親自身が恰も、羊水の中になお浸っている状態を再現して、全身ビショ濡れになっていたのであった。

 以上は自然流産児の場合の胎児の霊魂の話であるが、人工流産児の場合は、堕胎用器具による外傷的または薬剤による障害を加えられた結果、死して半産するのである。そして肉体を脱出する直前の記憶をもって人事不省状態に入った霊魂は、霊界で目ざめると、その直前の記憶が意識によみがえる。

「意識の状態」そのものがその霊魂が霊界で体験する「彼自身の状態」であるから、記憶に甦ったところの堕胎用機械による傷害苦痛(又は薬剤の刺激による苦痛)が、彼自身の霊界に於ける苦痛として継続するのである。例えばナイフで咽喉を突いて自殺した霊魂が、霊界で意識を恢復すると、霊界でいつまでも咽喉をついて苦しむ状態が再現して苦しむのである。

それと同じく霊界で目覚めた堕胎児の霊魂は、堕胎器具で脳骨を突き刺して引き出したとすれば、悩骨に器具が突き刺された状態を意識の体験として霊界で具象化して、長くその苦痛を持続しつつ苦しむことになるのである。母親たる者、自分の胎児がそのような苦痛を霊界で永く継続するとしたら、甘んじて人工流産の手術を受け得る勇気が出るであろうか。>>(P.216−219)






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