生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示 <第七十三話> (1061)
日時:2013年05月13日 (月) 07時33分
名前:信徒連合




生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇



第七十三話



 先祖供養、および個別霊の供養(その16)



特に、中絶児供養について(3)

(『霊供養入門』(P.220−224)




舞踏病が治った話

<<「舞踏病」というのは、患者がじっとしていようと思っていても、手が踊りを踊るように動いたり、自分の頭をたたいたりしてしまう病気であるが、霊供養によってこの舞踏病が治った例もあるのである。

 これは九州の小学校で校長をしていた竹下氏の体験である。竹下氏は或る日、生長の家で舞踏病が治った実話を聞いて、「舞踏病というのは面白い病気だ。私も一つ、そういう病気を治してみたいな」と思っていたそうである。

するとやがて、竹下氏のいる生長の家の支部へ実際に四十歳ぐらいの舞踏病の人がやってきて、「先生、これを直してほしい」と言うのである。

竹下氏の聞いていた舞踏病の治験例は、患者が自分の親に非常な反抗心をもっていて「親を殴ろう」と思っても、実際には親は殴れないので、じっとその気持を抑えていた人の話であった。

その人は「殴りたい」という気持を抑えていたら、手がひとりでに動き出したというのである。そこでその人の心を「親に感謝する心」に導いたところ、舞踏病は治ってしまったのであった。

 竹下氏はそのことを思い出して、今度の人もやはり親に反抗して「殴ろう」などと考えているかもしれないと思って、「親への感謝」を起させるような指導をしたが、それでも治らなかったのである。

そこでよくよく考えてみると、竹下氏は、そういう場合、自分が動かそうと思わないでも手足が動くような場合は、霊のの世界から遠隔操縦されていることがあると教えられていたことを思い出した。

そこで、「あんた、誰か知っている人に、迷っている霊魂、あんたを思いつめておったりして、そして死んだひと。そんな人はいないのですか?」と聞いた。

すると、「私は青年の時代に、ある女性と恋愛して、そして結婚したいと思ったけれども、そういう田舎ではね、家柄とか何とかいうのがやかましくて、そして結婚できないで、悲しく別れた。別れてから、その女性が気がついたら妊娠していた」というのである。

 これは戦前の話で、戦後の民主主義の時代では、こういうような未婚女性の妊娠を恥ずかしいと思わない人が多いけれども、戦前の封建的時代で、しかも田舎では、そういう“父(てて)なし子”を孕(はら)むということは大変なことだったのである。

 そこでこの人が続けるには、「その女性は結局、涙をのんで海に身を投じて死んじゃったんです。それはね、死ぬ時には、私のことを思いつめておったとおもいます」というわけなのである。

 そこで竹下氏は言った。「それじゃね、その霊魂の位牌をこしらえて、それで腹の中にいた子供にも名前をつけてあげましょう。今ここでは、仮に紙で位牌をこしらえてあげるから、私と一緒にこの『甘露の法雨』をよみましょう」。

そして『甘露の法雨』の読誦を二人で始めたのである。竹下氏が前に座り、その後ろに舞踏病の人がすわった。すると、『甘露の法雨』の終わりの方の「人間」という項まで読み進むと、竹下氏の後ろの方で突然、バタッと人の倒れる音がした。それっきり、舞踏病の人の声はしなくなってしまった。

竹下氏が読み終わって後ろを見ると、その人はその場に死んだように倒れているというのである。竹下氏は「これ、どうしたらよかろう」と困惑してしまった。

 その時、竹下氏は私の書いた『耶蘇(耶蘇)伝』(イエス・キリストの生涯を戯曲に書いた作品。『生命の實相』第32巻収録)のことを思い出したというのである。

その中には、ある人が癲癇(てんかん)で倒れているのをキリストが見て、「起きよ!」とおっしゃると、その人がムクムクと起き上がるという場面がある。

その箇所を思い出した竹下氏は「イエスのまねをしてやれ」と思い、意識を失って倒れている舞踏病の患者に向かって、「起きよ!」と言った。すると、その人はムクムクと起き上がってきて、もうそれきり舞踏病が治ってしまったのであった。>>(P.220−224)







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