生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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雅宣氏やその信奉者に「原理主義者」呼ばわりされたら、どう反論すればよいか! (1131)
日時:2013年05月20日 (月) 03時41分
名前:神の子A

かつて雅宣氏は、雅春先生を信奉する幹部に対し、「原理主義者」とのレッテルを貼り、教団から追放されたのは周知の事のであると思います。

当時雅宣氏は、雅春先生の御教えを一字一句間違わずに後世に伝えようとする行為を「原理主義」と定義づけ、追放してゆきました。

しかし、教団の創始者である雅春先生の説かれた御教えを護持する行為は、どこの世界各国どこの世界においても「原理主義」とは言いません。

原理・原則を理会し護持する事は非常に大切な事です。

どこの宗派においても教祖の御教えを否定したとき、その宗派は全く別の宗派であると言えます。

すると、雅宣氏は「生長の家の法燈継承者」を自称していますが、雅宣氏は雅春先生の御教えの継承者ではなく、明らかに「雅宣教の教祖」と言う呼称が最も的を得た呼称と言えるでしょう。

雅宣氏が右脳で書いたと言う「大自然讃歌」や「観世音菩薩讃歌」を読むと、雅春先生の御教えを如何に雅宣氏が理会できていないかと言う事ばかりではなく、非常に稚劣である事がが明確に露呈しています。

この事は雅春先生の御教えをある程度勉強した方なら容易に理解できるばかりではなく、雅宣氏の思想は雅春先生の御教えとは雲泥の差があり、古代よりの思想家・哲学者・宗教家の足元にも及ばないものであることが明らかです。

結論になりますが、ならば「原理主義者」呼ばわりされたらどう言い返せばよいか?

「雅春先生の説かれた真理を理会できていない人間に原理主義者呼ばわりされる筋合いはない」
「原理・原則は極めて重要である」
「原理・原則を理会して初めて人時所三相応・時代即応が可能なのである」
と言い返せばよいのであります。

この様な事を書いても、現教団幹部には馬耳東風でしょう。
何せ彼らはお金の為に雅春先生を裏切り、雅宣氏に魂を売り渡したのですから。

「動・反動の法則」「因縁果の法則」「類は類をもって集まる」により彼らがどうなるかは私の知った事ではありません。
自らの選択により雅宣体制を堅持しているのですから仕方のない事ですね。

再拝



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