生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示<第八十話> (1155)
日時:2013年05月22日 (水) 14時42分
名前:信徒連合




生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇



第八十話



 大宇宙ロマン人生への飛翔(その2)




『生命の實相』第9巻霊界篇上巻


<< その後のヴェッテリニの霊示を聞くに、人間の霊魂が地上の進化の一段階を完了するには、普通四千年ないし六千年を要するのであって、その期間には三、四十回の地上への生まれかわりと、それにともなう更生前の休養期とが含まれているのである。

他の星の生活から地上へ転生せる霊魂群の間には、互いに相関関係があるのである。白色人種として進化すべく、他の星より転生せる人間霊魂群がことごとく皆、地上の試練生活の一サイクルを修了するには二万五千六百年を経過しなければならないことになっている。

現代地上に生を享けている霊魂たちは、一度に全部地上に生を享けに来たのではない。それは連続の周期波によって幾回にも分かれて地上に移住し来ったのであって、各自はかくして自己の受け持つ地上生活の舞台を完了しつつあるのである。

 フランス民族中には、この最初のころの地上転生の周波数に乗せられて地上に移住せる人間霊魂群がかなり多いのであって、これらの霊魂たちは、さらに重ねて地上生活を閲(けみ)する必要がないのであって、これらの古き移住霊魂は、今より三百年ほどの間に完全に霊界人としての生活に入り、新しく地上に生まれかわり来る霊魂たちを指導する役目をとることになる。

だからこの周期の終末期に地上より姿を没するのは、必ずしもフランス民族またはフランス国民だけではない。――それがフランス民族だけのように取り次いだのはレイヌの誤達である。今より三百年前後を一周期の終末として地上生活を完了するのは、今より約五千年前、地上生活に白人種として転移し来れる移転霊魂の最初の一群である。


 この霊示が真なりとすれば、人間社会の進歩が不可解に遅々としている理由が説明されるのである。

ある所要程度まで進歩せる霊魂は、(みずから進んで特殊の地上任務を尽くすために地上へ顕現(顕われ)る霊魂は別として、)地上に再び生まれ来たらず、まだ粗野なる未発達の霊魂のみが地上に移住し来るのであるから、その道徳性および人間性の進歩があるレベルをいつまでも超ええないのは当然である。

しかし更生周期(サイクル)の度数が重なるにつれて、地上人間の霊魂の進歩がいっそうすみやかになる見込みはある。すなわち、後に来る霊魂は先の霊魂よりもいっそう教育的な条件を見いだす。換言すれば、その肉体器官は、いっそう精妙に進化せるものとなっており、個人的経験を通じておよび霊魂よりの指導を通じて、ヨリ多くを学びうることになるし、社会もまた個人の活動および創造をより自由に営みうるようになっているであろうから。>>(P.224−225)




『生命の實相』第10巻霊界篇下巻


<< わしは少しも霊界の秘密についてはお前に洩らすことはできない。またどんな霊でも人間には霊界の秘密をもらすものではないのだ。また人間に話してやっても霊界の秘密を理解するものではないのだ。人間の頭脳ではその神秘はわかるものではないのだ。>>(P.38)


<< 下らない物理的心霊現象を起したり、当てにならない神託をしゃべったりするのが霊魂の本性ではないのである。人類は、美しい幾多の宗教をもっているけれども、人間はその死後の生活についてははなはだ下らぬ妄想をもっていたのである。・・・

なぜって人間は、まだ神が朗らかな笑いであり、小鳥の囁きであり、バラの花の芳しい匂いであることを知らないからである。人類はこれらの明るい存在を、ひとり人生に属し、地上に属し、現実界に属しているものだと信じており、心霊界といったら影のように実在性の希薄なものであって、死者の霊とは淡(うす)暗い朦朧(もうろう)たる世界に、色のさめた百合の花を手にして淋しいオルガンのしらべを聴いているくらいにしか思っていないのだ。ところが、なんぞ計らんや、その反対こそ真実であって、“影とはむしろ現実界のことであるのだ。”>>(P.89)







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