生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 @ A B C D E F G H I   (1591)
日時:2013年07月23日 (火) 11時57分
名前:信徒連合

『生命の實相』第34巻・道場篇  < はしがき >



「辨道聴き書(べんどうききがき)」は、親鸞聖人の日常の語録を唯円坊が聴き書きして編纂した「歎異抄」に似ている。それは東京赤坂に私の道場があったときに側近者が書きとめて置いてくれたものである。その頃、赤坂の道場には花嫁学校が兼営されていて、私は毎日そこへ講義に行って花嫁学校の生徒への講義を公開していたから、信者も一般の人たちもそれを一緒に傍聴し、講義が終わったあとで、病気のある人や、質問のある人は前へ出て質問したり、相談したりするのに答えていたものである。其の頃には録音器がなかったので、速記者がついていたが、速記のままでは、まとまった文章にならないので、速記を資料として側近にいた人がその当時の道場の様子なども書き込んで、私が、道場で実際に指導している光景を髣髴(ほうふつ)させてくれたのが“道場篇”である。だからこれを読んで下さるならば、その当時の私の指導ぶりがよく解るのである。その頃は他流試合みたいに問答をしかけてくるひともあったので活気があった。宗教や哲学に関する深い思索についての問答もあるし、病気や家庭の悩みの相談もあった。だから、その光景や問題を描き写した本編は、色々の人生の悩みの解決や病気の解消にも、如何なる心の持ち方で臨めばよいかの参考になると思う。昭和34年4月1日 著者識(しるす)



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辨道聴き書(べんどうききがき)<第1回>


< 救いは念仏に依らず >


 谷口先生が東都へ来られたときに、東都の自動車の交通頻繁な有様を見て『先生、私はこのような自動車の往来の激しい様を見ておりますと、いつ自動車に触れて死ぬかも判らないような気がします。それは咄嗟の場合ですから何とも云えません。その時、私は真宗の信者でありながら「南無阿弥陀仏」と念仏することを忘れるかも知れません。そうすると私は極楽成仏出来ないでありましょうか?』とたずねたものがあった。

 『もう貴方は極楽成仏しているではないか』と、その時谷口先生は被仰った。

『貴方は自動車に触れる事もなければ、死ぬこともない。貴方と云うものは肉体ではないからだ。念仏となえてこれから救われるのだったら、咄嗟の場合に念仏出来なければ救われないかも知れないが、人間が救われるのは念仏の力によるのではない。念仏と云う現象界の出来事で救われたり救われなんだりすると思うのは間違いだ。人間が救われるのは「本来」仏である実相による。実相だけが本当の貴方であり、その貴方はもう完全に救われているのだから問題はない』と被仰った。




< 道を説き道を聴く場合の態度 >


 一修行者が谷口先生に訊いたことがあった。『或る私よりも世間的地位の高い人が、肉体は本来無いと今迄信じていましたが、西谷と云う先生がその人の所へ来られて、肉体もある、霊もある、霊肉合して力を生ずると被仰るその先生の説を聴いていますと、その方も合理的な気がして来ましたので、其の人は肉体の有無について確かめたいから、私に来て話してくれと被仰るのです。往っても宜しゅうございますか?』

 『往っても無駄だろう』と谷口先生は被仰った。『その人が世間的にいくら地位の高い人であろうとも、その人が貴方に道を聴きたいならば、その人の方から貴方に駕(が)を枉げる(ま)げねばならぬ。貴方は幾らその人より若くとも、道を教えるときはその人の師である。世間的の地位が高いから招び寄せて聴こうと云うような気持ちが働いている時には、貴方の云うことはその人に解からないし、貴方もその人の世間的位置に気押されて、社員が社長のところへ行くような気持ちで行くならば、却ってその人に説き伏せられてしまうであろう。』




< 一切の生物は本来調和している >


 その時、松崎武雄君はまた谷口先生にこんな話をした。『私は以前、江渡狄嶺(えとてきれい)氏の「或る百姓の家」と云う本を読んだ事があります。その本の中に江渡さんの飼っている鶏の雛を猫がとって食べるので、或る日江渡さんが「兄弟なる猫よ、鶏をとらないで置いてくれ」と貼紙して置いたら、それ以来その猫が来なくなった。併し、暫くしてその猫が鉄道線路で汽車に轢かれて死んでいるのが見出されたと云う話が載っていましたが、
私のうちでも昨年までは鶏の雛をよく猫に覘われたものです。ところが私が生長の家の誌友となり真理を知って一切の生物本来調和していることを知りますと、猫はやはりいながら、その猫は雛を覘わなくなりました。猫と雛とは調和してしまったのです。』

『そうだ、その通りだ』と谷口先生は被仰った。『一切の生物は互いに相食むものではないのだ。イザヤ書にあるように、赤ん坊は蝮と相戯れ、羊とライオンと仲良く遊んでいるのが、本来の相である。猫が雛を覘って食べるように見えてもそれは仮相と云うものである。そんなものは<ない>のだ』と強い語調で、『それは迷いの影に過ぎないから、迷いが消えたら猫が雛と相戯れている実相が現れるのだ』と被仰った。




辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 A  (1597)
日時:2013年07月24日 (水) 13時49分
名前:信徒連合



辨道聴き書(べんどうききがき)<第2回>



< 生命の真を生きるとは >


 先生が東都へ二度目にお越しになっていたとき、斯う云って尋ねた誌友があった。『先生は人間最上の善事は生命の<真>を生きると云うことであるように説かれますが、この点では<なまくら>な宗教家や学校教師よりも実業家の方が真剣に生きていると思います。また相場師などは一朝見込み違いをしたら全財産を摺ってしまうかも知れません。だからいつも彼らは生命を賭けている。つまり彼らは常に真剣に生命の真を生きているのだと思います。』

『真剣に生きていると云う事と生命の真を生きると云うことと違います』谷口先生は被仰った。

『生命を賭けて生きている、従って真剣だという点では殺人強盗などは極めて真剣でありましょう。一朝仕損じたら正当防衛で殺されるかも知れぬ。捕まえられたら自分は死刑になるかも知れぬ。彼らは常に生死巌頭に立っている。併し誰も殺人強盗を指して生命の真を生きているという人はありますまい。

<生命の真を生きる>と云う事と、<真剣に生きる>と云う事とは必ずしも一致しないのです。何にその人が真剣に生きるかが問題なのです。

強盗に真剣に生きたり、殺人に真剣に生きては、それは生命の真を生きているとは云えないものです。それは生命の「ニセ物」に真剣になっているのです。人間は「生命の真」に真剣に生きることが必要なのです。生命の本当の相を出すことは、愛と智慧との全き相を出すことに真剣にならなくてはならないのです。』




< 苦しみは縛ることから起る >


『先生、人間の苦しみの起こる原因はなんですか?』と道場で尋ねた修行者があった。谷口先生は斯うお答えになった。

『苦しみと云うものは<縛る>ことから起るのである。生命は本来自由なものであるからだ。自由なものが自由でなくされる――この事を<縛る>と云う。

人間の生命を縛るものに大体三つある。その第一は人間は物質であると云う観念である。物質とは普通固定した観念を吾々に与えるから、人間は人間自身を物質だと思うことによって、その固定観念に縛られて本来の自由を失ってしまうのである。その縛られた相の一つが病気である。

それから人間は「ねばならぬ」と云う観念で自他を縛ってしまう、これが苦しみの因となる。「こうせねばならぬ、ならぬ」と思いながら自分を眺め人を眺め、そう思うようにならぬことによって悶え苦しむのである。

家庭の苦しみも大抵この「こうせねばならぬ」と云う紐で馬をつなぎ止めて置くように良人を縛り、妻を縛りつけて置こうとするから苦しむのです。良人を自分の思うようにしようと余り思い過ぎると、そう云う妻の傍にいることは何となしに縛られる思いがするので、良人は却って家庭の外で生活しようとするようになる。縛って置きたいと思えば思うほど却って逃げ出してしまう。斯う云う様にして家庭の悩みは起るのです。

縛らない気持ちでいれば家庭にいても楽しいから良人は家庭に帰って来る。鳩でも捕らえようと思うものが、近ずくと逃げるが捕らえようと思わない者の処へは却って近づいて来るのです。斯う云うように、「彼は斯うなければならぬ、ああなければならぬ」と自分で定規を造って置いて、その定規の寸法に嵌めようとすると、それが勝手にきめたその寸法に当て嵌まらぬときに苦しむのです。

それから、もう一つ人間が苦しむ原因は現象界を常住のものであると思う迷いから起るのです。

現象界は活動写真のフィルムのように念々の変化消滅に伴って一つの常住らしい相を見せているのです。活動写真の人物は、先刻から一人の人間が動いているように見えようとも、それは錯覚であって一人の動く人間も実は無数のフィルムの消滅によって、一人の人間の姿のように見ているのです。現象界は本来、消滅しつつある相だと知らないときは、予想がはづれて悩むことになるのです。』




< 相手の心は自心の影 >


或る日、道場へ或る修行者が来て『先日、日の本足袋の松並さんと色々話していましたら、松並さんが云われるには「争いのある時には両方が悪いのである。自分でもこれだけは<やり過ぎ>であるとか無理であったとかと云うことは自覚している。しかし、それを自分が悪かったと云って詫まらないのは、相手の悪かった部分も一緒に自分が全部引き受けて詫まろうとするから詫まりにくくなるのである。だから自分は自分の悪かった部分だけを謝罪る。相手と半分づつあやまることにしよう」と決めたら、松並さんの工場では内部が大変良く治まるようになったとのことです。成る程それは好い考えだと思いました。』と云った。

 『それは大変好い考えです』と谷口先生は微笑して、『だがその考えには足らぬところがある。それは立ち向かう相手の心は皆自分の心の影だと云うことを見逃している点である。半分だけ自分が悪いが、半分は先方が悪いと思っている限りは、まだ自分に先方を憎む心が残っている。

先方を憎む心が残っている限りは、自分の心は苦しむし、本当の心の平和は来ないし、完全な和解は出来ない。すべてが自心の展開だと云うことがさとれて、はじめて、全部があやまり切れ、全部の憎みがとれ、完全な心の平和が来、完全な和解が出来、そこに実相の自分があらわれて、人間はこんなにも楽しく平和でいられるものかと、ただ有難いばかりになるのである』と被仰った。




辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 B (1604)
日時:2013年07月25日 (木) 10時18分
名前:信徒連合




辨道聴き書(べんどうききがき)<第3回>




< 一切は神の所有(もの)>


 また谷口先生は語をついで云われた。『すべての持ち物を神様に献げたら、罪が消えると云うのは本当である。併し、すべてを献げることが出来なかったら少しづつ小出しに金を神様に出したら、出した額だけ罪と云う借金が消えると云うのは少し変である。すべての持ち物を神様に献げると云うことは、持ち物を神社やお寺や本山に持って行くことではない。<自分の持ち物は一つもない>と悟ることである。みんな神様のものであると悟れば、もう本山へ持って行くことも要らない。本山にあっても此処にあっても<自分の持ち物は一つもない>と解かる。

みな神さまのものであると解かると、此処にあっても神様のものである。そうすると、形の上では自分が持っていても神様に献げたことになる。この自分と云うものも神様のものである。そうなると形の上では自分が持っていても、もう取扱い方が変ってしまう。自分のものとして扱わないで神様のものだとして扱う。

自分のものだと思うと、出したら減るように思ったりして持ち物に引っかかるが、神様のものだと思うと、もう引っかからない。出すべき処へは出す。出して減るかと云うと、すべてのものは神様と云う大海の中にあるから、柄杓で大海の一方の水を掬いとって他の方へザーと空けても掬い取った後へはまた大海の水が元の通りに戻って来ているように、吾々はすべてのものが神様のものだと解かると自由自在に出しながら、ちっとも自分の手許の供給は減らないようになる。』




< 心はない>


 谷口先生の同じく京都へお越しになったときに、体重二十三貫と云う立派な体躯の男がこんな話をした。『私は嘗てひどい神経衰弱にかかりまして、道を歩いていても心臓が苦しくなって来て今にも其処へぶっ倒れて死んでしまいそうな恐怖に悩まされたものでした。諸方の医者にかかっても治らない、色々の民間療法を受けても治らない。そのうちに江間式心身鍛錬法を習いましたが此の江間式では末那識(まなしき)とか、阿頼耶識とか心を七つにも八つにも分けて説明致します。その説明が暗示となって、私の心が分裂しまして一つの一貫した自分と云うものがなくなりました。

 眼識、耳識と云うように六識が各々別々になりまして、<見る自分>と<聴く自分>とが離ればなれになって実に変な具合になりました。その頃私は大阪で順正療法と云うのを受けました。手のひら治療のように暫く下腹に掌を按てて念じてくれましたが、その時は大変好い気持ちでした。そこの先生がその時「君は心を五つにも六つにも使うから可(い)かん。<心はない>と知りなさい」と云ってくれた。この心が無いと云うことを聞かされました結果、もうどうしよう斯うしようと計らう心も恐れる心もなくなりまして、それ以来またまた肥えて、唯今では二十三貫も体重があるようになりました。

<心は無い>と云うのは生長の家の説き方も同じだと思います。私には以前に斯う云う体験があるので唯今の「生長に家」の被仰る所が能く解かります。心がありと思えばその心で、とやかく思い煩わねばなりませんけれども、心はないと知った時、もうとやかく思い煩う必要はなくなります』

 この話をきいて、谷口先生は君は『大分悟っている』と被仰った。




< 悪い自分はない>


 和歌山の熱心な或る婦人誌友が、或る日、見真道場を訪れて谷口先生に心の修養の悩みを訴えた。そして『善くなろうと思っても中々善くなれない自分を考えると、毎晩心が痛んで眠れません』と申し上げた。

すると、谷口先生は『悪い自分で善くなろうと思うから善くなれないのだ。悪いのだから、<無い自分>で善くなろうと思っても善くなれるものではない。『悪い自分は無いものだ』と知ったら、ひとりでに善い自分が出て来るのだ。今悪い心で、その心で心を直そうとその心で心を直そうと思っても直るものではない。<そんな心は無いのだ>と知ったら悪い心が消えて、ひとりでに善い心が出て来るのだ』と被仰った。

その婦人誌友は、今迄二十日間ばかり殆ど眠れなかったが、谷口先生からその話をきいたその晩から安心して直ぐ眠れるようになったと云うことである。





辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 C (1617)
日時:2013年07月27日 (土) 15時22分
名前:信徒連合




辨道聴き書(べんどうききがき)<第4回>




< 少年の夭折を憂へて >


 谷口先生が山の家へお移りになって二、三日すると一人の母親が十五、六歳の少年を連れて来て、『私は生長の家によって大変救われました』と御挨拶申し上げた。

『だいいち此の子供が救われました。生長の家を知らなかったら今頃はもう此の子供は死んでしまっていたかも知れません。青山学院の三年生だったのですが、治るにしても三、四年かかると思いまして学校を退学させたのでございます。ところが生長の家を知らせて頂きまして聖典「生命の実相」を読ませて頂き、伊東さんに大黒さんを彫刻して頂きましたのが御縁になり、伊東さんが来て下さいまして「何ァに、こんな病気位大した病気ではない、もう治っているんだから起きなさい」などと力を附けて下さいまして、逗子へ一緒に伴れて行って随分乱暴なと思われるような水泳などをさせられましたが子供はそれ以来元気になりまして、此の新学期からまた通学するように再入学の手続き致しましたら、

青山学院の主事の佐藤先生が驚かれまして「そんなに退学して三、四年も養生しなければならぬ病気が、どうしてそんなに二、三ヶ月で快くなったのだ」とお尋ねになりましたので、「生命の実相」と云う本を読んで治りましたと申し上げたら、佐藤先生は「そんな善い本があるのなら、私も一度読みたいものじゃ。私は宗教的信仰はないが、多勢の青年を取扱うているのだから、そう云う本を読んで本当に青少年を救う道を知りたいものじゃ」と被仰いました。近いうちにその先生に「生命の実相」を持って行ってお上げしたいとおもいます」と申し上げた。

 『青少年を指導する役目の学校の先生や校医が生長の家に入ってくれると人類の青少年時代の夭折がどんなに減ずるか判りません。併し子供の健康をよくする道は、父母に当たる夫婦が調和するにある。夫婦の道が紊れては駄目だ』と谷口先生は被仰った。




< 神授の手袋 >


 この才木さんが、或る日このY氏をその宿泊所たる東京本郷区大学前の二葉旅館へ訪問しようと思って円タクに乗って出掛けた。大学前で才木さんは円タクから降りると、其処へ別の自動車が来て才木さんの腰部へ後方から激突した。才木さんはその瞬間、一間半ばかり跳ね飛ばされて市電の石畳の上へ俯向けに激しく叩きつけられた。

才木さんは本能的に両掌を石畳の上に突いた。才木さんは寒中でも毎年手袋を穿いたことのない人であったが、その時には不思議に革手袋を嵌めていた。人から貰った手袋を円タクの中で試みているうちに円タクが目的地へ着いたので手袋を脱ぐ暇もなしに後方から自動車で激突されたのであった。

手袋は非常に部厚い革製で柔らかいクッションのように緩衝の役目を果たしてくれた。才木さんは下腹の出ている人であったが、どう云うものか、その出ている下腹が座布団のようにフゥワリと全身に緩衝作用を与えて身体は何処も傷まなかった。

『生長の家の神様は自動車で、今日此処で激突されると云うことを知り給うて、あらかじめ私に手袋を与え給うたのです』と才木さんは此の事件を注釈した。




< 神想観で扉開く >


 才木さんが小川旅館に宿泊していた或る日、離れの便所で用を達していた。便所の扉には内側のツマミがとれていて内側からは開閉出来ないようになっていた。才木さんが用を達している間に、外側に誰か着て便所の扉の締まっていないことを見て、外から便所の扉を締めて往った。才木さんは便所から出ようとすると、扉が外から締まっていて出ることが出来なかった。

便所は母屋からかなり距離が隔たっていて呼んでも聞こえそうになかった。また呼んで聞こえるにしても、一人前の男が便所の中へ閉じ込められて呼び声を上げるなんて余り見っとも好い話ではなかった。

才木さんは斯う云う時には神想観をするのが最も好いと思って、便所の中で神想観をして、この扉が自然に開きますようにと念じた。 五分間ばかり神想観をした頃、便所の外に誰かが来たような気勢がした。才木さんは神想観をやめて便所の扉を内側からノックした。扉は自然に開かれた。

扉の外には才木さんの係りではない女中さんが立っていた。『どうして君は此処へ来る気になったかね』と才木さんは尋ねた。『実は、この辺で誰かが呼んでいられるような気がしまして、どうしても気になって仕方がないのでやって来ましたが、誰もいないので引き返そうかと思っていましたら、貴方が中からノックなさいました。』

『私は声をあげて呼びはしなかったよ。だけど神想観でこの扉の開くように念じたのだ。その思念が君に感じたのだねえ。』と才木さんは笑いながら云った。併し、神想観の威力はこのような時にも発揮されるものだと云うことがこれで実証されて、才木さんは益々自信が強くなった。




辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 D (1624)
日時:2013年07月28日 (日) 08時31分
名前:信徒連合



辨道聴き書(べんどうききがき)<第5回>



< 千切り大根の発明 >


 才木さんの板状黒糖の発明は、チラと頭を掠めた思い付きからできあがったものである。すべての発明は此のチラと頭を掠めた思い付きに導かれて大成するものである。チラと頭を掠めた思い付きが神に導かれたものなら大成するし、迷いに導かれたものならば挫折するのである。

岩手県の生長の家支部をしていた堀合正身氏は、北国の寒冷の気候に生活していながら、『此の寒冷な気候が吾々に恵んで下さる産業をお授け下さい』と神様に祈っていた。するとチラと頭を掠めた一つの発明があった。それは千切り大根の冷凍であった。堀合氏は一種独特の方法によって千切り大根の冷凍製品に成功した。

此の千切り大根と云うのは、ただ沸騰せる熱湯を注ぐと云うだけで長時間煮沸したと同じように柔らかく煮えた大根が出来るので、長期航海中の植物性食料品として昨年某所に見本を提出して置いたが、今回大量の注文があり、その注文が余り大量なので一時に需要に応じ切れないので、四月まで納期を延期して貰うように懇談に来たのだとは、昭和十年一月、生長の家本部へ立ち寄っての報告であった。




< 神想観して火災を免る >


 才木氏の懇親な知人に宮本成治氏と云う明治製菓の大阪支店長がある。その管轄区域内で、神戸大丸百貨店前三宮(さんのみや)神社の筋向かいの一区画に明治製菓の売店がある。その売店のコーヒー沸かし器は才木さんの考案になるもので飲む時にはじめてコーヒーが熱湯の中を通過して、淹(い)れたての、出流れではない、香気馥郁たるコーヒーが出るので評判がよかった。

 その売店では地主と交渉した上で建物の一部を改造したが、その改造が交渉した以上の模様替えになっていると云うので、それを理由として地主の方から建物の持ち主に立ち退きをせまって来たのである。立ち退かなければ、坪三千円でその地所を買い取れというのである。その場所の一般的地価評価の上から云えば坪七百円位だと思われるところを、『立ち退くか、それとも坪三千円で買い取るか』と云う交渉なのである。

兎も角この問題はこの建物に火災を起こしたら借地権も消滅してしまって地所の借主に不利になると云うので、火災を起こさないようにと才木さんは神想観の時に祈っていられた。すると昭和九年一月にとうとう神戸大丸百貨店前から出火したのであった。その火事は付近の十数軒を焼いたのであったが、明治製菓の売店の西隣を焼きつくしてピタリとその売店の壁のところで消えてしまった。

向こう側の大丸百貨店の六階から撮影した火事場の写真には、隣家の焦げた屋根と売店の焦げぬ屋根との境目がアマリにも人工的に一直線になっていて、定規を引いたように火が止まっているのだった。これには人々は此処で鎮火したのは決して偶然ではないと考えるほかはなかった。『何かあの家は信心している家に相違ない』と云う噂が付近一円にひろまった。そして界隈の人たちが見物に来るようになった。

 まことに信心していた家に相違なかった。才木さんがその売店のために祈っていたし、明治製菓の大阪支店長は生長の家の誌友になっていたし、売店の主任たる神崎と云う人も一週間ほど前から誰かに勧められて、聖典『生命の実相』をひそかに熟読していたのであった。




< 類は類を招ぶ >


谷口先生が大阪の国民会館へお越しになったとき、黙々として三年間誌友として道を求めて来られたのみで、今迄誰にも説教せられたことのなかったK氏が立ち上がって講演した。その人は海事審判の弁護士をしている人であった。何分事件は海上の出来事で海の波と共に証拠は流れ去っている。航海の実際経験のあるK氏にとっては、弁護を頼まれた事件を頼まれた側に有利なように事実を想像敷衍して弁護することが可能であったし、叉そうしなければ、弁護を頼まれた相手にも済まない訳であった。

正義観念の強いK氏にとっては、事実上過ちがその方にある側から弁護を頼まれると、断る訳には行かないし、引き受けた以上はその方を弁護しなければならないし、此の職業上の矛盾に苦しんでいたのであった。時にはその職業を辞めてしまおうかと思うような時もあった。ところがK氏が『生長の家』の神想観を行じて、万事凡てが調和している大調和の心境に入るようになってからは、紛争の正しくない側から弁護を頼まれることが決してなくなったのであった。類は類を招ぶ、こちらが大調和の心境になると共に、K氏のところへ依頼に来る客は当然弁護すべき側の正しい者ばかりになったのである。 




               

辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 E (1635)
日時:2013年07月29日 (月) 14時36分
名前:信徒連合




辨道聴き書(べんどうききがき)<第6回>



< 真理は癒やす >


 昭和十年三月三日の服部氏邸に於ける生長の家誌友会では服部氏は郷里の徳島へ旅行中であったが、服部氏夫人が慶応医大国手から来た礼状を公開された。降屋国手は数年前狂犬にかまれて、予防注射を規定の日数だけやらぬうちにそれが原因で半身が付随になり、立つことは勿論座ることも出来なくなった。座っても手で身体を支えなければ忽ち倒れてしまうのであった。

降屋国手は以って生まれた明敏な頭脳で自分で自分の身体を倒れないように支える車体の附いたオートバイを発明し、手だけの操縦でどこへでも訪問するように工夫していた。服部氏が或る日慶応医大病院へ降屋国手を訪問して、生命の実相を説いてきかし、『生命の疾風(いのちのはやて)』に収録去れている『天子の言葉』を朗読していると、当の聴かされている降屋氏自身よりも隣室の肋膜患者が治ってしまった。

降屋氏は自分の病歴を話して服部氏に思念してもらった。服部氏は『そう云うオートバイのような外の機械で身体を支えて貰おうなどと云う念を起こすのがいけないのです。それだけの力を内で生かすようにしたならば、もう今頃は歩けていたでしょうに』と云った。降屋氏は『成る程、成る程』と感動した。

服部氏が降屋氏を三回見舞って真理を話すと降屋氏は自分で座れて、手で支えないでも座り続けていられるようになった。服部氏が郷里徳島へ出発する前に降屋氏の病床を訪れると、降屋氏は留守であった。降屋氏の腰がよくなったので主治医が許して数年ぶりで東京見物に伴れだしたのであった。

服部氏夫人が座談会の席上で公開した手紙には『服部氏からわざわざ見舞いに出向いて頂いたのに、折柄出掛けていて申し訳がなかったが、それと云うのも服部先生のお蔭で外出し得るまでになったので感謝する』と書いてあった。

 それから谷口先生は実物の礼状を誌友の前で読み上げられた。長崎市片淵町一ノ二十八の山田豊四郎さんの奥様は、数日間本部で話を聞いての帰る際、汽車中で聖典『生命の実相』の分冊を熱心に読んでいると便意を催して来たので洗面所に入ると激しく出血した。『オヤ!』と思ったが、神想観の心持で静かに黙祷を続けていると出血も治まったらしいので紙で拭くと、小指頭大の痔核がポタリと除れて、紙に残り、永年痼疾の痔疾はその時以来治ってしまったのであった。そのほか色々の病気が治った実例をお挙げになった。




< 生長の家と治病 >


 ここで、ある僧侶出身の自然科学書の著述家が谷口先生に質問した。その質問は僧侶出身に似合わしくない、少しも宗教的認識の無いまわりくどいものであった。そのうちに「病気の存在を認めない生長の家が本を読んで病気が治るというのはインチキだ。というような質問があった。

 「インチキによってでさえ治るのが病気なのだから、病気の存在こそまさにインチキだ」と谷口先生はお笑いになった。しかし「生長の家は肉体の病気治しではありません。<私はまた病人に手も触れません>。誌友の方は互いに扶けるために病人を訪問して手をおいて祈ってあげたこともあった。しかしわたしがそれをやっては生長の家をただの病気なおしの霊術家だと誤解する人ができてきます。<私は病人が治してくれと云って来ても治しません>。病人は自分自身の心で病気を作っているのですから、わたしの話を聴いたり、<わたしの書いた本を読んで心が癒れば病気が自然に治るのです>。疣(いぼ)が落ちたり痔核がとれたり自然にするのです。現にそれがこのように実現しているのです。」

 「病気なんてないと言われる生長の家が、病気の治る話をするのは矛盾でありませんか」と自然科学書の著述家が追及した。

 「『生命の實相』をよく読んだら、そんな質問は出なくなります。『法華経』の中の喩え話に、まさに焼け落ちんとする火宅の中に余念なく遊んでいる子供を救うために、玩具(おもちゃ)の宝物を示して、『これをやるからここまで来い』と言って子供を火宅から誘い出して今度は本物の宝をわたすことが書いてあることを御存知でしょう。生長の家で病気治しの話をするのは、この玩具(おもちゃ)の宝物を示しているのと同じです。

『やがて死に朽ち果つべき肉体の健康』を与えるかのごとく示すのは、このおもちゃの宝物を示しているのです。そしてやって来れば、永久に死なない生き通しの生命を与えるのです。生長の家の与えるものはこの永遠不死の生命です」と谷口先生はおっしゃった。

 「私の家内が申しますのに、谷口先生のいわれる金剛不壊の實相身といわれるのは、この肉体のことではないでしょう。しかし、私はこの肉体が幸福になりたいのです。この肉体が幸福で愉快で三度三度の食事がおいしく頂けたらそれでよい。實相は金剛不壊であろうがなかろうが、そんなことはどうだってよい、とこう申すのです。

自分では解かっているつもりでもこう突っ込んでこられるとなんと答えてよいか解からなくなるのです」とその人は今度は婉曲に自分の家内の反駁にかこつけて質問するのであった。

 「肉体も環境も心の影ですから、金剛不壊の実相身が自覚されたら、心の波が幸福になる、心の波が幸福になれば、肉体も環境も幸福になるのです。肉体のことを思い煩っているときは、肉体は常住なきものであるから、心の波は常住なき不安なものとなり、その心の影である肉体も環境も不安なものとなり、結局あなたの奥様のおっしゃる三度の御飯がおいしく食べられなくなるのです。

だから、三度の御飯をおいしく食べるには、金剛不壊の実相身なんてどうでもよいことはない。金剛不壊の実相身が悟れて初めて本当に三度の御飯がおいしく食べられるのです」と谷口先生はおっしゃった。







辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 F (1641)
日時:2013年07月30日 (火) 09時30分
名前:信徒連合




辨道聴き書(べんどうききがき)<第7回>




<神の子の標準を出せ >


 その時小学校の先生が起立して発言した。「先日から、豊島区全体の小学校の連合絵画手工展覧会があるのでございまして、私もその図画の係員になっているのでございます。会場は仰向西小学校でございます。その生徒作品の審査員として来られましたのが東京府の絵画手工方面の視学をしていられる 佐藤先生とおっしゃる方であります。

この佐藤先生が出品されている児童の絵画手工に対して、優等とか佳作とかその点数に応じて、金紙を針、銀紙を貼りしてゆかれるのでありますが、佐藤先生が児童の作品を審査される時には、一年生の作品の前に立っては『一年生、一年生、一年生』と自分に言って聴かせているとでもいうような調子で、いちいちうなずきつつ、その作品に点数をつけてゆかれるのです。

二年生の作品の前では叉『二年生、二年生』とやられるのです。そして実にその審査の標準が一定して過(あやま)たないのです。私は感心致しまして、『佐藤先生、あなたはどういうわけで一年生の作品のまえでは一年生、一年生とうなずかれ、二年生の作品の前では二年生、二年生とうなずかれるのですか』とたずねますと、佐藤先生は『これは常住の心を保つ方法です。常住の心が無いと審査の標準が狂ってしまう。どの作品にも一定の標準を維持するには、自分の心にどの標準を保つかということを常にいいきかせていなければならない。われわれの心のうちには、一年生の標準もあれば、二年生の標準もあり三年生-----等々の標準もある。どの標準を出してくるかは、その欲する標準を言葉で呼び掛けて、自分のうちにあるその標準を出してこなければならない』とおっしゃるのでございます。

 そこで私は『佐藤先生はなかなか宗教家でいらっしゃいますね』と申しますと、佐藤先生は、『私は宗教はしらないが、そういう君は何か宗教をやっているようだね』とおっしゃるのです。

そこで私はボタン孔の徽章を指して『ええ、私はこのマークにあるとおり生長の家の家族でございます。先生のおっしゃいますとおり、われわれの心の中には、いろいろの標準が満ちている。善い標準もあれば悪い標準もある。その悪い標準が出て来て行動すれば、行いが乱れてしまう。善い標準が出て行動摺れば行いが正しくなる。その善い標準を呼び出して日常生活をリードしてゆくには、さっき先生が言葉で自分自身に言ってきかせて、『一年生、一年生』と一年生の心を呼び出されましたように、生長の家では、言葉で常に自分自身に『神の子、神の子』と言ってきかせて自分の内にある神の子なる標準を呼び出す事にするのです。するとすべての行動が次第に神の子なる標準に合うように高まってき、すべての生活能力が次第に神の子なる標準に高まってき、健康もよくなり能力も増進するのでございます』とこう申し上げますと、その佐藤先生は大変お喜びになりました。」

 この先生の話を聴いて谷口先生は、さっきから小理屈を言っていた人の方を振り返られた。

「××さん、あなたは近ごろあまり自然科学の本をお読みになって、あなたの内にある現在の自然科学者の標準をお出しになったのでしょう。一年生の標準を出してきたら二年生の作品はわからない、現在自然科学者の標準では生長の家はわからない。生長の家を理解するには、あなたの内にある『神の子』の標準をお出しにならねばなりません」とおっしゃった。





辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 G (1650)
日時:2013年07月31日 (水) 13時47分
名前:信徒連合




辨道聴き書(べんどうききがき)<第8回>




<上役との調和法 >


 ある日、小石川の某会社につとめている支配人の次席の男が、こんなことを谷口先生にお尋ねした。「私の会社につとめている上役は頑迷無礼頑固一徹で、少し頭が低級で、自分の考えばかりを通そうとして、自分が言い出したことは一歩も退こうとしないのです。こういう上役の心を和らげて少しはこちらの意見も通るようにしたいと思いますが、それにはどうしたらよいでしょうか?」


 「上役が頑固一徹なら、そんな結構なことはないじゃありませんか。少しはお前たち考えて工夫してやってくれと言われれば、考えるのに骨も折れましょうが、上役が自分で何でも考えてくれて、その通りやれと言われるのなら、そんなラクなことはない。上役の言いなりどおりにただハイハイとやっておればあなたはよいのです。

あなたの考えねばならぬところまで上役が自身で考えてくれれば、あなたは上役に感謝すべきです。それにあなたは上役に感謝するどころか、その上役に対して不平の心を持っている、そんなことではいけません」と谷口先生はおっしゃった。

 するとその人は言葉を返した。「ですけど、その上役の言いなり通りにしていては会社の会計が立たなくなります。またよし、私がその上役の言いなりどおりにしようと思いましても、私の部下の者たちが、そんなことは実行できないと言って反抗するのです。課長は頭が悪い、課長は頭が悪い、そんな課長の言いなりどおりは実行できぬ、と皆の者が課長に反対するのです。私は上役と部下との中間に立って二進も三進も行かないことになるのです。」

 「なるほど」と谷口先生は思案深そうにおっしゃった。「それほど皆のものが『課長は頭が悪い、課長は頭が悪い』と思いつめていたら、念の感応によってよほど頭の良い課長でも頭が悪くなります。そして皆の者がそんなに反抗しているということをその課長が感じたら、なにくそ!と云う気になって、否応なしに我を突き通してみたくなります。あなたは課長が我が強い頑固一徹な人だと言われるけれども、あなたたちみんなの心の力で課長の我を強くしているのではありませんか?」

 「そういえば、そうですけれど------」とその男はたじたじとした。

 「そういわなくても、そうでしょう」と谷口先生はもう一歩進んで相手の迷いを追い詰めるような調子でいわれた。「誰でも周囲の皆の者からそんなに悪く思われたら、善くなることはむつかしい。あなたは上役と部下の者の中に立って苦しい立場にあると言われるけれども、あなたほど結構な立場はない。あなたはなぜその上役が頑固であるか、それは皆の者が上役を頑固だ頑固だと思って反抗する心の反映であることを部下に説明してあげたらよい。

部下の者たちに心の法則を説いてきかせて、一人でも心理に目覚めさせてあげれば、そのことは一会社のつぶれるのを建て直すことよりもなお偉大な仕事である。また部下の者みなが上役の意見をそのままハイハイハイハイと素直に実行するようになったら上役の頑固な気持ちはやわらいできます。反抗するから上役の感情が興奮して騎虎の勢い遮二無二、いったん言い出したことを通そうとするようになるのです。

誰も反抗しなければ、上役の心に余裕ができてみずからを顧みるようになります。そして上役の方から、『ここは君どういう風にやったらよいだろう』と部下の者の意見を問いたくなってきます。そうすれば会社もつぶれなくなるし、上役も部下の者も調和して楽しく仕事ができるようになるのです」とおっしゃった。





辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 H (1661)
日時:2013年08月02日 (金) 13時45分
名前:信徒連合




辨道聴き書(べんどうききがき)<第9回>



<聴講中神姿を見る>


 その翌日、一人の洋服の紳士が道場修行者の後方から起ち上がって、「先生の講演会中に私が出くわした奇蹟を申し上げます」と言って語を続けた。

 「実は、私は六月四日の第二回目の講演にまいりまして聴講いたしておったのですが、三十分ばかり先生の講演を聴いていますと、突然両眼から止めどもなく涙がこぼれてまいりました。嬉しいのか、悲しいのか、感激したのか、潸々(さんさん)として涙が止めどもなく流れ出るので、周囲に対しきまりが悪くてポケットからハンカチを出して拭き拭きするのでございましたが、どうしてもその涙が止まらないのです。

十分間ぐらい、涙をハンカチで拭き拭きしていましたらやっと涙が止まったので演壇の方を見ますと、谷口先生が講演していられる―――向かって右手の一尺ばかり下のところに一人の神様が立っていて、谷口先生が右を向いたら、その神様も右を向く、谷口先生が左を向いたら、その神様も左を向く。同じような身振り手真似をしていられるのです。

それは必ずやいつも現われられる生長の家の神様であって、顎には必ず白髯があるであろう、こう思って眼をみはってその白髯を見ようとしても、髯はどうしても見当たらないのでございます。それどころか予想していたような顔とも服装とも全然ちがう。サンタクロースのように眉は白く長く、真っ白な口髭が長岡将軍のように顔の輪郭の外にウンと長く張り出しているのです。

頭には、トルコ帽のような鍔もなにもない帽子だか、冠だかをつけていられます。着物は緑色で、神々しいというよりもお伽噺の中の長老というような感じでした。あまり印象がハッキリしているので、帰ってからその姿をちょっと描いてみまして、色彩も子供の絵の具を借りて不完全ながら塗ってみました。先生にお眼にかけたいと思います。」

 「どうぞ」と谷口先生はおっしゃった。画用紙の巻いたものが先生の方へ順渡しに送って行かれた。

「この姿は、わたしが石橋さんのユーモアのある話をしている時に現われられたでしょう」と谷口先生はおしゃった。 「そうでございます。先生が三十分ばかり講演せられて石橋さんの話になる頃から見え、石橋さんの話を終わって『もう一つ実例を話してこの講演を終わることにいたします』と言われますと、スッと消えてしまいました。」

 「あなたのお名前は何とおっしゃいます・」と谷口先生はおっしゃった。 「大山晶平と申します。まだごく新しい誌友です。私はあまりたびたび伺いませんが、家内はたびたび、お邪魔をさせていただいています。天下一の癇癪持ちだったのが治ったというのは私です」と朗らかな調子で言った。一座の人々も朗らかに哄々と笑った。




<言葉は癒す>


 その時五十歳くらいの紳士が、縁側で先生のそばに座っていたが、やがて堪えられなくなったもののように身体を横臥させる。後ろから付き添いの婦人が介抱しているのを見て、「いつから悪いのです」と先生はお尋ねになった。紳士は寝たまま何やら言おうとするが、はっきりしない。付き添いの婦人が代わって、「脊髄癆(せきずいろう)で手と足とが不自由で痛みまして口も不自由なのでございます。実は昨晩私が生長の家の話をいたしましたところ、大変喜びまして、今まで起つことも座ることもできなかったのが、自分で座ることができ、また一寸ですが起つこともできたのでございます。それで今日はぜひ先生の所へ伺いたいと申しますのでお邪魔したのでございます。」
 「あなたの話だけで、もうそれだけ良くなったのですね。」
 「はい、でも医者はもう駄目だと申すのです。」
 先生はじっと病人を見られて、「駄目なことはありません。治ります。治ります。」そして「痛んだら痛むごとに罪が消えてしまうのですから、ありがたいと思うようになさい。」
 すると、その老人は今まで苦しそうにしていたのが、大変楽になったように座り直して、先生の話を聴きはじめた。




辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 I  (1675)
日時:2013年08月04日 (日) 08時04分
名前:信徒連合




辨道聴き書(べんどうききがき)<第10回>




<盲いていて見える目>


 神恩に感激して、盲目の不自由な身で、体験を語り、誌友を感動さした青年がある。それは七月三日午前のことである。その青年の兄さんが熱心な誌友だった。今年の二月ごろから、その青年は奇病にかかったのである。それは足のほうからしびれてくる奇病だった。だんだんそれが上体部へ及んでくる。が、ちょうど勤務先が忙しい時だったので、押して出勤していたが、四月にはとうとう動けなくなって入院した。左半身がクナクナになって、キュッとひきつり、弓のように身体が左へ曲がったきり伸びないのである。足も左側はフラフラになってほとんど利かないのだ。おそらく他に類のない奇病で、病院でも手の施しようがなかったのである。

ところが、その身体の痺れが目にまで上ってきて、失明することになった。初めは視野が狭くなって、だんだんにその視野が絞りこまれ、ちょうど、映画のしぼりのようにスウッと視野が小さくなっていって、しまいに視野がなくなり、視力を失ってしまったのだ。病院でも手の施しようがないので、そのまま病院を出たのである。

兄さんが大変熱心な誌友なので、お母さんと二人ですすめて、その青年を生長の家本部へ伴ったのであった。ところが、最初の神想観をすると、帰り道では湾曲していた身体がスッと伸びた。そして眼の不自由はまだ治らなかったが、脚の不自由はスッカリ治って、その日、本部を訪ねる石の坂道を、目の明いている人よりも確かに、楽々登ってしまって、自分でも驚いたのだった。

そして、今までクナクナしていて、お茶碗を持てなかった左手が治って、久方ぶりにお茶碗が持てておいしい御飯を食べたのだといった。

「どこからかわかりません。手からか、脚からか、胸からか、どこからかわかりません。けれども、嬉しい、ありがたい心が湧き出して、ただただ感謝のほかありません。本当に嬉しい、ありがたい。手からも、脚からも、胸からも嬉しい心が湧き出します。実相の目はもう見えています。本当の自分の眼はもう見えています。やがて、本当の目が、肉体にひらけると思っています。」

 熱のこもった体験談をした。この本当の自分の悟り、盲いていて見える本当の目の悟り、これは尊い悟りである。




<実相は汝の中にあり>


 今井森五郎氏が先生に尋ねられた。それは昭和十年七月八日、午前のことである。

「神想観をいたしまして本当に現象なしという境地に入りますと、いっさいの煩悩が無くなってしまうというわけでありますか?」

 先生は答えられた。「煩悩はなくならないでも浄まってくればよいのです。肉食を好む人が自然淡白なものを好むようになってくる。酒の好きな人がいつか酒を飲まないでもよいことになるのであって、すべて清らかに調和したものとなるのです。食欲が無くなってしまうのではないのですよ。」

「金の計数を好むとか、子を愛する煩悩などはどうでしょう?」

「子を愛するのでも、病気になりはせぬかと心配するのは、迷いを通し、我執を通して愛するのです。この愛し方が変わってきて、我執でなしにひろびろと愛するようになればよいのです。金でも金そのものは何も汚いことも綺麗なこともない。ただその金を扱う態度や目的が、利己的な欲望からでなく、本当に人を生かすことになってくるのです。これが煩悩が浄まってきたというのです。」

「私ども、聖典『生命の實相』を読ませていただいても、単に理論に止まるだけならなんにもならぬと存ずるのでありますが、ところが、この本当に自分のものにするということはまことにむつかしいと思われるのでございます。」

「それを読んでいるうちに自然と自分のものになるのですよ。」

「先生はみずから体験されて内からおのずから悟られたのでありますから、本当に自分のものとなっていらっしゃるわけですが、われわれは五官を通してこれを知るので、結局外からつけるものでありますから、どうも先生と同じように自分のものとなることがむつかしいと思われるのです。」

 「五官を通して知るといわれるけれども、人事不省の人に読んで聞かせても病気が治るというのですから、五官を通してとは言われないでしょう。要するにめいめいの内にある実相を引き出すのであって、音叉の共鳴のように、実相の振動数の音叉を近づけると、内なる実相がひびきだすのです。初めからあなたのうちに同じ振動数の音叉がなかったなら鳴りだすわけはないでしょう。私の本を読めばその真理の振動数が、あなたの内にあるものを共鳴さし、あなたの内にあるものが響きだすので、外からつけ加えるのではないのです」と谷口先生はおっしゃった。







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