生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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高野山を開かれた 空海 (1620) |
- 日時:2013年07月28日 (日) 02時52分
名前:蒼穹
大陸に渡り仏教を勉強しその教えを持って帰った空海は高野山の高地に仏教修行の場として天空の聖地を創建した。
時の天皇初め皇族や貴族達も参詣するようになったのです。
「生けるものすべてが その身のまま 仏となる」の教えを基に 1200年現在も役場から小中学校大学まである天空の町として栄えています。
そして今でも朝6時と10時半には空海のお食事「御膳」をお供えし空海は永遠に生きておられるのです。
空海がこの世を去って86年後、時の天皇が「弘法大師」の称号を授けました。
これこそが本当の信仰者、の姿であります。開祖谷口雅春先生も長崎でのお話で「谷口雅春がこの世を去るときが来るでしょうが、決して死なないのです。皆様も決して死なないのです。人間は死ぬと言う事は無いのです」と仰っていたのです。
いまでも私達をお導き下さっているのです。
雅宣氏は「亡くなった人の事は分からない」等と馬鹿な発言をしております。
弘法大師は漢字の普及に創意工夫をこらしました。その書を後世の人々は勉強しひらかなが生み出されました。
空海、弘法大師への信仰が続けられたからこその今の高野山があるのです。
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