生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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下北沢の「室戸岬」 (1694) |
- 日時:2013年08月07日 (水) 08時47分
名前:サーチャー
<トキ掲示板(本流対策室/5)> ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2155 :元本部職員D:2013/08/07(水) 00:14:07 ID:???
トキさま、解りました。
正解は、下北沢の今はなき小料理屋の名前ですが、ここに通っておられた人たち 顔を見せた人たちが一番本部の内情を知り尽くしている人なのでお尋ねしました。
トキさんの情報というか憶測というか・・・はっきり申し上げて想像の域を出ない希望的な観測です。
下北沢の「室戸岬」は理事会よりも深く濃ゆいものでしたね。 当時人気のない雅宣さんが副総裁に就任するときに「祝賀会」をしてあげようと決議されたのも 「室戸岬」・・・祝賀会の二次会も「室戸岬」でしたね。 あのころは、雅宣さんも謙虚でまだ良い時代でした。だから応援しようとしたんでしたね。 皮肉なことに、祝賀会の先頭に立ったのは現在の社会事業団の松下理事長でしたし、総本山の荒地さんでしたし 企画は谷口貴康さんでしたね。場所は東郷神社水交会・・・
和解するとはあのころに雅宣さんが戻って謙虚になることが必須ですね。
たぶんそれは不可能と見切ったから皆さんやめて行かれたのだと思います。 尊敬するリーダーになってほしいという願いが悉くつぶされて失望が絶望となり離れていったのですよ。 尊敬していた?・・・違うと思いますよ。尊敬したかった・・・でしょう。みんなそう思っていましたよ。
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