生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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シーズン4 舞台は“和解”へ、と思う人もいるが、その観察は甘い!! (1791)
日時:2013年08月21日 (水) 07時42分
名前:公平なる観察者



「和解」に関しての注目すべき二つの投稿が「トキ掲示板」に出ました。

一つはおなじみの和解念仏和尚殿の「段階的和解交渉提示案」というべきものであり、もう一つは、「春から夏へ」氏の名前での「和解交渉テーブルへの催促」であります。

この二つの投稿文は次の通りでありますが、私の推測する所、マサノブ君は相当精神的に参っているようであります。と言うのは、一世一代の見せ場であった「森のオフィス」落慶式が“お通夜・お葬式”と評価され、録画ビデオのYOU−TUBE化を見送ったこと、宇治の盂蘭盆大祭の参集者も少なく、霊牌が毎年減少を続けて教勢低下に歯どめがかからず、周囲からの責任追及の批難の冷たい目をヒシヒシと感じ、「トキ掲示板」NO.2322<総裁と宇治ですれちがった人が総裁のお顔を拝見すると、『真っ青な顔色をしていた。あきらかに疲労困憊をしている状態だった。』>様子であり、更に重さ14トンの「自然災害物故者慰霊塔」が“貧乏神”そっくりと言われたり、最近のマサノブ君はまさに踏んだり蹴ったり。「唐松模様」も記事更新の元気なく「枯れ松模様」となっている。このイライラと怒りの感情を直轄「掲示板」で晴らしている様子が誤字の多さや乱暴な言葉となって現れていることから分かるのであります。そこで彼・マサノブ君は「トキ」氏に命じ、和解の道を探らせ出したのであります。(この二つの投稿文は裏で相談して為されたものと、私は推測しているのであります。)



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763 :トキ:2013/08/20(火) 21:00:42 ID:s2sD6Qo2  

<< 深い谷に吊り橋をかける光景がテレビに出ていました。 先ず、弓矢の名人が、矢の後ろに細い糸をくくり付けて片方の谷の端から、他方の谷の端に射ます。対岸には、何人かの人が渡っていて、矢を受取ります。矢の後ろの糸に、やや太い糸をくくり付け、糸をひっぱってその糸を対岸まで渡します。次ぎに、もう少し太いヒモをその糸にくくり付けて渡します。その調子で、段々と太いヒモを対岸に渡し、最後は太い綱を対岸に渡します。その方法で最後は何本かの綱を渡し、吊り橋をかけるのです。 これは和解交渉でも同じ事が言えるでしょう。 例えば、対立する組織のトップ同士がいきなり和解の話し合いを始めるのを期待するのは現実的ではありません。が、もっと低いレベルの人間が、非公式の場所で接触を始めるのは可能です。最初は双方のヒラ同士の人間が接触し、感触を探るという方法があります。・・・非公式の接触・・・それで、ある程度の合意が出来たら、もう少し上のレベルの人が出て来て話し合いを始め、段々と上のレベルにあげる・・・。>>



2341 :春から夏へ:2013/08/20(火) 20:19:04 ID:WUkJ5nNQ

<<ずっと、考えていたことがあります。この闘争って、一体なんだろうって。・・・バイナッブルは、私が持っています(と思っています←一部分ですが)。どうか、和解のテーブルに、早く着くよう、平にお願い致します。>>



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@ 結論を先に申し上げますと、マサノブ君が生長の家教団の中で何らかの肩書きで存在し続けることを前提としての“和解”は全く不可能と言うことであります。つまり、“和解”の絶対的前提条件は、マサノブ君が総裁職を辞職し教団外へ立ち去ること、および現教団の最高責任役員である全理事・全参議の辞職であります。開祖・谷口雅春先生の『御教え』を換骨奪胎し、開祖・谷口雅春先生の示された立教の意義目的を否定し、全く反対の左翼的唯物論の教えに転換させて教団を分裂させ、教勢を大幅に低下せしめ、世間からの生長の家への評価を完全に貶めてしまい、世間から忘れ去られていきつつある現状を招来せしめたトップと幹部役員の責任の重大性から考えれば極めて当然のことであります。このことはまた信徒全員に対するトップとその取り巻き役員の“宗教的背任行為”と言えるものであります。


A 開祖の「法」を嗣ぐ(いわゆる「法燈継承」)と言う観点から言っても、マサノブ君と全理事・全参議という責任役員の辞職は当然なことであります。嗣法の原則、つまり「一杯の盃の水を次の盃に一滴も零さず残さず移し替えること」、このことはどこの宗教関係者に聞いてみても当然なことといわれることであります。開祖の教えがを納得できず自分の思想をどこまでも貫きたい嗣法者(教えの継承者)は自ら師の下を去って外部で独立して別宗教を立ち上げて来たのがこれまでの宗教界の常識であります。開祖の教えに異議を唱えて居座る嗣法者(継承者)は即座に「破門」であります。この宗教界の道理をマサノブ君やその側近の「トキ」氏は何故わからないのかと云う事であります。両人共に世間常識を理解しない人たちであります。


B マサノブ君が“和解”の道の提示を表明した裏には、「トキ」氏に対して、絶対譲れない条件として命じたことは、所謂“和解”後の自分の地位は「名誉総裁」かこれに準ずる地位を与えること、この前提で“和解”交渉を開始しろ(“和解”交渉のキャスティングボートはわれわれの方が握れ!)、という事であると推測できるのであります。しかし、この前提条件がある限り、「正統・生長の家」復活推進側との“和解”は全然成り立つはずはないのであります。この条件以上に重要なのは、マサノブ君が「今の教え」の主張を取り下げ、開祖・谷口雅春先生の『御教え』の全相復活をなすという事であります。しかし、自尊心が人並み外れて強いマサノブ君は、この様なこれまでの面目丸潰れの条件には絶対に応じては来ないことは火を見るよりも明らかなことであります。


C 以上のような事柄を考えるならば、マサノブ君も「トキ」氏も“和解”は提示すれども絶対不可能なことくらい分かっているはずであります。それでもなお依然として、和解念仏を執拗に「トキ」氏は唱え続けるのか? 具体的和解条件を示せと繰り返し言われても絶対に「トキ」氏は示さない。そして、今度は“段階的和解”を提示して来た。マサノブ君自らも“和解”提案を口にした。この謎をいかに読み取るか? であります。その正解は、私の考えとしましては『生長の家』という看板をマサノブ君が生きている限りにおいて、「正統・生長の家」復活推進側に使わせないと云う目的のためでしかないのであります。『生長の家』という看板を「正統・生長の家」が使えないようにして置くならば、「学ぶ会」も「ときみつる会」も全く新規の信徒拡大は思うようには進めることができず、元信徒の人達も老齢化して力のない組織になっていくと踏んでいるのであります。結局、「生長の家」の看板を可能な限り長くマサノブ君の支配下に持ち続けるための時間稼ぎ戦略なのであります。そして、実質的に開祖・谷口雅春先生の『生長の家』つぶしと同じ効果をあげる実利的戦略であるのであります。


D マサノブ君の使命と最終目的は、(ある筋からの至上命令によって)開祖・谷口雅春先生の「生長の家」を地上から抹殺する事であるのです。目覚めた信徒たちの「学ぶ会」や「ときみつる会」への流れ出しが加速している現況に於いては、行く行くは現教団を解散させるよりは、マサノブ君が『生長の家』看板を死ぬまで手放さぬ方が効果が大と判断したためであろうと思われるのであります。「解散」すれば「正統・生長の家」復活側は、『生長の家』という宗教法人を再結成して大同団結間違いなし、とマサノブ君は踏んでいると思われるのであります。「正統・生長の家」復活推進側としてはこの辺のことを深く認識してそれに対する方策を考えていかなければなりません。



<まとめ>

@ マサノブ君と「トキ」氏の、今回の“和解”への誘いは、「正統・生長の家」側をして、可能な限りの長期間に亘って(最低でもマサノブ君の生存期間中)『生長の家』看板を使わせないようにするための時間稼ぎ目的のためであります。


A そして、実質的に現教団を解散したと同じ状況下において置くためであります。


B マサノブ君は開祖・谷口雅春先生の「生長の家」つぶしと言う目的に一生を縛られており、これを途中放棄すれば自分の生命も終わりを迎える、ということをよく理解しているのであります。すなわち、実質的唯物論者の彼は、自己の肉体生命を「生長の家」を潰せ!と命令を受けている“さる筋”から奪われることを極度に恐れていると思われるからであります。マサノブ君は、肉体生命よりも大切な永遠価値あるものなんて認めない、解らない、解ろうとしない、肉体を持って生きているこの自分が最も価値あるものと信じていて、この強固な信念は決して揺るぎはしないでありましょう。14トンの「慰霊供養塔」の大岩のごとく・・・。






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