生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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「初心者」はかくのごとく生長の家の『御教え』を否定する! <その6> (192) |
- 日時:2013年02月25日 (月) 16時04分
名前:四万十分析官
「初心者」という人物は、「トキ掲示板」において下記の如く生長の家の『御教え』を否定しているのである。「トキ掲示版」規約には「基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教えを支持、共鳴する人のためのサイトです。生長の家と谷口雅春先生へのご批判をされる内容の投稿はご遠慮下さい。」と書いてあるが、一連の「初心者」と名乗る人物は、この投稿規約に反する投稿を続け、管理人氏も未だに一回も注意を与えていない。「初心者」と「トキ掲示板」との関係は主従の関係にあり、この様なところから「初心者=雅宣総裁」と言われているのである。そして、雅宣総裁としては、決して公の“総裁”としての立場では言いたくても言えない開祖・谷口雅春先生への反逆の「本音の思想」を「初心者」なる名前を使い、思う存分吐露し続けているとも考えられるのである。この意味からでも、彼のやり口は宗教家として非常に卑怯そのものであり、“総裁更迭”に十分に値するのであり、信徒はもっと声を大きくしなければならないのである。
以下、生長の家の『御教え』を否定する「初心者」なる人物の投稿を転載させていただき読者のみなさんの判断に供するものである。
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「トキ掲示版」より――
310 :初心者:2012/07/20(金) 09:39:45 ID:TfQ0e6RA
言葉に意味はありません。言葉とは、いってみれば、月を見よと指し示す指先のようなものです。指先と月は、ほんらいまったく関係がないものです。言葉と真理のあいだに関係はまったくありません。言葉は真理を語っていません。ただ「あれを見よ」と、真理のある方向を指し示そうとしているだけです。・・・言葉に意味があると履き違えたところで、教義の絶対化が引き起こされ、意味の不在を埋めるために信仰はイデオロギー化していきます。・・・真理と言葉を履き違えたために、言葉にしばられるという現象が起きています。雅春先生が語られた言葉以外の言葉には耳をかさない。こうした現象が起きています。「実相円満完全」といってみたところで、この言葉に意味はありません。この言葉は「べつの何か」を指し示そうとしています。その「べつの何か」がわからなければ、言葉を絶対化し、暴走させるよりほかはありません。
313 :初心者:2012/07/20(金) 13:37:20 ID:TfQ0e6RA
「行間を読む」を現代では「文章の構造にアクセスする」といいます。「作者の死」ともいいます。 「行間を読む」とわざわざことわりをいれられるまでもなく、人は行間を読むことでしか文章にアクセスできないとするのが、現代風の考え方です。つまり、行間を読んだからといって、それは特別なことでもなんでもなく、そのことによって、行間を読まずしては知れないことが知れるということにもなりません。いうまでもないことですが、文章の構造にアクセスするにあたって問われるのは読み手の技量です。読み手の技量の不足はとうぜんのごとくあります。技量不足をおぎなう手段が、文章にたいする情緒的反応です。読み手の技量不足を熟知しておられた雅春先生は、情緒的反応に文章の力点を置かれたはずです。その結果、多くの奇跡を生みだすことには成功なされましたが、その反動として、読み手がほんらいアクセスすべき領域は遠ざけられました。人類光明化といったところで、この言葉に具体的な意味はありません。人々にできることといえば、この言葉に情緒的に反応するか、アクセスすべき領域をさがすかのどちらかしかありません。これまでなされてきたのは、情緒的反応が主であったと考えます。
315 :初心者:2012/07/20(金) 15:55:15 ID:TfQ0e6RA
なんにしても、それが自分にとって心地よいかどうか、心に響くがどうかで言葉の価値を判断するのが、生長の家の伝統的な言葉への接し方であるということがいえそうです。即効性を求めておられるという意味で、生長の家の方々が言葉に麻薬的効果を期待しておられるのも、またたしかなことだという気がいたします。
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<問題点>
@ 「初心者」は、此処で全く“不埒千万”なことを言い放っているのである。曰く、<言葉に意味はありません。言葉と真理のあいだに関係はまったくありません。言葉は真理を語っていません。「実相円満完全」といってみたところで、この言葉に意味はありません。>と。一体全体、「初心者」は『生命の實相』で説かれている事とは全く逆の事を言い放った。「言葉」=「生命」=「神」とは信ぜず、言葉で「實相円満完全」と唱えれば、言霊の響きが潜在意識下において信念化して「円満完全」なる實相が現象化するということを非科学的であり、理性に反することである、と考えているのである。
A 「初心者」なる人物は、古来、“言詮不及”と言われた真理を100%に限りなく近付けて書かれた文章芸術の極致が『生命の實相』の御文章であり、読む人の心の大転換(360度の廻心)を引き起こすその生命的芸術 の神髄が判っていないのであります。「初心者」は全くのところ生長の家の『御教え』については“初心”どころか全く“初心”以下の理解すら出来ていないのである。「初心者」という読み手の技量不足である。
B 理論と理屈で突き詰めて納得行くまで思索していく方法ではなかなか奇蹟的と言われる結果(難病や経済的窮乏からの奇蹟的恢復)は実現困難である。しかし、言葉の持つ言霊の力によって心が“情緒的反応”を来してその結果こころの迷い(神性隠蔽)が解消するほうが奇蹟的結果を容易に導きだせるわけであります。此処が信仰の秘訣でありますが、「初心者」は、これを“言葉の麻薬的効果”と表しているわけであります。この“麻薬的効果”という解釈は明らかに間違った解釈です。『御教え』を自虐的に冷酷に観ていると言わざるを得ません。「初心者」や「雅宣総裁」は自己人生に於いて、病悩苦や経済的な局限状態の経験がないからこの様な現実から遊離した世界での机上の理屈の世界に浸っておれるのであるが、宗教や信仰の門を叩く人たちは切羽詰まって訪れる人が殆んどである。この現実に真正面から向き合ってこそ“宗教家”と言えるのであるが、「初心者」は逆立ちしても本当の宗教家ではないのである。
C 実によく思想的に、思考的に似ているではないか! 「初心者」は「雅宣総裁」と同じ穴に住んでおり、『生命の實相』を神様からの神示として読む気持がなく、観念的な評論をすることに生甲斐を感じている閑人であると云う事である。なぜここまで「初心者」なる人物が、生長の家の掲示板に出てきて執拗に『御教え』に関してクレームを付ける必要があるのであるか? 「初心者」=「雅宣総裁」であるからではないのか? 雅宣総裁は「初心者」という名前で開祖・谷口雅春先生の『御教え』に挑戦して来ているのである。雅宣総裁は、「初心者」をして自分の開祖・谷口雅春先生に対する反逆的対抗心をぶちまけているのである。
D 「初心者」という人物に告ぐ! 自分は雅宣総裁ではないとあくまでもいうならば、生長の家関連の掲示板へは投稿すべきではない。貴殿の投稿は開祖・谷口雅春先生の『御教え』とは相容れないものであると共に、それこそ雅宣総裁に対して多大なる迷惑を掛けているのであるから生長の家関連掲示板から手を引くべきである。
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