生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

トップページへ戻る

 

↓↓↓ 訪問者数 ↓↓↓

 

名前
メールアドレス
スレッド名
本文
写真

URL
削除キー 項目の保存


辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 (21〜25 ) (2100)
日時:2013年09月27日 (金) 08時32分
名前:信徒連合

『生命の實相』第34巻・道場篇  < はしがき >


「辨道聴き書(べんどうききがき)」は、親鸞聖人の日常の語録を唯円坊が聴き書きして編纂した「歎異抄」に似ている。それは東京赤坂に私の道場があったときに側近者が書きとめて置いてくれたものである。その頃、赤坂の道場には花嫁学校が兼営されていて、私は毎日そこへ講義に行って花嫁学校の生徒への講義を公開していたから、信者も一般の人たちもそれを一緒に傍聴し、講義が終わったあとで、病気のある人や、質問のある人は前へ出て質問したり、相談したりするのに答えていたものである。其の頃には録音器がなかったので、速記者がついていたが、速記のままでは、まとまった文章にならないので、速記を資料として側近にいた人がその当時の道場の様子なども書き込んで、私が、道場で実際に指導している光景を髣髴(ほうふつ)させてくれたのが“道場篇”である。

だからこれを読んで下さるならば、その当時の私の指導ぶりがよく解るのである。その頃は他流試合みたいに問答をしかけてくるひともあったので活気があった。宗教や哲学に関する深い思索についての問答もあるし、病気や家庭の悩みの相談もあった。だから、その光景や問題を描き写した本編は、色々の人生の悩みの解決や病気の解消にも、如何なる心の持ち方で臨めばよいかの参考になると思う。昭和34年4月1日 著者識(しるす)




辨道聴き書(べんどうききがき)<第21回>




<三十年来の関節炎の痛み消ゆ>


 先生のすぐ前に六十歳ばかりの老人がいた。

「私は先生と同じ姓で谷口と申します。名は茂平と申しまして滋賀県の者でございます。誌友会などに出ますと先生と同じ姓でありますので、大変皆から羨ましがれたりして私も嬉しく思っています。実は私は三十年来の関節炎でもう間接がだるくてだるくて汽車に乗ってもここを叩き通しにしていなければならず、安眠もできないほどでありましたが、胸が昨夜はちっとも痛まず、大変楽でありました。前年胸の神経痛を病みまして京都医大で診てもらいましたら、梅毒性のひどいのであると六〇六号を注射してくれました。それでも治らず、他にいろいろやってみましたが、どうしても治らず、もう私も諦めまして、この病はこの身体を焼かなければ治らないものと思っていました。ところが昨夜はちっとも痛まず、もうありがたくてありがたくて本当に涙の出るほど嬉しく、こんな仕合せをいただきまして、御礼の申しようもございません」と本当に涙を流さんばかりに感激の面持ちで御礼を述べた。

「それはやっぱり肉体を焼いたためですね。ただ生長の家は物質の火で焼かないで、言葉の火で焼くのです」と谷口先生はおっしゃった




<空即是色のいみは?>

1
すると橋本という青年が先生に訊いた。

「私は『生命の實相』全集を二月ごろから読み始めました。しかしそれは研究的批判的に読んでいたのでありますが、読む以上は信じたいと思うのであります。ところで、今月『真理』八月号の越智氏の記事を見たのでありますが、その中に『生長の家には色即是空の説明はあっても空即是色の説明がないのは半可通である』といっていますが-------」

 谷口先生は微笑せられた。

「あの人は『生命の實相』全集をほんの一巻しか読んでいないのでそんな風に云うのでしょう。空即是色の説明は『生命の實相』の至る所に書いてある。

空即是色ということは、『空』即ち『無』よりして『色』すなわち一切現象を生ずということです。

『無よりして一切を生ず』と言えばわかるでしょう。無一物中無尽蔵ですよ。

『有』からは『有限』しか生まれない。四といえば二と二、または一と三を合わせただけの数しかなく、有限からは有限のものしか生じない。

物質は無(色即是空)だから、エーテルもない無よりして心に従って無限にいっさいが現われるのです。これが空即是色です。

本当の仏教は、三界は唯心の所現であるということ、いっさいは心の現われ、観念のあらわれであるということを説くのであって、観念と現実とをバラバラの無関係のように説くのは本当の仏教がわかっていないのです。

越智さんの仏教論は科学的に説こうとしているらしいのですが、観念と現実世界を別物と観、この世界を心によってどうにもならない物質有限の世界と観ているかぎり、それは唯物論であって、仏教ではないのです。

理念の世界――無の信仰のもう一つ奥の世界を理解しないでは釈尊の教えのみならず、他の宗教のことも本当にわからないわけなんです。」

 谷口先生はその橋本青年に対してのみならず、無限供給の真理のわからない宗教家一般をあわれむように諄々と説かれるのであった。




<不眠症を治す法>


 南洋方面から来られた人で不眠を訴える人があった。先生はまた答えられる。

「それはね、肉体を無くするんですね。肉体本来無しと言葉で焼けばよいのです。

さっきの話しのように、肉体を焼いてしまえばよいのです。焼くということはなにも焼き場で焼かなくても、この言葉で焼けばよいのですよ。

不眠の人は不眠だから疲労するように思うのですが、実際はその疲労するという恐怖心から不眠症にもなり疲労するのでもありますが、イギリスには四十三年間も眠らないで七十幾つで死んだ人のことが最近に来た向こうの医学雑誌に出ていました。その人は不眠の為に死んだのではないのであります。

また倉田百三さんも一年以上、一日一時間か二時間しか眠れないことがあった。ほとんど全身結核でその上神経衰弱で、そんな状態が一年もつづいたのです。

倉田さんはいろいろと治療されてみたがもう到底逃れることができないから、そのままをありのまま受けようとそういう気持ちになられたら、不眠も神経衰弱も結核も皆すっかり治ってしまったのです。

だから、眠くなければ眠らなくてもよいのですよ。

すべてのものと調和すれば眠れるのです。

神戸にね、衛生病院と云って女医さんの経営して居る病院がありましてね、そこに勤務している技術者に小永井さんと云う方がいられましたが、そこへある時、不眠症の患者が入院することになったのです。

ところがその部屋というのが大通りに面した角の部屋で、その辺を通る自動車が角だから皆一日中ブーブー警笛を鳴らしては通るのですね。だからいっそう眠れないということになったのです。

そこでこの小永井さんが言われるには『それでは今夜から外を通る自動車の音を一つ統計にとることにして見ませんか』とその患者に命じられたのです。

その患者はその日外を眺めて何号の自動車がどんな音を出すかを研究しておいて、さて夜になって一つ一つ自動車の警笛の音を聞き分けようと思って注意し、自動車の音を聞き始めたのですが、いつの間にかこの不眠症の患者が眠ってしまったのであります。

これはその自動車の音を敵視せず、その音と調和したからなので、なんでも喜んで受け容れることにすればよろしいのです。

生長の家は大調和の教えですからいっさいのものと調和する時すべての不調和は消されるのです。

『智慧の言葉』にも『逃げようと思うな。汝は神の子ではないか』とあります。なんでも喜んで受け容れるようになされば、不眠症もなおるのですよ」と先生はことさら深切に諭されるのであった。

 続いて夜一時間か二時間眠るのみでもなんとも身体の疲労を感じないという人が、その体験談を話し出した。すると後方より中須さんという老婦人が半ば腰を上げて言葉を挟んだ。(つづく)







辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 (22) (2174)
日時:2013年10月05日 (土) 09時17分
名前:信徒連合




辨道聴き書(べんどうききがき)<第21回>




<三十年来のリューマチ消ゆ>


(つづき)「私は七十四歳になるお婆さんで、もう三十年もリューマチで困っていられた方をいろいろと真理のお話をしてあげて治しました。

その方は天理教の人でありましたから『悪しきを祓うて救け給え天理王命』と、あなたのお祈りになるその天理王の神様は本当は、大和のお地場ばかりにいなさるのではなく、あなたのこの身体の中にいて、あなたをいかしていて下さる、今現にそこにいられる、あなたのなかにいられるその天理王の命様にお祈りなさい。

そんなふうに話しますとその方はハッとせられて、いつか三十年のリューマチが消えてしまいました。

その方は百姓をされていますので、昨日の朝相当のみちのりをテクテクやって来て、『生命の實相』三冊を頒けてくださいと云って行かれたのでありました」と言われるのであった。なかなか鮮やかなお話である。

 今日は聴聞者が多くて、玄関の廊下の方まで人がギッシリと詰まり、なお暑いのに軒下に立ってお話を聴いている人さえできて、その軒下に立って聞いている人の中から先生に「私の友人で満州事変の際、首の根ッコのところを射られました。今病院に入院中ですが、ここんところは身体の大切な神経の集まっているところで、それを切られたのだから、なかなか治りにくいと帝大で言われましたのですが、もうやはり治らないものでしょうか、一体切られた神経はもとどうりに出来ないのでしょうか?」

「医者はそういう神経を製造できないが、生命は一個の細胞から神経系統も血管組織も製造した。。神経細胞も生命の影なのです。人間が神経で動いていると思うのは誤りで、心で神経ができ心で動くものでありますから、神経組織が必要ならばいくらでもできるのです。

いくら神経が完全でも死骸は動かないでしょうこの弾丸に中(あた)るというのも本当は業のあらわれで、戦争に行っても、心の中に弾丸の中るような波長のない人は何度戦場に出ても隊が全滅しても生き残るのです。

傷を受けるのは平生他人を射貫くような業があるか、傷を受けることを名誉として心に描くためなんです。すべての人と調和して、無我で本文を尽くすというようにすればいいのです」と谷口先生はおっしゃた。




 <医者を拒むな>


 永待さんの奥さんが、子供の太腿に大きな癰(よう)ができたのを谷口先生にお願いして帰ったら、その日のうちにそれが口を開いて治ってしまったお礼を言われた。今度はまたそのお子さんが常に微熱を出す原因不明の病気について、ご主人は潜伏結核ではないかと心配して医者にかけて、普通の療養をさせるように旅先から指図されたのに対していかがしたものでしょうかとお訊きになった。

谷口先生のお答え――
「ご主人の言われるようになさればいいのです。ご主人の言うとうりになされば、あなたの責任は無くなり、ご主人との心の摩擦がなくなる。お子さんの御病気は結局お二人の心の摩擦でありますから、心の摩擦がとれればお子さんの病気もよくなるのです。---------

「人生は遊戯(ゲーム)であると思えばよいのですよ。薬を飲む遊戯(ゲーム)、吸入をする遊戯(ゲーム)と思えばよい。それを病気だと思うからいけないのです。だからね、ご主人がせよと云うままにしてそれをいちいちしっかり細大漏らさず報告なさい。今日は誰々の診察をうけて、こう言われた。今日はこんなふうに手当てをしたとお知らせなさい。ゲームだから相手次第になるのです。

碁を打つと同じだ。向こうがそこへ石を打ったら、こちらもそれにあうようにこちらの石を打つ。御主人の言われるままに御主人の信頼なさる医者の診断をうけなさい。ご主人がそれで安心され、あなたの心もそれでいいと御主人を信頼されるようになれば病気はよくなるのですよ」と先生のお諭しは実に自由無礙だ。

質問者の石の打ち方によって、それぞれ一番よい石をお打ちになるのであろう。





辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 (23 ) (2250)
日時:2013年10月12日 (土) 08時39分
名前:信徒連合




『生命の實相』第34巻・道場篇  < はしがき >


「辨道聴き書(べんどうききがき)」は、親鸞聖人の日常の語録を唯円坊が聴き書きして編纂した「歎異抄」に似ている。それは東京赤坂に私の道場があったときに側近者が書きとめて置いてくれたものである。その頃、赤坂の道場には花嫁学校が兼営されていて、私は毎日そこへ講義に行って花嫁学校の生徒への講義を公開していたから、信者も一般の人たちもそれを一緒に傍聴し、講義が終わったあとで、病気のある人や、質問のある人は前へ出て質問したり、相談したりするのに答えていたものである。其の頃には録音器がなかったので、速記者がついていたが、速記のままでは、まとまった文章にならないので、速記を資料として側近にいた人がその当時の道場の様子なども書き込んで、私が、道場で実際に指導している光景を髣髴(ほうふつ)させてくれたのが“道場篇”である。

だからこれを読んで下さるならば、その当時の私の指導ぶりがよく解るのである。その頃は他流試合みたいに問答をしかけてくるひともあったので活気があった。宗教や哲学に関する深い思索についての問答もあるし、病気や家庭の悩みの相談もあった。だから、その光景や問題を描き写した本編は、色々の人生の悩みの解決や病気の解消にも、如何なる心の持ち方で臨めばよいかの参考になると思う。昭和34年4月1日 著者識(しるす)




辨道聴き書(べんどうききがき)<第23回>



<家・下駄・胃・唇・舌・耳のお蔭>


 私は池袋にいます門田というものでありますが、生長の家に入らしていただいてから、医者に近づくということを必要としなくなりましたので、このたび杉並の方へ移転することにいたしましたのですが、今までいた家といいますのは私の知人が大阪へ行く時、私にかってくれというので、私がかったものであります。

ところでこの家を明けるということになりましてからずいぶん諸方から話もありましたが決めないでいましたところ、この大阪へ行った知人が、また上京することになり、それではというので買い戻すということになりまして、ことに君のように生長の家の誌友の方がいられた家ならなおありがたいといわれまして、話が整い、両者とも大変喜ばしい結果になったのは、まことに生長の家のお蔭と喜んでおります。

 私はまたこれまで下駄の外側が減る癖がありましたが、誌友になりましてから心がまっすぐになったと見えましてまっすぐに減るようになったのであります。

他にもまだいろいろお蔭をうけました。胃の悪かったのも自然に治り、また唇が墨を塗ったように黒かったのがそれも赤くなり、また舌も大変悪かったのですが、これまたよくなりましてまことにありがたいことでございます。」


門田さんの心からなるお礼とお喜びの報告に次いで、藤田夫人が、その娘さんとともに真剣な態度で次のように語りはじめた。
「私は三年前から耳を悪くしていました。実は十七、八年まえにも一度悪かったことがございましたが手術はしないでいました。

それで鈴木貞子さんの御紹介で誌友にならせていただきまして『生命の實相』を拝見しています間に、だんだんこの耳の病も薄らいでまいりましたが、その間に、この娘がちょうど八月から病臥(ふせ)るようになりましたのでございます。

医者は肋膜とか喘息とか言いましたが、『生長の家』を一冊拝見いたしましたら、本当に不思議なほどでございました。咽喉(のど)のぜいぜいというのが無くなり、何ともいえない快い気分になりまして、医者はまだ床の中におれといいますのに、今朝は雨が降ろうとなんであろうとぜひぜひお礼に伴れて行ってくださいと申しまして、こうして一緒に参りましたしだいでございます。

また私の耳も、もう古い病のことでございますから諦めていましたのでございますが、五月ごろから耳の中でガラガラとまるで何か機械を回すようなひどい音がしまして、とてもつらくてフラフラとなりましたが、やはり医者には行かないでいました。

そして一週間ばかり繰り返し繰り返し聖典を拝見していましたところ、ガラガラという耳鳴りは一時反動的に一層大きくひどくなりましたが、やがてまた、いつとはなしに無くなりましたのでございます。

私がこの道場へ初めて上がらせていただきましたのは六月六日の晩でございましたが、その晩もちょうどこの辺にいましたが先生のお言葉がはっきり伺えませんでしたけれども、今ではそうとう後ろの方でも聞こえるようになりました。

ガラガラという耳鳴りはもうピッタリとなくなり、お蔭様で母娘ともにありがたいことと喜ばせていただいているしだいでございます。」とて、母娘そろって嬉しげに先生にお叩頭(じぎ)された。




<生長の家は手を触れぬ、金も取らぬ>


 医学博士六人が、ほとんど絶望と宣告した伯母さんの病気を話を聞かせて回復せしめられた古川恵偉子さん――その朗らかさ明るさは『生長の家』誌友の中でも一段と晴れ晴れと冴えて、古川さんといえば、あああの明朗夫人かと誰にもわかるほどになっている――

その古川夫人が立ち上がられた。やがてこの人は生長の家学生寮の寮母になったが、これはそれ以前の話である。

「今朝、私どもの宅へ警察の方が参られまして、私どもの宅へ出入される方が多いのでいろいろとお訊ねがありました。『生長の家は病気治しをしているのか?』『お金をとるのか?』などというようなお訊ねでありましたので、私はこう申し上げたのでございます。

『生長の家では病気を認めてその病気を治すのではございません。したがって、もちろんお金など頂いているのではございません。どなた様でもみな同胞(きょうだい)と思い、あたりまえの話をし、あたりまえのことをしているだけでございまして、手を按てたりなどして病気を治すのではないのでございます。

ただ生長の家の真理のお話をしていますと、自分の魂も喜び、人様の魂もよろこび自然皆様の生活なり性格なりが明るくなったり、病気が治ったりするのでございまして、一日も早く皆様に生長の家の真理が常識化されますようにと念じているのでございます。』と申しまして、それからこの『生長の家』、『生命の實相』のお話を二時間ばかりお話しいたしましたところ、その方も大変結構なお話を聴いてまことにありがたかったと申されます。

それで今日は職務上としてお出でになりましたが、この次には奥様とも御一緒に個人としておいでください、と申しましてパンフレットや無代本を差し上げました。

その方もお帰りには大変喜んでまったく打ちとけて誌友のようになってお帰りになりました。

ついででございますので申し上げますが、生長の家では、肉体無し、物質無しと教えられていますのに病気を治すのに手を触れてほしいとて手に頼られる方がございますように見受けられますが、もっともっと教えを深く知ることが大切かと思われます。

私は手を、手を、と言ってお頼みになる方には、帰っていただくことにしているのでございます。『生命の實相』を深く知れば自分自身も病気も無いものであることがわかりますから、いわんや手に頼るということは無いはずでございます。」

 実にイキイキと、明朗そのもののごとくに語るのだった。同座していた一同も拍手を送ってそれに応えて古川夫人を激励した。


すると、谷口先生はおっしゃった。

「病人に手など触れなくても言葉が触れるのだから、大丈夫なんです。『肉体は無い』と宣言している生長の家へ来て肉体の手を触れてくれというのは矛盾です。手とは何ですか、エーテルの波動である。触覚とは何ですか、波動の感触である。すると声が聞こえるとは何ですか、やはり波の感触じゃありませんか。

手を触れるのも、言葉を聞くのも触れるという上からいえば同じなのです。言葉が触れていることであるから、言葉の力でなおるのですよ。手を触れなければ治らない病人は、病人自身が何か頼りなく思うから、そうなので、本当は言葉が触れて治るのです。」一座の人々はなるほどと悟った様子であった。








辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 (24) (2287)
日時:2013年10月17日 (木) 09時02分
名前:信徒連合




辨道聴き書(べんどうききがき)<第24回>



<治る人と治らぬ人の体験>


 その後また話されたメリヤス屋さんの末富さんの話を要約しよう――

末富さんが、桜井正枝夫人に真理の話をしてあげると桜井夫人は肺結核の三期から起ち上がった。末富さんは肉体は存在しない、実相のみ実在であるとの絶対信念から、苦しさに耐えられないほどの病人に対しても、断固として神の絶対威力を説いたのだった。

『肉体本来無し。人間は神の子である』の真理を知る時、今まで肉体をなんとかしなければならぬと引っかかっていた心が解放されると胸を締めつけるような思いがなくなるから胸の血行もよくなり、抗病力が強くなって早く回復するのである。

そのうえ、『天地一切のものと和解せよ』の教えを受けて、胸の中で摩擦していた思いが消えると、肺臓内の炎症も自然に消えてゆくことになるのである。

肺病の心的原因は争う心、短気な心、憂鬱を胸にためている心、特に夫婦関係で摩擦する場合には起りやすいのである。

ともかくこの桜井夫人もこの強い信念の下に実相一元の話を聞かされ、良人に調和して感謝しようという気持ちになった時、長い間の病床にあってお粥のみ食べていた夫人が急に堅い御飯を頂けるほどの元気が出て、歩行もでき、表へも出られるようになった。

その状態を近所の人たちが見た時、驚いて叫び出したということである。家人も仕事に手がつかないほどの驚きと歓喜であった。末富さんはさらに語(ことば)をついでこう言った。


 「心から素直に『實相』のみにお頼りいたしますという気持ちにならないかぎり瀕死の病人はもとより、なかなか普通の病気も治りません。私は四人も医者から見放された方を治していますが、皆本当に心から縋って来られる方のみです。

この病気が治ったらあの訴訟に勝ってやろうとか、身体の具合が悪い時のみ治して下さい、治ったら神を信じますという人は治っていません。その考えのために亡くなった方もあります。

神をためす者こそ、自業自得の苦しみを嘗めています。誠こそ神の国へ導く鍵です。病気を治してもらえればよいといって、こちらの都合も考えず、こちらの時間を平気で使って、時間は生命ですから、こちらの時間を殺すことは、こちらを殺しているのです。

こちらの生命を殺しながらそのために行ってあげた乗り物代までも払わせるような利己的な人は、いつまでたっても、苦悩から解放されないのであります。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、本当に自他一体に誠を捧げる心こそ大切であります」と熱心な語調であった。




<『甘露の法雨』の功徳>


 谷口先生御上京以来、ほとんど一日も欠かさずに先生のお傍で黙々として大存在をしめしておられる辻村楠造翁は、次のように今朝は語られるのであった。

「私の知り合いに女学生がありまして、毎月月経時になると癲癇(てんかん)の発作を起こしていました。私が生長の家を知るようになってから、毎朝祖先の霊に対(む)かって、『甘露の法雨』全編を誦げるようになりました。

するとこの難治といわれているその娘の癲癇が治ったのです。そこでいよいよ確信を得ましたので、なおも祖先の霊の悟りに精進いたしました。

ところが一昨々日、その娘に外出せねばならぬ用事が起りました。多少心配ではありましたが、一人でやりましたところ何のこともなく帰って参りました。家中ありがたく感謝いたしています。大真理のお蔭を受けて感謝しています。」

辻村翁の話は、語り手が語り手だけに静かに満場を打ったようであった。




辨道聴き書(べんどうききがき) 『生命の實相』第34巻より抜粋掲載 (25)  (2372)
日時:2013年10月29日 (火) 08時49分
名前:信徒連合




辨道聴き書(べんどうききがき)<第25回>



<痛くない所に礼を言え>


「七十一歳になります家内が五年ほど前、自動車に衝突して肋骨を一本折りました。それが足へ来て痛み、耳が遠くなり、寒くなると痛んできます。」

「痛みはないのですよ!」と谷口先生の答えはハッキリしている。しかし老人は「そう言い聞かすのですが、やはり痛がりますので」と痛みに執着しているのだ。

「痛むなら痛いと思ってもよろしい。しかし、痛くない所にお礼申すよう伝えなさい」と谷口先生はいよいよ単刀直入の答えである。アトは微笑で「そうすれば痛いところもお礼言ってもらいたくなって治りますよ。」

 感謝の心は生かす心である。平易に説かれるお言葉であるが、さすがに味わいの深い真言である。「だけども------?」とその老人は言う。

「だけども------?それがあなたの痛む心だ。痛みというものは『我』の傷つけられた思いが肉体にあらわれるのだ。『我』をなくして、すべての人々に感謝して何でも素直に『ありがとうございます』と周囲と調和するようになされば治るのだ。衝突する心が自動車と衝突したのですよ」と先生は言われた。




<「お山」最後の面会日>


 その日は谷口先生お宅での最後の面会指導日であるので、小金井におられる誌友の一人が起って感想談を述べられる。


「私が初めてお山に上がらせていただきましたのは、五月も風薫るころで、お山の門を入りますと神々しい、繁った樹木、庭の趣き深い風致、それに似つかわしいお玄関、しかも先生の崇高な御慈愛深いお顔、平明流暢にお説きしてくださるお言葉、私はただもうありがたい、何ともいわれぬ気持ちに心打たれて観音菩薩の化身のように思われるお姿を拝ましていただいてまいりました。

いつも一定の座について温顔を湛えていらっしゃる辻村閣下、明朗闊達なる先達野村氏や春風駘蕩の中に熱心に聴き入る修行者の様子、厳粛の中に生命の躍動する神想観。

私は三十年来未だかつてない感激を覚え精神的にも肉体的にも限りもないお恵みを頂き、ただ今では悩みも雲散霧消いたしまして毎日楽しく天に歓び地に歓び、感謝の日々を過ごさせていただけるようになったのであります。

 私は三十年ばかり熊本県で小学校長を奉職しております時、肉体的にも神経痛を患い、精神的には二十七、八才ごろからどうも頑迷固陋で人生のわからないのに苦しみました。

『孟子』の『富貴も淫す能わず、貧賤もうつす能わざる』本来自由の境地、

白隠禅師の『坐禅和賛』に『衆生本来仏なり、水と氷の如くにて、水を離れて氷なく衆生の外に仏なし。かたじけなくも此の法を一度(ひとたび)耳に聞く者は、福を得ること限りなし、------無相の相を相として往くも還るも外所(よそ)ならず、無念の念を念として、謳うも舞うも法の声。三昧無碍の空広く四智円妙の月冴えて、-------寂滅現前する故に当所即ち蓮華国、此の身即ち仏なり』とあります。

こうした境地にはどうしても至りつくことができないと思ったのでしたが、こうした境地にはなんとしても届くことができなかった。

だが、私は何としてもそうした悟りに入りたいと思って最もわかりやすいといわれる浄土真宗の門を五、六年前に叩いたことがありましたがどうしても暗い闇路から脱することができなかったのでした。

本年の四月も終わりに近いころ『生長の家』の三月号を頂き、五月三日から参らせていただいたのであります。実に此の聖地、このお山において先生にお救いしていただいたのでございますから、何ともありがたくて言葉もありません。」

誌友は涙とともに語を止めた。一座はシンと静まって皆合掌の心して傾聴していた。



 十一時になると、お山の御指導は千秋楽というので野村氏起って挨拶され、谷口先生奥様をはじめ参会者一同においしい夫婦饅頭が出、皆嬉々として頬張る。

やがて「生長の家」の旗をふりながらお山の庭々を列をなして回りに回る。

秋田氏らの映写機に収まりながらお門を出た一行百五十名ばかりは、野村氏の露払いで先生御夫妻に続いて明治神宮に参拝する。

蜒々(えんえん)と長い行列を作りながら、神の子が神の森に入る。神前に整列して礼拝すれば谷口先生の天津祝詞「高天原に神つまります-------」と澄んでさびのあるお声に一同ただ清浄の神域に襟を正す。

秋天高く日うららかに、宮居の軒下の菊の香も聖壽無窮を讃えるかのように高く高く匂っているのだった。






Number
Pass
SYSTEM BY せっかく掲示板