生長の家会員の個人サークル

谷口雅春先生倶楽部

谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え

とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教

団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次

のとおりです。

『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ

尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、

処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心

帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』

生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である

谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか

危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に

教団内において正しいみ教えを学んで行きます。

 

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雅宣氏は龍宮住吉本宮は聖地では無いと言い切った (196)
日時:2013年02月25日 (月) 22時20分
名前:不動明王

谷口雅春先生は九州の龍宮住吉本宮ご造営にあたり

いよいよ龍宮住吉大神のお力で日本の国安かれと住吉大神さまを谷口雅春先生御自らご鎮座降霊の祝詞によりこの日の為若き刀匠により両刃の剣を準備、それをご神体として招霊され鎮座ましましています。その日より国宝級の両刃の剣は本山の社に安置されているのです。その両刃の剣は唯物思想を根絶するためにバッサバッサと切る為でありますが、自分にも間違いのある時は切られるのです。正しく「護国の神剣」であり九州本山は聖地そのものであります。
処が雅宣氏はそこを聖地と呼ばないのです。雅宣氏の精神状態は九州本山に行けば「苦しくて苦しくて」仕方ないのだと思います。唯物思想根絶の為の霊力が漲っているからです。
雅宣氏にとっては本山は聖地どころか地獄なのです。・・・・・

まさにその通りです (197)
日時:2013年02月25日 (月) 22時58分
名前:神の子A

>雅宣氏の精神状態は九州本山に行けば「苦しくて苦しくて」仕方ないのだと思います。唯物思想根絶の為の霊力が漲っているからです。
雅宣氏にとっては本山は聖地どころか地獄なのです。・・・・・


まさにその通りです。
雅宣総裁という低級霊の迷いの産物は、迷いの自壊作用として苦しむのでしょうな!

誰がどう見ても総本山は「聖地」です。



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