生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
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生長の家「今昔物語」・霊界篇の再掲示<第三話> (203) |
- 日時:2013年02月26日 (火) 08時27分
名前:信徒連合
生長の家「今昔物語」第五篇 霊界篇
第三話(通算第245話) 霊・霊界知識の必要性について
『霊界の妻は語る』(新選・谷口雅春選集)P.101−107
<<・・・夜間睡眠中に、私の霊魂が妻の霊魂と幽界に於いて、会合する事ができた・・・その後、数ヶ月たって、妻の霊魂と直接談話現象に入ることができるようになった・・・私が、種々なる指導霊と交えた問答を総合して考えてみると・・・もし吾々が睡眠中に体験したところの状態を、精細に現実界に持ち来たす事ができたならば人類にとって大なる恵福となることを私は今なお信ぜずにはいられないのである。何故なら吾々人類に一層大なる生命の視野を開いてくれることになると共に、早かれ遅かれ逝(ゆ)かなければならないところの霊界についての尚一層詳しい知識を供給してくれる事になるからである。もし、吾々が旅行する土地について尚一層詳しい知識を持っておれば、旅行先で色々のことを弁ずるのに大変都合がよいではないか。・・・幽界遊行の記憶が余りにも楽しいものであるのでその記憶が残っていたならば地上に於ける現世の物質的生活の興味が全然失われてしまうおそれがあると言うのである。この問題に関して私が議論した人達の多くの一致した意見は、睡眠中の幽界遊行の記憶はむしろ地上生活の意義をハッキリさせて、生活に刺激を与える事になる・・・尤も、多くの場合に於いて睡眠中の遊魂現象は、吾々自身の属する霊圏に行くだけだあって、一層高い霊魂の世界に行くのではないのである。・・・>>
『人間死んでも死なぬ』P.22−24 <<・・・人間のこの目に見える生活圏が、目に見えない一層高い生活の準備としての世界ならば、吾らはまたその様な生き方をしなければならない。それ故に「人間としての正しい生き方」を知るには、吾らはどうしても死後の生活が有るか無いかということから決めてかからねばならないのである。なかには、死後のことは今から知って置かなくとも、生きているうちには一所懸命に真面目(まじめ)をつくして生きて置き、死んでから若し生活があるならば、それは叉、死後になって真面目をつくして生きればよい、と考える人々もあるであろう。しかしながら、死後に生活ありとして真面目に生活する人の<真面目さ>と、死後の生活なしとして真面目に生活する人の<真面目さ>とは、その“強さ”は等しくあり得るかも知れないが、その行為に顕われる“傾向”は相異しきたらざるを得ないであろう。叉、死後に生活ありと考える人々のうちにも、死後の生活状態についての予想の相異に従って、また現世の生活振りが相異し来たらざるを得ないであろう。・・・この相異は重大な事ではなかろうか。・・・死後の生活の存否を決定し、もし死後の生活が存在するならば、その生活の内容及び性質も出来るならば決定しておくことが必要なのである。・・・>>
<注・コメント>
開祖・谷口雅春先生は上記の御著書において説かれている事をまとめれば・・・
「信頼するに足る充分に勝れた霊界通信の事実から考えると、霊界は間違いなく存在する。従って、我々が、地上で肉体という衣服を着て生活している間に『出来るだけ正確な霊と霊知識を知っておくこと』は大切な事である。此の事は、旅行先について前もって良く知っておれば、旅行先でより良い行動が採れるのと同じである。又そのことにより、現世の生き方や生活の仕方に絶えず新しい視野が開け、輪廻転生を続けて自己生命の無限の進化の途上に於ける今回の肉体地上生活(現世)の意義と目的がハッキリと判り、明確な目的(個生命の進化・向上)に向かって喜びを持って毎日を生きることが出来るのである。」・・・と云う事だと思うのであります。もう少し具体的に申しますと、
(1)過去世――現世――未来世を通じての「原因結果の法則」(因果律)を自分自身の幸せな生活を送れるようにより良く活用して行こうとの生活態度と生活習慣が生まれて来る。このような価値観を持って現世の仕事をし、生活を送る人々が増えれば、霊的原因に起因する病気や事故は減り、犯罪は減り、裁判官は暇(ヒマ)となり、紛争、戦争も減って行くのであります。自然災害と称されるものも減ってゆくのであります。
(2)現代社会の大きな問題となっている「自殺者の増加」問題を根本的に解決する方策は、「正しい霊知識と因果律の知識」を広く世間に広げることであります。自殺をして往く人を大きく分けますと二つになります。一つは、現に目の前にあるところの、病苦・借金苦・人間関係の軋轢と苦しみ・自己人生への絶望・・・から、兎にも角にも逃れたい・死ねば一切の絶望的悩みや苦しみから逃れることが出来ると考えて自殺をする人達であります。そして、いま一つは、この世(現世)よりもあの世(霊界)の方がスバラシイ所だから早く霊界で生活したい、つまり、厭世的に現世を考えて現実逃避のために自殺する人達であります。これらの二つの部類の人々はいづれもが間違っているのであります。
現世は、霊魂としての吾々人間の魂が進化向上する人生学校であります。その人の人生に於ける病・悩・苦等は、魂の人生学校を卒業してゆくために課された進級テストなのです。理由の如何を問わず、自殺とは、進級テストの答案を書かずに中途退学する事で、上級学校へは進級したくても決して出来ず、再入学して再び同じようなテストを受けなければなりません。即ち、現世は自己努力をして完全に卒業して初めて一層すばらしい上級学校(霊界・未来世)へ行けるのであります。自殺しても霊界へ行っても同じ苦しみ・境遇が待っている。自殺しても悩み・苦しみからは逃れられない事を知って自殺などせずに生き抜いて、霊的信仰の面からの真剣な自助努力をなせば道は必ず開けるのであります。
(3)「何故自分だけが、あの人だけが不幸な事件・事故で死なねばならなかったのであろうか、本人は無過失であって、全責任は相手方にある」と主張する人々が現代社会には多くおります。肉眼で見える世界だけを見れば確かにその通りでありますが、正しい霊知識があれば観かたが変わってくるのであります。過去世――現世――未来世を通して見れば、すべての事件・事故は双方の持つ因果の然からしむる所である事が判るのであります。と同時に霊魂は永遠生き通しでありますから亡くなった人は霊界で活き活きとして生きており、次なる霊魂の進化・向上の場へと進んで行きつつあるのであります。霊界通信によれば、突発的な突然の死は、その霊魂にとっては飛躍的進化をするために必要なことであった。という事であります。
(4)開祖・谷口雅春先生は、「霊と霊界」について、詳しく説いて頂いているにも拘らず、第三代目・谷口雅宣先生は、「霊」に関することは危険な事である、「霊」に関する事については宗教界に於いて合意の見解がないとの理由から一切「霊・霊界」に関しては触れず、むしろ「霊・霊界」の事を忌避(きひ)されており、御本人も「霊・霊界」に関しての関心など全く無い様であります。此の事からも第三代目・谷口雅宣先生の説く「今の教え」は「本当の生長の家の教え」とは、似て非なるものであり、レベルの低いセレブ階層向きの教養・趣味趣向とも云えるものであります。
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