子供の頃は本当にいろんな遊びをして、「遊び方」を覚えました。
遊び「方」というものは、ひとり遊びをする場合にも、往々にしてその「方」ですることのほうが多いように思います。
例えば、「おはじき」をする場合、まず、弾くふたつの石と石の間に小指で「天を切り」ます。
何故、天を切った後なのでしょう。弾かれる石同士に「おふたかた、これからちょっと痛いし、どこに行かされるか、わかりませんけど、おつきあいのほどをよろしくお願いしますね」という、己という神が司る、石さんへの「意思」の伝達なのかもしれません。
僕が神ならば、天を切って知らせたふたりを衝突させたりせずに、明後日の方向に弾いたりするかもしれません。そしてテーブルから落ちる石さんに「千尋(せんじん)の谷」…、と、のたまってみせるかもしれません。
可能性、良いもの(こと)素晴らしいもの(こと)というのは、そういうところから始まり、そして、安息、安堵、安心、安寧などの、だからこういう遊び「方」生き「方」なのだな、と悟ったつもりにもなれるのではないでしょうか。
僕は、呼吸をして遊んでいます。