12月定例議会議事録雑感 (1)政治倫理
先日、表記が市のWebページで公開されたが、思いつくところを論じてみたい。
2議員への問責決議に対しては、至誠、暁、東方、公明党、共産党の共同提案がなされ、特に蓮池議員には、提出者として質疑において多大なる活躍をされました。ここで高く評価し、敬意を表するものです。
これに対する一部議員からの反論について、ここで論証しておきたい。
■恣意であり、追い討ちではないか?
もちろん蓮池議員答弁のとおり、議会としてのケジメをつける。当然のことだと思います。この批判は当たらない。
■蓮池・中村両元議長にも責任がある。
中村元議長にも責任があるが、蓮池元議長の責任をここで云々する論拠は乏しい。当時、認識不足があったというが、ならばそれはこの条例を推進した主役である与党議員こそ反省すべきことであって、他議員にその責任を押し付けるのは論理矛盾である。
■>蓮池議員に申し上げますが、蓮池議員が調査請求が出たときに、私に、市川議員の友達の――が出したんやないかと。市川議員と友達やないかと。そういった中で、川上君、ちょっと注意しておけやということを言っております。
しかし、これはあくまでも友達であろうとなかろうと、――さんは市民であります。出す権利があります。そういったことを私は言えませんので黙っておりましたが、そういったことの中で今回、蓮池議員もちょっと感情的になっておるんかなと。
私は感情的でも何でもよろしいんですけれど、議会としての慎重審議というものをしなかったことに残念に思っていますが、蓮池議員どう思いますか。
今回、政治倫理審査会からも「調査請求権が濫用されないように
、受理審査をして欲しい」との要望書が提出されている。蓮池議員の言動は当たり前であって、特に感情的になっているというものではない。
もっと言えば、ここで言う某議員の友人こそが、調査請求権を濫用し条例の健全なる運用を妨げた張本人であり、厳しく非難されるべきなのはある意味で当然であろう。
■>両名につきましてもいろんな家庭、地域社会において役職を辞すというような中で非常に社会的に制裁を受けております。
何の職を辞退したのか?特に某議員は、カント哲学を標榜する市民団体の代表であるが、これも辞退したのか?また、議会某会派の役職(会計)にあるが、これを辞した様子も無い。
■>新たな議員になっている人がそういった審査請求が出たときに辞めておる議員も二、三おります。
そういったことは完全な解釈の仕方、審査会も見落としておると思うんです。
そこで、私はこれは審査会にもう一度再考しますが、これは新たな議員になって辞められた方は倫理条例に私は違反しておると思うんです。
これは違反しているから辞めたのではなく、某議員の友人の嫌がらせ調査請求に辟易して辞めたのではないか?それを問わずに、議員を責めるのは間違っているのではないか?
もっといえば、某議員は友人を唆して、調査請求を乱発させたとも言える。某議員の「反省の態度」には大きな疑念が残る。
■>不備のあった条例に違反した議員に対して問責決議というのはやや厳しいのではないかと。
不備があるからといって、2議員が違反したことに変わりはない。刑法に不備があるからといって、犯罪者を処罰することにはならない。初歩的な論理ですわな。反論になっていません。
■某議員は会社にタッチしておらず、夫君がやっているから、情状酌量すべきだ
条例の趣旨に照らせば、家族にも当然に議員から説明しておいて然るべきことであります。改善点があるとすれば、今後は条例が適用される家族にも、説明会をする必要はあるかも知れませんが。
またこの議員の場合は、押しも押されもせぬ会社のオーナー一族であり、その意味でも情状酌量という話にはならぬでありましょう。
12月定例議会議事録雑感 (2)教育問題
印部議員のこの質問、わが意を得たりですね(^^)
>これ、教育長、私いつも思うんですが、私も子育てのときにPTAの会長とかそういうこともした経験があるんですけどね、先生と保護者との会合は年何回かあるんですけどね、先生と保護者と教育委員会の会というのはなかったように思うんですね。
> どうしても、先生とPTAとの会の場合には、保護者も、先生に言いたいこともやっぱり二の足を踏むと。先生も、もう一つ踏み込んだ話ができないと。
> やっぱりこれ、教育委員会と三者で会談するような機会をつくって、教育委員会は教育委員会で保護者に対して、保護者の皆さんもこういうことをしてくださいよ、トラブルがあったことには教育委員会も積極的に入って解消するというような制度ができらんものかなと思うんですがね。
特にいじめ問題になるとそうですが、皆が発覚を恐れる傾向がある。これが問題をこじらせる要因となっている。なぜか?
担任教師は、校長教頭に知られると「指導力不足」を咎められ、評価に響くことを恐れている。
同じく校長教頭は、教育委員会に知られると「管理不行き届き」を咎められ、評価に響くことを恐れている。
教育委員会もまた、県教委や文部科学省に同様の咎め立てをされることを恐れている。
皆が責任追及を恐れて、逃げの姿勢に入る。子供だけが置き去りにされて行く。これではいけない。
いじめは「あってはならない」のではなく、交通事故と同様に「いつでも起りうる」というように、認識の転換を図ることが、求められている。印部議員は、そのような脈絡のなかで、教育委員会が現場を把握することを求めたのだと思います。これはなかなかの慧眼。