生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

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教団と本流復活派はそろそろ話し合いを始めたほうがいいと思います。 (8285)
日時:2018年12月14日 (金) 22時56分
名前:トキ

 教団に所属していますが、最近目立つのは部内の士気が著しく低下していることです。

 ”分派”すなわち本流復活派との対立姿勢を見せる幹部も以前なら見られましたが、最近は全体にダレてしまい、”どうでもいいや”という雰囲気が蔓延しています。このまま本部の方針に従って運動をしていたら、終いには組織は破綻するのはよほどのバカでない限りわかります。

 他方、本流復活派も以前ほどの勢いはなく、運動が停滞しているという印象を持っています。

そして、この間の争いに関連して、生長の家の信仰という点では、否定的な影響は確実に出ています。例えば、数々の裁判により莫大な費用が生じていることや、聖典や聖経が信徒の手に入りにくくなった件など、その悪影響は枚挙に遑がないです。


 もちろん、だからと言って、今すぐに両者の和解が実現すると考えるのは困難でしょう。が、このまま対立を続けていても、全然、生産的ではないのも明らかです。

 冷静に考えると、教団が方針を変更するとか、あるいは今すぐに破綻すると考えるのは無理です。(ただし、このままの状態が続くと、教団は事実上、消滅する日は来ると思います。)逆に、本流復活派の諸組織が直ぐに消滅する事もないでしょう。

 アメリカには、「倒せない敵とは仲良くせよ」という諺があるといいます。今日の教団と本流復活派の関係がそうです。

 ここに至っては、教団も本流復活派も、お互いの存在を認めて、まずは話し合いを始めて見てはどうでしょうか。例えば、聖典の出版について、本流復活派の著作権や出版権を認めた上で、教団にも出版を認め、印税の一部を本流復活派におさめるという「取引」は互いにwin-win の関係になると思われます。

 いつまでも争いを続けることは、双方にとって不利益だと思います。それ以上に信徒にとって、不利益であり、神界の谷口雅春先生を悲しませることになると思います。

 
 
 

 (8288)
日時:2018年12月14日 (金) 23時35分
名前:志恩

自分で言うのもおかしいですけれど、
私の全身全霊は生長の家で つくられておりまして、

子供達や 孫たちや 友人知人たち に話す時は、
いちいち、これは生長の家で教わったことです と、
断りは入れませんが、
どんな話から入りましても生長の家で学んだ内容の筋書きになるのが特徴です。

でも、今は、
教団組織の宣伝や、
学ぶ会の組織の宣伝は、
できかねますので、しておりません。

今は、ネットの時代ですから、生長の家組織の話をすれば、
話を聞いた人が、生長の家について、ネット検索しますでしょ。

そうしますと、トキさまが、おっしゃっておられますように、
生長の家は、教団と本流派にわかれて、戦っております。

ネットで生長の家掲示板を開いてみた場合でも、
ほんのちょっとでも下手なことを言ったら、
本流派の ある掲示板では、即 書き込み禁止処分に
されますしで、ややこしいことになっておりますから、

知らない世間の皆様方は、そんなややこしい組織には、関わりたくないと
思いますからね。


このような状況が続きますと、共倒れしないのが不思議なくらいに
通常の感覚では、どなたでも、考えることだと存じます。

和解は、できない。
和解は無理だ と 私でさえも、そのことは、理解しています。

しかし、生長の家の教え自体を後世に遺すためには今後どうしたらいいかという
ことを考えましたら、

トキさまのご提案を、双方とも即座に、シャットアウトせず、、
双方とも、ご一考の価値は、大いにあるのではないかと
私の場合も生長の家信徒の一員として思っております。

ご投稿、ありがとうございました (8293)
日時:2018年12月15日 (土) 01時27分
名前:トキ

 宮澤潔先生との裁判の時に弁護士に払ったお金が5億円という投稿が某掲示板にありました。また、聖典裁判でも何億ものお金がかかったと聞いています。

 裁判でお金がかかること自体は世間の常識ですから仕方がないと言えばおしまいです。が、裁判の相手となった宮澤先生も松下昭先生も総裁の親戚となる人です。義兄弟と喧嘩になったら普通は話し合いで解決するものです。が、裁判に訴えて数億円のお金を浪費するのはどう考えてもおかしいです。ましてや、当事者は宗教家で、世界平和とか大調和とかを信徒に説いている人たちです。本流復活派がこれを揶揄するのは当然だと思います。

 自分たちが外部からどう見られているか、冷静に考える事も必要かと思います。

裁判費用もそうですし、 (8297)
日時:2018年12月15日 (土) 04時45分
名前:風

百億円以上を投入し、由緒ある原宿本部から移転されたのですから
部内の士気を著しく低下させる在りようの現在などということは、
移転後の維持経費も奉納している信徒にとっても唖然とする話です。

税金をいらん所にフンダンに投入する今の日本の国政そっくりです。

愛国掲示板より転載 (8375)
日時:2018年12月17日 (月) 00時14分
名前:志恩

愛国掲示板より
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
現状を紹介いたしましょう。 (24771)
日時:2018年12月15日 (土) 12時49分
名前:神々の友達。


教団の方々で、「聖経」を、光明思想社から購入される
方々も実は、いらっしゃいます。いわゆる、本流と親しい
人が、結構まとめて購入し、教団信徒に販売するか、
差し上げている様です。

さて、「聖典」につては、教団の見解が、もう古い、
時代遅れだと言うのですから、和解は難しいと
思います。

雅宣先生は、浄財を使い果たし、将来、解散を考えられて
いるのかもしれませんね。

私は今の教団に、何の期待もしていません。

ただ、信徒が気の毒です。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
トキさんのために貼りつけました。 (24784)
日時:2018年12月16日 (日) 12時03分
名前:志恩さんのためにもネ

山ちゃんブログ
http://tecnopla1011.blog.jp/


久々にトキ氏の呟きに似た歎きと必ずや双方が
悪いのだと持っていく論法の方法にウンザリしている人も
多いのではないか。

また、常に他人事のように書く内容は自分が雛壇に座って
行司裁定のように私は「正義」だと云っているような
気がしてならない。



ただ、既に6年以上の内容は一貫していることは確かである。
だが、いくらトキさんが嘆こうと、呟こうと
「一歩も前進」しないのは何故かであろう。

一部のように同じ事を何回も呟いても却って
「悪い方向」に運動は傾いていることは確かである。

(途中省略します)

さて、それではトキさんの全文を掲載致します。

教団と本流復活派はそろそろ話し合いを
始めたほうがいいと思います。 (8285)

日時:2018年12月14日 (金) 22時56分

名前:トキ

 教団に所属していますが、
最近目立つのは部内の士気が著しく低下していることです。

 ”分派”すなわち本流復活派との対立姿勢を見せる幹部も
以前なら見られましたが、最近は全体にダレてしまい、
”どうでもいいや”という雰囲気が蔓延しています。

このまま本部の方針に従って運動をしていたら、
終いには組織は破綻するのはよほどのバカでない限り
わかります。

 他方、本流復活派も以前ほどの勢いはなく、
運動が停滞しているという印象を持っています。

そして、この間の争いに関連して、生長の家の信仰という点では、
否定的な影響は確実に出ています。
例えば、数々の裁判により莫大な費用が生じていることや、
聖典や聖経が信徒の手に入りにくくなった件など、
その悪影響は枚挙に遑がないです。

 もちろん、だからと言って、
今すぐに両者の和解が実現すると考えるのは困難でしょう。
が、このまま対立を続けていても、全然、生産的ではないのも明らかです。

 冷静に考えると、教団が方針を変更するとか、
あるいは今すぐに破綻すると考えるのは無理です。
(ただし、このままの状態が続くと、教団は事実上、消滅する日は来ると思います。)
逆に、本流復活派の諸組織が直ぐに消滅する事もないでしょう。

 アメリカには、「倒せない敵とは仲良くせよ」
という諺があるといいます。今日の教団と本流復活派の関係がそうです。

本当にトキさんというのは生長の家の『生命の實相』何回も
讀まれているのですから、もう少し生長の家が左翼と対峙してきた
時代というのがあった。それは何故かです。
雅春先生はそんな左翼と仲良くなんて言わなかった。

 ここに至っては、教団も本流復活派も、お互いの存在を認めて、
まずは話し合いを始めて見てはどうでしょうか。
例えば、聖典の出版について、本流復活派の著作権や出版権を認めた上で、
教団にも出版を認め、印税の一部を本流復活派におさめるという「取引」は
互いにwin-win の関係になると思われます。

 いつまでも争いを続けることは、双方にとって不利益だと思います。
それ以上に信徒にとって、不利益であり、
神界の谷口雅春先生を悲しませることになると思います。




私は互いに本を購入すればいい話ですし、
生長の家の信徒の人も自由に「光明思想社」から
本を購入できるのですから、
別に著作権がどうすればとかの問題ではない。

 谷口雅春先生の多くの著作権がある日本教文社が
谷口雅春先生の著書を発行しない。ここが問題なのです。

 そこに発言権を求めた生長の家教団「谷口雅宣」総裁と
いう人間が悪いことになります。

そこを理解しないと対立だけでものを見ると、
どうしてもおかしな方向になります。

 日本教文社で全権を握れば、
『生命の實相』は世の中から抹殺される危機さえあったことを
理解しなければならない。

 私が生長の家を辞める時には既に『生命の實相』を輪読会で
使用するなという緘口令がひかれていました。


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私見おじゃまします。 (24786)
日時:2018年12月16日 (日) 13時50分
名前:元一信徒

>生長の家が左翼と対峙してきた時代というのがあった。それは何故かです。雅春先生はそんな左翼と仲良くなんて言わなかった。

この当時の対峙していた左翼という語源の意味するものは
数十年経った今変容しています。
今は極左は姿を消し、ネトウヨという新種が顕れ出ている時代
になりました。
そして現在、当時政界への台頭を懸念していた創価学会さんが
公明党として、自民安倍政権と同じ船に乗っている時代でもあり
その政権を応援しているのが我々の先輩のなかの一群という構図。
雅春先生はどう見ておられるか、
それはご本人にお伺いしないことには、
こうだと断定はできませんね。
誰かに、雅春先生はどう思っておられるか、
おまえはどう思うかと聞かれたら、
やはり大調和の神示を一番先に思い浮かべます。

>私が生長の家を辞める時には既に『生命の實相』を輪読会で使用するなという緘口令がひかれていました。

こういうことを聞きますと、大調和の神示は吹っ飛んで
私自身の場合は、怒りが沸々と湧いてくるのも本当ですが(笑)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
問題は、今、「生命の實相」全巻が、どこからも買うことができず、
この世から消えていることです。 (24790)
日時:2018年12月16日 (日) 23時44分
名前:志恩

日本教文社のHPを見ますと、
「生命の實相」の(初版革表紙・復刻版)というのが、
1と2の、2種類、各 定価:本体10,000円(税・送料別)


「生命の實相」の 愛蔵版 第12巻が、定価:本体3,200円(税・送料別)            
             第20巻が、定価:本体3,204円(税・送料別)

で、売られていました。

社会事業団さんが「生命の實相」を守ったという意味は、
教団では、「生命の實相」は売らなくなるからという意味かと思いますが、

今でも、教団側の日本教文社からは、裁判で負けたので、
頭注版「生命の實相」は、売っていませんが、別の「生命の實相」は、
一部ですが、売られていましたよ。

ただし、一般人では買えない高い値段のものでした。


問題にしているのは、一般人でも買いやすい
頭注版「生命の實相」40巻、(私は 、定価 750円 で買いました)が、
日本教文社から売られていない、光明思想社からも売られていない、


この世のどこからも、売られていないということです。

今、「生命の實相」全巻が、この世から消えていることです。

これについて、どうお考えなのでしょうかということを
問題提起しているのです。


「生命の實相」を教団から守ったという社会事業団ですが、
「生命の實相」全巻が、いま、出版されていない。

社会事業団は、光明思想社 出版で
新編「生命の實相」が、定価本体1,524円+税=1,600円で
出版中ですが、
全巻 46巻になるそうですが、全巻に至るまでには、
まだまだ年月がかかるそうですね。

新編は、
私は、最初のうちは、買って読んでいましたが、
私の場合は、頭注版に慣れているせいでしょうか。
新編は、読みづらく感じまして、途中から、買うのをやめています。

本音の時代さまもおっしゃっていましたが、
すでにある 頭注版「生命の實相」全巻を 
早急に出版できる お手配を、社会事業団さんに希望します。


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日本教文社ホームページより

●「生命の實相」(初版革表紙・復刻版)生命の實相(初版革表紙・復刻版)

生長の家聖典
谷口雅春 (著)
シリーズ 生命の實相

初版革表紙版が出版されてより既に半世紀!その初版本は生長の家発祥時からの誌友や、
一部の愛書家たちに秘蔵されたまま、目にする機会もめったにありませんでした。
この、稀覯本としても貴重な初版本を、出版50年を記念して復刻致しました。
まさに、生長の家の草創期を偲ぶ絶好の書といえます。

本書『生命の實相』(初版革表紙)は、全40巻(頭注版)の原点となったもので、
全40巻のシリーズの第1巻、第2巻、第7巻、第14巻、第20巻、第22巻、第24巻に
ほぼ同じ内容が収録されておりました。旧漢字、旧かな遣いとなっております。

久遠の實在 初版革表紙復刻版はこちら
ISBN:9784531051021 造本形式:A6判/総革垂れ表紙/角丸/三方金(本金)/
本文特上質紙使用  ページ数:1026 
定価:本体10,000円(税・送料別)

詳しくはこちら
久遠の實在(初版革表紙・復刻版)久遠の實在(初版革表紙・復刻版)
生長の家聖典 
「生命の實相2」
谷口雅春 (著)
シリーズ 生命の實相
初版革表紙版『久遠の實在』の奥付紹介欄には、
「聖典 第一巻を初伝とすれば、本巻は正に奥伝と云うべきものなり」
また「根本となる不朽の真理を縦横に説いて、読むに従って真理の把握を尚ますます完全ならしむ」
とあるように、先に復刻されてある初版革表紙『生命の實相 復刻版』と併せて、
生長の家の思想的な全体系が明瞭に示されています。
まさに、生長の家の草創期を偲ぶ絶好の書であり、多くの皆様に愛蔵していただきたい一大記念碑です。

本書は昭和8年に『生命の實相』第二巻として発行された
『久遠の實在』の復刻版で、40巻シリーズ(頭注版)の第3巻、第4巻、第8巻、第9巻、第10巻、
第11巻にほぼ同内容の文章が収録されておりました。旧漢字、旧かな遣いとなっております。

●「生命の實相 」初版革表紙復刻版はこちら
ISBN:9784531051168 造本形式:A6判/総革垂れ表紙/角丸/三方金(本金)/本文特上質紙使用 
ページ数:964  定価:本体10,000円(税・送料別)


詳しくはこちら
「生命の實相」 愛蔵版 第12巻 常楽篇・経典篇・参考篇・質疑篇生命の實相

● 愛蔵版 第12巻 常楽篇・経典篇・参考篇・質疑篇
谷口雅春 (著)
シリーズ 生命の實相
人生苦や死後の世界への不安を解消させ、魂の慰めとなる常楽篇。
奇蹟を顕わす聖経「天使の言葉」の詳しい講義。心の持ち方ひとつで病気が治り、
事業も大成功を収めることを教示。
さらに人生や宗教など根本的な問題についての疑問に詳しく答えて、実際生活の明快な指針となる。
ISBN:9784531002122 造本形式:46判/上製/天金/紺色紬装/
表紙金箔押/貼函入【文字遣い:旧漢字・旧かな遣い】  ページ数:394  定価:本体3,200円(税・送料別)
詳しくはこちら
生命の實相 愛蔵版 第20巻 佛教篇・家庭教育篇生命の實相 愛蔵版 第20巻 佛教篇・家庭教育篇
谷口雅春 (著)
シリーズ 生命の實相
3000 年前釈迦が、2000年前にキリストが、一切の苦しみから人間を解き放った。しかしそれが過去のこととしてではなく、今ここに生かされていることを明らかにする。さらに、結婚相手の選択から、胎教、無痛分娩に到るまで、明るい家庭を築くための普遍的な真理を、詳しい説明する。
ISBN:9784531002207 造本形式:46判/上製/天金/紺色紬装/
表紙金箔押/貼函入【文字遣い:旧漢字・旧かな遣い】  ページ数:456  定価:本体3,204円(税・送料別)
詳しくはこちら

書籍(紙版) 真理探求 | 日本教文社
https://www.kyobunsha.co.jp/category/44/1/1.html

雑感です (8379)
日時:2018年12月17日 (月) 01時54分
名前:トキ

山ちゃん1952様から、またまた正義の鉄槌が傲慢不遜なトキに下りました。まあ、彼の主張もほとんどこの十年ぐらいは変わっていないので、感想の言いようがないです。

で、つらつらと思いつくことを書きます。

 まず、山ちゃん1952様が言及されている生命の実相の使用停止命令ですが、本部レベルから正式に通達されたのは、いわゆる聖典裁判での敗訴が確定してからです。それも建前としては、裁判で敗訴したので、今後の出版ができないことを理由にあげています。

 ただし、教区レベルでは、谷口雅宣総裁の”ご意向”を”忖度”した教化部長が独断で信徒に”生命の実相の使用禁止”命令を下したところもあったみたいです。山ちゃん1952様がどの時期に退会されたのか不明です。大阪教区だとしたら、森田先生時代ではなく、そのあとの人物だとしたら、その人物はそういう行為を平気でする人だと思っています。しかし、大阪でも講習会のテキストにかなり後まで生命の実相が含まれていたので、私は本部レベルの決定はかなり後であると考えています。

 後、谷口雅宣総裁=「左翼説」については、以前書きましたが、谷口貴康先生が否定されているので、私も懐疑的です。

 ただし、谷口雅宣総裁のブログに一時期、島薗進氏の記述が散見されたことから、私は現在の谷口雅宣総裁への島薗進氏の影響については、かなりの可能性があるとは考えています。それは最近の島薗進氏の発言と谷口雅宣総裁の発言には、かなりの類似点があるからです。例えば、原発についての島薗氏の発言は最近の生長の家の方針と同じです。安保法制については、言うに及ばずです。

 少し前に、確か「週刊金曜日」で「創価学会は原点に戻れ」という名目で安保法制への反対を呼びかけていました。見過ごした人も多いかもしれませんが、これはリベラル派が創価学会を切り崩す理論と同じです。少なくとも生長の家の観点からいえば、そういう発想もわかないはずです。

 調べて見ましたが、島薗氏の新宗教への影響力はかなり強く、朝日新聞の記事の中で、島薗氏が新宗教の諸団体を糾合した環境保護団体の指導者をしているものがありました。島薗氏は東大名誉教授として新宗教についてかなり発言をしており、各団体との付き合いも深いみたいです。

 私個人は、「島薗氏の理論」が生長の家の現在の「ご指導」に入っているのではないか、と疑っています。

裁判所の屋根裏のネズミ:いつも裁判官のようにものを言うトキさん。がんばれ。 (8389)
日時:2018年12月17日 (月) 15時01分
名前:志恩

愛国掲示板より
______________________________________________________
いつも裁判官のようにものを言うトキさん。がんばれ。 (24792)
日時:2018年12月17日 (月) 13時04分
名前:裁判所の屋根裏のネズミ

山ちゃんからのお返事です。

「いつまでも同じことを書くトキさん」
http://tecnopla1011.blog.jp/archives/77839762.html

トキさんから返信のようなものがあったが、返答というものではない。自分の主張をまたもダラダラと書いている。それは聞いた。耳にタコができるといいたい。まあそれほど意見がかわっていない証左であろう。

それで、何がいいたいのか結論がない。まあ成長しない人である。今後もダラダラと職員の低下や本部の指令のあり方を書くのであろう。少しは成長したらいいのにとは思う。

そんな事を書いて、職場の宴会の上司の愚痴であろうが聴かせられる方が同じ事言うなと少し怒りがこもる。職場でもそんな状態であろう。

そして、いつものように本流派と教団と仲良くしたらいいのにとなる。
自分の責任は全くないのである。教区では大幹部である。

「おっさん、いつまで言うとんねん」
「おまえは責任ないと云いたいのか」
「しつこいな」
「おまえ、何歳や」
 
大阪で何回もネチネチと云われるとこういう言葉が出てくる。

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すぐ上24791のトキさんのお言葉。

>山ちゃん1952様から、またまた正義の鉄槌が傲慢不遜なトキに下りました。まあ、彼の主張もほとんどこの十年ぐらいは変わっていないので、感想の言いようがないです。

「彼の主張もほとんどこの十年ぐらいは変わっていないので、感想の言いようがないです。」

==================================

トキさんの「谷口雅春先生に帰りましょう掲示板」の管理人への一太刀

>山ちゃん1952様のいうことは正論です……。「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」掲示板の管理人様の言うことは賛成できないです。……山ちゃん1952様は、『谷口雅春先生著作年譜一覧表』上・中・下を発行されるという歴史に残る偉業を達成されています。……志恩さんに追加して、山ちゃん1952様まで批判するとは、正常な精神状態とは思えません。

「山ちゃん1952様は、『谷口雅春先生著作年譜一覧表』上・中・下を発行されるという歴史に残る偉業を達成されています。」

「山ちゃん1952様まで批判するとは、正常な精神状態とは思えません。」

いつも裁判官のようにものを言うトキさん。がんばれ。


伝言 (8390)
日時:2018年12月17日 (月) 15時45分
名前:品格ネズミ

この裁判所の煽りネズミさんの挑発には、

トキ掲示板有志は乗りません。


裁判所の屋根裏のネズミ様 (8395)
日時:2018年12月17日 (月) 19時24分
名前:志恩

私が、前から敬愛させていただいている山ちゃん1952様ですが、
トキ様に対する考え方には、前から隔たりがございます。

志恩の投稿文についての、反論とかは ないのでしょうか?

組織は結局、権力指向(主導権争い)なのか (8397)
日時:2018年12月17日 (月) 19時41分
名前:本音の時代

聖典「生命の実相」も聖経も、結局は組織の主導権争いに利用されているのではないでしょうか。人の思惑に翻弄されて、聖典「生命の実相」も聖経も、本来の目的をなしえていないように感じます。

現在、日本教文社から売られている各種生命の実相は在庫品だと思います。頭注版は、安価ですから売れ切れて、在庫がなくなり現在品切れの表示となります。高価なものは実用的ではないため売れるこもないので、発売中の表示となります。

教団も学ぶ会・社会事業団側も、聖典「生命の実相」を一人でも多くの人に読んでもらうための知恵を働かせてほしいと思います。
あえて教団の文字を入れたのには、意味があります。
それは、生長の家にとって、聖典「生命の実相」は神殿であるからです。このことは、教団にいる人も重く認識する必要があります。
学ぶ会側は、教団は聖典「生命の実相」を捨てた、もしくは、いずれ聖典「生命の実相」をすてると主張していると認識していますが、そのような状態になる前に、教団から聖典「生命の実相」を奪い去ったというのが正しい認識ではないかと思っています。
教団は、本当にそのような行動をとるのか、頭注版の出版を認めたならばスッキリするのです。聖典「生命の実相」を捨てることになれば、それは自らの神殿を自らが潰したということになり、それは生長の家という教団の存在がなくなることを意味しましすし、それを実行した執行部は信徒から糾弾されることになるでしょう。
現段階では、教団から見ると、聖典「生命の実相」も聖経も、奪われているということになる。そのような見方が現実的であると思っています。

本音の時代様 (8398)
日時:2018年12月17日 (月) 20時00分
名前:志恩

>>組織は結局、権力指向(主導権争い)なのか (8397)
日時:2018年12月17日 (月) 19時41分
名前:本音の時代

聖典「生命の実相」も聖経も、結局は組織の主導権争いに
利用されているのではないでしょうか。
人の思惑に翻弄されて、聖典「生命の実相」も聖経も、
本来の目的をなしえていないように感じます。後略<<

志恩ー

本音の時代様の書かれたことは、心あるほとんどの信徒の皆さまが
それこそ本音の部分で感じていることだと思います。

仰られる通りです (8400)
日時:2018年12月17日 (月) 20時35分
名前:日野智貴

>学ぶ会側は、教団は聖典「生命の実相」を捨てた、もしくは、いずれ聖典「生命の実相」をすてると主張していると認識していますが、そのような状態になる前に、教団から聖典「生命の実相」を奪い去ったというのが正しい認識ではないかと思っています。
教団は、本当にそのような行動をとるのか、頭注版の出版を認めたならばスッキリするのです。聖典「生命の実相」を捨てることになれば、それは自らの神殿を自らが潰したということになり、それは生長の家という教団の存在がなくなることを意味しましすし、それを実行した執行部は信徒から糾弾されることになるでしょう。
現段階では、教団から見ると、聖典「生命の実相」も聖経も、奪われているということになる。そのような見方が現実的であると思っています。<


仰られる通りです。もしも教団が自分の意志で聖典を放棄したならば、私は組織を何の躊躇もなく脱会しますよ。

日野君はいいとこどりではないかな。 (8401)
日時:2018年12月17日 (月) 22時00分
名前:本音の時代

そもそも、ことの発端は印税の未払ですよ。
谷口雅春先生の思いを尊重していれば、「生命の実相」の名称のつく本の印税は支払うべきだったのです。
支払わないというケチな人間の思惑が、生長の家を廃れさせて原因でもあります。
生長の家は心の法則を学ぶところなのに、偉くなる人は、何を学んでいるのでしょうか。

それを言い出すと・・・ (8403)
日時:2018年12月17日 (月) 22時10分
名前:日野智貴

>そもそも、ことの発端は印税の未払ですよ。
谷口雅春先生の思いを尊重していれば、「生命の実相」の名称のつく本の印税は支払うべきだったのです。<

それを言い出すと、雅春先生の思いを尊重していれば「宝蔵神社は『甘露の法雨』の霊牌を頒布するな」という裁判をホンリュウ派が起こすのも可笑しいのです。

そういうお互いの欠点を指摘するのではなく、お互いが自らの過失を反省して大懺悔した上で、大同団結するのが、聖使命菩薩としての使命です。

日野君のいいとこどり(八方美人)です。教団は反省していないです。 (8405)
日時:2018年12月17日 (月) 22時42分
名前:本音の時代

教団が正統なら、学ぶ会側の反省の兆しに有無に関わらす、
自らの間違いを認めたらよいのです。
そうすれば、さすがは「生長の家」 という評価もでるでしょう。


日野君は、まだまだです。
欠点を言われても、「ありがとうございます」と言えるのが、本物の生長の家です。
「学ぶ会側がやらなくても、教団はやりますよ。」と、言えますか?

これも仰られる通りですね(笑) (8406)
日時:2018年12月17日 (月) 22時49分
名前:日野智貴


>教団が正統なら、学ぶ会側の反省の兆しに有無に関わらす、
自らの間違いを認めたらよいのです。
そうすれば、さすがは「生長の家」 という評価もでるでしょう。<

これも何度も言うけれど、組織の内部で教団の腐敗を糾すために戦っておられる方を私は何人も知っています。

組織を見捨てた方よりも、そういう方の方が素晴らしい、と私は思います。

元信徒: (8412)
日時:2018年12月18日 (火) 02時21分
名前:志恩

愛国掲示板より
_____________________________________
(24805)
日時:2018年12月18日 (火) 01時05分
名前:元信徒

欠点を言われても、「ありがとうございます」と言えるのが、
本物の生長の家です。
「学ぶ会側がやらなくても、教団はやりますよ。」と、言えますか?



教団は環境団体になり下がったと指摘し、『本流』を名乗る団体が
本物の生長の家なら
「教団側がやらなくても、学ぶ会がやりますよ。」と言えるはず。

なので、この応酬はメビウスの輪のようです?

ほんと、元信徒様のご指摘するように、この応酬はメビウスの輪、出口のない迷路になってると私も思いました。 (8413)
日時:2018年12月18日 (火) 03時09分
名前:志恩

ほんと、元信徒様のご指摘するように、
この応酬は メビウスの輪状態....
これを続けても、終わりは無限に無く、
出口のない迷路になってると私も思いました。


それに
本音の時代さまは
教団側と本流側の組織の上層部の方たちのことを指して
おっしゃっておられますのに対して、

日野智貴さまは、
上層部の方たちのことではなく、
組織に属している 部下の方々のことを指して言ってる。

日野智貴さまー
>>これも何度も言うけれど、組織の内部で教団の腐敗を糾すために
戦っておられる方を私は何人も知っています。
組織を見捨てた方よりも、そういう方の方が素晴らしい、と私は思います。<<

この言い方ですと、
教団に残って、教団の上層部の腐敗と戦ってる
教団に所属している部下の人達の方が、

教団という組織を見限って
教団組織から離れて行った 

例えば、学ぶ会に行った部下の人達よりも
より素晴らしい人たちだと思う...と言ってるように聞こえます。

今回のテーマは、
双方の上層部の方たちについてのことであり、

部下や、信徒の、どちらが、素晴らしいか素晴らしくないか、
ということではないと思います。



組織を引っ張る人たちの視点 (8428)
日時:2018年12月18日 (火) 08時56分
名前:本音の時代

志恩さん、明確な分析をしていただき、ありがとうございます。
会社とか事業所に勤めている人、いた人には十分お分かりと思いますが、組織の運営とか方向性については、経営者に決定権あり、その手腕により繁栄するかしないかが決まるのではないでしょうか。
これは、職業経験の乏しい学生にはわかりにくいことかもしれません。
一般的に組織運営は利害を優先するのですが、こと宗教団体は違うのではないかと思います。
宗教団体は損得の利害よりは、徳を優先してほしいと私は思っています。徳というものは、目には見えなくても良いと思いますし、自分の内にいる(在る)神が満足してもらえたら良いものだと思います。
相手より先に謝ったら体裁が悪いとか、先に相手を赦したら体裁が悪いとかいうのは、愛の神の範疇ではないと信じます。

組織を引っ張る人たちは、愛の神をしっかり実践してほしいです。

元信徒さんも、日野君の返答も、私の視点とは違うものです。


>これも何度も言うけれど、組織の内部で教団の腐敗を糾すために戦っておられる方を私は何人も知っています。

雅宣総裁に直接訴えることはしていないでしょう。
それは日野君も同じ。


教義と運営は別物です (8433)
日時:2018年12月18日 (火) 17時10分
名前:日野智貴

>会社とか事業所に勤めている人、いた人には十分お分かりと思いますが、組織の運営とか方向性については、経営者に決定権あり、その手腕により繁栄するかしないかが決まるのではないでしょうか。<

 私は総裁先生が無辺行菩薩である、『観世音菩薩讃歌』は素晴らしい、とは言いましたが、今の教団の組織運営が素晴らしい、とは言っていません。

 組織運営で言うと、例えば谷口清超先生の頃は最も聖使命会会員の数が多かったのですが、かと言って清超先生の説くみ教えが雅春先生よりも優れている、という訳ではありません。

 また、自民党は今の日本で最大政党であり、対して自民党以上に右側だった次世代の党は消滅、維新政党・新風は分裂しましたが、だからといって、次世代の党や維新政党・新風の主張が自民党に劣る訳ではありません。

 私はこれまで教団の組織運営の問題点は再三、本部講師にも指摘してきました。その中には総裁先生の側近に訴えたものもあります。

 しかしながら、ここで中心帰一の問題があります。

 武烈天皇は馬と女性を獣姦させるような暴君でしたが、そういう天皇であっても中心帰一しなければなりません。武烈天皇のような暴君ですらも、天照大御神様等への祭祀は欠かしませんでした。政治的な過失を理由に武烈天皇を責めるのは間違っているのです。

 武烈天皇がどうしてそういう現象を現したのか、というとそれは当時の国民の迷いが深くて、天皇陛下の実相が充分に建言されていなかったからです。『日本書紀』によると、当時の日本は平群真鳥が皇統簒奪を狙うほど、天皇陛下への忠誠心が失われていた時代なのです。

 南北朝時代というのも、国民の迷いが深くて、公家も武士も皆兄弟同士で家督争いをしているような有様で、更には宗教家たる僧侶も当時の菩薩戒では僧侶の非武装が定められていたのですが、鎮護国家のために祈るはずの僧侶があべこべに僧兵を率いて朝廷に強訴するような、とても迷いの深い時代でした。

 結果、家督争い・利権争いの国民の心が皇室にも反映されてしまい、南北朝時代という恐ろしい、皇統分裂の悲劇が生まれました。これも国民の迷いが原因であります。

 今の生長の家は南北朝時代とは異なり、法灯継承者は谷口雅宣先生一人だけです。少なくとも、総裁家には他に法灯継承者を名乗る方はいません。(学ぶ会の幹部に総裁家の人間はいません。)ただ、ときみつる会等が分裂してしまったのは、我々信徒の迷いが原因でしょう。

 しかしながら、それでも谷口雅宣先生は武烈天皇ほど酷い方ではありません。武烈天皇であっても中心帰一すべきなのに、谷口雅宣先生に中心帰一しないのは、大きな問題でありましょう。

 そういう理由で私は「総裁は神聖にして侵すべからず」と考えておりますが、教団幹部に多々問題あることは重々承知しております。それを「良いこと取り」と言われても意味がわかりません。

 腐っても鯛、です。武烈天皇も天皇、です。ただ、あまり腐り過ぎて法灯が消えてしまうと問題ですから、教団執行部には和解を推進してほしいとは思いますが、それはあくまで私の願望です。

知らないで犯す罪は大きい (8440)
日時:2018年12月18日 (火) 20時41分
名前:本音の時代

>そういう理由で私は「総裁は神聖にして侵すべからず」と考えておりますが、


雅宣総裁は、開祖である谷口雅春先生を侵しているという現実があるのですが・・・・。

開祖である谷口雅春先生は、「総裁は神聖にして侵すべからず」とは言っていません。そういう意味では、日野君の信仰は邪道ですね。

護られたのではなく、奪われたと思っています (8441)
日時:2018年12月18日 (火) 21時29分
名前:若い頃青年会員

以前からずっと思っていたのですが。

聖経および生命の實相、原告側は護られたと豪語していたような記憶がありますが、当初から私は奪われたと思っていました。

生長の家の信徒から、そして聖経や生命の實相を必要としている人から。

そもそもこの様な裁判が起こされなければ、なんだかよくわからない賛歌など発表されなかったのでは?と私は思います。

生命の實相にしても
神示に「吾が第一の神殿は既に成れり。名付けて『生命の實相』と言う。」とのコトバがあるのですから、いくらなんでも重版未定或いは絶版にする事など無かったと思います。

光明思想社で売るのだから、信徒はそれを買えばいいという考えは、エゴにしか聞こえません。

今は組織から離れていますが、未だに付かず離れず頭注版の生命の實相を拝読しています。

まあ悲しいと言いますか、呆れてしまうと言いますか。

光明思想社が生命の實相や聖経を売るのは自由ですが、以前のように教団から頒布できるようにすれば、たくさんの方々に生命の實相の真理が届くのではないかと思います。

「新編」を発行した人たちは強情なのかなぁ〜 (8443)
日時:2018年12月18日 (火) 22時49分
名前:本音の時代

「頭注版」のリニューアルは決定されていたが、当時の雅宣さんの影響?で実施されなかったという話は聞いていますので、「新編」の背景には人の悔しかった思いや思惑、悪い言葉を使えば怨念さえ感じてしまいます。
しかし、ことは聖典に関わることなんです。考えるときに立つ位置を間違ってはいけないと思います。

私見ですが (8444)
日時:2018年12月19日 (水) 00時11分
名前:トキ

 聖典の裁判については、双方ともに言い分があるし、その場にいなかった私は明確なことは言えません。

 ただ、人間の集まりですから、やはり感情的な諍いが生まれるのは仕方がないことだとは思います。が、それで内紛にまで至ったのはまずいです。

 例えば、青年会の頃などは、部内で人間関係の争いが生じたり、あるいは指導者への反発が激しくなることはありました。しかし、それで組織や運動が分裂するような事が起きないようにするだけの分別はみんな持っていました。徹夜で話し合って、対立する両者を和解させた事もありました。他の教区の青年会などでは、それでも解決がつかなくて、本部から人が来て仲裁をしたという話は聞いたことがありましたが、それはごく稀なケースでした。

 青年会ですから、20代、、30代の青二才ですら「部内で争うことは、恥ずかしいことだ」という意識を持っていました。それが、今回の聖典の裁判で言うと、とても偉い教団の指導者たちが多額の浄財を使って、身内の人間を相手に裁判をすると言う醜態を晒しているのですから、唖然としてしまいます。

 ある程度の年齢になると、逆に我慢ができなくなり、突然、切れてしまうみたいです。が、現場の人間は、白鳩会でも相愛会でも、そこは少々のことは流して仲良くしようと努力しているのですから、年齢のせいばかりにもできないみたいです。

 教義については、はるかにご存知の方々ばかりだと思いますが、ここは少し冷静になって欲しいと願いますね。

精魂込めて綴られたであろうと思われるご返答を転載しました。 (8516)
日時:2018年12月21日 (金) 20時01分
名前:風


教団と本流≠ニは話し合うべきだというご意見の向きへ

日時:2018年12月21日 (金) 09時37分
名前:破邪顕正

こういう方に言いたいことは唯一つ。

何のために…それに尽きます。

私は、話し合いには、その前提として、どこかに共有できるものがなければならないと思うものであります。

果たして、今日、それがあるでしょうか。

ザックリ言って、私ども「谷口雅春先生を学ぶ会」は尊師のお説きになられたのが「生長の家」であるという立場です。

ところが、教団は、谷口雅宣総裁が今、説いているのが「生長の家」であるという立場です。

谷口雅春先生と谷口雅宣総裁との間に何か共有し得るものがありますでしょうか。

こういうと血筋≠ェあるではないかと言ってくる向きがあります。

それに対して敢えて反論させていただけば、血筋♂]々と言うのならば、何もそれは谷口雅宣総裁に限ったものではありませんよ。

お姉様も弟様も、あるいは広くとって義兄様もおられますよ。

そのことを、逆に、最も強く意識していたのが、実は谷口雅宣総裁自身であったと私は思っています。

だからこそ、上の血筋≠ノあたる方々を谷口雅宣総裁は次から次へと教団から放逐したのです。

時には裁判に訴えて。

時には、谷口清超先生の御意思、御意向を無視して。

「中心帰一」を言うのであれば、真っ先にそれに反する行動をとったのが谷口雅宣総裁であります。

自分は「中心帰一」の道から外れるようなことをしておいて、「総裁」の立場になったら、掌を返すが如く「中心帰一」を強いる。

何と身勝手な「中心帰一」であることよ。

もう、既に、そのときから、「中心帰一」はもはや真理≠ナはない、総裁専制のための都合のいいイデオロギー、道具と化したのだと私は見ています。

そして、その横暴(敢えてそう表現させていただきますが)≠支えたのが、そうです法燈継承者≠ニいう、その一点なのです。

つまり、今の教団を実質上、下支えしているのは、実は血筋≠ノあらず、総裁こそが法燈継承者≠ナある、そこなのです。

だからこそ、総裁は、血筋≠セけでは心許ない、他にも該当者がいるから何かあったら取って代わられる恐れがある…。

その恐れを払拭し、自らの立場を盤石とするには、自分こそが唯一の法燈継承者≠ナある、これに如くはなし…。

ということで、法燈継承者≠ニいう立場を、総裁は、デッチアゲしてまでも(これについては、以前、書きましたのでここでは省きます)強引に手に入れたのです。

そうであるならば、当然、ここで検証されるべきは、今の谷口雅宣総裁が果たして法燈継承者≠フ名に相応しいか、ということになりはしないでしょうか。

ところが、総裁は、法燈継承者≠ニいう立場から、あろうことか、何と法燈≠継承するのではなく、自分の説く教えをもって「生長の家」にしてしまったのです。

有り体に言うならば、総裁は、自らの立場の正統性を法燈継承者≠ノ置きつつ、その一方で、法燈≠継承するのではなく、教えの解釈権は自分にあるとして自分流に得手勝手に法燈≠替えてしまったのです…。

さしずめ、法燈継承者≠ゥら法燈改竄者≠ヨと身を替えたのが現総裁に他ならないということです

今の教団の悲劇は、まさにこれに尽きます。

悲劇も極まれば喜劇となる≠ニいう表現がありますが、まさにこれを地で行くようなことが今、「生長の家」に起きているのです。

だって、愛国=反共≠フ砦とまで言われた「生長の家」が、今や、あの日本共産党から熱い連帯のアピールを浴びるまでになっているのですから!

これを喜劇と言わずして何と言えばいいのでしょう…。

つまり、これまた何度も言って恐縮ですが、もはや今の「生長の家」はかつての「生長の家」ではないのです!

ここをしっかりと腑に落とし込んでいないから、「話し合いを…」というような、極めて短絡的な、安易な、安直な考えが出てくるのです。

私が一貫して申し上げているように、谷口雅宣総裁は確信犯≠ネのです。

「生長の家」教団から、天皇さまを心から仰慕し、占領憲法の改廃を願う愛国者≠悉く追放する…、それこそが総裁が教団に乗り込んで来たホンネであり心底のネライであったのです。

あの虚偽にまみれた『日本会議の研究』をいわば聖典化し、月刊誌等で「今の憲法はスバラシイ」と信徒を洗脳≠オていることを見れば、それは一目瞭然ではありませんか。

誤解を恐れず、私の思う、総裁とはどういう人か、ここでハッキリと言わせていただきます。

総裁は、結局、「生長の家」から尊師・谷口雅春先生そのものを追い出したかったということです。

現に、いろんなところで、尊師の御写真が外されていっています。

その代わりに、総裁の写真しか飾っていないようなところも生まれてきています。

「谷口雅春先生」という御名を称えることがどんどんなくなってきています。

今や、教団では、谷口雅宣総裁こそが「生長の家」の創始者であるかのような雰囲気をつくりあげようとしています。

それはそうでしょうね。

総裁の説くことが「生長の家」というのであれば、今の総裁が新しい「生長の家」の創始者であると言っても何らおかしくはありませんから。

つまり、あの第九条「生長の家大神−総裁・副総裁−御教」を、ここに言う総裁の中に尊師は含まれない、その時々の総裁のことを指すと解釈したら、総裁が生まれる度に、その総裁が「生長の家」の新たな創始者になってしまうのです。

歴史の完全な否定、この第九条が孕んでいる最もオソロシイところがまさしくそこなのです。

この「第九条」をもって、自分の好き勝手な「生長の家」を自分流にアレンジしてつくり替えることができる、その先鞭をつけたのが、今の総裁に他ならないというのが、私の見方です。

そういう立場からすれば、今さら、一体、何を話し合うのかということになってしまうのです。

もう、賽は投げられたのです。

谷口雅宣総裁は確信犯≠ニして、既に自分の「生長の家」をつくりあげてしまったのです。

確信犯≠ナある以上、総裁は総裁で自が信ずる道をこのまま突き進むだけでありましょう。

確信犯≠ェ、その軌道修正に応ずるとはとても思い得ません。

ならば、吾らは吾らで谷口雅春先生の創始された本当の、本来の「生長の家」を護り抜き、それをお伝えするのみであります。

もう、お互い、別々の道を歩んでいるのです。

もはや「話し合い」ではない、自分はどちらの道に行くのか、今や、それこそが一人ひとりに突きつけられている問いなのです。

そして、どちらの道がよかったかは、それはいずれ歴史が明らかにするでしょう。

事、ここに到っては、そこに委ねるべきであるというのが私の思いであります。

時間は限られています。

あのとき、ああしていれば、こうしていれば…。

そういう悔いだけは決して残したくはありません。

時間を惜しみつつ、精一杯、自らの信ずる道に邁進するのみであります。

ウソがあります。 (8519)
日時:2018年12月21日 (金) 23時43分
名前:本音の時代

>総裁が教団に乗り込んで来た


雅宣さんは生長の家を退職したんです。そして、当時の生長の家のエライ方々が呼び戻したのです。
この書き方は、破邪顕正さんが確信犯


参考として、掲載します。

雅宣さんは、いったん、生長の家をやめているんです!! (55)
日時:2012年10月02日 (火) 22時35分
名前:HONNE

私たちは、雅宣さんについて知らない事が多いと思うのです。

アクエリアさんは次のように書いています。
【いったん、辞めたのに、また、呼びもどした、甘やかしが、好き放題させる原因になったように思います。】
(山ちゃん1952の日記 コメント 2012年10月02日 20時19分30秒)

私もそのとおりだと思います。人を信じるとか、光明面を見るというのは美しい(優しい)言葉ではありますが、生長の家の教えは、人を甘やかすものでは無いと信じています。残念ながら、雅宣さんに対して、当時関わった方々は、にせものに生長の家の教えを行じたといえます。正統なる生長の家の教えを行じていたならば今日のような状況などありえなかった。今となっては、正統なる生長の家の教えを考える良い機会になればよいと思っています。


※※参考※※

平成11年 雅宣副総裁退職通知(全国教化部長宛)

全国の教化部長の皆様へ:

平成11年度の講習会がいよいよ始まりました。出足は「一勝一負」という感じですが、新年度の運動方針で決められたように、講習会の受講者は前年度対比ではなく「基準数対比」を全面に出すことになったようです。

「ようです」などと他人事のような書き方をしましたが、この「基準数」についての考え方(なぜこれを採用し、今後どう運動するのか)講習会推進運動の光明化運動全体における位置(比重)、講習会に代わって何を運動の中心とするか等々の問題か、皆様 の参加した拡大最高首脳会議でも生長の家代表者会議どもほとんど議論されなかったのは、誠に残念なことです。理事長を初めとする理事の先生方には、こういう重要なことが明らかなのかもしれませんが、私には少しも明らかでないため、教区に於いて熱意をもつて無償で運動して下さっている幹部信徒の皆様が集まる幹部会で、私は本年度の運動に関して何を言っていいのか分かりません。

こんなことを書くと、皆様には不思議な感じがすると思います。副総裁は、教団の組織運動について知悉しており、しかも指導する立場にあるのだから、運動の今後について教区の人達を励ますことなどたやすいことではないのか? こう考える人も多いのではないでしょうか。ところが、事実はそうではないことをみなさまに知っていただきたいのです。
昨年度の講習会での幹部会でも、私は「誌友会を充実して」とか「会員の増える運動を」など当たり前のことを言っていましたが、実は「こんな当たり前のことは」教化部長がいつでも言っていることだろうから、 何故私が改めて言うのか?」という疑問がいつも脳裏にありました。では、当たり前でない、もっと運動の細部にわたることを言うべきなのかと考えると、それは相・白・青の中央部の仕事と教化部長の仕事、さらにはそれらの役職を統括する理事長の仕事と重なってしまいます。そういえことを、地元の事情を詳しく知らない私が幹部会の席上で言うと、影響が大きいゆえに、本部の責任部課の仕事に干渉することになり、間違った発言をした場合には組織に混乱を起こす結果となります。
しかし、副総裁は、そういうことをすべて考慮に入れて、なおかつ運動の士気を鼓舞するような適切な指導をすべきだ、と皆様は思われるでしょうか?谷口雅春先生も谷口清超先生も別の形であれそうされたのだから、雅宣先生も同じようにすべきだ、と考える人も多いかもしれません。ところが、この人類光明化運動においては、雅春先生の時代とも清超先生の時代とも根本的に違う制度的な変化(革命?)が起こったので、私は前任の先生方と同じ事は最早出来ないと判断しています。いったい何が起こったというのでしょうか?

それは、オウム真理教の問題に端を発した宗教法人法改正により、平成8年9月に行われた規則・規約類の大幅改正です。この改正は、この教団に於いては何か“税金対策”のように考えられるフシがあり「税金を払わされるのはたまらないから、政府(というよりは文部省の役人)の言うことは何でもやれ」という感じで、改正案の説明を私はロクに受けず、理事会に於いてもロクに論議されずにスイスイと通過してしまいました。(これが偽らざる私の感想です)が、改正が行われたものを何度も読み直した私は、「これは、副総裁はあまり仕事をするな」という意味の改正だと理解せざるを得なかったのです。

生長の家副総裁の職務について、以下の3つの変化がありました。

1.従来の理事会の機能を2つに分け、1つを宗教上の諸事項を決定する宗教上の機関として「理事会」という名で残し、新たに「責任役員会」を設けて、その他の宗教法人の(宗教上でない)事務を決定させるようにした、つまり、“聖俗分離”により、従来の理事会の機能は“聖”に属するもののみに縮小された。

2. 従来の理事会では、その決定事項は「総裁及び副総裁に1よる承認を得」ることが実施の条件となっていた(旧理事会内規第9条)が、この改正により、「総裁の委任」が無い限り副総裁の承認は不要となった。

3. 緊急事態に対応するために開かれる「持ち回り理事会」も、従来は「総裁及び副総裁の承認」がなければ開催出来ず、その事項も「総裁及び副総裁」の承認を経なければ実施に移せなかったが、この改正により、「総裁の承認」さえあれば開催も決定事項の実施もできるようになった。(旧理事会内規代6条の改正)

本部の意志決定機関としては、上で触れた理事会や責任役員会のほかに常任理事会と中央五者会がありますが、後の二つの機関の決定事項に関しては、従来から副総裁は何も関与していませんでした。ですから、この平成8年9月の変化により、副総裁が持っていた権限は大幅に縮小され、宗教上でない法人の事務(“俗”の領域)ばかりでなく宗教上の諸事項に関する(“聖”の領域の)理事会の決定事項にも、ほとんど(総裁の委任がないい限り)関与することができなくなったわけです。誤解のないために言っておきますが、副総裁ばかりではなく、生長の家総裁の権限も大幅に縮小されたのが、この改正です。

この大幅改正の後に、制度的に変わったと言えることが2点あります。一つは、平成10年1月17日から、生長の家教規10条の規定にもとづき、総裁先生の発意により、中央五者会の決定事項の「承認」の職務が副総裁に委任されたことで、もう一つは、同月28日に生長の家教規第21条が改正され「理事会には、総裁及び副総裁が出席して助言を行うことができる」ようになったこと(それまで1年以上も、制度的には総裁も副総裁も 理事会に出席出来なかった! )です。これら大幅改正の中心となった松下明理事によると、この「承認」や「助言」についても、法的にはややこしい制限がついているそうですから、結局のところ、現在の宗教法人「生長の家」の意志決定制度は、副総裁という立場の私の力はほとんど及ばない形になっています。

これに伴い、私が副総裁就任当時、副総裁のスタッフ部門として発足した「講習会企画室」も、いつのまにか私の手から離れて理事長の直属組織となりました。同じ頃、「副総裁」という私の立場の英語表記が「Vice President」から 「Honorary Vice President」に変更されました。英語で「Honorary」と言えば「名誉上の」とか「肩書きだけの」という意味であり、この語を正確な日本語に訳せば「名誉副総裁」であり、その場合は「無報酬の」とか「無給の」という意味も暗示しています。(研究社『新英和大辞典』)

これらすべてのことは、理事会等の正式機関に於いて“慎重審議”の末に決定されたことです。この新しい制度の特徴を一言でいえば、それは「理事長の権限の大幅拡大」で、それとの比較上で総裁先生の権限は縮小し、副総裁の権限はほとんど何もなくなりました。「なぜそうなのか?」という理由を、私はいまだによく理解できないでいます、「税金対策のため」というのが、表向きの理由のようです。しかしこれって何かおかしくありませんか? 私は、生長の家は「中心帰一」を説くと思っていたのですが、これでは「税金対策を最重要とする」というように受け取れないでしょうか?

ふたたび誤解のないようにしておきたいのですが、私は何も「かつての権限を戻してほしい」とタダをこねているのではありません。もっと合理的に、納得のいくような説明をしてほしかったと言っているのです。また、このような大幅改正を行ったわけですから、当然、私の実際の仕事の中身にも影響が出てくるはずです。権限が縮小されれば当然、責任も減るはずです。権限のない領域での仕事はする必要がなくなるはずです。これは、別に悪い事ではありません。その空いた時間とエネルギーを、私は別の仕事に振り向ける事ができるからです。(仕事はいくらでもあります!)

新年度の開始にあたり、この考え方に則って私の従来の仕事を総点検してみたところ、講習会は生長の家教規第10条と第11条に定めた通りの副総裁の任務でありますが、その後に教区の幹部の方々とともに行ってきた幹部会は、どこにも規約上の定めがなく、また、地元の組織運動の細部にわたった指導を求められる場があるにもかかわらず、私の任務としてはそのような仕事の規定が明文化されていないので、これをやめることにしました。

ついでに申し上げますと、私は平成11年3月末日をもって宗教法人「生長の家」を退職致しました。その理由は、現行制度の下では、生長の家副総裁は悔いんでも職員でもなく、役員でも職員でもない者は宗教法人「生長の家」とは直接的な雇用関係が生じる考えをもっている場合は、採用されるはずがなく、また自分が信念をもてない方策は、責任有る立場の人間は採用してはいけないのです。何といっても、新しい制度下にあっては理事長に責任と権限があり、私には責任も権限もないのです。そして、この新体制は私以外のすべての理事皆様の総意にもとづくものでした。この冷厳な事実に気づいた時、私は自分の誤りを知りました。

私は“我”の意志で教団を動かそうとしてはいけないのだ、ということです。運動の方向を決定し、教団の運営を行うのは、副総裁ではなく「総裁先生と理事」の皆様 なのであって、私は「助言者」としてその脇に立っているだけで、先生に助言を求められた時にのみ何かを言えばいいのでした。そのような制度になっているのだから、そのように行動すべきなのです。そこで考えたことは、私は現在の新制度を定める諸規約に書かれたことことのみを行い、書かれていないことは原則として行わず、例外的には顧問弁護士の正式見解が肯定的である場合にのみこれを行う、ということです。


新年度の開始にあたり、この考え方に則って私の従来の仕事を総点検してみたところ、講習会は生長の家教規第10条と第11条に定めた通りの副総裁の任務でありますが、その後に教区の幹部の方々とともに行ってきた幹部会は、どこにも規約上の定めがなく、また、地元の組織運動の細部にわたった指導を求められる場があるにもかかわらず、私の任務としてはそのような仕事の規定が明文化されていないうえ、運動の“俗”の部分も“聖”の部分も副総裁の任務から切り離した新制度の精神から考えてみると、相・白・青の組織運動に横車を押す危険性が大きく、また運動の実情に疎い副総裁が誤った指示を行う危険性もあるため、これをやめることにしました。

ではなぜ退職までする必要があったのか、と皆様は思うでしょうが? その理由はこの文章の最初に書いた通りです。つまり、現行の制度の下では、役員でも職員でもない者は宗教法人「生長の家」とは直接的な雇用関係が生じないからです。これを弁護士の若菜允子先生は、次のような言葉で表現されています:

「副総裁の宗教上の職務は、宗教上の教義・規範に拘束され、宗教上の最高位者である総裁の総?の下にありますが、法人との間では、高度の宗教的信頼関係に基づくものであって、支配従属関係にあるものではなく、また、法人に対して労務を提供するものでもありません。」

上の見解に私が賛成であると言っているのではありませんが、理事長や松下理事等の有力者が「唯一正しい見解」であるかの如くこれを扱っているため、今や法人の意志決定過程に関与しえない私は、そのような見解を甘んじて受け入れるほか仕方ないのです。この文の冒頭部で私が「不本意ではありますが」と書いたのは、そういう意味です。

今後、私に副総裁としての手当を支給するか否かは(あるいは法的に支給できるか否かは)、すべて理事・役員の皆様の判断に任されます。私としては今後、家族を含めた生活のこともありますから、また新たな道を模索してまいりたいと思います。

皆様、長い間、有り難うございました。

谷口雅宣  拝

私見ですが (8520)
日時:2018年12月22日 (土) 00時12分
名前:トキ

 再三、書いていますが、私は教団の方針が正しいとか、総裁の指導が谷口雅春先生の教えを継承しているとは思っていません。それどころか、彼らの言動にも非難されるべき点は多数あると思っています。ですから、別に本流復活派に教団の言動と同調せよとは言っているつもりはありません。

 問題はそこではなくて、そう言う一連の係争の結果、聖典や聖経が信徒の手に入りにくくなっていると言う現状を改善して欲しいと言う点です。少なくとも、この点については、教団も本流復活派も話し合いをする余地はあるのではないか、と思っています。

 例えば、キリスト教はいくつもの組織に分裂しています。それを統合しようと言う動きはありますが、現実化はしていません。が、聖書の現代語訳については、いくつもの組織が共同して翻訳を始めています。それが共通の利益になるからです。

 以前、書いたことですが、京都の今宮神社というところに行くと、門前に向かい合って「あぶり餅」の店が営業をしており、一方は「本家」で他方が「元祖」という表札を掲げています。それで喧嘩をすることなく、何と、平安時代から商売をしているのです。

 もう、こうなったら、教団が「本家 生長の家」で、本流復活派が「元祖 生長の家」の看板を出して、活動をしてはどうでしょうかしら?

 それでも、聖典の問題だけは解決して欲しいですね。

聖典とは (8526)
日時:2018年12月22日 (土) 01時26分
名前:名無し

>それでも、聖典の問題だけは解決して欲しいですね。


雅春先生がが削除していた「神道篇」を組み込んだ「生命の実相」は聖典「生命の実相」とは言えません。

改竄されたものを聖典とするわけにはいきません。

名無しさま (8528)
日時:2018年12月22日 (土) 03時07分
名前:志恩

名無しさま

改竄した 新編「生命の實相」は、聖典として使うわけにはいかない。

頭注版「生命の實相」なら、聖典として使えるが、という意味ですね。

本音の時代:雅宣総裁も最悪だけど、破邪顕正さんもね〜〜  (8529)
日時:2018年12月22日 (土) 03時49分
名前:志恩

愛国掲示板より
____________________________________________________
雅宣総裁も最悪だけど、破邪顕正さんもね〜〜 (24835)
日時:2018年12月21日 (金) 17時48分
名前:本音の時代

少しは良い方向に考えることができないでしょうか。


何回も書きますが、雅宣総裁一人だけでは何もできません。
雅宣総裁にのっかって得をしようとする人間がいます。
残念ですが、そういう人間を作ったのは生長の家です。
これも事実ですね。
退職した雅宣さんを呼び戻したのも生長の家。
これも事実。
呼び戻さなかったならば、生長の家はここまでならなかったもしれない。



>総裁は、結局、「生長の家」から尊師・谷口雅春先生そのものを追い出したかったということです。
現に、いろんなところで、尊師の御写真が外されていっています。
その代わりに、総裁の写真しか飾っていないようなところも生まれてきています。
「谷口雅春先生」という御名を称えることがどんどんなくなってきています。
今や、教団では、谷口雅宣総裁こそが「生長の家」の創始者であるかのような雰囲気をつくりあげようとしています。

↑は、破邪顕正さん書いたもの。


これには、学ぶ会と・社会事業団も加担しています。
聖経も聖典「生命の実相」も取り上げちゃったから。
教団は敵の発行するものは読むなのお達しだから、
教団からは、谷口雅春先生は遠のくばかりです。
教団が神殿(聖経、聖典「生命の実相」)をもっていれば
そこから攻めることもできるのでしょうが、それもできない。
本物の神殿が見えなくなっている間に、偽物の新しい神殿を作られちゃって、
信徒さんんも、偽物を本物と思ってしまいます。

破邪顕正様  (8530)
日時:2018年12月22日 (土) 03時53分
名前:志恩

愛国掲示板より
_____________________________________
破邪顕正様 (24836)
日時:2018年12月21日 (金) 19時22分
名前:志恩

破邪顕正様

いろいろと反論されておられますが、
肝心の次についてのコメントは、避けていらっしゃいます。

問題提起した
次についての回答を、よろしくお願いします。
______________________________________________

問題は、今、「生命の實相」全巻が、どこからも買うことができず、
この世から消えていることです。 (24790)

日時:2018年12月16日 (日) 23時44分
名前:志恩

日本教文社のHPを見ますと、
「生命の實相」の(初版革表紙・復刻版)というのが、
1と2の、2種類、各 定価:本体10,000円(税・送料別)


「生命の實相」の 愛蔵版 第12巻が、定価:本体3,200円(税・送料別)            
             第20巻が、定価:本体3,204円(税・送料別)

で、売られていました。

社会事業団さんが「生命の實相」を守ったという意味は、
教団では、「生命の實相」は売らなくなるからという意味かと思いますが、

今でも、教団側の日本教文社からは、裁判で負けたので、
頭注版「生命の實相」は、売っていませんが、別の「生命の實相」は、
一部ですが、売られていましたよ。

ただし、一般人では買えない高い値段のものでした。


問題にしているのは、一般人でも買いやすい
頭注版「生命の實相」40巻、(私は 、定価 750円 で買いました)が、
日本教文社から売られていない、光明思想社からも売られていない、


この世のどこからも、売られていないということです。

今、「生命の實相」全巻が、この世から消えていることです。

これについて、どうお考えなのでしょうかということを
問題提起しているのです。


「生命の實相」を教団から守ったという社会事業団ですが、
「生命の實相」全巻が、いま、出版されていない。

社会事業団は、光明思想社 出版で
新編「生命の實相」が、定価本体1,524円+税=1,600円で
出版中ですが、
全巻 46巻になるそうですが、全巻に至るまでには、
まだまだ年月がかかるそうですね。

新編は、
私は、最初のうちは、買って読んでいましたが、
私の場合は、頭注版に慣れているせいでしょうか。
新編は、読みづらく感じまして、途中から、買うのをやめています。

本音の時代さまもおっしゃっていましたが、
すでにある 頭注版「生命の實相」全巻を 
早急に出版できる お手配を、社会事業団さんに希望します。


_____________________________________

日本教文社ホームページより



詳しくはこちら

書籍(紙版) 真理探求 | 日本教文社
https://www.kyobunsha.co.jp/category/44/1/1.html



火曜クラブ (8531)
日時:2018年12月22日 (土) 03時57分
名前:志恩

愛国掲示板より
______________________________________
(24837)
日時:2018年12月21日 (金) 22時31分
名前:火曜クラブ

愛蔵版は格調高いですね。
いつもは頭注版を読んでますが。頭注版も美しいと思います。
新編は実家にあるので少し読んだことありますが、読みやすいです。
でも何で新編にしてしまったのかなあ、と思います。
揃っている頭注版を出すことが愛だと思います。
人を救えるのに残念です。

神々の友達:『生命の實相』全巻が、手に入らない。本当にそうなのですか。 (8532)
日時:2018年12月22日 (土) 03時58分
名前:志恩

愛国掲示板より

_____________________________________________________________
『生命の實相』全巻が、手に入らない。本当にそうなのですか。 (24838)
日時:2018年12月22日 (土) 02時32分
名前:神々の友達。

『生命の實相』全巻が、手に入らないとお嘆きの方々がいらっしゃいますが、

これはねえ、考え方によっては、神様と、谷口雅春先生を冒涜することに、

なりませんか。神様には無限の力があり、本当に救われたい人、救いたい人

には、神様は、どんな方法ををつかっても、必ず救ってくださいます。

四十数年前、谷口雅春先生は、ガーナの、プリンスJブラクソン氏の夢の中

に現れて、氏を直接ご指導下さいました。皆様、もうお忘れですか。

『生命の實相』は勿論、最高に素晴らしい。ですが、これが無いから

人々が救われないとお嘆きの貴公達は、神様の流通無限に、自ら蓋を

しているのではありませんか。

更に言わせてもらえば、この世に実現する事は、霊界ですでに青写真が

出来上がっていると言うことです。

『新編生命の實相』全巻は、霊界ですでに完成しており、それが

現象界での時間を通して、順次現れているのではありませんか。

私は悲観論を、歓迎いたしません。今に感謝、久遠の今を生きて

いきたいと考えています。

皆様方の正義感が、分からない訳ではありませんが、善人悪は

やはり、歓迎いたしません。

 (8533)
日時:2018年12月22日 (土) 04時02分
名前:志恩

愛国掲示板より
_______________________________________
(24844)
日時:2018年12月22日 (土) 03時28分
名前:志恩

『新編生命の實相』は、『新編生命の實相』の編集者の頭の中の青写真であって、
神界にいらっしゃる谷口雅春先生の頭の中の青写真ではないと思います。

谷口雅春先生は生長の家を始められる前の大本時代、
浅野和三郎先生とともに編集の仕事に携わっておられ
ましたが、

あの表紙のセンスを見ても、あれは谷口雅春先生のセンスではない。
「聖典」としての格調に欠けていますから。


その証拠に、
元の「生命の實相」は2000万部以上のベストセラーになりましたのに、
『新編生命の實相』は、全然売れていないじゃないですか?


谷口雅春先生が ご生前に ご出版の許可をされ、
全国的に堂々と出版されていた
全巻揃っていた、頭注版「生命の實相」を
この世から消したのは、誰なんですか??

出版できなくなり、この世から消した 頭注版「生命の實相」を、
この世に戻してください。

早急に出版してください。

 頭注版「生命の實相」が、
この世から消されてしまって、

それこそ、谷口雅春先生は、神界で悲しまれておられると存じます。

2013年に トキ掲示板 本流対策室/5にて[新編生命の實相]について語り合っていた発言集です (8540)
日時:2018年12月22日 (土) 09時32分
名前:志恩

https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358853467/?q=%BF%B7%CA%D4

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
本流対策室/5一部抜粋ー

1257: トキ :2013/05/18(土) 09:40:49 ID:sWbuwuBA
山ちゃん1952様が以下のようなご投稿をされていました。

http://plaza.rakuten.co.jp/tecnopla/diary/201305180001/

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NONNE様がこのような意見を述べられている。

日時:2013年05月15日 (水) 00時00分
名前:HONNE

別スレでも触れたのですが・・・
現在、生命の実相頭注版は著作権裁判の件もあって重版できず、品切れ中のものもあります。
生長の家にバイブルである「生命の実相」が出版・発行されていない現状を看過していてよろしいのでしょうか。
新編の全巻完成はいつになるかわかりません。
著作権を持つ生長の家社会事業団は、早急に生命の実相頭注版を出版すべきです。

別件ですが、5/5学ぶ会に『正統・生長の家』を実現する署名についてのお願いのメールを送りましたが、
なんの音沙汰もありません。見ず知らずの個人は相手にしないということでしょうか。

『正統・生長の家』を実現する署名も宜しくお願いします。<
私は『新編 生命の實相』での出版でこのブログで反対意見を述べたことを思い出す。

現在の頭注版ではなく65巻を出版するに際して、いろいろと述べた。

>『新編 生命の實相』を拝読しました。
編纂内容を編纂すると聞いていましたが実際読んでからではないといけませんので今日になりました。

『新編 生命の實相』の「編集はしがき」にはどのようなことを記入しているのか?
最初に出版された『生命の實相』やその後出版された『久遠の實在』のことも編集者は書いているのでそれを比較します。

また、どの項目がなくなったのかを見ていただきたく為に目次を掲載します。

私は『生命の實相』の最初の実相篇という項目をあまり深く考えなかったのですが、
大本から一燈園から雅春先生の著作や御寄稿文を読み、また神の啓示を受けられる迄の雅春先生の御寄稿文を
読んでいまして、やはりこの配列には重要な意味があることを実感しました。

また、そうした聖典と呼ぶべき御本を編纂していいのであろうか疑問でした。
しかし、本は出版されました。
また、愛蔵版を底本としていると記入されているのですが、新編では第一巻は総説篇と光明篇になっています。
頭注版では第二巻の項目となります。
言葉の分からない人には頭注版と同じように索引は付いてはいますが、小さい字です。

(これは仕方ありません)ルビは今までの総ルビからパラルビにしています。
私の調べたところによりますと。『生命の實相』の総ての御本(大聖典、中聖典、菊版、戦時廉価版、
新修普及版、新修特製版、布装携帯版、豪華版、頭注版、豪華携帯版(新装携帯版)、愛蔵版)に総ての配列は
第一巻は必ず総説篇と実相篇であります。

雅春先生があえて編纂しなかったことを考えていただきたい。

『明窓浄机』草創篇P39にこの『生命の實相』第一巻を神から書かしめられていたことを書いています。
またどうして実相篇で第一章に「近代科学の空即是色的展開」なのかを考えていただきたい、
「物質は無い」というところにどうして先生は到達されたのか。
生長の家の根本義であるべき真理を科学的に分析されておられます。

戦前の『生命の實相』は光明篇は第二巻です。戦後雅春先生はこの第一巻の編集に随分苦労されておられます。
普通であれば最初に出版されるのが普通ですが、20巻の最後から4番目に出版されています。
如何にご苦労されたか推察できます。それでも総説篇と実相篇の構成は変更されませんでした。

あまり硬いこと言ってはいけませんと言われそうですが、やはり折角出版されたのでありますが、
これは編集者の本ではありません。谷口雅春先生と本だということを肝に銘じてほしいものであります。

どうして聖書などを編纂しないかを考えていただきたい。それは「バイブル」であるからなんです。
聖書と訳していますが、その本の権威と辞書には書いています。雅春先生は日本の「バイブル」を
志して革表紙の『生命の實相』を発行されました。
厳しいことを言いましたことを赦していただきたい。<

私は現在の『新編 生命の實相』を素早く発行出来ないのは、そうした編纂に無理を通したような気がします。
その点HONNEさんの意見のほうが筋が通っている。

わざわざ、雅春先生が一貫して通してこられた『生命の實相』の編纂の前後を変更することを今回している。

そうした編纂の流れを知る人間にとり、やはりこんな状況になるとわかっていた。

元本部理事(2名)などの意見に耳を貸さなかったのが大きな要因です。

まあ65巻まで到達するのに20年以上かかるのが今の発行体系である。仕方がない。
それと署名とは別である。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1259: 志恩 :2013/05/18(土) 11:32:34 ID:.QY5jUA6

トキ様、山ちゃん1952様

私も本音を言えば、トキ様、山ちゃん1952様、それからこれについてを、前から追求している
訊けさんと同じ気持ちです。

「生命の實相」は、編纂せずに、活字を大きくするとか、装丁を新しくする程度の 改訂だけにされて、
出してほしかったです。

新編を出版される前には、

これも、山ちゃん1952様、トキ様が、前々から ご指摘されてる通り、
昔からの生長の家の歴史や著書類を熟知されておられる本部関係の大物2名の方々にも
ご意見を伺ってから、編纂されるかどうかの 重要な決定も、して頂きたかったです。

生意気なことを申し上げれば、

私も、「生命の實相」は、編纂されない方が、
雅春先生の出版された時の、お気持ちに 添うように思いました。

それに、そのほうが、昔から、「生命の實相」に馴染んでいる古参の信徒たちにも浸透しやすいし、
輪読会でも、新旧、両方とも、真理が掲載されている頁が同じなら、
どちらも、テキストに使えますので、便利だったと思います。

しかし、新編は、すでに編纂がなされ済みで、発行されております。

それで、気持ちをサラにして考えてみますと、
新人が初めて「生命の實相」という著書(聖典)を手に取り、読む場合は、
新編の方が、読み易く とっつきやすい感じが致します。

私は、新編も、順次 揃えています。

いろいろ言いましても、もう、すでに編纂されたものが、出てしまっているので、
あとは、皆様がおっしゃっておられるますように、

社会事業団は、

もとのままの「頭注版・生命の實相」40巻も、後世に遺すための貴いお役目を担われましたので

是非、今後、同時発行して下さいますよう、私も皆様同様に信徒として強く希望しております。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1384: HONNE :2013/05/29(水) 21:48:47 ID:jtmmmlXY
著作権問題は解決したようですね。

私はあらためて、新編「生命の実相」が全巻刊行になるまでは、
人々を救う力があるという頭注版「生命の実相」を発行していただきたいと考えます。

この際、対立する組織のメンツなど捨てて、通常の商取引の範疇としても良いから、

「生命の実相」を伝えるを前面に押し出して、
「生長の家社会事業団」は、日本教文社に印刷を委託して、

頭注版「生命の実相」を発行したらよい。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

1444: 志恩 :2013/06/01(土) 08:45:17 ID:.QY5jUA6
光明思想社様へ

光明掲示板より

山ちゃん1952様が
新編「生命の實相」と今までの「生命の實相」との比較について書かれています。
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1380
----------------------------------------------------------------
山ちゃん1952様コメント

『新編 生命の實相』を拝読しました。
編纂内容を編纂すると聞いていましたが実際読んでからではないといけませんので今日になりました。

『新編 生命の實相』の「編集はしがき」にはどのようなことを記入しているのか?
最初に出版された『生命の實相』やその後出版された『久遠の實在』のことも編集者は書いているのでそれを比較します。
また、どの項目がなくなったのかを見ていただきたく為に目次を掲載します。

私は『生命の實相』の最初の実相篇という項目をあまり深く考えなかったのですが、大本から一燈園から雅春先生の著作や御寄稿文を読み、
また神の啓示を受けられる迄の雅春先生の御寄稿文を読んでいまして、やはりこの配列には重要な意味があることを実感しました。

また、そうした聖典と呼ぶべき御本を編纂していいのであろうか疑問でした。
しかし、本は出版されました。

また、愛蔵版を底本としていると記入されているのですが、
新編では第一巻は総説篇と光明篇になっています。頭注版では第二巻の項目となります。

言葉の分からない人には頭注版と同じように索引は付いてはいますが、小さい字です。

(これは仕方ありません)ルビは今までの総ルビからパラルビにしています。
私の調べたところによりますと。

『生命の實相』の総ての御本(大聖典、中聖典、菊版、戦時廉価版、新修普及版、新修特製版、
布装携帯版、豪華版、頭注版、
豪華携帯版(新装携帯版)、愛蔵版)に総ての配列は第一巻は必ず総説篇と実相篇であります。

雅春先生があえて編纂しなかったことを考えていただきたい。

『明窓浄机』草創篇P39にこの『生命の實相』第一巻を神から書かしめられていたことを書いています。

またどうして実相篇で第一章に「近代科学の空即是色的展開」なのかを考えていただきたい、
「物質は無い」というところにどうして先生は到達されたのか。

生長の家の根本義であるべき真理を科学的に分析されておられます。

戦前の『生命の實相』は光明篇は第二巻です。
戦後雅春先生はこの第一巻の編集に随分苦労されておられます。
普通であれば最初に出版されるのが普通ですが、20巻の最後から4番目に出版されています。
如何にご苦労されたか推察できます。それでも総説篇と実相篇の構成は変更されませんでした。

あまり硬いこと言ってはいけませんと言われそうですが、やはり折角出版されたのでありますが、

これは編集者の本ではありません。谷口雅春先生と本だということを肝に銘じてほしいものであります。
どうして聖書などを編纂しないかを考えていただきたい。それは「バイブル」であるからなんです。

聖書と訳していますが、その本の権威と辞書には書いています。雅春先生は日本の「バイブル」を志して革表紙の『生命の實相』を発行されました。
厳しいことを言いましたことを赦していただきたい。
--------------------------------------------------------------------------------------------
以上に、転載させて頂きましたように、
山ちゃん1952様も、編纂については、厳しいコメントを載せておられます。

私も、それにつきましては、古くからの信徒ですから、同じ気持ちでしたが、
もう編纂されて、発行されてますし、内容は変えず、順番を変えたという事で、
発売されていますので、

また、活字が大きくなり、初めて読まれた方々にとりましては、読み易く編纂されてますので、
受け入れさせて頂いているのです。

しかし、いかに編集書の言葉の箇所とはいえ、雅春先生の【最後の言葉】を,間違えて書くとは、
編集者の風上にもおけない ドジ野郎の編集者であり、それは、ゆるしがたいことだと思います。

即刻、善処されますように!!

「やはり折角出版されたのでありますが、
これは編集者の本ではありません。谷口雅春先生と本だということを肝に銘じてほしいものであります。
どうして聖書などを編纂しないかを考えていただきたい。それは「バイブル」であるからなんです。」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
1469: 志恩 :2013/06/02(日) 12:15:16 ID:.QY5jUA6
光明思想社様 A 

「新編 生命の實相」について

私は、もともとの教えに回帰する運動をされている本流派を、以前から応援しているのですが、

この「新編 生命の實相」を編纂したことに関しましては、
>>1466:rei様のご意見は、正論だと思っております。

編纂委員会のメンバーの方々は、どなたと どなたなのか、全く知る由もありませんけれど、
やはり、この【生命の實相】は、後世に遺されていく、世界的な 国宝級の神殿なのですから、

前に、トキ様、山ちゃん様もおっしゃっておられましたが、
新たな形で発刊されるのでしたら、ほんとうは その下準備期間中に、慎重には慎重を重ねられて
生長の家の有知識者の方々の多くのご意見を聞かれたり、より深く検討されて、

その上で決定を下して出版されるべきだったと、素人が考えてみましても思います。

編纂問題は、脇におきまして、

新装や文章の配置のことを見ましても、正直に言いますと

だいたい、表紙の題字、1つとりましても「生命の實相」の著書なのに、
「生命の實相」という文字は、一番上の部分に、小さい文字で書いてあり、
その下に書いてある

副題のほうが、「生命の實相」の文字よりも4、5倍も大きい太い字で表紙の中心に書いてあり、

これが「生命の實相」の著書なのかどうか、とてもわかりづらいです。

それに、「頭注」 というのは、文章の上の位置にあってこそ「頭注」なのに、
なぜか、文章の下の部分にあり、頭注のところは文字数が少なく、よって、空白が多くなり、

本を開いて、文を拝読するとき、

文の下の方が 空白部分が多く、上が狭いので、
見た目、
文章が、天井につかえそうで、バランスがよくありません。

プロの編集者が、編集されたとは,とても思えない センス なんですけれど。

私は,本部におりましたとき、清超先生に個人教授で和文タイプのやり方を教えていただいた者ですが、
全国へ発信する文書の文を打つ時は、上の部分の空間を多く空けて、下は、狭く、そして、
全体のバランスを考えながら、打つようにと
教えて頂きました。

その考え方にも合っていないな,と感じました。

以前にも、私だけでなく、いろいろな方々から、この件のご指摘もございましたよね。

5巻まで、出版されましたが、

一度,このままで,行って よいか、どうか、
大事なことですから、再度、皆様で検討されてみられましたら、いかがでしょうか。。

私は、せめて、現代語に直されて、編纂はやめられて、
第1巻から
出直された方が、今後、何十万人という信徒のみなさまに、より多く受け入れて頂けると
思うのですが、

元のままでなく、「現代語」に直されたのでしたら、出せるのでは?

それも、違法で、だめなのですか?

それとも、今のままで、よしとされますか? このままで、推進されれば売れ続けると読まれてますか?

これは、私の単なる個人の意見です。今日は、正直な気持ちを書きました、
きびしいこと言って、ごめんなさい。

そうはいうものの、本流回帰運動は 今後も応援してますし、

「新編…」のほうも、私は,買って揃えていますが…。

もしも反論が、ございましたら、どうぞ、遠慮なく おっしゃってくださいませ。
素直に,受け止めさせて頂きます。

本音の時代::なぜ、頭注版の新規出版を許可できないのか、 その理由はなんでしょうか? (8542)
日時:2018年12月22日 (土) 10時35分
名前:志恩

愛国掲示板より
_______________________
なぜ、頭注版の新規出版を許可できないのか、
その理由はなんでしょうか? (24846)
日時:2018年12月22日 (土) 08時24分
名前:本音の時代

新編が売れなくなるからでしょうか?



↑の志恩さんの書き込みはその通りと感じますが、
神々の友達。さんのものは、目に見えないものを利用した
ごまかしと感じます。本質を避けています。

「平成11年 雅宣副総裁退職通知(全国教化部長宛)」を読んで (8573)
日時:2018年12月22日 (土) 21時51分
名前:トキ

 この文章が仮に真実だとすると、当時の谷口雅宣総裁はかなりフラストレーションが溜まっていたみたいです。

 平成11年の頃と言うと、運動が現実にはそろそろ停滞していた時代です。その頃は、講習会の「数字」を増やすことが「成果」でしたが、既に「弁当をネタに講習会の受講券を出してもらう」ような推進がまかり通っていました。当然、このような運動をしていても組織の強化にも教勢の拡大にもなりません。しかし、それでも方針が変わることはなかったです。失礼な言い方ですが、指導部の発想は硬直化していたと思います。その意味では、谷口雅宣総裁が嫌気がさしたのは理解はできます。

 ただ、当時の教団指導部の言い分にも理解できる部分はあります。

 オウム真理教の一連の事件を巡り、世論の宗教団体に対する視線はかなり厳しいものがありました。その中で、法律の改正や当局の指導により、宗教団体の運営に変化が要求されるのは当然でした。個人商店ならともかく、非課税特権を持つ宗教団体が、総裁や副総裁が好き勝手にできるような運営が許されるはずもなかったのです。

 もう一つ言えるのは、谷口雅宣総裁の「ご指導」に対する評価の低さです。断っておきますが、別に彼が知的に劣っているとか、悪い人だと言いたいのではないです。しかし、彼は、練成道場で正式な修行をしたこともないし、青年会で活動をした経験もないと聞いています。宗教の世界では、「経験」と言うのは大きな要素になっています。極端な話、中学卒業程度の学力の人が生長の家に入って修行をし、大活躍していると言う例はたくさんあります。逆に、道場でも組織でも実務経験がない人が信仰や運動について、何かを話しても「的外れ」になりがちです。実際、彼が総裁就任後にした「組織指導」の大半が「失敗だった」と言う人は多いです。

 ましてや、彼は、副総裁就任直後に「理想世界」誌上での「大東亜戦争侵略論」で教団に大変な迷惑をかけていた人です。その頃、本部の人と話しても、彼がまた変な事を言ったり、やったりしないか、とヒヤヒヤしているのはわかりました。

 そう言う事を考えると、彼から「実権」を取り上げたのも理解はできます。

 まあ、本部にいた人に聞かないとわかりませんが、仮に彼が一旦辞任して、本部に戻ってきたのが事実なら、その間の経過が気になるところです。

 (8787)
日時:2018年12月31日 (月) 09時16分
名前:マキ

☆彡... https://youtu.be/sROlH_bOsUU

話し合いが好きなトキさんの投稿です。 (47078)
日時:2022年01月13日 (木) 16時05分
名前:他スレッドから一部転載します。


雑感 (47045)
日時:2022年01月12日 (水) 13時45分
名前:トキ

 私は本部の人間ではないし、詳しいことは知りませんし、法律も素人です。また、確かに、教団本部は潤沢な資金を乱用して、弁護士に頼るという恥ずべき方針をとっているみたいです。

 ただ、今までの聖典の裁判では、教団の当事者は確か谷口恵美子先生ですね。訴状などには、谷口恵美子先生のお名前が使われていたはずです。谷口恵美子先生が著作権者だから、それは不思議ではないです。が、今は、谷口恵美子先生は、高知におられます。(この辺りの経過は聞いていますが、迂闊なことを書いて、こちらが教団の辣腕の弁護士集団から訴えられると困るので、やめておきます。)すると、教団は谷口恵美子先生のお名前を使えないことになりますね。つまり、「当事者適格」という裁判の技術的な理由で、本部は手が出せないだけの話ではないですか。

 私は、そう想像しております。


追伸 (47046)
日時:2022年01月12日 (水) 14時21分
名前:トキ

 阪田氏の見解がそんなに本流の運動にとって問題なら、阪田氏に電話をして

 「自分の見解は、聖典の著作権が生長の家社会事業団にない、という教団の見解を正当化するものではない」

という言質をとって、ネット上にアップすればいいだけの話ではないですか?

 別に本流を貶める意図はなく、単純に信徒の一人として疑問を感じているので、書いた次第です。ご理解のほど、お願いします。



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